原作沿い
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
18
やってしまった。尾形さんに殺される。大雪山を越えて釧路に向かっているこの数日間を、そんな気持ちで過ごしていた。追っ手は撒けたようだったが、用心して銃を使わないことになってどれほど安堵したことか。罠で獲れる獲物は小さいネズミばかりでひもじかったけれど、少なくとも狩りに紛れて尾形さんに狙撃されたりする心配がなくなったので、心の底からホッとした。
仲が良いというと語弊があるが、第七師団の中では一番尾形さんと親しい間柄であったと、少なくとも私は思っている。私は中尉のことが苦手だ。同様に、中尉に傾倒する者たちも苦手だった。中尉と一線を引いている尾形さんの隣は居心地が良くて、なんとなく他の兵士よりも尾形さんと過ごす時間が増えていった。尾形さんが腹の底で何を考えているのか分からない怖さは常にあったけれど、少なくとも銃の扱いを教えてくれたり、宇佐美の嫌がらせを止めてくれたり、夕張でも助けてくれるほどには、私のことを気にかけてくれていたのは確かだ。しかしそれは、お互いに過度に干渉しすぎず、心地よい距離を保っていたからだ。鹿の中で私は明らかに一線を越えてしまった。
ずっと、気づかないようにしていたことがある。私は尾形さんを通して兄を見ている。鶴見中尉の命令だったとはいえ、兄を撃ったのは尾形さんだったのに。そして、尾形さんもまた、私を通して誰かを見ている。多分それは、何度か尾形さん以外の人間から聞いたことがある、勇作殿なのではないかと思う。尾形さんは自分で殺した弟を、私を通して見ている。お互いに本当に救えない。どうかしていると思う。私たちの関係はとても不健全で、歪だ。愛も憎悪も信頼も疑心も、全てぐちゃぐちゃに混ざって私たちを繋ぎ止めている。第七師団という籠の外に出た今でさえも。
あの時、鹿の中で尾形さんは「俺たちでブン盗る」と言った。私を数に入れていたのだ。アシリパさんたちに肩入れしても、最後には私が一人になるとも言っていた。尾形さんは、私を一人にしないつもりだったのだろうか。逃亡の計画や金塊へ辿り着く方法などは何度も話し合ったが、金塊を手に入れた後のことなんて、これまで一度も話さなかったはずだ。そもそも、私は尾形さんが何故金塊が欲しいのかさえ知らない。私はもう下りたと伝えたのに、なぜ今になってそんなことを言うのか。
アシリパさんがコタンで笑って過ごせる日常が戻るように。杉元さんと白石さんが分け前を手に入れて、思い思いの人生を歩めるように。そうなることが私にとって、この金塊争奪戦の最善の結末で、それ以外の結末なんていらない。でもどうしようもなく思ってしまうことがある。一人は寂しい。置いて行かないで、と。一人で生きていくのだと決意したはずなのに、アシリパさんたちと出会って、あたたかさに触れて、自分がどんどん弱くなっていくのを感じる。例え破滅しかないとしても、硝煙の匂いのする外套を掴んでしまいそうになる自分が情け無い。しかし私はその機会さえ棒に振ってしまった。そのことを僅かでも後悔している自分が居て、益々惨めな気分になる。
私は、自分で思っているよりも、一人になることを恐れている。
「杉元、ナマエ、ちょっとこれ見てみろ」
「なになに~?今度はなんのうんこ見つけたの~?」
名前を呼ばれて現実に引き戻された。私たちは白石さんと尾形さんを残して、罠を確認しに来ていた。アシリパさんの指さす方を見れば、そこには痛々しい傷跡から血を流して倒れている一頭の鹿がいた。人の足跡があるのでヒグマにやられたわけではないが、猟師の獲物でもなさそうだという。動物をメッタ刺しにして放置するという猟奇的な行動に身震いがする。アシリパさんも「嫌な感じがする」と言って、お祈りをしてそのまま立ち去ることにした。
「ナマエ、大丈夫か?何かボーっとしてるけど」
「えっ?うん、大丈夫。ちょっと眠いだけで」
「白石のいびきはうるさいからな」
「ふふっ、そうですね」
とんだとばっちりだ。ごめんなさいと白石さんに心の中で謝る。まあでも、何度か白石さんのいびきや寝言で起こされているのは事実なのだけれど。湿地に仕掛けた罠を確認しに行けば、そこには一羽の鶴がかかっていた。
「わっ!おっきい!すっごい!」
「スゲー丹頂鶴獲れた!でかい!」
キャッキャッとはしゃぐ私達とは反対に、アシリパさんの反応はとても薄いものだった。
「サロルンカムイかぁ……丹頂鶴より真鶴のほうが美味しいんだよな」
「ええ?せっかく獲ったんだし、白石たちもお腹空かしてるだろうから……」
しょうがないか、とアシリパさんもしぶしぶ納得したので私たちは白石さんたちのもとへ戻った。江戸時代の将軍様も食べていたらしいという話を聞いて、俄然期待値が上がる。ワクワクしながらいただきます、と丹頂鶴のオハウを一口頬張るが、途端に鼻に抜ける独特な風味に黙り込んでしまった。周りを見れば、皆さんも同様に微妙な顔つきで静かに咀嚼している。
「う~ん……」
「泥臭いようなムッとする変な匂いだろ?」
「それにお肉も硬いですね……」
お世辞にもヒンナとは言えない味だった。「なんで丹頂鶴なんて獲ったんだ!」と白石さんにも言われてしまったが返す言葉もない。それでも命を粗末にするわけにもいかず、また硬くて食べづらい肉を口に入れる。
「普段は獲らないけど、杉元とナマエが『北海道の珍味を食べつくしたいんだ』といつも言ってたから……」
言ってない。それにどうせなら珍味じゃなくて美味しい物が食べたい。永遠に噛みきれない肉を咀嚼しているせいで言い返せなかったが、代わりに杉元さんが言い返してくれた。
「言ってねぇだろ、俺はそんな目的で北海道を旅してるんじゃないんだよ?」
「杉元はどうして金塊が欲しいんだ?」
「まだ言ってなかったっけ。戦争で死んだ親友の嫁さんをアメリカに連れてって目の治療を受けさせてやりたいんだ」
なんだかとても杉元さんらしい理由だなと、やっと肉を飲み込んだ時だった。
「『惚れた女のため』ってのはその未亡人のことか?」
急に重力が増えたみたいにズン、と尾形さんの言ったことが重くのしかかった。
「え?そうなの?」
白石さんが問いかけるが、杉元さんは何も言わない。以前、夕張で”いい人”について白石さんから聞かれていた時のことを思い出した。あの時も杉元さんは何も言わなかった。何も言わないということは、そういうことなんだろう。杉元さんが惚れた人なら、とても素敵な人なんだろうな。この旅が終わったら、杉元さんはその人と一緒になるんだろうか。また一口肉を頬張れば、一層泥臭くて気分が落ち込んだ。
「フン!トリ!フンチカプ!」
大きな掛け声とともに、急に着物の裾をバサバサさせながらアシリパさんが踊り始めた。驚いて危うく気管に丹頂鶴が入り込むところだった。
「ハアホオオホーイホイ!」
「アシリパさんどうしたの」
「サロルンリムセ。鶴の舞。釧路に伝わる踊り」
「へぇ……どうして急に踊ったの?」
「別に……鶴食べたから」
杉元さんの問いに、ふーふーと息を荒げながら答えるアシリパさんが可愛らしくて、少し気分が落ち着いた。同時に、アシリパさんもこの話が嫌だったのだと悟る。それは淡い恋心なのか、憧れなのか、この旅の終わりを想像してしまったからなのか、そのすべてなのか……あまり詮索するのも良くないので、そこで考えるのをやめた。
「こっちに誰か来るぞ」
尾形さんの目線を辿れば、アットゥシを来た二人組がこちらに向かってきていた。「やっぱりアシリパとナマエだ!」という声に驚く。チカパシだ。コタンで何度か話したことがある。一緒にいるのはインカラマッだ。苫小牧で言われたことを思い出して体が強張る。気をつけろ、と警鐘が鳴る。
「遠くからアシリパが踊ってるの見えた。やっっと見つけた!!」
「私を探していたのか?」
「谷垣ニシパと小樽から探しにきた!!でも谷垣ニシパが大変なことに!」
「落ち着いて、谷垣がどうしたの?」
興奮気味に話すチカパシをなだめていると、インカラマッが代わりに説明し始めた。この辺りで最近、家畜や野生の鹿を斬殺して穢す人間がいるらしく、地元のアイヌたちに谷垣がその犯人に間違われてしまい、追われているらしい。さっきのオス鹿を思い出す。アシリパさんたちもピンと来たようだ。鈴川が言っていた釧路の囚人の仕業かもしれない、と杉元さんが呟いた。
「でも、そもそも何で谷垣が犯人に……?」
「四日前のことです、私たちは地元のアイヌの男達と出会いました」
その男が二瓶と知り合いで、谷垣の村田銃に気づいたらしい。
「あの出来事がその後、まさかあんな事態になるとは……」
「ハンッ!!占い師のクセにぇ?」
「アシリパさん指ささないの、気持ちは分かりますけど」
「ナマエちゃんも手厳しい〜っ」
私達の態度にインカラマッが少し困った顔をしたが、そのまま話を続けた。その後、北海道の動植物を調査しているという学者・姉畑支遁と出会い、一緒に野宿をしたところ、翌朝には村田銃と弾薬が消えていた。おそらくその銃が新たな犠牲に使われたことで、谷垣が濡れ衣を着せられてしまっている、ということだった。
「銃から離れるなとあれほど……」
チッと尾形さんが舌打ちした。そう言えば銃について最初に尾形さんから教わったことは、常に肌身離さず持っていろだったな、とふと思い出した。
「囚人に学者がいるってのは聞いたことがある。あちこちで家畜を殺して回って牧場主に見つかって大怪我させて捕まったとか」
「鈴川聖弘から聞いた情報と一致するぜ。そいつが刺青脱獄囚人24人の一人だ」
手分けして探そう、杉元さんの言葉にアシリパさんがすぐに歩き出した。
「さっきの鹿の死骸が一番新しい犯人の跡だ。行くぞ杉元、ナマエ!」
アマッポにかかったり、冤罪に問われたり、つくづく谷垣はついていない男だ。白石さんたちに食事の後片付けをお願いして、念のためはぐれた場合に釧路の街で落ち合うことを告げる。
「ナマエー!早く来い!」
「置いてかれるよー!」
アシリパさんと杉元さんが大きく手を振っている。いつの間にか随分と距離があいてしまった。二人に追いつくため、私も駆けだした。
