原作沿い
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23
夜明け前になって、杉元さんたちが海岸に集まってきた。皆さん無事でよかったと安堵したのも束の間、居るはずのない人物の姿に驚愕した。
「えっ……キロランケさん?」
よう、と気さくに挨拶をされたが、先ほどのインカラマッの話のせいで反応が遅れてしまう。
「キロランケニシパが私の父を殺したのか?」
「あ、アシリパさん……!」
「俺が?なんだよいきなり……」
正面から切り込んでいくアシリパさんにダラダラと冷や汗が流れる。
「……証拠は、馬券についた指紋です」
「インカラマッ……?!」
後ろのインカラマッが話し始めて、谷垣が大きく動揺した。私も鼓動がどんどん早まっていくのを感じた。どうしよう、始まってしまった。いざとなったら逃げられるように退路だけは確保しておかないと。アシリパさんに近づいて、できるだけ気取られないように周りを確認する。
「苫小牧で出会った時に採取した指紋が、アシリパちゃんのお父様が殺害された現場で採取されたものと一致しました」
どくん、とひと際大きく心臓が跳ねた。呼吸が浅くなり、足元から戦慄いていく。殺害現場に残された指紋のことをなぜ、インカラマッが知っているんだ。そんなの、理由は一つしかない。
「ちょ、ちょっと待って……!」
言い合うインカラマッとキロランケさんの会話を強引に遮った。狭まった喉を必死にこじ開けて出した声は、ひどく情けないものだった。早く続きを言わないと、と焦りばかりが募って上手く話せない。全員の視線が私に集まる中、尾形さんだけが私を一瞥して、すぐにインカラマッに銃口を向けた。
「この女、鶴見中尉と通じているぞ」
「よせッ、何を根拠に……」
谷垣が間に割って入った。その隙に、できるだけアシリパさんを射線上から離せば、不安そうな瞳とかち合った。しっかりしろ、恐怖に支配されるな。ここには杉元さんも、尾形さんも居る。
「谷垣源次郎~色仕掛けで丸め込まれたか?殺害現場の遺留品を回収したのは鶴見中尉だ。つまり鶴見中尉だけが指紋の記録を持っている」
だからインカラマッはさっき言わなかったんだ。私が気づいてしまうから。
「鶴見中尉を利用しただけです」
「大した女だな?谷垣よ」
「俺の指紋と一致したなんて、鶴見中尉の情報を信じるのか?殺し合えば思うツボだ」
キロランケさんが尾形さんの銃口を逸らして話し続ける。
「アシリパ……父親がのっぺら坊じゃないと信じたい気持ちは良く分かる。でも、あんな暗号を仕掛けられる男がこの世に何人もいるはずない。アシリパだってあの父親ならやりかねないと……そう思っているんだろ?」
アシリパさんは黙ったままだ。優しくて強い、自慢のお父さん譲りの青い瞳が揺れている。アシリパさんが語るお父さんは、いつだって驚くほど勇敢で、合理的だった。合理性は、突き詰めれば残虐性を伴う。常人がためらい、忌避することを平気で実行できる人間が一定数存在することを、私は痛いほど知っている。アシリパさんも、お父さんとのっぺら坊に重なる部分が確かにあることに気づいているのだろう。それでも信じたくない。アシリパさんのお父さんが、こんな残忍な手法で呪われた金塊を娘に託そうとしていることを。
どっちの話が本当で、誰が嘘をついてるのか。私達はどんどん疑心暗鬼になっていく。この中で監獄に居たのっぺら坊と唯一会っている白石さんも、のっぺら坊がアシリパさんと同じ青い目だったかどうかは知らないと言う。
「あんな気持ち悪い顔マジマジと見たことねえよ。土方歳三が前にそれっぽいこと言ってた気がするけど……」
脱獄の計画はすべて土方さんを通して伝えられたと白石さんが説明したことで、私達の中で新しい疑念が生まれる。のっぺら坊は本当にのっぺら坊なのか?ひょっとして、土方さんがすべて仕組んだことなのでは──
結局、私達は誰が嘘をついているのか、何が本当なのか分からないまま、網走までの旅を続けていた。杉元さんは、インカラマッとキロランケさんのどちらかが殺されたら自動的に残った方を殺すと言っていた。笑顔でとんでもない宣言をする杉元さんに心が痛んだ。
「大丈夫だよ、ナマエさん」
杉元さんがいつもと変わらぬ優しい眼差しで私の肩に触れた。違うよ、杉元さん。あなたにそんなことしてほしくない。しかし皮肉にもその牽制によって、私たちを取り巻く空気は随分と軽くなった。
塘路湖で刺青持ちの囚人・都丹庵士が束ねる盲目の盗賊団の話を聞いた後、私たちは屈斜路湖近くのコタンにお世話になっていた。
「やったぞ杉元!ナマエ!コタンコロカムイが罠にかかってる!」
「これまたでけえフクロウだな」
「う、うわっ、大きい……!」
「羽を広げたら杉元より大きい」
罠にかかったままバサバサと羽を広げる大きなフクロウに驚いて、数歩後ろに下がればアシリパさんに鼻で笑われた。丹頂鶴も大きかったけれどフクロウよりもうんと華奢だったし、こちらを射抜く鋭い目つきも相まって、若干の恐怖を感じてしまう。「普通怖いよねぇ」と言いつつ杉元さんは躊躇せずにフクロウを捕まえた。慎重に罠を外し始めた杉元さんを遠巻きに見守る。
「気をつけろ杉元、コタンコロカムイの目を傷つけるな」
目玉が美味しいのかな、なんて思っていたら人形のように大人しかったフクロウが突然暴れ始め、杉元さんの耳をかじって逃げ出した。
「目には当てるな!!」
杉元さんが慌てて小銃を撃った。見事に的中してフクロウが地に落ち、良かった当たった!と嬉しそうな杉元さんの声が響く。
「すごい杉元さん!一発で!」
「へへっ、俺だってできるんだよ?」
「……杉元大当たりだ。目を撃ち抜いてる」
大当たりですって、と杉元さんを見れば得意げな顔をしていた。しかしアシリパさんが語り始めたアイヌの言い伝えに徐々に顔が曇っていく。なんでもフクロウの目を傷つけた者は怒りを買い、次第に目が見えなくなるのだとか。だからあんなに目を狙うなと言っていたのか、と合点がいった。
「迷信、ですよね……?」
「まあな、気にするな」
「尾形にはナイショだよ?」
尾形さんに知られたら絶対いじられる。黙っておこうと約束したのに、チセで叔父さんに目を撃たれていることを指摘されたアシリパさんが「あの男が撃っちゃった」と早々に杉元さんを売ってしまった。
チタタプをしたことがない谷垣を見守りながら、みんなで代わる代わるフクロウの気管や脳ミソを叩いていく。こうやってみんなでご飯を作る時間が好きだった。あの桜鍋を作って食べた時よりも大所帯になって、ワイワイと楽しい時間が過ぎていく。山刀を尾形さんに渡せば、しぶしぶといった風に叩き始めた。
「チタタプって言わないんですか?」
無言で叩き続ける尾形さんの瞳がこちらを見た。勘弁してくれ、とでも言いたそうな顔をしている。代わりに私がチタタプ、チタタプと言えばさらに嫌そうな顔をしたのが面白くて、そのまま言い続けた。さっき銃の腕前について杉元さんを散々いじっていた仕返しだ。そうやって出来上がったチタタプをアシリパさんが私たちの口に押し込んでいく。口の中が空っぽになればまた押し込まれ、まるで雛鳥と親鳥のようだ。完全に餌付けされている。
残りのお肉は串焼きとオハウにした。真鶴には及ばないけれど中々美味しい。ヒンナヒンナと食べ進めていると、チカパシがチラチラとこちらを見ていることに気づいた。目が合えば少し興奮気味に話し始めた。
「ナマエのトカプはインカラマッより小さいけど、ナマエがご飯食べて笑ってるところを見てると……ムズムズするっ」
「コラッ、やめなさいチカパシ」
良く分からないけれど、なんだかとても失礼なことを言われた気がする。なんて返そうか考えあぐねていると、囲炉裏の向こうの尾形さんに先を越された。
「トカプってなんだ」
「おっぱい!」
尾形さんが鼻で笑った。思わず使っていなかった匙を投げつけてしまったが軽く躱された。とてもお行儀の悪いことをしてしまった罪悪感と、腹立たしさや羞恥心がせめぎ合う。嫌な笑みを携えた尾形さんがまた口を開いた。
「そう怒るなよ、着痩せする方なんだろう?」
「はぁ?!」
杉元さんと私の悲鳴が被った。
「前見た時はそれなりにあったから安心しろよ」
「まっ、前見た時ぃい?!尾形ちゃん詳しく!」
「出鱈目なこと言わないでくださいって!」
見てないでしょう、と続けようとして思い出した。宇佐美と喧嘩をした後のことだ。こっちはすっかり忘れていたというのに、なんでそんなことをまだ覚えてるんだ。ぶわわっと急激に顔に熱が集まって耳鳴りまでしてきた。そんな私を尾形さんが嘲笑う。
「今さら何だ。鹿の中でも散々押し付けてきてたじゃねぇか」
「おっ、押し付けてない!」
不可抗力だし、そもそも私は押しつぶされていた方だ。もしかして、さっき横でチタタプって言い続けたのを根に持っているのか。言い返そうとして、隣の杉元さんがチラチラと私の胸元を見ているのに気づいた。ハッとして腕で隠せば、バチンと痛々しい音と共に「ごめん!」と慌てて顔を覆った。しかし指の間から垣間見える視線はまだ変わっていない。バシバシと叩いて反対側を向かせた。杉元さんの助平。尾形さんの意地悪。視界の端ではアシリパさんがストゥでチカパシを叩いていた。
いつもよりもだいぶ騒がしい夕飯を終えて、私たちは盲目の盗賊団についての情報を叔父さんから聞いていた。
「もうすぐ新月になる。前の新月のときは隣の村が襲われた」
盗賊がこの村を襲ってきたら命がけで戦うつもりだと叔父さんが言う。塘路湖でもアシリパさんの親戚が不安そうにしていたのを思い出す。もうすぐ貴重な食糧の菱の実の収穫時期なのに、採ったところで略奪されるのではないかと恐れていた。何の罪もない人々を襲う盗賊団に憤りを感じるが、彼らが亜硫酸ガスが立ち込める山で苦役されていた囚人であることにやるせなさも感じていた。目が見えなくなっていなければ、惨たらしい扱いを受けていなければ、もっと別の道があったのかもしれないのに。
「奴らは用心深い。昼間は姿を現さない。集団で村ごと襲う時は、必ず月の出ない新月に襲ってくる」
「新月までこの村で待ち伏せる必要はないだろう」
「確かに。奴らの寝床を見つけた方が手っ取り早い。昼間に奇襲をかけりゃすぐにカタがつく」
それなら、と叔父さんが話し始めた。
「この近くに和人が経営する温泉旅館がある。なにか聞けるかもな」
明日早速行ってみよう、と私たちはその温泉旅館を新しい目的地にすることに合意した。温泉に浮かれる白石さんたちの声が響く中、アシリパさんが急に立ち上がって、不思議そうに外を伺い始めた。
「どうかしたの、アシリパさん」
「いや……聞いたことのない音が森から……」
アシリパさんも知らない動物でも居るんだろうか。外を覗いても、真っ暗な森が広がっているだけで何も見えなかった。
「気にするな。気のせいかもしれない」
「そう?」
二人でまた会話の輪の中に戻り、温泉談義に花を咲かせた。肝心の情報収集が二の次になっている気も否めないけれど、明日が来るのが楽しみだった。
