原作沿い
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閑話 - 軍病院にて -
最初にミョウジナマエに近づいたのはただの興味からだった。
妹が心底疎ましい。
ミョウジ少佐が生前言っていた言葉だ。その生を以て母を奪い、父の愛を一身に受けて育った妹が憎い。医学の知識も技術においても敵わない。まるでこの世の全てに愛されるために生まれてきたような存在だと。何度突き放してもまた兄さん、兄さんと付き纏ってくるのだから不快極まりない。ミョウジ少佐は酔いが回った気怠げな声で静かに語っていた。祝福された妹──まるで勇作殿のようだと思った。その妹から兄を奪ったら、一体どんな反応をするのだろうか。
倒れた兄に対して必死に蘇生措置を行う姿はまるで滑稽だった。確実に頭を撃ち抜いたのだ、生き返るわけがない。月島軍曹がナマエを少佐の遺体から引き離す。鶴見中尉が発砲の合図のために上げていた手をナマエの肩に下ろし、耳元で何かを囁いていた。ボロボロと大粒の涙を流しながら、床で呆然と佇むナマエの姿を見て、自分の中で何かが少し満たされたような気がした。金と権力と名声のため妹の手柄を横取りするような兄でも、もしかしたらナマエにとっては本当に大好きな兄様だったのかもしれない。分からない。造反の話を持ち掛けたのも、俺を選ぶのか中尉を選ぶのか興味があったからだった。
そのナマエが居なくなったと聞かされた時、一瞬思考が停止した。死んだのなら死んだと言うはずだ。居なくなったとはどういうことか。朝一で来るはずのナマエが一向に現れないのはてっきり急患の対応でもしているからだと思っていた。
不死身の杉元──報告に来た兵士が発した言葉に意識が引き戻される。二階堂兄弟が先走ったせいで杉元を逃したこと、杉元が乗っていた馬橇にナマエも乗っていたこと、その後ナマエが戻ってきていないこと。
「尾形上等兵殿はミョウジナマエの行き先に心当たりはありますか?」
報告を終えた兵士が俺に問う。さあな、と返せば一礼し、慌ただしく部屋を去っていった。刺青人皮の手がかりが舞い込み、兵舎も燃え、やることが多いのだろう。今日は逃亡の手はずを確認する予定だった。ナマエが居なくなったのは想定外だったが、混乱している方がこちらも騒ぎに乗じて色々と動きやすい。
しかし杉元め、俺の腕や顎だけでは飽き足らず、ナマエまでも持っていきやがって。
ナマエ一人で金塊を見つけるのは無謀すぎる。諦めて今頃は北海道を出ているのだろうか……いや、もしかしたら杉元と共に金塊を探しているのかもしれない。二人が旅順で知り合っていたなら仲間になっていてもおかしくはない。あいつの夢とやらを実現するのには金が要る。おいそれと諦めるには多すぎる量の金塊だ。
ふと、ベッドの傍らに放置されている椅子が目に入る。
──きっと大丈夫ですからね。
崖から落ち、痛みと寒さで五感が麻痺していたにも関わらず、なぜかナマエに握られた手のことは鮮明に覚えていた。次に意識を取り戻した時に初めて見たのもナマエだった。傍らで座りながら、手帳に何か書き記しているようだった。目が合えばガタンっと椅子から立ち上がり、泣きそうな顔で良かった、とまた座り込む姿に正直動揺した。こんなにも感情を出しているナマエを見るのは、目の前でミョウジ少佐を撃った時以来だ。
聞こえますか?痛みは?何があったんですか?と矢継ぎ早に質問されるが、顎が上手く動かない。手足はまだついているようだがあまり感覚がない。
「あっ、ごめんなさい」
意識が戻ったのが嬉しくて、とはにかみながら言われて調子が狂う。少し落ち着いたのか、傷の状態や玉井伍長らが犯人を追っていることなどを説明し始めた。
「とりあえず今はゆっくりしていてください。中尉に報告したら忙しくなりますし、つらいと思いますがもう少ししたらリハビリも開始しないといけません」
いつものように淡々と紡がれる言葉に眠気が襲ってくる。その様子に気づいたのか、布団を掛け直される。もう大丈夫ですから、安心して眠ってください。まるで子供にでも言うかのようにナマエが微笑む。
「ちゃんとここで、尾形さんのこと見てますから」
とんとん、と布団の上から体を優しく叩かれる。朝日に照らされて、黒目がちの瞳にキラキラと光が散っていた。
隣にナマエが居たのがもう随分と前のことのようだった。
