呪術廻戦(五七)

 雑多な街だ。ここしばらく山奥の高専で過ごしていたせいか、五条はふとそんなことを思った。
 五条はサングラスのブリッジを指で押し、人々の間を縫って前に進んだ。溢れるほどのヒト、派手な色をした広告、左右に並ぶ店舗から漂ってくる混じりあった食べ物の匂い。そこかしこに残る残穢と人に憑りついた蝿頭たち。
 五条は足取りも確かに指定された改札口すぐそばのカフェに入り、窓際の席を確保した。紙のカップに注がれた紅茶を啜りながら、待ち人の姿を窓越しに探す。
 五分後、彼はせかせかとした足取りで改札から姿を現した。明るい色のスーツを着た彼は、手にしていたスマホをポケットに入れると眉根を寄せながら左腕に巻いた腕時計に目を遣り、やがてきょろきょろと周囲を見渡し始めた。その視線が五条のいるカフェで止まる。
 五条が「よ」と手を挙げると、彼も軽く手で合図し、店の出入り口に向かった。

 七海が持ってきたトレイにはサンドイッチが載っていた。食事をするだけの時間はここにいてくれるらしい、と期待した五条を牽制するかのように、七海は言葉を発した。
「十五分です」
「えー、短すぎ」
「仕方ないでしょう」
 七海はサングラス越しに目を細め、ビニールのパッケージを破った。五条は顔をあからさまに顰め、駄々をこねる子供のように唇を突き出した。
「僕ももっと七海に会いたい。大体今日だって何ヶ月ぶり?」
「呪霊が報告のあった地点から移動していたので長引いてしまったんです」
「どう考えたって会うペースが恋人同士のソレじゃないよ」
「人それぞれじゃないですか」
「もっと会いたい、イチャイチャしたい、デートしたい。この間オープンしたばっかりのお店で一緒に三段重ねのアイス食べて『オマエ頬っぺたにアイスついてるぞ♡』ってしたい」
 七海は表情を変えずにサンドイッチを咀嚼し、淡々と言った。
「だから言ったでしょう。『もっと会いたい』なら、術師を相手に選ぶべきではないんですよ」
「でも僕は七海が好き。好きすぎてどうにかなりそうなくらい好き。七海以外なんて考えられない」
「はぁ」
「反応うすっ」
「慣れたんですよ」
「慣れるなよ。もっとこう、顔を赤くして恥じらうとかさぁ」
「誰が私のそんな顔を見たが……いえ、愚問でした」
「僕」
「でしょうね」

 七海は肩を竦め、窓の外に目線を遣った。五条は紅茶を飲みながら、じっと七海の横顔を見た。すっと通った鼻筋、今はサングラスで隠されている涼やかな目元。固く結ばれた唇が綻び、五条の名前を熱っぽく呼ぶ彼の姿を知っているのは僕だけだ、と五条は内心で考え、胸が満ち足りる感覚を抱いた。
「七海。週末空いてる?」
「なにかありましたっけ」
「僕たちが付き合って二周年記念、祝いたくない?」
 五条は両手の指を二本ずつ立ててみせた。
「……先週でしたね」
「え、七海覚えていてくれたんだ」
 七海は虚を突かれた表情を浮かべ、やがて頬が紅を刷いたように紅潮した。
「そのくらいは私だって覚えていますよ」
「うれしーなー」
 七海は気まずそうに俯き、ぼそりと呟いた。
「正直、これほど私たちの関係が続くとは思っていませんでした」
「そう」
「またアナタの気まぐれ……それか、好奇心かと」
「えー、僕ずっと言ってたじゃん。七海が好き、大好きって」
 七海はこめかみを指先で掻き、呆れを滲ませながら言った。
「アナタの言葉、どこか軽薄なんですよ」
 五条はテーブルに肘をついて両手を組み、顎をのせる。
「僕は七海が好きだよ。とっても好き。七海も僕のこと好き? 好きだよね? ねえ」
「こんなところでそんなことを訊かないでください」
「え、じゃあどんなところ――」
 五条の言葉に割り込むように、着信音が鳴った。七海はスマホを胸の内ポケットから出すと、画面に表示された着信元を確認して、小さくため息をついた。
「五条さん、少し失礼します」
「いいよ、ここで」
 七海は頭を下げ、電話に出た。
「――はい、七海です。ええ、……はい、え? 前任者は? はい、……はい、いえ、はい……支障ありません。そうですね、それが一番かと。いえ、お気遣いなく。はい、――では、現地で。駅ですか? ……それが確実かと。ええ……失礼いたします」
 電話を終えた七海は腕時計をちらりと見てから、窺うように五条を仰いだ。
「五条さん、申し訳ないのですが」
 五条は紙のカップを手でもてあそびながら、首を傾げた。
「次の休みはいつ? また美味しいもの食べに行こ」
 七海はほっとしたような表情で、「空いたらまた連絡します。美味しい酒も忘れないでくださいね」と答えた。
 七海は立ち上がり、胸ポケットに手を差し入れた。平坦な口調で、五条に声をかける。
「五条さん、よければ手を開いていただけませんか。こう、掌を上にして」
「なになに。いいよ」
 五条はテーブルの上に置いた右の掌を上に向けた。なにかを掴んでいる七海の手が五条の掌の上に重ねられ、開いた手を押しつけられる。
 ひんやりとした冷たい感触、硬い手触り。金属だな、と思う間もなく七海は立ち去り際、五条に囁いた。

「私だって、二年続いて嬉しいんですよ」

 七海の姿が背後に消える。五条は掌に載せられた金属を指先で摘まみ上げた。これは、どこからどうみても――
「やっぱりかわいいなあ、七海はさ」
 五条は七海の家の合鍵を摘まんだまま、窓の外を歩き去る七海を見送った。普段は色の白い耳が、真っ赤に染まっている。
 ――ああ、あの耳にかぶりつきたいなあ。
 五条はポケットからスマホを取り出し、迷いなく電話をかけた。
「……あ、伊地知? 七海のさあ、……そう、七海。七海の週末の予定全部キャンセルして。え? 煩いなあ、そんな大声出さなくても聞こえてるってば。いい、いい。それ全部僕がするから。じゃ」
 五条はスマホをテーブルの上に放り出すと、両手を頭の後ろで組んだ。

 ――さあ、どうしてやろう。無理矢理こじ開けるのは趣味じゃない。どろどろに甘やかして、溶かして、溶かし尽くして彼の頑なな精神と肉体の鍵を開け、そして彼の奥底に隠された想いを探り当ててやろうか。

 五条は弧を描く唇も隠さず、喉の奥で笑った。
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