原作沿い
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
26
北見で土方さんと合流してインカラマッたちのことを話してみたところ、写真を撮って調べさせるのはどうかと提案された。何でも思うところがあって、ちょうど写真師を呼んでいたらしい。ゾロゾロと教えてもらった写真館へ入っていけば、そこには既に家永さんや牛山さん達が到着していた。
「なんだって急に写真なんか……」
「アシリパさんの写真をフチに送ってあげようと思ってね」
キロランケさんの疑問に杉元さんが答えた。その表情は軍帽に隠れて見えない。
「写真館の田本さんは土方の古い知り合いだから安心しろ。せっかくだから思い出にみんなで撮影会しようぜ」
その言葉の通り、皆さんワイワイと順番にカメラの前に立っていく。「ナマエさん!」と、写真を撮り終えた家永さんが一直線に私に向かってきて手を引かれ、強引に椅子に座らされた。家永さんも向かいに座り、ゴソゴソと鞄の中を物色して、幾つかの化粧道具を取り出し始めた。
「折角写真を撮るんですから、軽くでもお化粧をしましょう」
「えっ?そんな、いいですよ」
「任せてください。私、腕には自信があるんです」
「いえ、別に家永さんの腕を疑ってるわけでは……いつもお綺麗ですし」
まぁ、と家永さんが口元を隠して、瞳を一層キラキラと輝かせた。以前、永倉さんとそう歳が変わらないと知って度肝を抜かれたことがある。それくらい家永さんは若々しいし、男性とは思えないくらいとても可憐な方だと思う。所作だって、隅々まで女性らしくて惚れ惚れしてしまう。
「ただのジジイの厚化粧だろ」
いつの間にか背後にいた尾形さんの言葉に、ドっと冷や汗が流れ出た。
「……面白いことを仰いますね」
口角は十分に上がっているのに目が笑っていない。怖い。尾形さんは何でそうやっていつも要らない喧嘩を売るのだろうか。どうしようかと二人の顔を交互に見ながらオロオロしていたら、家永さんが急にふっと笑った。
「なるべく早く終わらせますね」
「あっ、はい。ありがとうございます……」
もう逃げられない雰囲気だ。家永さんの華奢な指先が私の頬を撫でて、顎を持ち上げた。端整な顔が徐々に近づいてきて、なんだかいけないことをしているみたいでドキドキが止まらない。
「はぁ……まるで絹のようなキメの細かい肌、ふっくらとした唇、光を閉じ込めたような瞳……見れば見るほど品の良いお顔立ち……」
余すことなく食べてしまいたい。鼻先が触れそうな距離で舌なめずりをする美しい顔に、恐怖と背徳感が背筋を駆け抜けた。そういえば、家永さんは私のことを食べようとしていたんだっけ。大事なことを思い出したと同時にグイッと襟を引かれて、尾形さんの体に背中が当たった。
「同物同治とやらが豚にも効果があるのかお前で試してやろうか」
「チッ……冗談です、怖がらないで」
頬に白粉をはたかれて慌てて目を瞑った。さっきの余韻でまだ心臓が煩い。襟が離されたので、恐る恐るまた少し家永さんに近づいて、されるがままになる。
「そのまま目を瞑っていてください。力を入れずに。動かないで」
瞼に指がぽんぽんと優しく触れて、馴染ませるようにスルスルと横に動いた。もう大丈夫ですよ、という声に目を開ければ、家永さんの嬉しそうな顔があった。こっち、いやこっちの色かしら、と家永さんは少し悩んだ末に鮮やかな紅を筆に取った。
「口を軽く開けて」
筆が唇を撫でる感覚が何だか擽ったくて身じろぎをすれば、「動かないで」と鋭く言われてしまった。足がムズムズする。落ち着かない。
「唇を擦り合わせてください。そう、お上手ですね」
最後に私の髪を軽く櫛で整えて、家永さんがとても満足そうに微笑んだ。化粧なんて普段しないから、何だか恥ずかしい。
「素敵です」
「あ、ありがとうございます」
「ナマエさんはきっといつか、今日よりももっと素敵で完璧になるのでしょうね。本当に羨ましい」
儚げな微笑みに、目が釘付けになった。家永さんの言う完璧とは、一体どういうものなのだろう。既にこんなに綺麗なのに、まるで家永さんは完璧ではないような言い方だった。その理想を求めて、あんな残虐な行為を繰り返していたのだろうか。そんな思考も、突然にゅっと尾形さんが後ろから覗き込んできたことで消し飛んだ。
「……へぇ」
「なっ、なんですか……」
「ジジイがやったにしては悪くねぇな」
だからやめてくださいってば。バチバチとまた静かに火花が散る空間から抜け出せば、丁度写真を撮り終わったアシリパさんと目が合った。
「ナマエ!綺麗だ!なぁ、杉元もそう思うだろ!」
「えっ?!あぁ、うん……」
一緒に写真を撮りたいとアシリパさんに手を引かれてカメラの前に立たされた。正面では田本さんが蛇腹を操作してピントを調整している。
「はい撮りますよ。私がフタを取ったら6秒間動かないで」
繋がれた手はそのままに、アシリパさんと静止する。うん、良いですね、と田本さんが笑ってレンズの蓋を閉じた。パッと手が離されて、アシリパさんが小走りで去っていく。
「尾形さん次撮りますか?」
「俺はいい」
記念になるのに。他の人と交代しようと思っていたら「杉元も一緒に撮ったらどうだ」とアシリパさんに背中を押されて、今度は杉元さんが隣にやってきた。
「え、いや……」
杉元さんと目が合ったがすぐに逸らされてしまった。アシリパさんは正面からニコニコとこちらを見ている。私達の間には不自然な距離が開いてしまっているけれど、近づく勇気もなくその場に留まり続けた。何だかとても気恥ずかしい。隣を伺えば、杉元さんも落ち着かない様子だった。撮りますよ、という声に慌てて前を向いた。カメラの横の尾形さんと目が合ったと同時に蓋が開けられた。動けない私をじっと見つめて来るので、すこぶる居心地が悪い。そんなに見るのなら尾形さんも撮れば良いのに。素直じゃない人だ。
「いいですねぇ、とてもいい。次はお嬢さん一人で撮ってみましょうか」
「えっ、いや、大丈夫です」
「折角だから撮ってもらいなよ」
軍帽を目深に被り直し、あっという間に杉元さんが去ってしまって私一人だけがカメラの前に残された。明確に撮りたい構図が頭の中にあるのか「次は立って、いや座って……どちらも撮りましょうか!」と、一枚撮るごとに段々と興奮気味な口調で指示してくる田本さんが面白くて、つい笑みが溢れた。
「あぁー!いい!それだよ君ぃ!!色んな君を見せるんだ!ちょっと体を捻ってみようか!」
やかましいと田本さんが杉元さんにはたかれて、谷垣と交代させられる。つい先ほどまで真面目に手際良く皆さんの写真を撮っていた人とは別人のように「いいよいいよぉ!」と大声で谷垣を褒めながら写真を撮っている。
「他の人たちはみんな脱いだよ?もうちょっと足を開いてみようか!」
館内に飾られた写真を眺めていたら、耳を疑うようなセリフが聞こえてきた。思わずそちらを振り返りそうになったが、すんでのところで持ち堪える。何が行われているのか確認するのが怖くて、背を向けたまま皆さんと一緒に写真館を後にした。
二日後、網走へ移動した私たちは、こっそりと網走監獄を山側から見に来ていた。
「今頃フチは穀物の収穫をしてるんだろうな」
貝殻を研いだピパという道具でひえやあわを大きな袋がいっぱいになるまで収穫すること、毎年渡って来る雁は鮭という宝物の訪れを知らせること、鮭はカムイチェプ『神の魚』などと呼ばれて各地方のアイヌに心待ちにされていること──アシリパさんが豊富な知識で、秋にまつわるアイヌの暮らしや文化を教えてくれる。
「杉元、あれ採ってくれ。クッチだ。サルナシの実だ」
「サルナシの蔓はかんじきになるんだよな?アシリパさん」
「そうだ!よく覚えてたな杉元」
出会って間もない頃に、雪山に四苦八苦しているのを見かねてアシリパさんが私にもサルナシのかんじきを作ってくれたことを思い出した。杉元さんにいくつかクッチを渡されて、早速口に含んでみる。
「美味しい!クッチ美味しいです、アシリパさん」
「とっても甘いね」
甘さの中に微かな酸味があって、止まらなくなる美味しさだった。杉元さんもチュパチュパとクッチを次から次へと口に運んで食べている。
「いっぱい食べろナマエ、杉元。クッチは食べ過ぎると肛門がとても痒くなる。もっと食べろ杉元」
もう一つ食べようとしていた手が止まった。食べ過ぎとはどれくらいの量を指すのだろう。隣では杉元さんが無心でクッチを食べ続けている。手のひらのクッチを少しだけ見つめて、まあ良いかとまた一つ頬張った。
少し歩いた所で、木の幹をヒグマが爪で横に引っ掻いた跡を見つけた。巣穴が近い証拠らしい。辺りの笹も巣穴に敷くために刈り取られているとアシリパさんが説明していく。
「雪が降りだすとサルナシやヤマブドウの蔓の硬い皮とかを食べて肛門に栓をする。その頃にはお腹が空っぽになってる。それで穴に篭る準備が完了だ」
秋がこれから来る長い長い冬に備える忙しい時期なのは、ヒグマも人間も変わらないのだなと思った。
「本当に良く知ってるねぇ、アシリパさんは」
「全部アチャが教えてくれた。山のことも、アイヌのこともすべて……」
ピタリと、アシリパさんが足を止めた。
「杉元、ナマエ……私は……怖い。アイヌを殺して金塊を奪ったのっぺら坊が私の父だったらどうしよう……」
アシリパさんが不安そうに眼前の網走監獄を見下ろした。ついに、ここまで来てしまった。この地を目指して旅を続けてきたのに、いざ目の前にするとその異様な雰囲気に不安や恐怖を感じざるを得ない。杉元さんが優しくアシリパさんの肩に触れた。
「アシリパさん。ここまで来たらもう会うしかない。何があっても最後まで俺がついてるから」
私もアシリパさんの肩に触れて頷いた。最後まで一緒にいる。もしもこれから知る真実が残酷な物だとしても、アシリパさんがそれを受け止めることができるまで一緒に居たい。
行こうか、と杉元さんが歩き出した。あまり長居して看守に見つかってしまうのは避けたい。しかしアシリパさんは緊張した面持ちで監獄を見つめたままだ。
「……杉元さんはああ言ってましたけど」
少し声を落として、腰を屈めてアシリパさんと目線を合わせた。
「もし、どうしようもなく怖くなって逃げ出したくなったら言ってくださいね」
「えっ?」
「その時は二人でどこか遠くに行きましょう」
あ、でも、まずはおばあちゃんに会いに行くのが先かな。笑いかければアシリパさんは困ったような、怒ったような、戸惑った顔をした。「でも……」という言葉の後が続かず、アシリパさんが唇を噛んだ。
「アシリパさんの人生はアシリパさんが決めて良いんですよ。そうあるべきなんです」
知るべきことを知って、前に進むのだと力強く語っていたアシリパさんが私は大好きだ。でもそれは、重荷になってはいけない。私が求めるアシリパさんを押し付けてはいけない。どうしたって挫けそうになることがある。そんな時に、乗り越える以外の選択肢があると知っていて欲しかった。追い詰められ過ぎて、取り返しのつかないことになるのが怖かった。茨の道の他にも、道はある。
「好きに生きて良いんだよ。どんな選択をしても、私は最後までアシリパさんと一緒に居る」
金塊なんて関係ない。大人達の思惑なんてもっと関係ない。蝦夷共和国なんて知ったことか。のっぺら坊はお父さんじゃないと信じて、今まで通り暮らすことも悪くない。金塊の使い道はアイヌが決めるべきだと思う。でもそれはアシリパさんじゃなくても良いはずだ。もう片足どころか両足を突っ込んで膝まで埋まった状態だけれど、ここからだって逃げ出すことはできるはずだ。まだ、手遅れじゃない。私たちに与えられた、本当の意味で自分の好きなように生きられる時間はあまりにも短い。大人びてはいるけれど、アシリパさんにはまだ何も考えずに、自分の好きなように生きられる時間が残っているはずだ。それを忘れて欲しくなかった。私達にはもう、出来ないことだから。
アシリパさんが迷いながら静かに話し始めた。
「……多分、その必要はない。怖いけど、やっぱり私は真実を知りたい」
「うん……そうだよね。ごめんなさい、変なこと言って」
「でも、ちょっと気持ちが楽になった」
緊張が解れた表情に安心して、屈めていた体を起こして伸びをした。少し先で杉元さんが待ち惚けしている。目が合えば「終わった?」と唇の動きだけで聞いてきて、小さく手を振ってきた。苛立つこともなく、割って入る訳でもなく、ただ私たちの会話が終わるのを待っていてくれていたことに、自然と心が穏やかな気持ちになっていく。本当に、アシリパさんに杉元さんが居て良かった。
「帰りにまたクッチ採っていくか?」
「そうですね、白石さんのお土産にもなりますし」
「そりゃあ良い、白石に沢山食べさせなきゃな」
少し悪い顔をしながら言った杉元さんに、肛門が痒くなる話を思い出して吹き出してしまった。アシリパさんも「沢山採って帰るぞ!」と意気込んでいる。二人とも、何も言わずに渡すつもりなんだろうな。私も共犯になろう。尾形さんには後が怖いからちゃんと説明しよう。
「鹿とか見つけたらそれも獲って帰ろうか?」
「杉元は銃が下手だからナマエに頼んだ方が良いんじゃないか」
「んもう、アシリパさんひどぉい。ナマエさんも笑わないでぇ?」
これから網走監獄に潜入するとは思えないほど、いつも通りの会話だ。いつも通り過ごして、いつの間にか全部終わって、アシリパさんが無事に小樽に帰れますように。そんな祈りを込めて、二人との会話を楽しみながら白石さん達が待つコタンへと戻って行った。
2024.05.31
