原作沿い
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08
海へ囚人・辺見和雄を探しに行った杉元さんたちが、見知らぬアイヌの男を連れてコタンへ帰ってきた。
「おかえりなさい!」
窓から三人の姿が見えて、居ても立っても居られずにチセの外に飛び出した。ただいま!と元気よく駆け寄って来てくれたアシリパさんをぎゅうっと抱きしめる。元気で良かった、とお互い笑い合う。その後ろから白石さんが両手を広げて近づいてきたが、杉元さんに首根っこを掴まれてクーンと鳴いていた。相変わらずの二人に笑みがこぼれる。
「こっちはキロランケ、私のアチャの友人だ」
「ミョウジナマエです、初めまして」
フチに会ってくる!とキロランケさんの紹介もそこそこに、アシリパさんは足早に去っていった。元気だなぁ。
「話には聞いていたが、随分とアシリパが懐いてるな」
「そう、ですかね?」
「あぁ、まるで本当の姉妹のようだ」
姉妹?私たちが?嬉しいけど、年が離れているので少し気恥しい気持ちもある。変装のためにアットゥシを借りているのもあるかもしれない。でも、一回り離れた実の兄とは「まるで兄妹に見えない」としか言われたことがなかったので、とても新鮮だった。
「ナマエさん、ちょっと」
ずい、とキロランケさんとの間に杉元さんが入ってきた。そのまま白石さんも連れてチセに入って行き、谷垣に外の男を確認するように言う。キロランケさんのことだろうか。もしかして、中尉との繋がりを疑っているのか。どこだ?居ないぞ?と谷垣が言ったところで、背後からキロランケさんの声がした。
「そのトンコリ……懐かしい。アシリパの父親が樺太で手に入れたものだ」
外に居たはずが、いつの間にかチセに入ってきていたらしい。全然気が付かなかった。驚きで飛び上がってしまって、思わず杉元さんの裾を握ってしまった。恥ずかしくってそっと手を離す。気づかれてないといいのだけれど。
結局、谷垣とキロランケさんは知り合いではなかったようだ。立ち話もそこそこに、私たちは囲炉裏の傍に腰を下ろした。オソマちゃんの激しいムックリの演奏がチセに響く。
「ナマエ、そのメノコマキリどうしたんだ」
アシリパさんの言葉に、隣の杉元さんが勢い良くこちらを見たのでびっくりしてしまった。
「これ?貰ったんです」
「誰に?!」
杉元さんが食いついて来る。なんだか良く分からないけど向かい側のアシリパさんとキロランケさんがニヤニヤしている。
「おばあちゃんに。お手伝いする時に何かと入用だったので、使ってない物を貰ったんです」
「あぁ、そういう……」
マキリについてだろうか、おばあちゃんがアイヌ語で話し始めた。アシリパさんが通訳してくれる。
「ナマエは手先が器用だし、美人で働き者だから、周辺のコタンの男達にも評判がいいとフチが言っている」
「えっ?」
それは初耳だった。確かに、このコタンの者ではない男達がなんだかやけに優しくしてくれていた気がする。アイヌは"新しもの好き"だとアシリパさんが言っていたから気にも止めていなかった。
「あまりにも嫁に欲しいと来るものだから、谷垣の妻だと言ったそうだ」
「お、俺も今知った!本当だッ!」
私も今知った。皆の視線が集まり、ひぃと谷垣の大きな体が縮こまる。そんなに嫌がらなくてもいいのに。
「知らないところでご迷惑をかけていたみたいで申し訳ないです……」
「気にするな、ナマエは悪くない」
「まあ……とにかく、ナマエさんが元気そうで良かった。ずっと心配だったんだ」
杉元さんの言葉にアシリパさんも白石さんも頷いている。
「皆さんの方が心配でしたよ、囚人を追ってるんですから。何かあったらどうしようって」
「実際ヤバかったけどな、辺見がシャチに食われた時はどうしようかと思ったぜ」
それなんだけど……と声を落として杉元さんが辺見和雄の刺青の話から、キロランケさんから聞いた話までを説明してくれた。
「……のっぺら坊がアシリパさんのお父さん?」
お父さんは死んだとアシリパさんは言っていた。そんなことあり得るんだろうか。いや、あの現場は個人の特定が不可能なほど凄惨な状態だったと聞いている。わざわざ遺体をバラバラにしたのは自身の死を偽造するためだと考えれば納得がいく。のっぺら坊は人間の皮を剥ぐことを前提とした暗号を作成するような人物だ。狡猾で、情性に乏しく、残酷な判断をも厭わない人間性は一貫している。でも、そんな人が、本当にアシリパさんのお父さんなのか?
黙り込んでしまった私に杉元さんが続ける。
「俺たちはこれから網走監獄に行く。白石を使ってのっぺら坊に直接会って確かめるつもりだ」
「……私も見届けたい。どんな結果になってもアシリパさんの力になりたい」
「ナマエさんならそう言ってくれると思ってた」
杉元さんが笑う。久々に会ったのもあるかもしれない。その優しい笑顔を見るのが少し気恥しくて、視線を囲炉裏の向こうのアシリパさんに逸らす。
アシリパさんは、大丈夫だろうか。おばあちゃんとオソマちゃんと一緒にいる姿は、本当にただの子供のように見える。もしのっぺら坊が本当にアシリパさんのお父さんだとしたら……こんな子供に、一体何を背負わせようとしているのだろうか。
翌日。久々にシャツに袖を通す。洋装はやはりなんだか背筋が伸びる。
「アットゥシも似合っていたけど、ナマエはその洋装が一番似合うな」
「本当?ありがとうアシリパさん」
「あぁ、とても格好良い」
看護婦養成所の制服が洋装だった名残で、私の仕事着は今でも洋装だ。しかし職業服とはいえ女性で洋装、しかもシャツにズボン姿は珍しく、周りから好奇の目で見られることも多かった。でも私はスカートやドレスタイプよりもズボンの方が動きやすくて好きだったし、軍服姿の男達に負けないぞ、という気持ちも少なからずあった。色々な思いが詰まった服をアシリパさんに格好良いと言われたのが嬉しくて、心がじんわりと温かくなった。
フチへお礼を言い、オソマちゃんと抱擁を交わす。「絶対また帰ってきてね」と涙と鼻水を流しながらたどたどしく言うオソマちゃんに、こちらも涙腺が緩んでしまう。
「谷垣、フチをよろしく頼むぞ」
「谷垣ももう怪我増やさないでね」
借りた馬に跨る。長い間お世話になったコタンを離れるのが寂しかった。帰る家があるというのが、思っていたよりも自分の心の支えになっていたことに気づく。ふと、売り払ってしまった実家が頭を過ぎる。一人で生きていくのだと、覚悟を決めてたつもりだった。
私が不安げな顔をしていたからだろうか。キロランケさんが笑いながら「札幌なんてあっという間だ」と声をかけてくれて、その気遣いに少しだけ胸が軽くなった。
