原作沿い
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14
「アイヌ語で命乞いはどう言うんだ?」
一瞬でチセの中が地獄絵図に変わる。まさか、休憩のために立ち寄ったコタンが、アイヌのふりをしたヤクザたちに乗っ取られていたなんて。早く、アシリパさんを探しに行かないと。
「オイッ!外に出るな!」
尾形さんの声を振り切って、拳銃を片手にチセから出る。入口の両脇で、無残な姿で偽村人たちが息絶えていた。先に飛び出した杉元さんとは別の方向にアシリパさんを探しに行く。尾形さんが後ろにいるのなら多分、大丈夫だ。あのチセから見える範囲なら、私が死ぬ確率は低いはず。こちらへ向かってくる男を牽制するために発砲しながら、この場を生き抜くために必死に考える。
「アシリパさん!アシリパさんどこっ?!」
虐げられていたアイヌの女性たちも加勢してヤクザたちを倒していく。耳を塞ぎたくなるような断末魔と共に、男が杵で頭を割られ、腹を潰されていく。その様子に気を取られ、チセの影から躙り寄る男に気づくのが遅くなった。距離を詰められ、農具が大きく振りかぶられる。咄嗟に左腕で防御しながら拳銃を構えた。ここで、死ぬわけにはいかない。アシリパさんと約束したんだ、最後まで見届けると。痛みを覚悟したその時、銃声と共に男がよろけ、銃剣が胸を貫いた。
「テメェナマエさんに何してんだ!!」
鬼のような形相でザクザクと銃剣が抜き差しされる。されるがままの男は、まるで綿でも詰まった人形のようだった。それでも、飛び散る生暖かい血が頬を濡らせば、この男が私と同じ生きた人間だったということを思い知る。
「怪我してない?怖い思いをさせてごめん、ここで隠れてて」
男が乱暴に放り捨てられた。優しい声色で、杉元さんがゴシゴシと私の頬を襟巻きで拭って、足早にまた戦場に戻って行った。その二面性が私は怖かった。そして、怖いと思ってしまった自分自身に失望する。早く、アシリパさんを探さないといけないのに。震える脚が言うことを聞かず、その場にへたりこんだ。
地面に捨てられた男の胸から血が広がって、周囲の土を赤黒く染めていた。男の足元にも血溜まりができている。尾形さんに狙撃されたのだろうか、太ももの虚な穴からは血液が止めどなく流れ出ている。血溜まりに影が落ちた。
「杉元のやつ、一人で全員やるつもりか」
化け物だな。辺りを見回しながら尾形さんが静かに呟く。気だるげに見上げれば、真っ黒な瞳が私を見下ろしていた。ひでぇ顔だな、と尾形さんは口元を緩めて少し屈むと、私の目元を外套の裾でそっと拭った。外套に赤黒い染みが付く。
「その拳銃が飾り物じゃないことを証明する良い機会だったのに、残念だったな」
趣味の悪い男だ。あの時、すんでのところで致命傷を避けて男を撃ったのも、私にとどめを刺させるためで、私を助けるためではない。理解したところで胃が捩れ、胃液が迫り上がってくる感覚がした。一瞬でも背中を預けたことを心の底から後悔する。
「気持ち悪い……」
「吐くなよ、汚ねぇな。おい、放せ」
離れようとする尾形さんの外套の裾で顔を覆う。誰のせいだ。
無事にアシリパさんも見つかり、コタンに残ったのは主犯の囚人・鈴川聖弘とおびただしいほどの遺体だった。その中に、私たちが探していた熊岸長庵も居た。毒矢で撃たれて絶命した熊岸以外はどれもむごたらしい状態で、そのほとんどを杉元さんがやったと思うと胸が張り裂けそうだった。いくつもの遺体を穴に埋めていく。このコタンに掘られた穴の数だけ、また彼に背負わせてしまう。手を汚すのは自分だけで良いと、私たちの前を走り、自ら傷ついていくのを見るのがつらかった。私の銃が飾り物でなければ、杉元さんを少しは解放できるのだろうか。それとも、余計に苦しませてしまうのだろうか。杉元さんはあまりにも優しすぎる。
一人、まだ息のある男がいた。腹を割かれている。もうどうしようもない状態で、埋葬を後回しにされている。呻き声を上げながら浅い呼吸を繰り返して、私たちの声も聞こえているのかも分からない。抗いようのない死に向かっている男を見て、心が乱される。鞄の中の小瓶に手が伸びる。どうせ死ぬなら、安らかに逝かせてやりたい。例え悪人だとしても。
「またモルヒネで殺すのか」
尾形さんの言葉が絡みつく。いつだってこの男は、私が聞きたくない言葉を投げかけてくる。
「殺しません。適量を投与します。少しでも痛みが和らぐように」
「良かったな、死に際に慈悲深い女神様が居て」
尾形さんが小銃で男を小突くのを横目で見ながら準備を進める。尾形さんには”適量”と言ったが、男の正確な体重も分からないし、おおよその量を注射器で吸い取る。効いてくれれば良いのだけれど。痛み止めです、と言いながら皮膚に針を刺せば、一瞬嫌がるそぶりを見せたがすぐに大人しくなった。徐々に落ち着いていく男を見て少し安堵する。効果が切れる前にどうか、安らかに最期を迎えて欲しい。そんなことを思いながら、男の手を握った。
「一思いにやってやった方が、よっぽどこいつのためなんじゃないのか」
「同意が得られない状態なのに、そんなことできません」
まるで同意が得られたらやるような言い方だ。自分で言っていて反吐が出る。
「……どうせ死ぬのに、なぜ拘るのか俺には理解できん」
最後に男を見下ろして、尾形さんが立ち去った。どうせ死ぬのに。その通りだ。結果は覆らない。それでも、その過程には天と地ほどの差がある。
皆、モルヒネを過大評価していると同時に過小評価をしている。依存性が高いことから薬漬けになるだとか、安楽死の薬だとか悪い話ばかりが先行して、嫌悪感を示す人も多い。実際、戦争でモルヒネを過剰に投与されて廃人になった者も多いのだから、その反応は正常なのかもしれない。それでも、モルヒネは痛み止めとして素晴らしいものだ。適量であれば痛みを和らげ、残った人生を少しでも生きやすくすることができる。死までの過程を劇的に変えることができる薬だ。もっと研究して、もっと使い方を工夫できれば……そのためには金も、時間も、人も要る。特に金。モルヒネは貴重で高価だ。治療に使うのも、研究を進めるのにも膨大な資金が必要になる。諸外国からの輸入に頼らず、国産化ができれば。例えば北海道のような広大な土地でケシを栽培して、もっと高品質で安価なものを安定して国内中に、戦地に供給することができれば──そこまで考えてハッと我に返る。違う、今はそんなことを考える時じゃない。いつの間にか、握っていた男の手から力が抜けていた。もう、男の呼吸は止まっていた。
埋葬も終わり、コタンの女性たちがオオウバユリを使った料理でもてなしたいと申し出てくれた。正直なところ、あんなことがあったのであまり食欲はなかった。それでも不思議なもので、クトゥマというくずきりのような団子を一口、二口と口の中に入れれば、そのまま箸が進み、いずれ目の前の皿が空になった。
「美味いか、ナマエ」
「すっごく美味しいです。でもこれ、味噌を付けたらもっと美味しいんじゃ……?」
杉元さんの方を見れば、同じことを思っていたのか、その手には既に味噌があった。わぁああおおおと有頂天なアシリパさんが杉元さんの手から味噌を奪い取ってクトゥマにつける。
「うんうん!!やっぱり杉元のオソマは何にでも合う!!スゴイオソマ!!」
「ほらほら、アシリパさんがオソマ言うからうんこ食べてると思ってるよ」
コタンの女性たちがざわついている。
「お、オソマソモネ!」
うんこじゃないんですよ、と慌ててつたないアイヌ語で言えば怪訝な顔をされた。それはそうか。うんこじゃないんですよ、なんて言われても意味が分からない。私は食事中に何を言っているんだ。急に恥ずかしくなったけれど、女性たちが恐る恐る味噌を食べて、その美味しさに舌鼓を打つ姿を見ていたら嬉しさでそれもすっかり吹き飛んだ。味噌は偉大だ。まるでアイヌの昔話だと笑う女性たちと楽しい夕飯のひと時が過ぎていった。
翌日、鈴川聖弘とはもう関わりたくないという女性たちの意志を汲んで、私たちはこの男を月形まで連れて行くことにした。網走から脱走した他の囚人の情報も持っていると言うし、鈴川の処遇は土方さんたちと合流してから決めることになった。ヒグマに勝った牛山さんが女性たちに熱烈にモテていて、本人もその気になっていたが時間もないので、強引にその巨体を引きずっていく。
「牛山さん、もう諦めてください」
「子種だけ置いていけないだろうか……」
「弱みにつけこむのは良くないぞ牛山。責任とれるのか?」
「弱くなんかない。アイヌの女だってしたたかなんだ。このコタンは必ず生き返る」
アシリパさんの言葉に昨日の食事を思い出す。そうだ。自分たちが大変な時に、私たちをもてなしてくれるほどに彼女たちは強い。食べて、生きて、前に進む力がある。最後に大きく手を振って、私たちは今度こそ月形に向かった。
