王子様と秘密のお嬢様 番外編

「ロゼッタ」

学園の廊下を歩いていたときに、背後から愛しい人の声が聞こえた私は、立ち止まった。

「はい、何でしょう?レオナさん」

「俺の部屋に来てくれ」

殆どをレオナさんの部屋で過ごしているのに…何をするのだろうか、そう思いながら、レオナさんの部屋へと一緒に向かった。もちろん移動は恋人つなぎでだ。

部屋に到着し、渡されたものは…

「…爪切り?」

見慣れた形状のそれを見つめる。よく見れば高級そうな装飾が施されていて、持ちなれたものよりもずっと重たい。やはり彼は王族の方なんだなと改めて実感しているなんて知る由もないレオナさんは、敷物の上に腰を下ろして、立ち尽くす私を見つめた。

「ん」

当然のように差し出された手。今までそんなこと言ったことなかったのにどうしたのだろうか、そんな疑問を抱えながら、私はレオナさんの前に座る。

「失礼します」

切った爪を片付けやすいよう、雑誌を足元に開く。

フウと一回、深呼吸をした後、伸ばされた手にゆっくりと触れる。

ゴツゴツとした手。マジフトの練習でそうなったのか、レオナさんの体質なのかはわからない。聞けば教えてくれるんでしょうけど…

手の大きさは当然私のものよりもずっと大きくて、手首のあたりから少しだけ色が違う。これは手袋の上から日に焼けたからかしら。骨や血管が浮き出ていて男性らしいけれど、不思議とどこか上品らしい感じもする。

すらりと長い指を握って、普段触れない手を堪能していると…

「もう、満足か? princess」

「あ、ごめんなさい」

本人の許可も得ず見すぎたことを反省(レオナさんは怒ってなかったと後に判明した)し、改めて手元に集中する。

放置されていた爪は鋭く尖っていて、軽くひっかけただけで衣類などが裂けてしまいそう。

おおよそどのぐらいまで切るのか目安をつけ、爪切りをあてがう・・・

「あら?」

思ったところに刃が当たってくれない。道具は同じはずなのに、自分で切るときのようにスムーズにいかないのはなぜだろう。うねりながら試すこと数回。ようやく気付いた。向きが逆なんだ、と。

「レオナさん、ちょっと失礼します。」

「あ?」

爪切りを置いてレオナさんの両手を掴むと、軽く持ち上げる。バンザイに近い状態になったレオナさんを、茣蓙を書いた長い脚の間に体を滑り込ませた。硬い胸板に背を預けると、頭上から楽しげな声が降ってきた。

「・・・へぇ。いつもより、随分と積極的じゃねぇか」

「自分で切るときと向きが逆だったんです。やりにくいですから、この体制でも大丈夫ですか?」

「好きにしろ」

後ろでグルルと喉が鳴るのがくすぐったく感じる。怒られるかと思ったけど大丈夫そうなので、そのまま爪切りを続ける。

今度はうまくいきそう

ぱちん、ぱちん。

室内に小さな音が響く。他人の爪を切るなんて初めての経験だけれど、背中から伝わるぬくもりと心音に、少しずつ緊張が解けていった。

切りすぎないように、爪全体のバランスを見ながら丁寧に挟み込んでいく。いつの間にか背後からゴロゴロとご機嫌な音色が聞こえ始めた。

全ての爪が切り終わったので、今度はやすりがけに入った。少しだけ気持ちに余裕ができたので、手を動かしながら軽く話題を振ってみる。

「そういえば、ラギー君はどうしたんですか?」

途端に喉の音が止まった

「どうしてアイツの名前が出てくるんだよ。」

どうしよう。話題を間違えちゃったみたい。耳元で発せられる低く唸るような声に背筋が凍る。視界の端に移った窓の外は、暗闇に包まれていた。

「こういうことって、いつもラギー君がやってるんじゃないかって思って…」

ごめんなさい、と小さな声で謝る。何が気に障ったのかわからない。でも、この場の空気を放置すると、私はぺろりと目の前にいるライオンに食べられてしまう気がした。

身を固くした私に、レオナさんは少しの間沈黙を続ける。やがて、はあ、と気の抜けたため息をついた後、私の方にずしりと何かを乗せた。

「…別に怒ってるわけじゃねぇ」

どこか拗ねたような物言いに私は、レオナさんに見えないように微笑んだ。

思わずまだやすりがけの終わっていない手を解放し、肩に押し付けられた頭を撫でる。日の光をたくさん吸い込んだ髪は柔らかく、触れると花のような甘い香りがした。さっきまで牙を剥いていた、夜の怖い獣はいなくなったみたい。

するりとお腹に回された腕に力がこもる。閉めすぎないように加減されたそれが暖かくて、このまま身を任せてしまいそうになった。

じわじわとあふれてきた感情に、私は焼かれていく。暖かくて、少しだけ苦しい。優しい炎のようなそれは、やがて勢いを増し、私の全身を包む。

「続き、しますね」

「ん」

再び私はレオナさんの差し出された手を取って、レオナさんの爪を整える。

”誰かを傷つけることがないように。

 自分を傷つけることがないように。”

そんな願いを込めながら、私は爪を削り続けた。
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