原作沿い
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19
先ほどの死骸があった場所に着いたら、一人の男が鹿を送り返すための祈り”カムイノミ”を捧げているところだった。祈りを終えた男が振り返ったので、杉元さんが声をかける。
「犯人を追ってるのはあんたの仲間か?もう捕まえたか?」
「分からない……でも時間の問題だろう。我々は犯人を知っている。四日前に会った男だ」
この男によると、同じ手口でメス鹿が殺されていた近くに、谷垣の村田銃があったという。しかしその直後に背後から襲われてしまったので、肝心の犯人の顔は見ていないらしい。
「目が覚めてからメス鹿をよく調べると、この若いオス鹿同様……穢されていた。」
「でも、谷垣はそんなことをする人じゃないんです」
「知り合いか?」
男の言葉に頷く。谷垣は命の尊さを一番理解しているはずだ、こんなことは絶対にしない。どう誤解を解いたらいいのか考えていると、アシリパさんが神妙な面持ちで口を開いた。
「どうしてだ?杉元、ナマエ……どうしてこんなことを?人間がウコチャヌプコロしても子供なんか出来ないのに……ましてやオスの鹿とウコチャヌプコロする意味が分からない」
「う、ウコチャヌプコロ……?」
独特な単語に戸惑いが先行してしまって、あまりアシリパさんの言っていることが入ってこなかった。ウコチャヌプコロとはつまり、そういう行為のことなのだと一瞬遅れて理解した。
「オスはメスとしかウコチャヌプコロしないはずなのに。オスとウコチャヌプコロするなんて。どうしてだ?杉元、ナマエ……」
「ウコチャヌプコロ……」
純粋な疑問なんだろう。しかし杉元さんも私もなんて答えれば良いのか分からない。二人で顔を見合わせて、どちらからともなく顔を逸らした。気まずい。そんな空気を壊すように、木々の間から子供たちが元気よく走ってきた。谷垣が捕まったと聞いて、冷や汗が流れ出る。
コタンに着けば谷垣が小熊用の檻に縛り付けられていた。いつの間にか尾形さんもいるが、白石さんたちが見当たらない。「俺たちのやり方で裁く」「鼻と耳と足の腱を切る」と息巻く荒々しい男たちを、杉元さんが力づくでねじ伏せたので目を覆ってしまった。尾形さんに助けを求めようにも、この騒ぎを食糧庫から楽しそうに見下ろしているだけで、介入するつもりなんて微塵もなさそうだった。文字通り、高みの見物を決め込んでいる。
「犯人の名前は姉畑支遁。上半身に入れ墨がある男だ。この谷垣源次郎は、寝てる間に犯人に村田銃を奪われたドジマタギだ!!」
杉元さんがなぜか谷垣のシャツのボタンを飛ばし、胸毛をブチブチと毟っていく。宙に舞った胸毛がアシリパさんの顔にかかり、くしゅんとくしゃみをしたのが見えて、思わず顔を顰めてしまった。カムイノミを捧げていた男が村長と話し合いを終えて、杉元さんに向きあった。
「三日やる。三日以内に真犯人とやらをここへ連れてこい。それまでその男は預かる。村の者達にはその男への刑罰を待たせる」
いいだろうと、杉元さんがその提案を受け入れた。谷垣が拘束を解かれて、乱暴に小熊の檻に入れられた。
「大丈夫?怪我してない?」
「巻き込んですみません……大丈夫です……」
良かった。それに以前よりも随分と健康的になっていて安心する。おばあちゃんに沢山食べさせてもらったのだろうか。
「姉畑の行き先に心当たりねぇのかよ」
「出会った夜に奴が話してたことがある。ヒグマを調査したい、もっと良く知りたいと……」
瞬間、ブワッと鳥肌が立った。
「それやばいやばいッ!!ヒグマに恋しちゃったら……入れ墨ごと食われちまうだろうがッ!!」
「姉畑支遁がヒグマと出会う前に……!!ウコチャヌプコロしようとする前に捕まえないと!!」
ヒグマとウコチャヌプコロなんて正気の沙汰じゃない。何故わざわざそんなことを、と頭を抱えてしまう。アシリパさんがまたくしゃみをした。良く見ると鼻から長い鼻毛……いや、胸毛が出ている。
「アシリパさん、ちーんしよっか」
「ん……なんだかさっきからムズムズするんだ」
可哀想に。それは谷垣の胸毛のせいだとはさすがに言えなかった。
「姉畑は俺達で捕まえに行くとして……問題は間に合わなかった場合だ」
「尾形に頼めば良い」
あっけからんと言うアシリパさんに、杉元さんが言葉に詰まった。谷垣も、檻の間からでも嫌そうな顔をしているのが分かった。多分、二人とも信用できないと思っているのだろう。気持ちは分かる。でも、尾形さんは敵意のない戦友を見捨てたりしないんじゃないだろうか……多分。黙り込んだ大人たちのことなんて気にせず、アシリパさんが尾形さんに向かって歩いて行った。
「私たちが三日以内に姉畑支遁を連れて戻れなかった時は、尾形が谷垣を守ってくれ」
尾形さんの冷たい双眸が私たちを見下ろす。
「言っとくが……俺の助ける方法は選択肢が少ないぞ」
村人を見る目にゾッとした。無関係の人まで手にかけるような人ではないと思うけれど、もし谷垣を逃がそうとした時に邪魔をされたら──命まで奪わなくとも、追って来れないよう迷わず撃つのではないか。
「私も残ります」
嫌なことを想像してしまい、コタンに残ることを提案した。二人居れば策の幅も広がるのではないかという期待からだった。
「うん、頼んだぞナマエ」
「ナマエさん、気をつけてね。無茶はしないで」
それは杉元さんとアシリパさんでしょ、と笑って二人を見送った。杉元さんが何度も心配そうにこちらを振り返るのがおかしい。その度にアシリパさんに急かされている。やがて二人の姿が見えなくなった。他に行く所もないので、食料庫の階段に座って今後のことを考えることにした。尾形さんだって、こんな目立つ所で私を殺しはしないだろう。
もし杉元さんたちが間に合わなかったら、谷垣は私刑に合ってしまう。刑の執行直前に逃がそうとすれば乱闘も避けられないだろう。大人しく期限を待つにはあまりにもリスクが大きすぎる。監視が厳しくなる前、早めに村から逃亡した方が良い。問題はどうやって逃亡するかだ。
「ずっとここにいるつもりか?」
辺りが薄暗くなってきたところで、初めて尾形さんから話しかけられた。鹿の中での件があってから二人きりで話すことがなかったので、少し緊張する。
「容疑者の仲間ですし、お家に泊めてもらうのは申し訳ないので」
階段を上がって、体一つ分を空けて尾形さんの隣に腰掛けた。肌寒くなってきたので外套を肩からかけてコタンを眺める。やがて辺りは真っ暗になり、チセから漏れる灯りで一帯がぼんやりと照らされる。視界からの情報が限られた分、話し声や笑い声、トンコリの音が良く耳に入ってきてとても心地良い。辺りを包む温もりにあふれた雰囲気に、心がきゅうっと締め付けられた。
「人を殺して罪悪感を感じない人間は居ると思うか」
感傷に浸っていたところを、一気に現実に引き戻されてびくりとした。暇つぶしの世間話にしては重すぎる話題に困惑したが、殺したいから殺したと、鹿の中で尾形さんが言っていたことを何となく思い出した。あの話の続きをしたいのだろうか。
「……居るんじゃないですか?」
少し考えて答えれば、尾形さんが心底驚いたようにこちらを見た。もうとても長い間、目を合わせていなかったような気がした。
「なんでそんなに驚くんですか」
「いや……そんな人間は居て良いはずがない、と言うかと思っていた」
「えぇ……?私は誰の存在も否定しませんよ」
随分と強い言葉に、私も少なからず動揺してしまう。居て良いはずがない、とはどういうことなのだろう。ぼんやりと考えていたが、尾形さんが「話を続けろ」という視線を向けていることに気づいた。
「これはあくまで私の持論ですよ。罪悪感は、自分の判断が正しいと信じていれば、存在しないんじゃないでしょうか」
それが殺人だろうとほんのささいな判断だろうと、関係ないような気がする。罪の重さは人それぞれだ。それに、私たちは重大な罪を犯す時ほど、罪を重ねれば重ねるほど、自分を正当化したくなる。深層で罪悪感を感じていたとしても、表層では「これで良かった」と納得しようとする。中には深層でも何も感じていない人もいるかもしれないけど、そんなの誰にも分からない。気づかないのは、存在しないのと同義なのではないか。
「罪悪感が生じる時は、自分の判断に疑問を持ち、後悔した時です」
戦争で医者の真似事をしていた時、私は自分の奥底に存在する罪悪感に気づかないふりをしていた。これは悪いことではない、人を救っているのだから──そう強く信じていた。金塊に至っては、隠された大金を自分の目的のために使うことに疑問を持ったことなんてなかった。でも、それも全部間違っていたのだと、気付かされた。
「その時はすぐ訪れるかもしれないし、一ヶ月後、何十年後、あるいは一生訪れないかもしれません」
中尉が運び込まれ全てが露呈した時。兄が死んだ時。アシリパさんと出会って、金塊の持ち主や、この土地に住まう人たちを知った時。自分の判断を後悔し、罪悪感と向き合うきっかけはいつも唐突に訪れた。
「きっと、罪悪感なんて感じないまま死んでいく人だって、居ると思いますよ」
もし、尾形さんが家族を殺したことに罪悪感を感じていないと言うならば、それはきっと、ただ、気づいていないだけだ。向き合うきっかけが、まだ無いだけだ。居ていいはずがない、なんて言葉はあまりにも鋭利で、残酷すぎる。
「……そうか」
尾形さんの視線がやっと私から離れて、胸を撫で下ろした。横顔を盗み見ればやけに満足そうだ。もうこの話は終わり、ということで良いのだろうか。
「私も一つ聞いても良いですか」
尾形さんは何も言わない。沈黙を肯定と捉えて、ずっと気になっていたことを問いかけた。
「私のこと、殺そうとしてますか?」
「さっき気が変わった」
何かが吹っ切れたような薄い笑みに、体が固まる。さっき、とは具体的にいつのことなのだろう。まさか、先ほどの問いが生死の別れ目だったとでも言うのか。分からない。尾形さんという人間が本当に分からない。はぁぁ、と深いため息とともに、体から力が抜けていく。
「また気が変わった時のために伝えますけど、殺す時はちゃんと狙ってくださいね、痛いのは嫌です」
「誰に言ってんだ」
フン、と尾形さんが鼻を鳴らした。
「あとできれば埋めて欲しいです。どこか暖かくて見晴らしの良い場所に。そして定期的に会いに来てくれると嬉しいです」
「めんどくせぇ」
尾形さんが心底嫌そうな顔をしたので笑ってしまう。「じゃあ殺さないでくださいね」と言えば更に眉間に皺が増えた。笑いながらこんな話をするなんて、やっぱり尾形さんと居る時の私はどうかしているのだと思う。殺されるつもりなんて毛頭ないけれど、もし、仮に尾形さんに殺されたとしたら──尾形さんは罪悪感を感じてくれるんだろうか。
その時は化けて出て問い詰めてみたいなと思った。
