呪術廻戦(五七)

「少しだけ眠らせて」
 彼はそう言って、七海の太ももの上に頭を載せる。彼の言葉はどこか不機嫌そうだ。抵抗は無意味だとこれまでの経験から熟知していた。七海が嫌がってみせても、断っても、五条は聞き入れない。特別な関係でもないというのに、五条は七海の太ももを枕にさせろとせがむ。
 七海は高専のソファに腰かけ、己にのしかかる重みを感じていた。ふたりの体温が接地面に篭もり、スラックスに包まれた肌はじわりと汗をかいていた。
 学生が現れてはふたりの姿を、いや主に五条の姿を見て笑い、職員たちは慣れた様子で見て見ぬふりをしながら過ぎ去っていく。
 置き去りにされているのだ、と七海は思った。
 五条が七海の膝枕をねだるたびに抱く思いを、七海は再び感じた。五条が七海をまともに見もせず頭を載せ、眠りに落ちるとき、七海はひとり世界に取り残されたような心地になる。
「この間さあ」
 唐突に発せられた五条の言葉に、七海はぴくりと肩を揺らした。
「起きていらしたんですか」
「サングラス、オマエの家に忘れたじゃん」
「ああ……一度高専にお持ちしたのですが、丁度アナタが留守で」
 五条はぼりぼりと髪を手で掻き、ぶっきらぼうに言い放った。
「アレ、蔓も歪んでたし、捨てていいよ」
「そう、ですか。……起きられたのなら、そろそろそこから退いてくださいませんか」
 五条が目隠し越しにじっと七海を見上げる気配がした。薄い唇がうっすらと開いて、何事か呟く。その言葉を聞き取ろうと、七海は顔を寄せた。
「――!」
 柔らかな感触が、七海の唇にあたる。ふに、と穏やかに押し当てられ、やがてそっと退いた。
「なに、を……五条、さん」
 七海は凍りついた表情を五条に向けた。五条は軽々と身を起こし、ソファから降りて床に立つと七海に背を向けた。
「んー? したかったから」
「なっ、……あまりにも、あまりにも無礼な振る舞いですよ、五条さん、さすがにアナタでも」
「嫌だった?」
「は?」
「僕さあ、七海のこと好きかもしんない」
 五条はまるで七海のことなどこれっぽっちも好きではなさそうに言い、七海から視線を外した。
 どうしろというのだ。アナタはいつもそうだ。
 七海は胸の内に湧きあがる熱を感じた。
 アナタは私と向き合おうとせずに、大事なことをまるで放り捨てるように言い放つ。いつもそうだ。言われたこちらの気持ちを考えたことが一度でもあるのだろうか。
 アナタの言葉を受け取るたび、アナタの無意識の拒絶を受け取るたび、アナタの不機嫌を受け取るたび、アナタの体温を与えられるたび、私は孤独になる。世界にひとり取り残される。
 この気持ちを、アナタは知りもしないくせに。
 私が隠し続けた想いを、アナタは容易く踏み躙る。
「……今回は水に流しますが、もう二度としないでくださいね」
 七海はサングラスをかけ直しながら、突き放すように言った。
「それだけ?」
「他に何か?」
「『好きだ』って言ったじゃん」
「『好きかもしれない』です。ふざけるのも大概にしてください」
 五条は肩を竦め、ロビーの片隅にある自販機に小銭を投入した。商品のボタンを押すと、間の抜けた電子音がふたりの間に響く。
「僕、結構真面目に言っているんだけどな。っていうか七海さあ、うっすら僕のこと嫌いだよね」
「は? どうしてそんな」
 五条は缶のプルトップを開け、ジュースを呷った。ふう、と息を吐いて宙に顔を向ける。
「だって僕といる時の七海、どっか不機嫌そうだから」
「それはアナタがいい加減な振る舞いばかりするから」
「ん~、そういうのじゃなくってさあ」
 五条は何事かを思い返すような表情をし、眉根を寄せた。
「多分七海も気づいていないと思うけど、七海僕といるときだけ……なんていうんだろうな、なんとなく不機嫌なんだよ」
 七海は苛立ち、思わず言葉を滑らせた。
「それはアナタもでしょう。アナタ、私といるときはいつもどこか不機嫌そうだ」
「え? 嘘」
 七海はじっと五条を見つめた。五条もまた七海を見つめ返す。喧騒が遠ざかる。
 ふたりしか存在しなくなった世界で、五条は口を開いた。
「七海といると、気を張らなくていいんだよね。だから、不機嫌そうに感じるのかも」
 七海は五条の言葉を受け止め損ね、戸惑った。
「つまりアナタは、私といるとき不機嫌では」
「オマエの前ではむしろ機嫌がいいのになあ。それが僕の素なんだよ、きっと」
 告げられた言葉の意味を理解した途端、七海はカッと頬が紅潮するのを感じた。きっとそれは眼前の彼にも筒抜けだ。
「アレ、もしかして、……もしかしちゃう? 七海が僕の前でだけ不機嫌なのってさあ」
「違いません。それ以上言わないでください」
 声が上ずる。耳が熱い。五条を正視できなくなり、七海は視線を逸らした。
「あれー? 七海もしかして結構、僕のこと好……」
「断じて違います!」
 五条が七海に近づき、七海の動きを封じるように眼前に立った。ソファから移動しようにも、五条の足が邪魔して立ち上がれない。
「ねえ、もう一回キスしていい? そしたら僕のこと好きかどうかわかるんじゃない?」
「それ、ただアナタがしたいだけでしょう」
「ははっ、ばれてた。じゃあ七海、僕を見てよ。僕オマエの顔が見たい」
 七海は、いやです、と消え入るように呟いた。
 ひとりきりの世界に、彼が足を踏み入れる。
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