王子様と秘密のお嬢様 番外編

これは、ロゼッタがレオナと敬語で話さくなるきっかけを作った事件だ。

~夕焼けの草原~

咆哮に合わせて、砂の塊があちこち破壊していく。それは、近づくことも許さないと言うように近衛兵たちを牽制する。

きっかけは王の暗殺未遂だった。

しかし、その日は臨時の会議があり、そこには宰相や側近、将軍や第二王子も出席していた。結果、計画は実行と同時に失敗に終わった。

実行犯を束縛しようとした時のこと。犯人の一人が縄を解き兵士に刃を突き立てた。動揺が広がる中で王や将軍、第二王子が指示を出すが男の反撃を機に他の実行犯たちも行動を起こした。混乱はそう簡単には収まらない。

その隙に男は人質を探した。仲間を救うため、この場を乗り切るために必死だった。

”ここにいる奴らでは駄目だ。力はないが身分の高い者。”

男が中庭に目を向ける。たまたま通りがかったであろう女が歩いていた。仕える身分に相応しくない宝飾に滑らかな肌。服も汚れがなく上等に見える。そして見覚えがあった。事前に集めた情報の中にあった王族の関係者であろう人物

”見つけた、あの女だ”

男は窓から飛び降りた。縄を解いてここまでほんの数秒のことだった。それでも暗殺を生業としていた男にはその数秒でも容易いことだった。

落下途中で壁を蹴り、女との距離を一気に詰める。女が男に気づくより前に腹を一発殴り、気絶させた。だらりと力なく崩れ落ちる寸前に体を支えて首元に短刀を突きつける。

「全員動くな。動けばこの女の命はない」

冗談ではないと脅すために短刀を持つ手に力を込める。プツ、と皮膚が切れて赤い血が女の首から垂れた。召使の女が悲鳴を漏らす。

男は喉奥を鳴らした。想定通り、この女はそれなりの身分らしい。窓の向こうの奴らは身動き一つ取れそうにない。

「おいお前ら! 今のうちにこっちに、……おい」

仲間を呼び寄せようとして、異変に気づく。

やけに静かだ。静かすぎる。男が窓を飛び出す直前まであの部屋は混沌としていたはずだ。それがどうだろう。今では物音一つ聞こえない。

「俺の仲間はどうした」

その問いに答える者はいない。皆一様に口を閉ざす。その表情は青褪めているが、それが尋常ではなかった。まるで血が抜けたようなようだった。

「おい、お前ら状況がわかって」

カラン、と短刀が落ちた。男が力を抜いた覚えはない。

「・・・は?」

短刀を握っていた左手が失くなっていた。手首から先が、さらさらと砂粒になって消えていく。

「う、うわああああああ!?」

仲間のことも人質のことも、男の頭からは抜け落ちていた。女を投げ捨てて、自らの身体に起こった理解し難い状況に人目も気にせず叫んだ。女を落とした拍子に鈍い音がしたが、男がそれに目を向けることはない。

「なんだ、なんなんだよこれは! 誰がやりやがったんだ、ぁ」

怒りと混乱と、恐怖。それに支配されていたせいで、一瞬の判断が遅れた。

いつの間にここまで来たというのか、夕焼けの草原第2王子のレオナ・キングスカラーが男の前に立っている。その目は底冷えするほどに冷酷な色を宿していた。

レオナが男の頭部を鷲掴み、力の限りに投げ飛ばす。壁に叩きつけられた男は衝撃に咳き込みんだ。しかし、そのおかげで男は正気に戻った。そしてレオナに魔法を繰り出そうとし・・・

「_え」

こちらに迫り来る黒い塊に為す術なく、男は絶命した。悲鳴さえ上げなかった。それほどまでに圧倒的な殺意と憎悪だった。

男が人質に選んだ女は、レオナの婚約者であるロゼッタだった。その溺愛っぷりは凄まじいものだ。今までもギリギリ大事にはならない範囲で済ませられていたのは奇跡だったと後に王は語る。

レオナのロゼッタに対する愛情は異常とも言えた。

彼女の身辺警護にはレオナが信頼できる者だけを置き、さらにはレオナ自身が作り出した魔法具も用意した。

今回はタイミングが悪かった。まず先日に魔法具が壊れたせいで修理をしていたのだ。代わりのものを渡したが、その魔法具も今朝壊れてしまった。おそらくこの時から暗殺計画は始動していたのかもしれない。言いようのない不安に駆られたレオナはロゼッタに部屋から出ないよう言い聞かせていたし、彼女もそれを承諾した。

朝の出来事に引っ掛かりを感じたレオナがファレナに報告すると、ファレナも思うところがあったのか、早急に会議を開くことを命じた。いつもなら面倒だからと無視するレオナも、ロゼッタに関することだからと素直に応じた。

そして部屋で待機していたロゼッタ。しかし外の異変に気がついていた。何かはわからないが、ざわざわと嫌な予感に襲われる。

「ロゼッタ様、レオナ様がお呼びです」

扉の向こうからの女の声に、ロゼッタは今度こそ何かあったことを確信した。レオナはロゼッタを呼ぶ際に誰かを通すことはない。もしそういうことがあれば信用するな。そう言われていたからだ。

「扉のところに人がいたはずですが、その人たちはどちらに?」

「彼女たちなら他の仕事があるからとそちらに向かいました。さあ、早くレオナ様のところへ」

「(嘘だわ。少なくとも扉で控えているはずの方々はそう簡単に持ち場を離れない。レオナさんにそう言いつけられているから。つまり、この声の主が何か仕掛けたのね)」

ロゼッタは当たり障りないことを言いながら部屋から出ることを断った。その間に妖精を呼び出す

「ロゼッタ様、お早く。でなければわたくしがレオナ様に怒られてしまいます」

次の瞬間、ロゼッタは自分の行動が正しいことを知った。

女の声が止んだかと思えば、ガチャガチャガチャと鍵を弄る音が聞こえた。強硬手段に出たのだ。ロゼッタはすぐさま風の妖精であるシルフの力を用いて下に降りた。そしてレオナを探し始めた。何かあったときは彼を頼るのが一番、そう信じていたからだ。どこにいるかとあちこち見まわしていたため、ロゼッタは暗殺者に気づかなかったのだ。

いろんな要因が重なり、この状況を生み出した。ロゼッタがあのまま部屋に居続けても危なかった。だが結局は敵の標的にされてしまった。

しかし今のレオナにとっては、そんなのどうでもいいことだった。
ロゼッタが傷ついた。ロゼッタが血を流した。そして目を閉じたまま動かない。

レオナが我を失うには十分だった。ロゼッタを庇うように覆いかぶさりながら、唸り、怒りを露わにする。その目は血走り、裂けたように口を開け、牙が剥き出しになっている。その悍しい姿に全員の足が竦む中、王が命じる。

「動ける者はレオナを抑えろ! ただし無茶はするな!」

自分でも無茶苦茶なことを言っている自覚はあったが、そうするしかなかった。ファレナは歯軋りしながら中庭に続く廊下を走った。その後ろを慌てて将軍や近衛兵が追いかける。

部屋に残された者は震える手で掃除を始めた。部屋の床には大量の砂山がいくつも出来上がっていた。

中庭に降り立ち、ファレナ達はレオナと対峙する。レオナは国でも数えるほど優秀な魔法士だが、ここまでとは誰も思っていなかった。いや、忘れていたのかもしれない。なぜなら数日間の休暇でロゼッタがこの国に来てからレオナは非常に穏やかだったのだ。

それが今では変わり果てていた。ロゼッタという存在がレオナにとってはどれほどのものなのか、こんな機会に知ってしまうとは。近衛兵の一人が泡を吹いて倒れた。高い魔力に当てられてしまったようだ。

「ッ・・レオナ! 落ち着け! 私たちがわからないのか!?」

ファレナが声を張り上げてレオナに問いかける。しかしレオナは応えることなく唸るばかりだ。

「レオナ様お気を確かに!」

近衛兵の一人が前に出た。瞬間、将軍が彼を庇うように立ち、何かを唱える。同時にレオナが咆哮し、魔力の塊が襲い掛かった。将軍が咄嗟の判断で繰り出した防衛魔法と相殺されたお陰でことなきを得たが、近衛兵は腰を抜かしてしまった。将軍があと一歩遅ければ彼も先程の男と同じ末路を辿ったはずだ。

「油断するな。今のレオナ様は手負いの獣か、それ以上に厄介だぞ」

”大事な番が傷ついたのだからな。”

将軍は重々しく口にした。

正直、この状況は非常に不利だった。今の彼はオーバーブロットさえしていないもののそれすら時間の問題。早急に対処しなければ全滅の可能性だってある。

「王よ、如何いたしましょう」

暗にそれは、レオナを殺すべきだという進言だった。王に仕える軍人として、それは正しいものだ。

しかしファレナは即座に良しと言うことができなかった。まだ何か手はあるはずだと、打開策はなんだと考えていた。

時間がない。かくなる上は、と将軍が武器を構える。もし次にレオナが動けば、迷うなくその首を狙うつもりだった。

その殺気に気づいたレオナが将軍を見据える。その目からは黒のインクのような涙がぼたぼたと垂れていた。

「レオナ、さん……?」

すると、この場に似つかわしくない、子どもがぐずるような声が聞こえた

「ど、したの? なにかあった…?」

ロゼッタがゆるゆると目を開けて、自分に覆いかぶさるレオナに手を伸ばす。小さな声だったが、レオナには届いていた。動きを止めたレオナがロゼッタを見下ろした。目を大きく見開いているが、そこには確かに光が戻っていた。

「ロゼッタ? 無事なのか? お前、生きて」

「ふふっ。へんなレオナさん……いろんなところが痛いけど、生きてる」

レオナが震える手でロゼッタの頰を撫でる。それに甘えるように擦り寄って、ロゼッタは手を重ねた。

「レオナさんこそすごく痛そう。どうしたの?。なんだかこわい顔してる」

「ああ・・・ああ、怖かったな。大丈夫、大丈夫だから。もう何も、怖くないからな」

「レオナさんも、こわくない?」

「ああ、もう怖くねえよ。よかった、本当に、よかった」

譫言のようによかったと繰り返し、レオナはロゼッタの隣に倒れて気を失った。ロゼッタは瞬きを数回した後、意識がはっきりしてきたのか起き上がる。そして周りの惨状に目を開き「なにがあったの?」と言ったのだった

「とりあえず、どうにかなったな」

ファレナはその場に座り込んだ。安心して腰が抜けてしまったのだ。しばらく動けそうにない。

「一時はどうなるかと思ったが、やはりロゼッタさんはすごいなぁ。あのレオナが一瞬で大人しくなった」

ハハハと笑うファレナを呆れたように将軍がため息をついた。武器を下ろして、兵士たちに指示を出す。そしてファレナの隣に立ち、召使いたちに泣きながら抱きつかれるロゼッタと気絶しながらもロゼッタから手を離さないレオナを見た。

「番を大切に想うのは良いですが、あれはさすがに度を超えていますよ。あの方には力も、立場もある。この先同じことが起こらないとも限らない。その度にこんな暴れられては、命がいくらあっても足りません」

「そうだな。レオナにはちゃんと罰は受けてもらう。だが理由が理由だからな。多少は大目に見てやってほしい」

「そこは皆承知しています。厳しすぎる処分は求めていませんし、そもそも今回はこちらの警備の甘さが原因の一つです。我々にも処罰を」

「お前も大概大真面目だな」

「それで、レオナ様を今後どうするおつもりで」

ファレナは困ったように眉を下げ、頭をかいた。きっとどうすることもできないのだ。今回のことがあっても、「二人が仲良いのは良いことだ」なんて思ってしまうくらいには二人の関係は微笑ましく映った。

「レオナに気を付けてもらうしかないな! 今回のは本人も反省するだろう。今のレオナは一人じゃない。護るべき存在がいるんだ。自分の行動でロゼッタさんの安全が脅かされるようなら、なにがなんでも対処法を考えてくるだろうさ」

「……そんな簡単にいきますかね」

「いくだろうさ。案外アイツは単純なんだぞ?」

単純、だろう。番を傷つけられて怒り、大暴れするくらいには。

将軍はそう愚痴を言いたかったが、それは止めておいた。

とにかく今は状況の把握に努めなければ。王族暗殺の実行犯たちはレオナにより全員捕らえる必要が無くなったが、どこかに残党が生き残っているに違いない。その捜索もする必要がある。

部下たちに指示を出しながら、将軍はレオナたちに近づいた。あれほど周りを警戒し、威嚇し、すべてを破壊しようとしていた獣が番を離さないようにしながらスヤスヤと寝こけている。彼のここまで穏やかな寝顔を久しぶりに見たが、さっきの後では憎たらしくて仕方がなかった

強めにべシンと頭を叩いた。そばにいた侍女が「将軍様!?」と叫んだがこれくらいは許してほしい。

「まったく、昔から人騒がせな奴だなお前は」

ロゼッタが立ち上がるのに合わせて、将軍がレオナを担ぎ上げる。レオナの手がロゼッタから離れないようにとの、将軍なりの配慮だった。

「図体ばかりデカくなっても、まだまだ子供だな」

”それでも昔よりずっとマシな顔をするようになった。あとは加減さえ覚えてくれればいいんだが。”

「申し訳ありませんでした。部外者である私のせいで大変なことになってしまって」

隣でロゼッタが頭を下げる。

「謝らないでください。貴女は何も悪くありません。むしろ我々の失態です。責められるべきは私なのですから」

「レオナさんは・・・」

「彼も罰は受けるでしょう。ですがそう重いものではありません」

それを聞くとロゼッタは安心したように笑った。

「ありがとうございます。それと、私の部屋に誰かが来たんです。部屋に入られる前に逃げ出して、その結果こうなってしまったのですが、その」

「扉に待機していた者たちのことですね。わかりました、こちらで確認しておきます。ただ、怪我人の報告はありますが、死亡者はいないとのことです。きっと彼らも無事ですよ」

今度こそロゼッタは心からの笑みを見せた。

彼女のこの笑みを守ることも自分の使命だ。家族を亡くしたというのは使えている皆知っている。

”彼女の笑顔を二度と曇らせたくない”

休暇の間に彼女の人柄に触れた皆、そう考えていた。その為にはレオナにも生きていてもらわなければ。

「おいレオナ。これは将軍じゃない、お前の友人として忠告しておく。この方を泣かせるんじゃないぞ」

返事はない。が、パシン、とレオナの尻尾が将軍の鎧を叩いた。

後日、ロゼッタの敬語なしがよっぽど気に入ったのか、レオナはロゼッタに敬語なしで話すよう言った。この事件があったことにより、レオナとロゼッタの中はもっと深まったという。
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