ネームレスSS
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
蛇と苺
「おはよう」
ふぁあ、とあくびをしながら居間へと行ったら随分と静かで驚いた。大所帯だからいつもこの隠れ家には誰かしらの声が響いているのに、今朝は縁側の寝椅子で夏太郎が静かに新聞を読んでいるだけだった。土方さんの真似っこをしているのだろう。何か気になる記事でもあるのか、こちらに見向きもせずに他のみんなは街へと行ったと伝えられた。「置いていかれたんだ?」と笑ったら「留守番だって立派な仕事だ」とふてくされた顔で振り返ってきた。
「う、ぁっ、ちょっと、それ……ッ!」
すぐに顔を正面に戻しながら私を指差してきて、着物の合わせが乱れていたことに気がついた。と言っても少しだけ深く襟元が開いてしまっているだけで、夜の街にでも行ったらもっと大胆な人たちはごまんと居るだろう。ああ、と生返事をしながらそのまま夏太郎へと近づいて行くと、慌てたように寝椅子から体を起き上がらせた。
「はっ、早く直してくださいよ。牛山さんが帰ってきたらどうするんですか」
「どうする、って……その時は夏太郎も交ざる?」
「なっ……!?」
ありったけ見開いた目がこちらを凝視してきた。土方さんや永倉さんだったら暖簾を相手にするような、のらりくらりと躱し合う会話になっていただろう。それもまた一興だけれど、池に石を投げ入れたら水面が漣立つように、私の言動に毎回律儀に反応してくれるのが新鮮で嬉しかった。
「夏太郎は可愛いね」
私の心の底から出てきた言葉はお気に召さなかったらしく、夏太郎は椅子に腰かけたまま、拗ねたように下を向いてしまった。新聞も床に落ちてしまっている。そういうところなのだけれど、本人は全く分かっていないらしい。
本当に、そそられる。
「ねぇ──」
指先で顎を掬い上げた。一丁前に生やしている髭がチクチクと皮膚を刺激する。おどおどと揺れる瞳はあどけなかった。
「──土方さんから女遊びは教わらなかったの?」
夏太郎の顔が、みるみるうちに耳の先まで真っ赤になって、微かな呻き声が喉の奥から聞こえてきた。「馬鹿!」とか「何言ってんだ!」とか、そんな勢い任せの言葉が返って来ると思ったのに。こんなに可愛い反応をしてくれるなんて思っていなくて、ゆるゆると口角が上がっていく。でもこれ以上からかったら怒って何処かへ行ってしまいそうだ。眼下の熟れた蛇苺のような愛らしい顔を目に焼き付けてから離れようとしたら、急に手首を掴まれた。大きな手だった。初心なくせに私とは作りが根本的に違う。可愛い苺ちゃんにはそぐわない、私の手首を簡単に丸ごと飲み込むように掴んでしまう手は、紛れもなく男の手だった。
「どうしたの?」
僅かな動揺を隠すように笑ったら、私を掴む手に少しだけ力が入って、ゆっくりと夏太郎が視線をよこしてきた。眉間には薄っすら皺が寄っていて、唇を尖らせて拗ねたように見上げくる。それでいてどこか覚悟が決まったような顔だったのは、その瞳が真っ直ぐに私を貫いてきたから。きっと土方さんもこの瞳を見たのだろう。
「……じゃあ、アンタが教えてくださいよ」
微かに震える唇目掛けて、噛みついた。
7/7ページ
