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44
豊原を出てから早1ヶ月、私たちはキロランケさんたちの目的地と思われるアレクサンドロフスカヤ監獄を目指して北上していた。最初の頃は順調に進んでいたのだが、日に日に雪が多くなり、足止めをされることが多くなってきてしまい、最近はあまり思うように動くことができなくなっていた。焦っても仕方がないし、足止めを食らっているのは多分キロランケさんたちも同じだと言い聞かせても、漠然とした焦燥感と不安感に苛まれる日々が続いていた。そしてついに12月に入り、あの網走監獄潜入からちょうど2ヶ月が経ってしまった。珍しく快晴となった日に、私たちは辿り着いたロシア人の街で休憩がてら二人一組で食料や装備などを買い足していた。
「とりあえず必要なものは揃ったかな……ナマエさんは何か見たい物とかある?」
「実は耳が限界で、できれば帽子か襟巻きがほしくて……」
杉元さんへ返事をしながら、もみもみと手袋をした手であまり感覚がない両耳を揉んだ。霜焼けになっているのか少しだけ痛痒い。ただでさえ寒いのに、びゅうびゅうと風を切って進む犬橇では体感温度がまた更に下がる。外套の頭巾を被っても前から冷たい風が容赦なく吹き込んでくるし、これからもっと厳しくなる寒さに耐えきれる気がしなくて、この機会に耳を守れる何かを買いたいと思っていた。
「帽子か……どこに売ってるんだろうな」
すごく大きい街という訳ではないが、一つ一つお店を巡っていくのは時間がかかりそうだ。誰かに聞きたいと思っても、ロシア語で帽子をなんと言うのか分からない。看板など出ていないかと二人で当てもなく彷徨っていると、月島軍曹と鯉登少尉が曲がり角から丁度現れた。
「何をしているんだ」
「ちょうど良かった。月島軍曹、ナマエさんが帽子を買いたいらしいんだけど」
「帽子?帽子なら先ほど通ってきた道にあったぞ」
こっちだ、と少尉殿が手招きをしながら元来た道を歩き始めたので私たちもついて行く。暫く歩いたところで革靴と帽子の絵が描かれた看板が見えてきた。
「Здравствуйте」
「ズドラーストヴィチェ」
挨拶をしながら四人で入店すれば、中には所狭しと帽子や靴、鞄などが置いてあった。革靴や鳥打帽などロシアらしく西洋風な物から、樹皮で編んだ靴や刺繍などがしてある民族工芸品に見える物なども置いてあって、雑多な雰囲気だ。
「いやお前もう良いだろ、どっか行けって」
「私が案内したのだぞ、ナマエさんの買い物に付き合う権利はあるはずだ」
「そんな大層な物を買うつもりはないですよ?」
暖かくて、できるだけ安いものであればなんでも良い。そう思いながら店内を見渡していると、私の目線よりも少し上に飾られていたある物が目に入った。触れても良いかと店主に聞いてみれば月島軍曹の通訳の後に頷かれたので、手を伸ばして手に取ってみた。
「狼の皮でできたニヴフの帽子らしい」
灰色のそれは帽子というよりは昔アシリパさんが被っていた頭巾のような形で、耳だけでなく、すっぽりと顎先まで覆ってくれそうだ。外側は比較的毛足が短い皮が使用されているが、内側と顔周りの毛足は長くふわふわとしていて、手に持っているだけでポカポカと熱を発しているように暖かい。顎紐がついているので外気が入らないようにぴったりと被れそうなのが嬉しい。しかし、下から見ていた時は気づかなかったけれど、特筆すべきはその天辺についている物だった。
「耳がついてる……」
「やだぁ、何それ可愛い〜」
被ってみて被ってみて、と促されるがままに被ったら、今まで瞳を煌めかせてはしゃいでいた杉元さんが急にスンっと静かになった。狼の耳と私の顔を無言でまじまじと見てくるのが落ち着かない。とても暖かいけれど、見た目はどんな感じなのだろう。鏡はどこだろうと探していると、杉元さんの背後から鯉登少尉がぬっと顔を覗かせた。
「それにするぞ」
「そうだな」
「え?!」
まだ鏡どころか値段も確認していないのに?それに狼の皮って高いのでは?私が何かを言う前に、鯉登少尉が店主にすでにお金を渡していた。
「おいくらでしたか?自分で払います」
「いや、いい」
「でも……」
ごそごそと背嚢からお金を出そうとした手を少尉殿に止められた。
「少しは婚約者らしいことをさせてもらえないか」
言い終わるやいなやすぐに店外へと出て行ってしまったから顔は良く見えなかったけれど、その横顔は少しだけ赤みが差していたように見えた。
婚約者。聞き慣れない言葉でつつかれたように、心臓が僅かな痛みを伴いながら少しだけ早く動き始めた。背嚢に手を突っ込んだままの私に突き刺さる月島軍曹と杉元さんの視線が居心地悪くて、私もそそくさと店外へと逃げ出した。
「えっ、すごい!これすごく暖かいです!」
途端に体中を凍てつく空気に包まれたが、買ったばかりの帽子のお陰で首から上は店内にいた時のように暖かいままで、思わず思ったことをそのまま口に出していた。柔らかく空気をふんだんに含んだ毛皮は全く風を通さないし、被り心地がいい。今まで耳が千切れそうになっていたのが嘘のようだった。思っていた以上の暖かさに、自分でも分かるほどに頬が緩んでいた。
「ありがとうございます、少尉殿」
「あ、ああ……」
頭上に伸びてきた少尉殿の手が、私に触れる前にパシッと弾かれた。
「おいコラ気安く触れるな。ナマエさん気をつけ──アッ……カワイイ……」
口元を押さえながら、ときめきを隠す様子のない杉元さんが私を見つめてくる。「そんなにですか?」と頭上の耳に触れたら「うん」と力強く杉元さんと鯉登少尉が同時に頷いた。
「あっ、すみません気が利かなくて。杉元さんも少尉殿も被りますか?」
「いや、それはいい」
気が合うのか合わないのか、ピッタリと重なった二人の返事に笑ってしまった。他に買い物はないのであればエノノカちゃん達の所へ戻ろうということになり、四人で歩き始めた。天候が良いし、できればもう少し進んだ所で宿を探したい。そんなこと話しながら街の入り口付近で待ってくれていたエノノカちゃんとヘンケの所へ戻ったら、そこには既に谷垣とチカパシもいた。
「さっきヘンケが地元の人と話してたんだが、あと数日間は天候が良いはずだと言っていた。今のうちに進めるだけ進んでおいた方が良いかもしれない」
「そうだな、また足止めされるのはごめんだぜ」
谷垣と杉元さんたちの言葉に賛成した私たちはそれぞれ買った荷物を橇へと積み込んで、早々にこの街を立ち去った。
*
「トホトホトー!」
「頑張れーッ!」
街を出発して数時間、大泊から国境まで丁度半分の場所、白浦の辺りを過ぎた沿岸沿いを走っていると急に天候が崩れてきた。それまでは太陽もたまに顔を覗かせるくらい穏やかな日だったのに、少しずつ陰って雪が降ってきたと思ったら、瞬く間に視界が真っ白になっていった。「誰だよあと数日は天候が良いって言ったの!」という杉元さんの悪態と、「避難しないとまずい」という月島軍曹の声が微かに前から聞こえて来た。
「もう前が見えねえッ!!」
身を乗り出して、しがみついていた杉元さんの背中から前方を覗いたら、すぐ前を走っていたはずのヘンケたちの橇が、吹雪に阻まれて全く見えなくなっていた。ヘンケたちがどこにいるのか、自分たちがどこへと向かっているのか分からないまま、ただひたすらに橇を走らせ続ける。すると、急にリュウが左に逸れ、キャンッと痛々しい悲鳴を上げながら他の犬たちに引きずられていった。「リュウなにやってんだ!列から外れるな!」と杉元さんが叫んでも、何故か頑なに左に行こうとしている。
「何か理由があるんじゃないのか?」
「リュウに橇引かせるなんざやっぱ向いてなかったんだよこいつは猟犬だッ!リュウおまえどこへ行く気だ真っ直ぐ走れ!」
暴れるリュウと格闘している最中、轟々と吹き荒れる雪の音に紛れて、何かが遠くから聞こえたような気がした。
「杉元さん!今の銃声じゃないですか?」
「もしかしてはぐれた?」
ゴォオオオっという吹雪の音にかき消されて、至近距離で話しているというのに聞こえづらい。雪が容赦なく顔にも吹き付けてきて、息苦しさも感じる。
「ナマエさん、銃声はどっちから聞こえた?」
「多分あっちです!」
確証はなかったが、私が指をさした方を向いて谷垣が発砲した。ズドンッと重い村田銃の音はすぐに消えてしまった。いつもだったらもっと空気が揺れて衝撃が耳に来るのに、全てがこの吹雪に吸収されてしまっている。暫く耳を澄まして待ってみたが、月島軍曹たちからの合図も帰ってこない。
「駄目だッ月島軍曹たちを見つけるよりもどこかに避難しよう。風を避けれる場所を探すんだ」
一寸先は白い闇の中、また橇を走らせた。何か建物、いや、岩でも木でもなんでもいい。四人で必死になって身を隠せる場所を探していると、それまでゴォオオっと鳴り響いていた強く巻き付くような風の音が、段々と色々な音が混ざり合ったような、耳を塞ぐような轟音へと変化してきた。ついに目に飛び込んできたのは荒れ狂う海で、風を避けれるどころか吹き曝しの海岸へとたどり着いてしまった絶望に体が数倍重くなったような気がした。
「なんだよ海岸に出ちまったのか?まずい……何とかしないと死ぬぞ……!」
「杉元ッ!少し戻って雪洞を掘ろう!」
谷垣の提案に従って折り返し、海岸から少し離れたであろう場所で全員橇から降りた。積んでいた
「地面が……ガッチガチに凍ってやがる」
「これ以上掘れない!!これでなんとかしのぐしかないぞ!橇を壊せ!!」
全員で横たわれるほどの浅い窪みをどうにか掘り終えた所で、谷垣が橇を穴の横へと持ってきた。「ヘンケごめん!」と杉元さんと谷垣が橇を壊し始めたので、私もどれほど効果があるか分からなかったけれど、できるだけ風をしのげるように土嚢のように窪みの周りに荷物を置いていく。
「どうだ?」
谷垣が木片を窪みの真ん中へと集め、大きな体を楯にしながら火をつけようとしていた。橇に敷いていた毛皮を杉元さんとチカパシと被り、身を寄せ合いながら熱源の発生をまだかまだかと待った。風が強くてマッチの炎がすぐに消えてしまうのがもどかしい。歯の根が合わないほど寒く、先ほどから常にガチガチと口から大きな音がする。帽子を買って本当に良かった。でなければ今頃耳が凍傷になって、切り落とす他なかっただろう。手足の感覚ももうほとんどない。
「ついた」
何度目かの挑戦でボボボッと風に吹かれて勢いよく燃え始めた炎にホッとしたのも束の間、谷垣がその大切な炎を突然雪の中に埋め始めた。
「おい何やってんだ?!どうして消すんだ」
「橇一台分の薪なんてあっという間に燃え尽きる。だが埋めれば土の中でゆっくり燃えるんだ。この上で横になれば少しは長く暖まれる」
「さすがマタギの谷垣さんだぜ」
「だが穴が浅すぎる!!これでは風よけにしかならん」
マタギの知恵に感心していると、「お前らちょっと来いッ」と犬たちが集められた。それぞれ横になるように言われ、杉元さん、私、チカパシ、谷垣の並びで窪みの中で仰向けに寝転んだ。丁度顔が出るか出ないかくらいの浅さだったけれど、風が体を直撃しないだけ幾分かマシだった。上には毛皮がかけられ、その上に犬たちが乗るように谷垣が誘導していく。先ほどの焚火の熱も背中からゆっくりと伝わってきて、徐々に激しい震えが収まっていく。
「樺太犬のかけ布団だぜ」
「リュウ達大丈夫なの?」
「こいつら寒さにめっぽう強い犬だから大丈夫だ」
「俺たちはどれだけ持つか……もうすぐ日が暮れる」
辺りはさっきよりも暗く、濃灰色になっていた。これからもっと気温が下がると思うとゾッとした。私たちにも樺太犬のような立派な毛皮があったら良いのに、と寒さで鈍った頭でぼうっと思った。
「け」
横から聞こえてきた声に首を動かせば、谷垣がチカパシに何かを食べさせていた。「け?」と聞き返していると、「ミョウジさんも杉元と食べてください」と半分に割った何かを差し出された。
「少しですが……体温を維持するのに食べるのと食べないのとでは大きく違う」
杉元さんと分け合いながら、カネ餅という阿仁マタギに伝わる非常食を口にした。歯ごたえがあって、素朴でどこか懐かしい味がする。噛み続けると、米と味噌の甘味の奥に何か違う香ばしさを感じる。これは何だろうと考えながら咀嚼し続けた。胡麻か、何か木の実のような気がする。
「なんかこれ前に同じもの食べたことある気がするなぁ」
「それはない。俺の地元の秘伝のモチでしかも味付けも俺が少し変えたものだから」
「そうなのか……おかしいな確かに食べた記憶があるんだけど」
隣でもそもそと杉元さんが話していると、ダァーンと何か大きな音が聞こえて来て、ビクッと体が震えた。
「おい今の……銃声か?それとも波の音か?」
「猛吹雪の中ではお互いに声をかけ続けてもはぐれてしまうほど方向感覚が狂うんだ。音の方向に正しく行けるとは限らない」
このまま吹雪が止むのを待つほかないということか。心の中で思った。段々と眠くなってきて、一言を発することすら億劫になっていた。
「寒い穴の中にいると……塹壕を思い出すな」
「眠るなよ杉元……!死ぬぞ」
「ああ……ナマエさんもダメだよ」
はい、と暗闇の中返事をした。もう日が暮れたのか、どこを見ても闇が広がるだけで、目蓋を閉じているのか開けているのかすら分からなかった。
「──さん、ナマエさんっ!」
「んっ……」
ゆさゆさと体を揺さぶられて、重たい目蓋をどうにか引き上げた。いつの間にか寝ていたらしい。血相を変えた杉元さんの顔が視界一杯に飛び込んできて、私と目があった途端ホッとしていた。
「あ……ごめんなさ……」
「良かった……寒いよね。ちょっとごめんね」
もぞもぞと動いた後に杉元さんの開いた外套の中へと引き寄せられて、覆いかぶさるように抱きしめられた。背中は埋められた焚火、正面は杉元さんの体に挟まれて、先ほどよりも随分と暖かく感じた。
「苦しくない?」
「大丈夫、です……でも、杉元さんが寒いんじゃ……」
背中を温めると全身が温まるとアシリパさんが言っていた。毛皮と樺太犬の掛布団があるとはいえ、今杉元さんの背中は温かい地面に接地していない。外套だって開けてしまって、熱が逃げてしまっているはずだ。「俺は大丈夫」といつものように返事をした杉元さんを信じられなくて、外套の中で背中に手を回した。案の定、ひんやりしている。焼石に水かもしれないが、温めるために背中をあまり感覚のない両手でぎこちなく
「だっ、だ、大丈夫だからっ……!」
「でも、背中を温めないと」
「いや、でも……ちょっと、くすぐったいっていうかぁ……」
「ムズムズするんだね?」
「うん、ムズム──ハァ?!ちげぇよ!何見てんだあっち向いてろッ!」
「体力を無駄にするな杉元。チカパシもこっちへ来なさい」
隣にいたチカパシが谷垣に抱き込まれたらしく、うっと苦しそうな声が聞こえて来た。その後暫く静寂が訪れて、私も段々と体が温まってきたのを感じた。それと反比例するように、杉元さんの背中は冷たくなっていた。
「杉元さん、私はもう大丈夫です。背中を温めてください」
とんとん、と胸元を叩き押し返してもびくともしない。それどころか返事もない。
「杉元さん?」
寝てしまったのかと焦って顔を上げた先で、いつもよりも濃い色の瞳と視線がかち合った。何故かおかひじきが入ったぐつぐつと煮える鍋を思い出して、ああ、クンネ・エチンケのオハウを食べた夜に見た瞳だと思った。夏の日だった。海が近かった。腕の中にはアシリパさんがいた。優しさに満ち溢れた瞳を見ているうちに、ドクドクドクと急に心臓がうるさく動き始めて、ぞわぞわと産毛の一本一本まで立たせながら、燃えるような血液が耳の先まで真っ赤に染め上げていく。
暗いとは言えこの距離だ。そのことに気づかれないはずもなく、杉元さんがふっと目じりを下げて柔らかく笑ったので更に顔が熱くなっていく。さっきまで凍えていたのに、今はもう薄っすらと汗が滲み出て暑さすら感じていた。目を逸らすこともできずに、鼻先が触れ合うほどの距離で見つめ合っていたのが永遠に感じた中、先に動いたのは杉元さんだった。気づいた時には背中にしっかりと両腕が回され、強く強く抱きしめられていた。
「……きっと大丈夫」
耳元でした落ち着いた声が血流に乗って、じわじわと体中に巡っていくような感覚があった。きっと大丈夫。自分で何度も口にしてきた言葉だったけれど、人に言われたのは初めてだった。絶対と言えなくてごめんなさいと後悔することもあったけれど、案外悪くないものだったのだなと、言われて初めて気がついた。
「きっと大丈夫」
私も呟いて、杉元さんの背中に腕を回した。あんなに大きかった吹雪の音も、もう聞こえなかった。聞こえてくるのはドクドクとうるさい私自身の鼓動だけだった。身を包む温もりを離したくなくて、ぎゅっと杉元さんの着物を握りしめた。
この温もりが好きだ。杉元さんが、好きだ。
認めてしまえば全てが腑に落ちた。湖の上で、聞いてはいけないことを聞いてしまったから焦ったのではない。聞きたくないことを聞いてしまったから苦しかった。良い人とか、惚れた女とかについて耳にした時と同じ感覚だったのに、あの時よりももっと鋭くて、それでいて心が抉られるような痛みだったから気づいていなかった。無意識に"梅ちゃん"がその人なのだと結びつけていた。だって、寅次さんという大切な幼馴染よりも先に名前が上がったと言うことは、きっとそういうことなんだろう。少尉との縁談のことだって聞かれたくなかった。佐一ちゃんなんて呼ばれていたのも知らなかった。知らなくて良いのに、私が知るはずもないことなのに。佐一ちゃんと呼ばれていた日々に、私がいなかったことが嫌だった。ただの醜く惨めな嫉妬だ。自分でも気づかないうちに、こんなにも大きく育ってしまっていた。
さっきの眼差しは、一体誰に向けたものだったのだろう。今杉元さんは誰を想っているのだろう。幸せなのかな、そうならいいな。どんな形でも、私が
アシリパさんを取り戻さなければいけないのに、私の気持ちなんて邪魔になるだけだ。それでも、初めて自覚したこの気持ちをなかったことにするのは、あまりにも可哀想だった。吹雪が収まったら、ぎゅうぎゅうに押し込んで蓋をして、この雪洞と呼ぶには浅い窪みに置いていこう。時間をかけて中心まで氷づけにされて、春になったら溶けて少しずつなくなって、海へと流れていけば良い。
でも、今だけは。
今だけは、夢を見ていたかった。
2025.05.05
