原作沿い
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小話 -宇佐美-
宇佐美時重に初めて会ったのは、旭川の兵舎の廊下だった。転属したてで勝手が分からず、迷子になっていた時に声をかけたら「僕に話しかけるな」と怒りに満ちた返事をされた。その言葉と、左右対称のホクロが印象的だったので良く覚えている。
「ミョウジ先生、月島軍曹が探しておられるそうですよ」
通りがかった兵士に言われて、月島軍曹を探しに部屋を出た。なんだろう。また小言だろうか。私が少し髪型を変えただけでも目くじらを立てる人だ。二言目には風紀を乱すなと言われて、正直うんざりしていた。
兵舎中を歩き回ってようやく見つけた月島軍曹に声をかければ、そんな伝言を頼んだ覚えはないと言われ、大層怪訝な顔をされた。けれど、あの兵士も別に嘘を言っているようには見えなかった。
そんなことが二、三度続いてようやく気づいた。普通、本人から聞いたのなら「探していましたよ」と言うはずだ。「探しているそうですよ」という言い方は、又聞きした時にしか言わない。誰かが嘘を伝えている。ただ私を困らせるためだけに。
「玉井伍長が探しておられるそうですよ」
またあの同じ言い方だ。
「それは誰から聞いたの?」
「宇佐美上等兵です」
「ありがとう」
部屋を出て宇佐美を探せば、意外とすんなりと見つかった。診察室近くの倉庫代わりにされている空き部屋だった。大方素直に上官を探しに行く滑稽な私を、いつも近くで見ていたんだろう。趣味の悪い男だ。
「何がしたいの?」
「別に、暇つぶしだよ」
「そう、随分と暇なのね」
眉がピクっと反応した。君と一緒にしないでくれる、と静かに返された。
「百之助と何を企んでる?」
一瞬遅れて尾形さんのことを言っているのだと理解した。造反についての話を持ちかけられたのは少し前のことだ。まだ私たちが何をしようとしているのか知らないようだけど、どこから漏れたのだろう。黙っていたら、宇佐美がズンズンと苛立ちを隠さずに近づいてきた。
「調子に乗りすぎなんだよ、君も、百之助も。わきまえろよ」
あいつなんて商売女の子供のくせに──
カッとなって気づいたら手を上げていた。しかし宇佐美に到達する前に、手首を掴まれ阻まれる。ミシミシと音がするほど強く掴まれても、一発お見舞いしなければ気が済まないと、怒りで頭がいっぱいだった。人を生まれで侮辱するな。手がダメならと蹴りを入れようとすれば、逆に腹を蹴られて目の前が真っ暗になった。ゲホゲホと惨めに床に転がる。痛い。苦しい。こっちはほぼ一般人だぞ、手加減というものを知らないのか。先に手を出したのは私なのに、理不尽なことを宇佐美に思った。
必死になって呼吸を繰り返していると、馬乗りになられて胸ぐらを掴まれた。ギリギリと歯を食いしばり、目をひん剥いて私のことを見下ろす宇佐美を、負けじと睨み上げる。
「本当にさぁ、君のそういう反抗的なところが僕は大嫌いなんだよ……!」
「そんなに駒であることに誇りがあるなら、月島軍曹のようにもっと駒らしく振る舞ったら?」
月島軍曹という言葉に、胸倉を掴んでいた手にグッと力が篭った。
「あなたは中尉の一番にはなれない」
中尉は誰も一番にしない。みんな等しくただの駒だ。愛を囁くだけ囁いて、与える事なんてしない。誰も中尉の一番になんてなれない。宇佐美が拳を振り上げた。
「ふざけるなよ……この……ッ!」
「オイ」
突然後ろから聞こえてきた声に宇佐美が振り返った。綺麗な膝蹴りが顔面に入り、宇佐美が吹っ飛ばされる。
「ひでぇ絵面だ」
無様に床に転がる私たちを、尾形さんの真っ暗な瞳が見下ろした。
「ミョウジナマエに欲情して襲っていたと鶴見中尉に報告してもいいんだぜ」
チッと舌打ちをして、宇佐美が慌ただしく部屋から出て行く。誰がこんな女にと吐き捨てられて、こちらも願い下げだと、怒りで震える声で返した。
「今時の看護婦は喧嘩もするのか」
尾形さんに薄い笑みで見下ろされる。立ち上ろうと手をつけば、痛みが走ってまた床に倒れ込む。先ほど宇佐美に掴まれた手首が赤黒く鬱血していた。
「……一度やってみたかったんです」
取っ組み合いの喧嘩なんて初めてした。しかもその相手が兵士で宇佐美なんて、バカにもほどがある。尾形さんが来ていなかったら死ぬまで殴られていたと思う。誇張ではなく、絶対に宇佐美ならそうしていた。やっとのことで立ち上がれば、蹴られた腹がズキっと痛んだ。ふらついた体を尾形さんに支えられる。
「あまり無茶をするな」
不意にかけられた言葉に泣きそうになった。なんでこんなことになったんだっけ、と思い出そうとしても痛みで思考が回らない。
「ありがとうございました。今度お礼させてください」
「……礼ならもう貰った」
どういう意味だと尾形さんを見れば、視線が下に落ちていた。不思議に思ってその視線を辿れば、私のシャツの釦がいくつか取れて胸元がはだけていた。
「なっ、なんで言ってくれないんですか!」
ふらつきながら慌てて尾形さんから離れて胸元を隠した。頭がクラクラした。
「言ったら隠すだろ」
「はぁ?!あ、当たり前です!こ、こっち見ないで!」
「大きな声を出すな、人が来る」
俺が疑われる、と続けられて全身の血液が顔に集まった。確かに、こんなところを誰かに見られたら変な噂になってしまう。ただでさえ風紀が乱れると月島軍曹に目をつけられているというのに。廊下に誰も居ないことを確認して、急いで着替えに診察室に戻った。
それなのに後日、私と尾形さんの噂話が兵舎中に出回っていることを知って、頭を抱えてしまった。兵士たちから向けられるそわそわとした視線に恥ずかしさで死ぬかと思った。絶対に宇佐美の仕業だ。私は本当にあの男が嫌いだ。
