短編
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ソファーで百之助にすっぽりと抱きかかえられたまま、私はかれこれ1時間ほど立ち上がることを許されていなかった。会話は無いけれど、別に気まずいわけでもない。子供の頃からもう20年以上の付き合いだし、何か話さないと、とせっつかれるような空気にならないから居心地が良い。百之助に抱きしめられるのも、抱きしめるのも好きだ。しかし物事には限度がある。ちょっと小腹が空いたからお菓子を取りに行きたいし、ベッド脇で充電しっぱなしのスマホも確認しに行きたい。特段面白くもつまらなくもないテレビを見つめ続けるのもいい加減飽きてきた。
「百之助、お菓子取りに行きたい」
立ちあがろうとすれば、お腹に回されている両腕にギュッと力が入った。緩まる気配は全くない。やっぱりダメか。諦めて少しだけ浮かせた腰を下ろして、鍛えられた胸板にまた体を預けた。厚くてゴツゴツとした百之助の手が、私の手を握り込んだ。いつの間にか随分と体格差が出来てしまった。小さい頃は私の方が背が高かったのに。髭まで生やしちゃって。それでも寂しん坊な中身は全然変わっていない。
こんな百之助の姿を杉元君が知ったら笑うんだろうなぁ。もしかしたらドン引きするかもしれない。事あるごとにバチバチと火花を散らしている二人の姿を思い出した。杉元君には何度も心配そうに「尾形のどこが良いの?」と聞かれたことがある。「意外とたくさん可愛いところがあるんだよ」と答えたら、信じられないというような顔をしていた。
杉元君は知らないもんね、百之助がこんなにも甘えん坊で優しいこと。二人で居る時はいつもくっついて来るし、私の好きそうなお菓子を見かけたら買ってきてくれるし、ちょっとした我儘だって文句を言いながら全部聞いてくれる。少し天邪鬼で気分屋ではあるけど、杉元君たちに向けられる刺々しい態度は、一度だって私に向けられたことはない。私に気を許しているのが手に取るように分かるから、二人だけの時に見せる姿がとても好きだった。零れた笑みに気づいたのか、百之助が不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
「なんだよ」
「ううん、百之助は可愛いなぁって」
よしよしと頭を撫でれば擦り寄ってくるのも猫みたいで可愛い。だいぶ大型で凶暴な猫だけど。
「百之助はさ、私のどこが好きなの?」
「さぁ……」
「そこは嘘でも可愛いところとか顔とかさぁ」
と言いつつ、好きに理由なんていらないことを私は分かっている。私だって百之助の可愛いところも、顔も好きだけど、それだけじゃない。百之助が百之助だから好きなんだ。だから別に答えなんて要らなかったのに、真面目で優しい百之助は、少し考え込んだ後に思いもよらないことを耳元で呟いた。
「ナマエが俺を愛してくれたから」
驚きすぎて、何も言葉が出なかった。ぎこちなく振り向いたら、漆のように黒い瞳とかち合った。普通の人が見たら多分、無表情に見えるんだろう。でも、私からしたらいつもよりもうんと穏やかな眼差しをしている。私をこの上なく愛おしそうに見つめる眼差しに、どくどくと鼓動が早まっていく。あの時私が一方的に押し付けた愛を、百之助はちゃんと受け取ってくれてたんだ。じわじわと込み上げてくる嬉しさに泣きそうだった。まるで走馬灯のように、ぶわっと遠い昔のことが脳内を駆けていく。
当時は百之助の家庭のゴタゴタのことなんて良く分かっていなかったけれど、子供ながらに何となく良くないことが起きてるんだろうなと察していた。暗くて不安そうな瞳が見ていられなくて、手を取って、抱きしめて、大丈夫だよと伝え続けた。私がついてるから。もう良い、とすぐ離れようとする百之助を無視して抱きしめ続けた。どうしたら良いのか分からなくて、私の祈りにも似た愛を一方的に押し付けた。
騒動が収まって、いつしか特に明確な言葉もなく、当たり前のように私たちは付き合い始めた。お互いを大切に思い合っていることは痛いほど分かっているけど、私たちは今まであの時のことに一度も触れたことがなかった。ほかの嫌なことも思い出してしまうから、何となく触れない方が良い気がしていた。百之助が実際どう思っていたのか、そもそも覚えているのかすら私は知らなかった。ちゃんと覚えていてくれたんだ。もしかして、今も一向に緩まる気配のない拘束は、あの時の仕返しなんだろうか。それはあまりにも愛おしい仕返しだ。潤んでいく瞳を誤魔化すために笑った。
「大好きだよ、ずっと前から」
百之助が猫のようにゆっくりと瞬きをした。
「んっ……」
啄むようなキスが降ってくる。優しくて、慈しみに溢れたキスだ。首だけ後ろを向いているせいで苦しいのに、この上なく幸せだった。ずっとずっと前に蒔いた種が、百之助の中でゆっくりと育って、今こうやって私たちを繋ぎ止めている。はぁっと、いっぱいいっぱいな気持ちを吐き出すように息をついた。百之助が首筋に顔をうずめて擦り寄って来る。
白熊 無断転載禁止
「ナマエ」
「ちょ、くすぐったい……」
肌に触れる髭と吐息にゾワっと毛が逆立つ。身を捩って逃げようとしたら、肩を掴まれてガッチリと拘束された。
「あはっ、ダメだって、くすぐったい……ひゃっ」
じょりっと強めに髭で皮膚をひっかかれて変な声が出てしまった。その跡を百之助のざらついた舌がなぞって息が震える。まだ明るいのに、お腹の奥を刺激されるような感覚に身悶える。
「やっ、ちょっと、百……わっ!」
突然の浮遊感に慌てて百之助に縋りついた。大股で向かっている先は寝室のようだ。ゆっくりとベッドに降ろされれば、ヴヴっと傍らのスマホが鳴った。杉元君だ。一瞬見えた画面には、白石君が当てたお金で今夜焼き肉に行くと表示されていた。夕飯のお誘いだろうか。人のお金で、しかも白石君のお金で食べる焼肉はすごく美味しそうだ。またスマホが鳴る。舌打ちが寝室に響いた。不機嫌そうな百之助が私のスマホを取って、4回タップした後に何か操作し始めた。えっ、開いたの?
「な、なんでパスコード知ってるの?!」
「適当に入れたら開いた」
適当って……百之助の誕生日だ。それを当たり前のように入力した百之助にも驚いてしまう。あの暗くて寂しげな瞳はもうどこにもないのだと、また心が満たされていく。良かったなぁ、あの時手を取って。私がしみじみと感傷に浸っていることなんて知らない指が、強めにスマホの画面を叩いている。
杉元君が理不尽な暴言の末にブロックされるまで、あと3秒。
「百之助、お菓子取りに行きたい」
立ちあがろうとすれば、お腹に回されている両腕にギュッと力が入った。緩まる気配は全くない。やっぱりダメか。諦めて少しだけ浮かせた腰を下ろして、鍛えられた胸板にまた体を預けた。厚くてゴツゴツとした百之助の手が、私の手を握り込んだ。いつの間にか随分と体格差が出来てしまった。小さい頃は私の方が背が高かったのに。髭まで生やしちゃって。それでも寂しん坊な中身は全然変わっていない。
こんな百之助の姿を杉元君が知ったら笑うんだろうなぁ。もしかしたらドン引きするかもしれない。事あるごとにバチバチと火花を散らしている二人の姿を思い出した。杉元君には何度も心配そうに「尾形のどこが良いの?」と聞かれたことがある。「意外とたくさん可愛いところがあるんだよ」と答えたら、信じられないというような顔をしていた。
杉元君は知らないもんね、百之助がこんなにも甘えん坊で優しいこと。二人で居る時はいつもくっついて来るし、私の好きそうなお菓子を見かけたら買ってきてくれるし、ちょっとした我儘だって文句を言いながら全部聞いてくれる。少し天邪鬼で気分屋ではあるけど、杉元君たちに向けられる刺々しい態度は、一度だって私に向けられたことはない。私に気を許しているのが手に取るように分かるから、二人だけの時に見せる姿がとても好きだった。零れた笑みに気づいたのか、百之助が不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
「なんだよ」
「ううん、百之助は可愛いなぁって」
よしよしと頭を撫でれば擦り寄ってくるのも猫みたいで可愛い。だいぶ大型で凶暴な猫だけど。
「百之助はさ、私のどこが好きなの?」
「さぁ……」
「そこは嘘でも可愛いところとか顔とかさぁ」
と言いつつ、好きに理由なんていらないことを私は分かっている。私だって百之助の可愛いところも、顔も好きだけど、それだけじゃない。百之助が百之助だから好きなんだ。だから別に答えなんて要らなかったのに、真面目で優しい百之助は、少し考え込んだ後に思いもよらないことを耳元で呟いた。
「ナマエが俺を愛してくれたから」
驚きすぎて、何も言葉が出なかった。ぎこちなく振り向いたら、漆のように黒い瞳とかち合った。普通の人が見たら多分、無表情に見えるんだろう。でも、私からしたらいつもよりもうんと穏やかな眼差しをしている。私をこの上なく愛おしそうに見つめる眼差しに、どくどくと鼓動が早まっていく。あの時私が一方的に押し付けた愛を、百之助はちゃんと受け取ってくれてたんだ。じわじわと込み上げてくる嬉しさに泣きそうだった。まるで走馬灯のように、ぶわっと遠い昔のことが脳内を駆けていく。
当時は百之助の家庭のゴタゴタのことなんて良く分かっていなかったけれど、子供ながらに何となく良くないことが起きてるんだろうなと察していた。暗くて不安そうな瞳が見ていられなくて、手を取って、抱きしめて、大丈夫だよと伝え続けた。私がついてるから。もう良い、とすぐ離れようとする百之助を無視して抱きしめ続けた。どうしたら良いのか分からなくて、私の祈りにも似た愛を一方的に押し付けた。
騒動が収まって、いつしか特に明確な言葉もなく、当たり前のように私たちは付き合い始めた。お互いを大切に思い合っていることは痛いほど分かっているけど、私たちは今まであの時のことに一度も触れたことがなかった。ほかの嫌なことも思い出してしまうから、何となく触れない方が良い気がしていた。百之助が実際どう思っていたのか、そもそも覚えているのかすら私は知らなかった。ちゃんと覚えていてくれたんだ。もしかして、今も一向に緩まる気配のない拘束は、あの時の仕返しなんだろうか。それはあまりにも愛おしい仕返しだ。潤んでいく瞳を誤魔化すために笑った。
「大好きだよ、ずっと前から」
百之助が猫のようにゆっくりと瞬きをした。
「んっ……」
啄むようなキスが降ってくる。優しくて、慈しみに溢れたキスだ。首だけ後ろを向いているせいで苦しいのに、この上なく幸せだった。ずっとずっと前に蒔いた種が、百之助の中でゆっくりと育って、今こうやって私たちを繋ぎ止めている。はぁっと、いっぱいいっぱいな気持ちを吐き出すように息をついた。百之助が首筋に顔をうずめて擦り寄って来る。
白熊 無断転載禁止
「ナマエ」
「ちょ、くすぐったい……」
肌に触れる髭と吐息にゾワっと毛が逆立つ。身を捩って逃げようとしたら、肩を掴まれてガッチリと拘束された。
「あはっ、ダメだって、くすぐったい……ひゃっ」
じょりっと強めに髭で皮膚をひっかかれて変な声が出てしまった。その跡を百之助のざらついた舌がなぞって息が震える。まだ明るいのに、お腹の奥を刺激されるような感覚に身悶える。
「やっ、ちょっと、百……わっ!」
突然の浮遊感に慌てて百之助に縋りついた。大股で向かっている先は寝室のようだ。ゆっくりとベッドに降ろされれば、ヴヴっと傍らのスマホが鳴った。杉元君だ。一瞬見えた画面には、白石君が当てたお金で今夜焼き肉に行くと表示されていた。夕飯のお誘いだろうか。人のお金で、しかも白石君のお金で食べる焼肉はすごく美味しそうだ。またスマホが鳴る。舌打ちが寝室に響いた。不機嫌そうな百之助が私のスマホを取って、4回タップした後に何か操作し始めた。えっ、開いたの?
「な、なんでパスコード知ってるの?!」
「適当に入れたら開いた」
適当って……百之助の誕生日だ。それを当たり前のように入力した百之助にも驚いてしまう。あの暗くて寂しげな瞳はもうどこにもないのだと、また心が満たされていく。良かったなぁ、あの時手を取って。私がしみじみと感傷に浸っていることなんて知らない指が、強めにスマホの画面を叩いている。
杉元君が理不尽な暴言の末にブロックされるまで、あと3秒。
