原作沿い
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22
「クンネ・エチンケのオハウだ」
「いただきます」
アシリパさんに差し出されたお椀を受け取って、早速一口頬張る。海亀なんて初めて食べる。ぷりぷりしているところと鶏肉のようなところがあって、なんだか不思議なお肉だ。昆布と干し魚の出汁が、二日酔い明けの身体に染み渡る。
「はぁ……ヒンナだぁ……」
「そうかそうか、ヒンナかぁナマエ」
「久々の海の幸で嬉しいです」
あ、そっか、と白石さんが呟いた。
「前海に来た時はナマエちゃん居なかったんだった。シャチの竜田揚げと子持ち昆布の串揚げ、美味かったのになぁ」
三人でそんな美味しそうなものを食べてたなんて初耳だ。シャチの味なんて想像がつかないけれど、竜田揚げなら絶対に美味しいに決まってる。羨ましく思ってつい子供みたいなことが口をついた。
「持って帰ってきてくれれば良かったのに……」
本気で言ったわけではなかったけれど、アシリパさんがブフッと噴き出した。
「杉元がっ……ナマエのために持って帰るって言ってたの、思い出した……フフッ」
「さすがに腐るから持って帰れねぇよって笑ったよな」
「ちょっ、言うなって!恥ずかしいから!」
隣の杉元さんの頬がほんのり赤い。そんなことを言ってくれていたなんて、私も少し恥ずかしくなる。
「また食べよう」
アシリパさんが笑った。にやける顔を隠すように、シャキシャキとしたおかひじきを頬張った。アシリパさんの想像するこれからに"また"があるのだと嬉しかった。
夕飯を終えて各々好きなように過ごしていたら、アシリパさんがカクッと大きく体勢を崩して私に凭れかかった。
「あらら、アシリパさんおねむだ」
「海亀猟で疲れたんですかね」
ちゃんと寝かせた方が良いだろうか、と考えているとアシリパさんが私に抱き着いてきた。
「んん……」
「アシリパさん?」
「ナマエ……」
ぎゅっと、胸元の小さな手が私の服を握った。隣の杉元さんがふふっと笑ったのが分かった。そのまますり寄ってくるアシリパさんに思考が止まる。か、可愛い……心臓を鷲掴みにされるとはこのことか。いつもは凛々しいアシリパさんが年相応、いや、もっと幼く見える。腕を回してしっかりと抱き止めた。とん、とん、と一定の間隔で優しく背中を叩けば、アシリパさんはすっかり夢の中に落ちてしまったようだ。口から垂れている涎さえも愛おしい。自然と頬が緩んでいく。
「前に言ってたよ。ナマエさんと一緒だと落ち着くんだってさ」
その言葉が嬉しくて顔を上げれば、見たことのないほど穏やかで優しい眼差しの杉元さんが、そこに居た。ドクっと痛いくらいに心臓が跳ねて、思わずアシリパさんに視線を戻してしまった。どうしてこんなにも心が揺さぶられるのだろう。ドクドクと心臓の音がうるさい。アシリパさんが起きてしまうんじゃないか不安になるほどだったが、変わらず穏やかな寝息を立てていてホッとする。あたたかくて、小さくて、可愛くて、愛おしい。尊い存在が私の腕の中にいる。力任せに抱きしめたくなる衝動を抑えて、滑らかな髪と小さな背中をゆっくりと撫で続けた。
「……なんだよ」
杉元さんの不機嫌そうな声で、尾形さんがこちらを見ていたことに気づいた。銃を手入れしていたはずの手が止まっている。
「どうしたんですか、尾形さん」
「いや……なんでもない」
後ろを向かれてしまった。なんだったんだろう。尾形さんの背中に向かって、杉元さんが刺すような視線を送っている。そんなに邪険にしなくても、と戸惑ってしまうが、この二人の折り合いの悪さは今に始まったことでもないしな、と半ば諦めている自分が居ることに気づいた。
穏やかな時間が過ぎていく。アシリパさんの寝顔を見ているうちに私も眠くなってきた。腕の中の温もりを手放すのがなんだか名残惜しくて、その夜はアシリパさんを抱きしめながら寝てしまった。
翌日、朝一でアシリパさんに叩き起こされて、訳も分からず船に乗せられ、マンボウ猟に連れて行かれた。「夏にしか食べられないんだ!」と目を輝かせながら、次から次へと私の口にマンボウの身と肝を運んでくるので、朝からついつい食べ過ぎてしまった。
お腹も膨れて、アシリパさんと沖でゆっくりとした時間を過ごしていたら、黒い雲のようなものがこちらに向かってくるのが見えた。
「アシリパさん、あれなんだろう」
どんどん近づいて来る。雲じゃない。何か小さな物が集まって蠢いている。
「シペシペッキ……バッタだ!」
「えっ、飛蝗?!」
海に居れば大丈夫だと言われて安心したけれど、陸に居る杉元さんたちは無事だろうか。海岸の方を見ていたらインカラマッの姿があった。アシリパさんも気づいたらしい。
「インカラマッ!!乗って!」
急いで船を寄せて、インカラマッへ手を伸ばした。泳げないとためらう腕を無理やり掴んで引き寄せる。迫りくるバッタの大群に慌ててまた沖へ戻れば、気まずい沈黙が訪れた。見過ごせなくて船に乗せてしまったけれど、正直とても後悔している。でもこうしていなかったらもっと後悔していた。もういっそのこと中尉について聞いてみようか。素直に話してくれるだろうか。迷っているうちにアシリパさんが沈黙を破った。
「私の父について知ってることをすべて話せ」
凛とした声に、心が落ち着いていく。うじうじ考えている私よりも、よっぽどしっかりしている。
「アシリパさんたちに何か個人的な恨みでも?」
「まさか……恨みなんてありません。私はずっとアシリパちゃん達親子の味方です」
だからこそ小樽に帰るべきだと、インカラマッは言う。でもそんなことを言われても素直に従う気になれない。占いでおばあちゃんを不安にさせて、谷垣を利用してここまでやってきたのだから。
「占いなんて信じない。私は何としても自分で真実を確かめに行く」
アシリパさんの言葉に頷く。知るべきことを知って、自分の未来のために前に進むのだ。その決意を挫くには、占いなんて不確かなものはあまりにも弱すぎる。私たちの反応に、インカラマッが今まで以上に神妙な面持ちで口を開いた。
「網走監獄にいるのっぺら坊はお父様ではありません。お父様を殺したのはキロランケです。」
これは占いではありません、と言い切るインカラマッに鳥肌が立った。キロランケさんがお父さんを殺した、なんて冗談でも言って良いことではない。
「アシリパちゃんのお父様……ウイルクはアイヌを殺して金塊を奪うような人じゃない」
インカラマッが、アシリパさんのお父さんは帝政ロシアに弾圧され、樺太から来たアイヌだと語り始めた。幼いインカラマッはそんなお父さんと毎日を過ごし、北海道アイヌの信仰や言葉、食文化などを教えたという。
「戦いで傷ついたウイルクはこの土地で癒され、北海道アイヌを愛していた」
「父は私の母から『すべて教わった』と言っていた。お前の言うことはすべてが怪しい!」
「ウイルクにとっては私はまだ子供でしたから忘れちゃったかもしれませんね」
寂しそうに一筋の涙を流したインカラマッに、少なからず動揺してしまう。彼女からはただただ、深い悲しみしか伝わってこなかった。私たちを騙そうとしているようには、到底見えなかった。
「このまま網走へ行けばキロランケと再会してしまう。とても危険な男です。最後には刺青人皮も奪われ、金塊も奪われる」
「どうしてキロランケさんが殺したと言い切れるの?」
「証拠があります」
「どんな証拠だ?」
アシリパさんを見つめていたインカラマッの瞳が、一瞬私を捉えた。
「その時が来たら教えます」
*
バッタの大群が去って、私たちは砂浜に降り立った。もうすぐ夜になる。朝からずっと海に出ていたせいで、波の揺れが未だに体に残っているような感覚があって上手く歩けない。インカラマッは谷垣を探しに行くらしい。覚束ない足取りでコタンの方へ戻ろうとしたら、ここで少し話がしたいとアシリパさんに呼び止められた。篝火を前に二人で寄り添う。
「ナマエはさっきの話どう思った?」
「……私は正直、インカラマッを信用しきれていません。鶴見中尉と繋がっている可能性がある」
特に、証拠について聞いた時の彼女の反応が気になった。私に知られてはマズイことでもあるのだろうか。
「いずれにせよ、真実を知るには網走に行かなくてはならないことは変わらない気がします」
そうだな、とアシリパさんが小さく呟いた。
「でもなんで……アチャはインカラマッのことなんて一言も……やっぱり子供だから忘れちゃったのか?」
篝火の揺れる灯りに照らされたアシリパさんは、ひどく不安そうに見えた。インカラマッとお父さんの話を聞いた時、まるでアシリパさんと杉元さんじゃないかと思った。アシリパさんは、インカラマッの悲しみをまるで自分のことのように感じ取ってしまったのだろう。自分にとっては宝物のような時間だったのに、相手にとってそうでなかったら。すっかり忘れられてしまったら。そんな寂しさと恐怖が伝わってきた。
「そんなことないですよ」
「……なんでそう言い切れるんだ」
アシリパさんらしくない、思いつめた表情だった。
そんな顔をしないで。だって、そうでしょう。
「新しい世界を教えてくれた人を、そう簡単に忘れられるはずがない」
お父さんは多分、アシリパさんの手前、すべてをお母さんから教わったと言っただけなのだと思う。母を亡くしている愛娘に、わざわざインカラマッについて話す意味なんてないだろう。インカラマッはお父さんの中でひっそりと、誰にも知られずに生き続けている。そんな気がした。
「でも……」
「私は忘れない」
アシリパさんの手を取った。
「私はヤマシギのチタタプも、丹頂鶴や海亀のオハウも、クトゥマも、マンボウも、フキで顔を真っ黒にしたことも、カムイホプニレも、教えてくれた言葉も……全部全部、忘れない」
アシリパさんの綺麗な青い瞳だって忘れない。そう思いながら握る手に力を込めれば、アシリパさんの目元が緩んで安堵する。
「なんだか食べ物ばっかりだな」
「……バレました?」
自分でも食べ物が多いなと思っていた。でも、今まで食べてきたものが今の私を作っている。一緒に食べて、生きて、ここまでやってきたんだ。忘れられるわけがない。例えいつか別れても、アシリパさんとの日々は私の身体の一部として、永遠に残り続けるだろう。
「きっと、杉元さんだってそうです」
「……うん」
アシリパさんが伸びをして、そのまま寝転がった。艶やかな黒い髪が砂浜に広がる。
「あっ、チンポの星!」
「えっ?!」
びっくりして思わず夜空を見上げた。どれのことを言っているんだ。そもそもそんな星座あるの?文化が違うとあるんだろうか。
「昔アチャと見たんだ。ナマエとも見れて嬉しい」
それはそれは嬉しそうに屈託なく笑うアシリパさんに、複雑な気持ちで夜空を見上げ続けた。
