短編
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「ナマエ!帰ったぞ!」
どこからか聞こえてきた声にびくりと体が震えた。危うく洗ったばかりの洗濯物を落とす所だった。聞き間違えるはずがない。キラウシの声だ。もうずっと、聞いていなかった声だ。「ナマエー!」とまたどこからか聞こえてきた声に、洗濯物を放り出して走り出した。バクバクと跳ねる心臓で、足がもつれそうになりながら声の主を探しに駆けていく。
「ナマエ!」
声を辿っていけば、キラウシがいた。コタンを出て行った時と同じ、いつものマタンプシにルウンペを着ている。紛れもなくキラウシだ。とびっきりの笑顔で両腕を広げて私を待ち構える姿に、ぐわっと色々な感情が込み上げてきた。ぐちゃぐちゃな心を整理できないまま、涙を堪えて駆け寄って、手を上げて──頭を思いっきりひっぱたいた。
「バカキラウシっ!!」
「ハィイ!痛い!ナマエっ、痛い!」
「出稼ぎ、長い!長すぎる!」
言いたいことがありすぎて、片言の言葉しか出てこなかった。蝗害のせいでうちのコタンは大変なことになってしまったから、キラウシは釧路の港に出稼ぎに行った……はずだった。何故か急に新しい仕事を見つけたという連絡だけ寄越して、それから年が明けてもずっと戻ってきていなかった夫に憤りを感じていた。
「ニシン漁場行くって、すぐ帰るって言ってたのに!一体どこまで行ってたの?!」
「悪かった。思ったより長引いたんだ。でも金は受け取ってただろ?」
「それはそうだけど……!」
土方さんという雇い主から、定期的な連絡と十分すぎるお金をもらっていた。それでも、顔を見て無事なのだと安心したかった。声を聞きたかった。お金があってもキラウシが居なければ意味がないのに。怒りが徐々におさまってくれば、心細かった日々を思い出して今度は涙が溢れ出てきた。
「心配だった……ずっと帰ってこないからっ……」
「……悪かった」
優しい指先が私の涙を拭っていく。ずっと恋しかった指先だ。次から次へと溢れてくる涙に追いついていない。ついに拭うのを諦めたのか、手のひらで頬を包まれて上を向かされた。申し訳なさそうにこちらを見る瞳に涙が止まらなかった。本当に帰ってきた。良かった、本当に良かった。
「えっと……すまん、キラウシ、俺たちどこかで暇を潰してきた方が良いか?」
隣から聞こえてきた声に驚いて視線を向ければ、そこには知らない和人と外国人が居た。キラウシに気を取られていて全く気づいていなかった。お客さんの前でとんでもないところを見せてしまったと気づいて、慌ててゴシゴシと袖で涙を拭った。
「こっちは門倉、あっちはマンスール」
「こ、こんにちは……」
「俺の女房、ナマエ」
「どうも……」
会釈を交わし終えると、ますます気まずくて重たい空気が私たちを包んだ。無理もない。知り合いの村に遊びに来て、怒り号泣する妻に出迎えられたらどうしていいか分からないだろう。私だってこの持て余した感情をどうしたら良いのか分からない。グズっと鼻を啜る音が大きく響いて恥ずかしかった。
「まあ……でも、その……キラウシには色々世話になったからそんなに怒らないでやってほしい」
ズルい。視線を外しながら門倉さんが言った言葉に、またやり場のない強い感情が湧き上がってきた。そんなことを言われたら我慢するしかなくなってしまう。キラウシなんてちょっと嬉しそうにしている。会ったばかりの人に対して、口を開けば酷い言葉が出てきそうで、歯を食いしばって耐えれば変な嗚咽が出てしまった。ふつふつと湧き上がってくる怒りや苛立ち、やるせなさの行き場が無くて、拳をギュッと握りしめた。
*
キラウシたちが村のみんなに囲まれている。村長のチセにみんなで集まって、酒を酌み交わしながら今まであったことを根掘り葉掘り聞いているのだった。アイヌの隠された金塊と土地の権利書を手に入れたり、大砲で戦艦をやっつけたり、どこかの冒険譚のような話が次から次へと出てくるのだから、みんな三人の話に夢中だった。しかし何よりも私が驚いたのは、キラウシの雇い主の土方さんが、函館で戦死したと言われていたあの土方歳三だったことだった。生きていたというだけでも天地がひっくり返るほど驚いたのに、まさか土方歳三が夫のキラウシを雇って、寝食を共にして、しかも私とやりとりをしていたなんて、にわかには信じられないことだった。土方さんから届いた電報を捨てないでおいて良かった。後生大事に取っておこう。相手が土方歳三だと知っていれば、私ももっとちゃんとした内容の電報を送っていたのに。常に移動しているようだったし、何かの手違いで私のくだらない電報が届いてなかったら良いのに……なんて思いで頭がいっぱいで、さっきから全く酔えなかった。
お酒を飲みすぎたキラウシたちが寝てしまっても、主役が不在のまま宴は続いていく。なんだか色々なことが一気に起きて疲れてしまった。もう帰って寝てしまおうか。話したいことが沢山あったのに、隣には常に門倉さんたちがいるし、コタンのみんなにも囲まれるし、最後は寝てしまうしで、全然キラウシと話せていなかった。話したいのは、会いたかったのは私だけなの?遠くでぐうすか呑気に眠る夫は答えてくれない。ため息をついて、宴会を後にした。白熊 無断転載禁止
「ナマエ」
子供のようにいじけながら歩いていれば、急に掛けられた声に驚いて躓きそうになる。振り返ったら隣のコタンの男がいた。隣のコタンは幸いにも蝗害の被害をあまり受けなかったらしく、大変だった時に色々と良くしてもらっていた人だ。「なんの騒ぎだ?」と宴に途中参加して、声をかけてきたのを思い出した。まだ飲み足りないだろうに、わざわざ抜けてきたのだろうか。
「やっと帰ってきたのに、キラウシにまた放ったらかしにされてるのか」
「しょうがない人だよね」
苦笑いをすれば、少し怒ったような視線が返ってきた。「それで良いのか」と落ち着いた声が鼓膜を揺らす。良くない。良くなんてない。今だって気を抜いたら泣きそうだった。でも今はもう、無事に戻ってきてくれただけで良かったと思うしかできなかった。
「俺なら──」
「ナマエっ!」
バタバタと慌ててキラウシが駆け寄ってきた。さっきまであんなに酔っていた様子だったのに、少し寝たことで酒が抜けたのか、しっかりとした足取りと口調をしていた。
「起きたら居ないから驚いた」
「……自分はずっと居なかったくせに?」
嫌味しか出てこないこの口が憎たらしい。キラウシが私たちの間に入ってきた。嫌味を露ほども気にせずに、私の手を取って足早に歩き出す。お酒のせいか掴まれた手がひどく熱い。じゃあまた、と後ろ手に手を振って、キラウシの歩幅に合わせて急いで脚を動かした。
「何もされてないか」
ぐいぐいと手を引っ張られて私たちのチセに着けば、キラウシが私の両肩を掴んで急に変なことを言い出した。焦った顔が珍しい。
「あいつナマエのこと狙ってる」
「え?まさか、大変な時に色々手伝ってもらった人だよ」
「ダメだもう絶対近寄るな、あいつずっとナマエのこと見てた」
ぎゅうっと抱きしめられて、また泣きそうになる。私のことなんて忘れて宴会を楽しんでいるのかと思っていた。ずっと放ったらかしにしていたくせに、なんでそんなことに気づくんだ。
「本当に悪かった」
「……別に、もう良いよ」
「良くない」
何が一番嫌だったって、楽しそうに今までのことを話すキラウシと一緒に素直に笑えなかったことだ。私が居なくてもキラウシは楽しい生活を送っていたのだと惨めな気持ちになった。私はずっと不安を抱えながら待っていたのに。キラウシが居なくても日々は続いていったし、コタンのみんなが居るから一人ではなかったけれど、やっぱりふとした瞬間にキラウシが居ないことがとても寂しく感じた。港ならすぐそこだし、またすぐに会えると思って軽い気持ちで送り出したから、こっちはなんの心の準備も出来ていなかった。やっと帰ってきたと思ったら、門倉さんとマンスールさんと居るキラウシはすごく生き生きとしていて、どうせ私なんかと一緒に居るよりも楽しかったんだろうと嫉妬していた。私だけがずっとキラウシを待っていたのだと悲しかった。
「ナマエからの電報いつも楽しみにしてた」
「えっ」
「みんなで読んでたんだ」
ちゃんと届いていたと知って驚いた。収穫が始まったとか、ご飯が美味しかったとか、最近起きた面白いこととか、とりとめのないコタンの日常をキラウシに向けて土方さん宛に送っていた。お金は十分に貰っていたから、結構な文字数で送っていた。まさかみんなで読んでいたなんて。あの土方歳三や永倉新八が私のどうでも良い電報を読んでいたという事実を再認識して、また少しの後悔と特大の恥ずかしさが込み上げてくる。
「だからナマエと一緒にいるような気になって安心してた」
長い間一人にして悪かった、と真っ直ぐ目を見つめられて一瞬で目頭が熱くなった。
「寂しかった、ずっと戻ってこないからっ……私のこと忘れちゃったのかもって……!あんな危ないことしてたなんて知らなかった、聞いてて怖かった……!」
堰を切ったように素直な気持ちが涙とともに溢れ出てくる。今日は泣いてばっかりだ。手の甲で拭っても拭っても頬が濡れてしまう。抱きしめられればルウンペにどんどん涙が染み込んでいって、すぐにぐしょぐしょになってしまった。キラウシは謝りながら私が落ち着くのを待ってくれた。
「門倉もナマエに会うの楽しみにしてた」
「うっ……ごめんなさい……なんで居るんだろうって酷いこと思ってた」
ふはっとキラウシが吹き出した。門倉は悪い奴じゃないけど運が凄く悪いんだと嬉しそうに話し始めたので、思わずぎゅっと服を掴んだ。眉間に皺が寄る。私は今酷い顔をしているに違いない。
「門倉さんの話しないで」
目をぱちくりとさせたと思ったら、キラウシの顔が急にデレデレとした笑みに変わった。「嫉妬してるのか」と嬉しそうに私の頭をぐしゃぐしゃにする。そうですよ、ずっとしてましたよ。どうせ共に戦った戦友には敵いませんよ。可愛くないことを言いそうになる口を噤んで離れようとしたら腰を抱かれた。優しい口付けをひとつ受け入れれば、ふたつみっつと続けざまに降ってきた。
「んっ……キラウシ……」
「ナマエ、会いたかった」
酒の匂いと幸福感に体が麻痺していく。二人分の吐息が鼓膜を揺らして体が震えた。首筋に唇を寄せられて、優しく肌を食まれた。
「んっ、くすぐったい……ぁっ、」
「あぁ……本物のナマエだ……」
死線を乗り越えてきたからなのか、私の勝手な思い込みなのか、以前よりもキラウシが男らしく見えてドキドキが止まらなかった。マタンプシの下のギラギラとした瞳に射抜かれて、どんどん体温が上がっていく。合わせ目に手がかけられた。もっと触れて。もっと愛して。会えなかった分、たくさん、たくさん。
「うぉっ……?!」
突然響き渡った第三者の声に驚いて、キラウシに強く抱き寄せられた。二人で恐る恐る声の方を見れば、チセの入り口で門倉さんが倒れていた。
「すまん。本当にすまん。盗み見るつもりじゃなくてだな、今居なくなるから気にせず続けてくれ」
「ん……ジジイ~!!」
立ちあがろうとしているが酔いが回りすぎて力が入らないらしい。
「門倉は尻の穴以外も覗くのか」
「尻の穴を……?えっ、なんで……?」
「やめろお前ッ俺の尊厳に関わる!」
「もう手遅れだろ」
キラウシと言い合いながら、門倉さんがズルズルとマンスールさんに引きずられて外に連れ出されていった。土方さんたちとも、こんな感じでいつも騒がしく過ごしていたのだろうか。私の知らない風景を思い浮かべた。
「楽しかったんだね」
あぁ、と嬉しそうに頷くキラウシに、今度は私も一緒になって笑えた。
「おかえり、キラウシ」
「ただいま、ナマエ」
2024.05.15
どこからか聞こえてきた声にびくりと体が震えた。危うく洗ったばかりの洗濯物を落とす所だった。聞き間違えるはずがない。キラウシの声だ。もうずっと、聞いていなかった声だ。「ナマエー!」とまたどこからか聞こえてきた声に、洗濯物を放り出して走り出した。バクバクと跳ねる心臓で、足がもつれそうになりながら声の主を探しに駆けていく。
「ナマエ!」
声を辿っていけば、キラウシがいた。コタンを出て行った時と同じ、いつものマタンプシにルウンペを着ている。紛れもなくキラウシだ。とびっきりの笑顔で両腕を広げて私を待ち構える姿に、ぐわっと色々な感情が込み上げてきた。ぐちゃぐちゃな心を整理できないまま、涙を堪えて駆け寄って、手を上げて──頭を思いっきりひっぱたいた。
「バカキラウシっ!!」
「ハィイ!痛い!ナマエっ、痛い!」
「出稼ぎ、長い!長すぎる!」
言いたいことがありすぎて、片言の言葉しか出てこなかった。蝗害のせいでうちのコタンは大変なことになってしまったから、キラウシは釧路の港に出稼ぎに行った……はずだった。何故か急に新しい仕事を見つけたという連絡だけ寄越して、それから年が明けてもずっと戻ってきていなかった夫に憤りを感じていた。
「ニシン漁場行くって、すぐ帰るって言ってたのに!一体どこまで行ってたの?!」
「悪かった。思ったより長引いたんだ。でも金は受け取ってただろ?」
「それはそうだけど……!」
土方さんという雇い主から、定期的な連絡と十分すぎるお金をもらっていた。それでも、顔を見て無事なのだと安心したかった。声を聞きたかった。お金があってもキラウシが居なければ意味がないのに。怒りが徐々におさまってくれば、心細かった日々を思い出して今度は涙が溢れ出てきた。
「心配だった……ずっと帰ってこないからっ……」
「……悪かった」
優しい指先が私の涙を拭っていく。ずっと恋しかった指先だ。次から次へと溢れてくる涙に追いついていない。ついに拭うのを諦めたのか、手のひらで頬を包まれて上を向かされた。申し訳なさそうにこちらを見る瞳に涙が止まらなかった。本当に帰ってきた。良かった、本当に良かった。
「えっと……すまん、キラウシ、俺たちどこかで暇を潰してきた方が良いか?」
隣から聞こえてきた声に驚いて視線を向ければ、そこには知らない和人と外国人が居た。キラウシに気を取られていて全く気づいていなかった。お客さんの前でとんでもないところを見せてしまったと気づいて、慌ててゴシゴシと袖で涙を拭った。
「こっちは門倉、あっちはマンスール」
「こ、こんにちは……」
「俺の女房、ナマエ」
「どうも……」
会釈を交わし終えると、ますます気まずくて重たい空気が私たちを包んだ。無理もない。知り合いの村に遊びに来て、怒り号泣する妻に出迎えられたらどうしていいか分からないだろう。私だってこの持て余した感情をどうしたら良いのか分からない。グズっと鼻を啜る音が大きく響いて恥ずかしかった。
「まあ……でも、その……キラウシには色々世話になったからそんなに怒らないでやってほしい」
ズルい。視線を外しながら門倉さんが言った言葉に、またやり場のない強い感情が湧き上がってきた。そんなことを言われたら我慢するしかなくなってしまう。キラウシなんてちょっと嬉しそうにしている。会ったばかりの人に対して、口を開けば酷い言葉が出てきそうで、歯を食いしばって耐えれば変な嗚咽が出てしまった。ふつふつと湧き上がってくる怒りや苛立ち、やるせなさの行き場が無くて、拳をギュッと握りしめた。
*
キラウシたちが村のみんなに囲まれている。村長のチセにみんなで集まって、酒を酌み交わしながら今まであったことを根掘り葉掘り聞いているのだった。アイヌの隠された金塊と土地の権利書を手に入れたり、大砲で戦艦をやっつけたり、どこかの冒険譚のような話が次から次へと出てくるのだから、みんな三人の話に夢中だった。しかし何よりも私が驚いたのは、キラウシの雇い主の土方さんが、函館で戦死したと言われていたあの土方歳三だったことだった。生きていたというだけでも天地がひっくり返るほど驚いたのに、まさか土方歳三が夫のキラウシを雇って、寝食を共にして、しかも私とやりとりをしていたなんて、にわかには信じられないことだった。土方さんから届いた電報を捨てないでおいて良かった。後生大事に取っておこう。相手が土方歳三だと知っていれば、私ももっとちゃんとした内容の電報を送っていたのに。常に移動しているようだったし、何かの手違いで私のくだらない電報が届いてなかったら良いのに……なんて思いで頭がいっぱいで、さっきから全く酔えなかった。
お酒を飲みすぎたキラウシたちが寝てしまっても、主役が不在のまま宴は続いていく。なんだか色々なことが一気に起きて疲れてしまった。もう帰って寝てしまおうか。話したいことが沢山あったのに、隣には常に門倉さんたちがいるし、コタンのみんなにも囲まれるし、最後は寝てしまうしで、全然キラウシと話せていなかった。話したいのは、会いたかったのは私だけなの?遠くでぐうすか呑気に眠る夫は答えてくれない。ため息をついて、宴会を後にした。白熊 無断転載禁止
「ナマエ」
子供のようにいじけながら歩いていれば、急に掛けられた声に驚いて躓きそうになる。振り返ったら隣のコタンの男がいた。隣のコタンは幸いにも蝗害の被害をあまり受けなかったらしく、大変だった時に色々と良くしてもらっていた人だ。「なんの騒ぎだ?」と宴に途中参加して、声をかけてきたのを思い出した。まだ飲み足りないだろうに、わざわざ抜けてきたのだろうか。
「やっと帰ってきたのに、キラウシにまた放ったらかしにされてるのか」
「しょうがない人だよね」
苦笑いをすれば、少し怒ったような視線が返ってきた。「それで良いのか」と落ち着いた声が鼓膜を揺らす。良くない。良くなんてない。今だって気を抜いたら泣きそうだった。でも今はもう、無事に戻ってきてくれただけで良かったと思うしかできなかった。
「俺なら──」
「ナマエっ!」
バタバタと慌ててキラウシが駆け寄ってきた。さっきまであんなに酔っていた様子だったのに、少し寝たことで酒が抜けたのか、しっかりとした足取りと口調をしていた。
「起きたら居ないから驚いた」
「……自分はずっと居なかったくせに?」
嫌味しか出てこないこの口が憎たらしい。キラウシが私たちの間に入ってきた。嫌味を露ほども気にせずに、私の手を取って足早に歩き出す。お酒のせいか掴まれた手がひどく熱い。じゃあまた、と後ろ手に手を振って、キラウシの歩幅に合わせて急いで脚を動かした。
「何もされてないか」
ぐいぐいと手を引っ張られて私たちのチセに着けば、キラウシが私の両肩を掴んで急に変なことを言い出した。焦った顔が珍しい。
「あいつナマエのこと狙ってる」
「え?まさか、大変な時に色々手伝ってもらった人だよ」
「ダメだもう絶対近寄るな、あいつずっとナマエのこと見てた」
ぎゅうっと抱きしめられて、また泣きそうになる。私のことなんて忘れて宴会を楽しんでいるのかと思っていた。ずっと放ったらかしにしていたくせに、なんでそんなことに気づくんだ。
「本当に悪かった」
「……別に、もう良いよ」
「良くない」
何が一番嫌だったって、楽しそうに今までのことを話すキラウシと一緒に素直に笑えなかったことだ。私が居なくてもキラウシは楽しい生活を送っていたのだと惨めな気持ちになった。私はずっと不安を抱えながら待っていたのに。キラウシが居なくても日々は続いていったし、コタンのみんなが居るから一人ではなかったけれど、やっぱりふとした瞬間にキラウシが居ないことがとても寂しく感じた。港ならすぐそこだし、またすぐに会えると思って軽い気持ちで送り出したから、こっちはなんの心の準備も出来ていなかった。やっと帰ってきたと思ったら、門倉さんとマンスールさんと居るキラウシはすごく生き生きとしていて、どうせ私なんかと一緒に居るよりも楽しかったんだろうと嫉妬していた。私だけがずっとキラウシを待っていたのだと悲しかった。
「ナマエからの電報いつも楽しみにしてた」
「えっ」
「みんなで読んでたんだ」
ちゃんと届いていたと知って驚いた。収穫が始まったとか、ご飯が美味しかったとか、最近起きた面白いこととか、とりとめのないコタンの日常をキラウシに向けて土方さん宛に送っていた。お金は十分に貰っていたから、結構な文字数で送っていた。まさかみんなで読んでいたなんて。あの土方歳三や永倉新八が私のどうでも良い電報を読んでいたという事実を再認識して、また少しの後悔と特大の恥ずかしさが込み上げてくる。
「だからナマエと一緒にいるような気になって安心してた」
長い間一人にして悪かった、と真っ直ぐ目を見つめられて一瞬で目頭が熱くなった。
「寂しかった、ずっと戻ってこないからっ……私のこと忘れちゃったのかもって……!あんな危ないことしてたなんて知らなかった、聞いてて怖かった……!」
堰を切ったように素直な気持ちが涙とともに溢れ出てくる。今日は泣いてばっかりだ。手の甲で拭っても拭っても頬が濡れてしまう。抱きしめられればルウンペにどんどん涙が染み込んでいって、すぐにぐしょぐしょになってしまった。キラウシは謝りながら私が落ち着くのを待ってくれた。
「門倉もナマエに会うの楽しみにしてた」
「うっ……ごめんなさい……なんで居るんだろうって酷いこと思ってた」
ふはっとキラウシが吹き出した。門倉は悪い奴じゃないけど運が凄く悪いんだと嬉しそうに話し始めたので、思わずぎゅっと服を掴んだ。眉間に皺が寄る。私は今酷い顔をしているに違いない。
「門倉さんの話しないで」
目をぱちくりとさせたと思ったら、キラウシの顔が急にデレデレとした笑みに変わった。「嫉妬してるのか」と嬉しそうに私の頭をぐしゃぐしゃにする。そうですよ、ずっとしてましたよ。どうせ共に戦った戦友には敵いませんよ。可愛くないことを言いそうになる口を噤んで離れようとしたら腰を抱かれた。優しい口付けをひとつ受け入れれば、ふたつみっつと続けざまに降ってきた。
「んっ……キラウシ……」
「ナマエ、会いたかった」
酒の匂いと幸福感に体が麻痺していく。二人分の吐息が鼓膜を揺らして体が震えた。首筋に唇を寄せられて、優しく肌を食まれた。
「んっ、くすぐったい……ぁっ、」
「あぁ……本物のナマエだ……」
死線を乗り越えてきたからなのか、私の勝手な思い込みなのか、以前よりもキラウシが男らしく見えてドキドキが止まらなかった。マタンプシの下のギラギラとした瞳に射抜かれて、どんどん体温が上がっていく。合わせ目に手がかけられた。もっと触れて。もっと愛して。会えなかった分、たくさん、たくさん。
「うぉっ……?!」
突然響き渡った第三者の声に驚いて、キラウシに強く抱き寄せられた。二人で恐る恐る声の方を見れば、チセの入り口で門倉さんが倒れていた。
「すまん。本当にすまん。盗み見るつもりじゃなくてだな、今居なくなるから気にせず続けてくれ」
「ん……ジジイ~!!」
立ちあがろうとしているが酔いが回りすぎて力が入らないらしい。
「門倉は尻の穴以外も覗くのか」
「尻の穴を……?えっ、なんで……?」
「やめろお前ッ俺の尊厳に関わる!」
「もう手遅れだろ」
キラウシと言い合いながら、門倉さんがズルズルとマンスールさんに引きずられて外に連れ出されていった。土方さんたちとも、こんな感じでいつも騒がしく過ごしていたのだろうか。私の知らない風景を思い浮かべた。
「楽しかったんだね」
あぁ、と嬉しそうに頷くキラウシに、今度は私も一緒になって笑えた。
「おかえり、キラウシ」
「ただいま、ナマエ」
2024.05.15
