呪術廻戦(五七)
同棲規則
「……同棲ではありません。直ちに文字を修正してください」
「え? なに言ってるの七海」
「これは同居です、同居」
「ひどい」
「ひどくありません」
「ひどい……」
***
『同居規則』
一つ、合鍵は渡すがここはあくまで七海の部屋と心得よ
一つ、ベッドを使った人間がシーツを交換する
一つ、ゴミ捨てができない場合、必ず連絡する
一つ、必要なものは各々で購入するが、七海に相談せず家具を買ってきてはならない
一つ、五条は七海に挿入してはならない
***
あつい。身体がどろどろと溶けてしまいそうだ。溶けたあと、なにが残るのだろう。この熱では背骨さえ残っていないかもしれない。ああ、指先の骨でも残っていたら、この人はその骨を後生大事に抱いてくれるだろうか。
「……み、ななみ、飛んだ?」
指の腹が七海の頬を撫でる。七海は緩慢に首を横に振った。飛び散った汗がシーツに吸われる。
「だい、じょうぶ、です……」
七海は目を瞬かせ、己に覆いかぶさっている五条を見上げた。彼の白い髪は汗でへたり、首筋にへばりついている。彼の長い指が七海の胸の尖りを押しつぶした。全身がその刺激に震える。彼の指が身体のどこかに触れるだけで、七海の身体は悦び、なにもかもさらけ出してしまう。
七海の性器は限界まで張りつめ、解放されるときを今か今かと待ち望んでいた。
五条の唇が七海の唇に重なる。濡れた柔らかな感触が、口、口角、頬、耳と連続して与えられる。白髪が七海の鼻先をくすぐった。彼の頭が七海の首筋に埋もれる。
甘い香りが、七海の脳を痺れさせた。五条が纏う彼自身の香り、七海を狂わせ啼かせる大好きな匂い。
彼が耳元で囁く。
「ねえ七海、気持ちいいね。……こっちもすると、もっと気持ちよくなるよ」
彼の指先が七海の尻のあわいを辿り、秘められた口を指先で軽く押す。七海の腹筋が痙攣した。彼の指にすっかり慣らされた口がひくつく気配がする。
「む、り……です」
「もう三本、指が入るからいけるって」
「はいりません……。と、いうか」
七海は熱い吐息を漏らし、身を捩った。
「……そもそも私はいつ、そこへ指を入れていいと言いました?」
「えーっと」
「私が前後不覚になった隙に、アナタがいつも勝手に入れているだけですよね?」
「ななみぃ」
七海は身を起こすと、深々と溜め息をついた。七海につられてベッドの上に座りこんだ五条へためらいなく手を伸ばし、足の間で勃っている五条自身を手で包み込んだ。指先で裏筋を辿り、濡れる先端を擦ってやる。五条が音を立てて唾を飲みこむ気配がした。
「アナタのこれ、大きすぎるんですよ。絶対に入れたくありません」
七海は声を低くし、目に力を籠め五条を睨みつけた。
「今度入れようとしたら、私はこれを握り潰しますからね」
そう言いながら性器を握る指に力を籠めると、五条は「ハァイ」と負け犬のような甲高い鳴き声を漏らした。にも拘らず、手の中の性器が萎える気配は一切ない。
五条は軽薄な笑みを浮かべながら、再び七海の肩を押してベッドに横たわらせると、顔面にキスを降らせてきた。
「七海、舐めてあげるから続きしよ?」
好きなところ舐めてあげる、僕に舐められるの好きでしょ、気持ちいいね七海、と首筋に歯を立てる。あ、誤魔化したなこの人、とは思うが七海自身も先程から限界を訴えている。
「……五条さん、」
「ん?」
「物足りないですか」
私とのセックス、と七海は呟いた。
五条はしばし動きを止め、やがてそっと七海に口づけた。
「全然、十分、大好き。僕はハッピーだよ。七海が生きてくれているだけで、僕は十分すぎるくらいに幸せなの」
そうですか、と七海は五条の肩に手を這わせた。
「五条さん。……私を、見ながら」
舐めてほしいです、と囁く。その言葉に、五条の瞳が妖しく光った。深く吸いこまれそうな瞳だ、と七海は改めて胸の内を震わせる。
五条さんが好きなのだ、と己の足を開かせる掌の感触と体温を享受しながら声なく呟いた。
頻繁にこの人はどうしようもない人だと確認する羽目に陥るのに、私は彼のことがどうしようもなく好きなのだ。
五条さん、アナタはどんな顔をするのでしょう。
近頃私の腹の奥底が無性に疼くのだといったら、アナタはどんな顔を。
七海は己の身体を支配する熱に身を委ねる。汗のにじむ額を手の甲で拭い、五条の深い空色の瞳と視線をあわせ、喉の奥から生まれる甘い声をとめどなくあげた。
***
労働はクソだ。
恋人に
『ねえねえ、七海。ねえねえ、来月のこの日は何の日? そう正解、この僕、悟くんの誕生日で~す! なんと僕はこの日がお休みです! 超多忙なエリート・ビジネス・パーソン七海くんもたまには休みを取って一日一緒にいてくれるよね? ね?』
と(それはもうしつこく)せがまれて渋々、労働者の権利たる有給休暇を取得しようとしたら、前日――いやもう今日だ、当日の午前三時まで会社に残ってマーケットの数字を眺めながら無限に書類を作成する羽目に陥るのだから、つくづく労働はクソだ。
エナジードリンクを三本空にしても誤魔化せなくなった眠気に耐えかね、畳んだタオルを目元に置いてデスクの椅子で仮眠を取っていた七海は、足をすくう揺れに飛び起きた。ぐらりと建物が揺れ、周囲の物が落下し床に散乱する。
七海は思考する間もなく反射的にデスクの下に身を隠した。
(身体だけが、あの日々をおぼえている)
寝起きのぼんやりとした思考を、首を振ることで払い、デスクの足を強く掴んだ。地震か、と判断した強い揺れはしかし一瞬で止んだかと思うと、騒音と共に不規則に繰り返される。
揺れは階下からきているようだった。位置を変え、場所を変え、階層を変え――そうまるで、階下で呪霊と呪術師が戦闘しているかのような――瞬間、七海はデスクの下から飛び出し、背を屈めたまま窓際に走り寄った。硝子越しに外を眺める。
「ちっ、」
一般人を内部に残したまま帳を降ろすな、と毒づいた七海はそれが八つ当たりであることを自覚していた。
急いで自席に戻り、ジャケットと鞄を掴む。一直線にエレベータホールへ向かった。
やむを得ない事情(どうせ天災かガス爆発だ)により、七海建人、退勤します。
七海はエレベータホールに辿り着き、ボタンを押そうとしたところで己の判断の過ちを悟った。上昇してくるエレベータ、隣の階段の奥底から駆けあがってくる人間の足音。階段にいる人間らしき存在の方は七階ほど下だろう、一方エレベータの表示は七海の三階下。このまま上階まで通り過ぎてくれよ、と祈りながら七海は鞄を傍らに投げ捨て、ネクタイを解いてポケットにしまった。全身に漲る呪力を感じながら拳を握る。さあ、呪霊はどちらだ。エレベータか、階段か、或いは両方か。
エレベータの階数が七海のいるフロアを示すと同時に、間抜けな到着音が深夜のホールに鳴り響いた。中には――
巨大な蜘蛛の形をした異形を認めた瞬間、七海の術式が発動する。七海の目は弱点を見出す。同時に呪霊の口から糸のようなものが勢いよく吐き出された。屈んで躱し、踏み込む。七海は敵の懐に潜り込んで拳を振り上げた。弱点を的確に貫いた拳に敵は絶叫し、のたうった。
――始末した、か。
その油断に付け込むように、呪霊は口から黒くもったりした体液を周辺にまき散らした。
「くっ」
毒か、酸か、と顔を庇って液体を被った左手を振るう七海を尻目に、呪霊は消失した。同時に、かけられた液体も姿を消す。
「なんだったんだ……」
只の箱と化したエレベータから退避し、ホールに立ち尽くす。七海は己の左手の甲をしげしげと眺め、傷や呪いが残っていないことを確認した。深く息を吐く。
酷く懐かしい、過去の残り香を嗅いだ気がした。
「はぁっ……、はぁっ……、は、は、はぁっ……」
ぜえぜえと息も絶え絶えに遅れて階段を上ってきたのは、呪術高専の制服を着た線の細い少年だった。
「君はもう少し、基礎トレーニングを積むべきでしょうね」
「はぁっ、へっ!?」
「体力の残っていない状態でどうやって呪霊と戦うのです」
構えを取る頬の赤い少年に微笑み、七海はジャケットのボタンを直した。足を震わす少年の頼りなさに、心が疼く。彼もまた、五条の教え子なのかもしれないなと、ふと思った。
「申し訳ありません、アナタの仕事を横取りしてしまったようだ」
「……えっと、」
「ああ、挨拶が遅れましたね。私は七海と申します。かつて呪術高専に在籍していました」
「あっ……そう、なんですか。えっと、呪霊、祓っ……」
「祓いました」
「あの、」
「補助監督はどなたですか」
「伊地知さんです、あの」
「それはよかった。君は戻って七海が祓ったと――いや、私の名前は余所に出さないよう私からも連絡しておきます」
「その、」
「ん? なんでしょう」
少年は赤い顔をして俯き、もじもじと口を開いては閉じ、やがて覚悟を決めたように言葉を発した。
「あの、もしかして、体液、……浴びました?」
「呪霊のですか? そういえば、死に際に」
少年の顔が燃え上がるように赤くなる。耳の先まで真っ赤だ。
「その、言いづらいんですが、あの呪霊の体液には催淫効果があって――」
「は?」
「さ、催淫……。その……」
少年は俯いたまま早口で告げた。
「六時間もあれば抜けると思います」
七海は思わず腕に嵌めた時計に目をやった。
「……そうですか。情報提供、ありがとうございます。アナタはもう帰りなさい。私は大丈夫です」
「えっと、高専に治療に行くなら」
「いえ、結構です。くれぐれも、この件は内密に」
少年は頭を下げ「失礼します」と言うや否や階段を駆け下りていった。
七海は己の服を整え、乱れた髪を両手で撫でつけた。鞄を拾い、エレベータのボタンを押す。閉じていた扉が開く。白々とした光が灯る箱の中に入って「閉」を押し、そのまま一階のボタンを連打した。
――労働はクソだ。そして呪術も大概クソだ。
***
あつい。今にも叫びだしてしまいそうなほどに。
震える声を押し殺してなんとかタクシーの支払いを終え、七海は自室のある階を目指してマンションのエレベータに乗った。
「っはぁ、はっ……」
己の吐息の甘さに嫌気がさす。足に力が入らずもたれ込んだ奥の鏡には、頬を紅潮させ、殺気だった眼を光らせる男が写っていた。
這うように自室に辿りつき、言うことのきかない手を内心で罵りながら鍵を回した。渾身の力を振り絞って己の部屋の玄関に倒れ込み、ドアを閉める。鍵を回しきり、安全圏に退避できたと七海は心底安堵した。乱れた髪が目元に落ちる。
「……はっ、あ、ぁ」
心臓が煩く脈打っている。潤む瞳で、薄暗い廊下を見た。廊下は明かりが煌々と灯るリビングへと続いている。光を背負った大きな人影が、境に立っていた。
「七海」
催淫効果とやらのせいなのか、久しぶりに呪術を使ったせいなのか。七海の肉体も精神も、異様なほどに高揚していた。そして古びた物差しを取り出したことによって、改めて思い知る。己の前に立つ存在が持つ生来の強さを。
「ななみ」
この獣は捕食者だ。間違いなく、世界で唯一の。そして私は被捕食者なのだ。恐怖で逃げ出すこともできず、只己の首筋を贄として静々と彼の前に差し出すことしかできない――。
「大丈夫?」
五条はすたすたと玄関まで歩き、蹲る七海の前にしゃがみこんだ。冷えた指が七海の頬を撫でる。
「無茶しないでよー、現場久しぶりでしょ? 心配しちゃう。お風呂入れそう?」
「全て、筒抜け、ですか」
五条は首を傾げ、明後日の方向を見つめた。
「え、っていうかいっつもみんなに? 七海がかわいー、かわいーって言ってるしさあ、七海に何かあったら即座に連絡してって皆に言ってるからさあ、伊地知が電話してきた」
七海は心のなかで高専の方角に向かい土下座した。
「……浴びます、シャワー」
もぞ、と身じろぎジャケットを脱ごうとする七海を五条の手が助ける。受けとったジャケットを腕にかけた五条は、風呂場に向かう七海のうしろにぴたりと寄り添ってきた。七海は振りむき、眉を寄せる。
「なにか御用ですか」
「んー、お風呂場で倒れたら危ないから、ドアの前で監……見守ろうかなって」
「いま監視って言いましたよね」
「言ってない」
はあ、と七海はどこか甘い息を吐いた。
「いいですから、五条さん。私に構わないで。……ベッドで、待っていてくれますか」
俯く七海の首筋に鼻先を一瞬埋めた五条は
「うん」
と返答した。
「七海、水飲む?」
「飲むので、置いておいてください」
「了解」
***
冷たいドアノブを回すと、扉は抵抗なく開いた。湿った髪のまま、照明の抑えられた薄暗い室内に入る。ベッドの脇に置かれた机の上にミネラルウォーターのボトルがあった。迷わず近づき、蓋をねじって水を一息に呷る。冷蔵庫から出されたばかりの冷え切った水が熱の冷めない身体に送り込まれ、ぞくぞくと背筋を逆立たせた。胃の形さえ分かりそうだ、と腹に与えられた刺激に思う。
「ははっ、七海。ガチガチだ。話は本当だったんだね」
悪戯に七海に触れる腕を退け、七海はベッドに腰かけた。スプリングが控えめに音を響かせる。
寝そべったまま肘をついて頭を支えていた五条は、身体を起こすと七海を背中から抱いた。ふわりと五条の香りに包まれる。
耳元にキスを落とし、五条は囁く。
「いいよ、七海。今日は僕が全部してあげるから。横になってなよ」
七海は肩を掴む手に従ってベッドに横たわり、覆いかぶさる男を見上げた。
「体液を浴びたのはいつ?」
「三時二十七分」
「効果は?」
「約六時間」
「そっかー」
ちらりと枕元の時計に目を遣った五条は、着ていた上半身の服を脱ぎ捨てると、舌で赤い唇を舐めた。きゅう、と空色の目が細まり、唇が弧を描く。
「やりまくろーね、七海」
目を閉じた七海の口から、熱い息が漏れた。
***
ありとあらゆる体液とローションの染み込んだシーツを力の入らぬ指先で引っ掻き、七海は腰を震わせた。傍らに落ちている枕は噛み跡だらけで、唾液を吸った部分がてらてらと光っている。
未だ暗い外と部屋を隔てる窓には、室内で蠢く獣が写っている。
果てなくまぐわい続ける獣が、二匹。
「集中して、七海」
焦点のあわない瞳で窓を見つめていた七海の尻を、五条が軽く叩く。張りつめ続ける前が痛くて堪らなかった。
何度もいかされたことで七海の性器は赤みを帯び、「もう、前を触られるのは痛い」と息も絶え絶えに訴えたら、五条はぬめる指を七海のうしろに嬉々として挿入した。
「ここが七海のいいところなんだよ」
という言葉通り、腹側の一点を五条の指の腹で擦られるたび、七海の腰は跳ね、足の指先まで走る快感が全身を貫いた。
動きの鈍くなった身体を動かし、七海はぐしゃぐしゃになったシーツの上で仰向けになった。はぁ、は、と切れ切れの息を発する。全身が汗とローションで濡れぼそり、声は掠れ、それでも身体に刻み込まれた熱は一向に醒める気配がなかった。
五条が七海に覆いかぶさる。首筋を舌が這う。五条の香りが七海の鼻をくすぐり、七海の胸は絞り上げられるように痛んだ。
指が再び七海の中に侵入する。七海の最奥は一切抵抗せず、それどころか五条の指の訪いを喜び、指へ吸いつくように壁が絡みついた。
私はこの人が好きなのだ、と靄のかかった理性が言葉を生む。
どうしようもなくこの人が好きなのだ。だって彼の体温を感じると喜びのあまり涙腺が緩む。彼の大きな手が私の胸を這うたびに鼓動が高鳴る。彼の瞳が私以外をうつしていないという事実は、私の胸を暗い悦びで一杯にする。
シーツに頬を擦りつけ、七海は喘ぐように息をした。
「七海、大丈夫? ここ、気持ちいーね。もう玉がこんなに上がってる。またイク?」
そして私と五条さんの間にある愛やら執着やら、この言葉にならない感情はまだ進む余地を残している。
――嫌だ、怖い。この身体を一片の残りすらないほど明け渡し、彼を受け入れることは酷く怖い。彼の全てを手にすることが、酷く怖い。言うな。言ったら彼は。
彼は、私を喰らい尽くす。
言うな。
「ん? どうしたの」
「ごじょう、さん」
唇が。唇が、勝手に動く。互いの唾液で湿っている唇、舌が歯に当たる。もうこの口の中にある唾液が私のものか五条さんのものかさえわからない。なにもわからないのだ、世界は熱でぐちゃぐちゃに乱れ、惑う指先はたったひとりしか求めていなくて、私を救えるのは、あなただけ。
「五条、さん。……は、奥が」
「奥?」
「おくが、疼くんです」
こっち? と長い指先が七海の奥を探る。七海は焦点のあわない瞳で、五条を見上げた。興奮で色の変わった五条の瞳をじっと見つめる。
「もっと、……もっと、奥、が」
伸ばした足で五条を挟む。彼の瞳がきゅう、と細まった。体内を暴いていた指が、濡れた音と共に抜かれる。体の一部を喪失したかのようなその感覚に、七海の腹が痙攣した。
「ねえ、七海」
長時間煮詰めた蜜のような声が、七海の身体にとろりとかけられる。
「指だと、その『奥』は触ってあげられないよ」
五条が左手を伸ばし、七海の手首をまとめて掴み、シーツに押し付ける。彼が屈みこみ、互いの口と口が近づく。五条の吐息が、七海の肌に触れ産毛を揺らした。
「は……い」
「でも七海はさあ、もっと奥を触ってほしいんだね」
「……は、い」
五条に回した力の入らぬ足で、彼を引き寄せようとする。すると左ひざの裏に、五条の右手がかかった。互いの肌が、汗でぬめっている。
「自分が何を言っているかわかってる? 七海」
はい。七海は声なく返事をした。
ああ、もういい。五条さん、あなたは獣なのだ。強大な力を持つ世界で唯一の王、孤高の肉食獣。どうか一息に
「五条さん、あなたがしたいことを、私にしてください」
喰らい尽くしてくれ、この身体を。頭から骨ごと全部。私のすべてを、どうか貪ってくれ。
「愛してるよ、七海」
***
苦しい、と七海は喘いだ。
「息んで、七海。そう、上手」
己の後孔をこじ開けられる感覚。ずるり、と体内に異物が侵入する。ぬめりの力を借りて、七海の腹は五条の先端を飲み込んだ。
背筋を鈍い痺れが駆け上がる。
「……っ、はぁっ、あ。あぁ、ごじょ、……さ、ん」
ずるずるとどこまでも入ってくる硬直。
「ごじょ、さん……くる、し」
腹の圧迫感に七海は呻き、五条の肩に爪を立てた。
「んー、あともうちょっと、ね」
巨大な存在が七海の腹を拓き、ぴたりと動きが止まる。
「今日はここまでにしようね」
まだ終わりがないのか、と七海は嘆息した。額に浮かんだ汗の粒が流れ落ち、シーツに吸いこまれた。
「はは、気持ちいー。七海、どこ。ここを突いて欲しいの?」
「ひっ、……あ、うっ……」
初めて内部で感じる鮮烈な刺激に、七海の身体が跳ねる。全身の毛が逆立つ。自ら望んでいたとはいえ
――あまりにも強烈すぎる。
「むり、無理です、五条、さ」
「んー、でもこっちは気持ちいいって言ってるよ」
限界まで張りつめた七海の性器の先端からは、色の薄くなった液体がだらだらと流れ落ちていた。もうすべて絞りつくされたと思っていたのに。
ずるり、と五条の性器が引き抜かれ、再び緩慢な動きで七海の奥を抉る。
「ひっ、あぁっ、んん……」
シーツを握りしめ、五条の動きに耐える。様子を探るように、しばらく緩やかな動きを繰り返していた五条は、大丈夫だと判断したのか、やがて七海の奥を速いペースで突き上げるようになった。七海の濡れた内壁が五条の性器に絡みつく。五条の汗が、白い毛先からぽたりと七海の肌に落ちた。
「あっ、う……ひっ、あぁ、ん」
興奮している五条に、七海も煽られる。奥を突かれると背骨を電流が伝う。腹の奥から、終わりのない快楽があふれ出す。
七海は足を開き、際限なく甘い声を上げた。人の言葉などとうに忘れてしまった。五条の手が七海の手を絡みつき、シーツに両手を押しつける。五条の腰の動きが速くなった。
「あぁ、七海」
ななみ、と彼が甘い声で囁いた。
もういきそう、という言葉に頷きだけを返し、七海は己に覆いかぶさる身体へ足を回した。力を籠めて五条の掌を握り返す。
五条は一層激しく腰を打ちつけ、やがて動きを止めた。微かな震え。吐き出された彼の熱を体内で感じる。
七海の瞳から、止まらなくなった涙があふれ出て、伝い落ちた。
***
身体を支配する鈍い痛みを最初に感じた。
七海は目を開けようとして、瞼の抵抗に気づく。指を目元に運び、目をごしごしと擦った。涙やらなんやらでくっついているようだ。
瞬間、昨夜の記憶を思い出し、七海は赤面しながら目を開けた。窓と外の景色が視界一杯に飛び込む。
ベッドに横たわっていた七海は、肩までかけられていた毛布に包まれたまま、髪をかきむしった。
窓の外には、一面の夕焼けが広がっている。
本当に夕方か、と訝りながら七海は枕元の時計に目線を遣り、指し示している時刻に肩を落とした。
七海は痛みを訴える全身になんとか言い聞かせ、身体を起こしてベッドに腰かけた。喉も、腰も、あらぬところも全て痛い。というか、ただひたすらに怠い。
サイドテーブルに置かれていたペットボトルの水を呷り、七海は頭に手を当てた。
――遂に、越えてしまった。五条さんとの一線を。
「あ、七海起きた? 身体の調子、どう?」
部屋を覗いた五条が、ベッドに腰かける七海に近づいた。七海の正面に立った彼は、屈んで七海の頬を撫でた。
「……申し訳、ありません」
掠れて酷い声だ、と七海は顔を顰めた。
「え、なにが?」
五条は訳がわからないといった表情を浮かべ、七海の金髪を指で梳く。
「折角のあなたの誕生日なのに、一日中寝ていて」
「あ、そんなこと? いいよいいよ。それにもう凄すぎる誕生日プレゼント貰っちゃったし……痛、痛い、待て、ストップ七海っ、無言で蹴るのやめて怖い、その目が怖い」
五条は手を伸ばして七海と距離を取ると、ふと真顔になり、やがて口元を綻ばした。
「ねえ七海、僕今からケーキ買ってくるね。なにか欲しいものある?」
それはもう、大量の酒。と思わず口にしそうになった言葉を七海は堪え、笑みを顔に浮かべた。
「あなたが、私と、今日食べたいと思ってくれるもの」
胸元にぶら下げていたサングラスを手にした五条は、「りょーかい」と返事をし、七海の頭を数度撫でてから部屋を出た。
玄関の扉が閉まる音を聞きながら、七海は顔を己の掌に埋めた。
ああ、クローゼットの奥から五条さんへのプレゼントを出してこないと。
七海は身を縮め、震えるように笑った。こみ上げる笑いは止まらず、全身を襲う。
プレゼントを出してこないと。ああ、労働も呪術師も呪術もすべてクソだ。この世界はろくでもないことばかりだ。
しかしあの人と暮らせるこの日々は、確かに幸福の形をしている。
七海はまるで泣くように、終わりなく笑い続けた。
***
『同棲規則』
一つ、合鍵は渡すがここはあくまで七海の部屋と心得よ
一つ、ベッドを使った人間がシーツを交換する
一つ、ゴミ捨てができない場合、必ず連絡する
一つ、必要なものは各々で購入するが、七海に相談せず家具を買ってきてはならない
一つ、許可が下りた場合、五条は七海に挿入してもよい
「……同棲ではありません。直ちに文字を修正してください」
「え? なに言ってるの七海」
「これは同居です、同居」
「ひどい」
「ひどくありません」
「ひどい……」
***
『同居規則』
一つ、合鍵は渡すがここはあくまで七海の部屋と心得よ
一つ、ベッドを使った人間がシーツを交換する
一つ、ゴミ捨てができない場合、必ず連絡する
一つ、必要なものは各々で購入するが、七海に相談せず家具を買ってきてはならない
一つ、五条は七海に挿入してはならない
***
あつい。身体がどろどろと溶けてしまいそうだ。溶けたあと、なにが残るのだろう。この熱では背骨さえ残っていないかもしれない。ああ、指先の骨でも残っていたら、この人はその骨を後生大事に抱いてくれるだろうか。
「……み、ななみ、飛んだ?」
指の腹が七海の頬を撫でる。七海は緩慢に首を横に振った。飛び散った汗がシーツに吸われる。
「だい、じょうぶ、です……」
七海は目を瞬かせ、己に覆いかぶさっている五条を見上げた。彼の白い髪は汗でへたり、首筋にへばりついている。彼の長い指が七海の胸の尖りを押しつぶした。全身がその刺激に震える。彼の指が身体のどこかに触れるだけで、七海の身体は悦び、なにもかもさらけ出してしまう。
七海の性器は限界まで張りつめ、解放されるときを今か今かと待ち望んでいた。
五条の唇が七海の唇に重なる。濡れた柔らかな感触が、口、口角、頬、耳と連続して与えられる。白髪が七海の鼻先をくすぐった。彼の頭が七海の首筋に埋もれる。
甘い香りが、七海の脳を痺れさせた。五条が纏う彼自身の香り、七海を狂わせ啼かせる大好きな匂い。
彼が耳元で囁く。
「ねえ七海、気持ちいいね。……こっちもすると、もっと気持ちよくなるよ」
彼の指先が七海の尻のあわいを辿り、秘められた口を指先で軽く押す。七海の腹筋が痙攣した。彼の指にすっかり慣らされた口がひくつく気配がする。
「む、り……です」
「もう三本、指が入るからいけるって」
「はいりません……。と、いうか」
七海は熱い吐息を漏らし、身を捩った。
「……そもそも私はいつ、そこへ指を入れていいと言いました?」
「えーっと」
「私が前後不覚になった隙に、アナタがいつも勝手に入れているだけですよね?」
「ななみぃ」
七海は身を起こすと、深々と溜め息をついた。七海につられてベッドの上に座りこんだ五条へためらいなく手を伸ばし、足の間で勃っている五条自身を手で包み込んだ。指先で裏筋を辿り、濡れる先端を擦ってやる。五条が音を立てて唾を飲みこむ気配がした。
「アナタのこれ、大きすぎるんですよ。絶対に入れたくありません」
七海は声を低くし、目に力を籠め五条を睨みつけた。
「今度入れようとしたら、私はこれを握り潰しますからね」
そう言いながら性器を握る指に力を籠めると、五条は「ハァイ」と負け犬のような甲高い鳴き声を漏らした。にも拘らず、手の中の性器が萎える気配は一切ない。
五条は軽薄な笑みを浮かべながら、再び七海の肩を押してベッドに横たわらせると、顔面にキスを降らせてきた。
「七海、舐めてあげるから続きしよ?」
好きなところ舐めてあげる、僕に舐められるの好きでしょ、気持ちいいね七海、と首筋に歯を立てる。あ、誤魔化したなこの人、とは思うが七海自身も先程から限界を訴えている。
「……五条さん、」
「ん?」
「物足りないですか」
私とのセックス、と七海は呟いた。
五条はしばし動きを止め、やがてそっと七海に口づけた。
「全然、十分、大好き。僕はハッピーだよ。七海が生きてくれているだけで、僕は十分すぎるくらいに幸せなの」
そうですか、と七海は五条の肩に手を這わせた。
「五条さん。……私を、見ながら」
舐めてほしいです、と囁く。その言葉に、五条の瞳が妖しく光った。深く吸いこまれそうな瞳だ、と七海は改めて胸の内を震わせる。
五条さんが好きなのだ、と己の足を開かせる掌の感触と体温を享受しながら声なく呟いた。
頻繁にこの人はどうしようもない人だと確認する羽目に陥るのに、私は彼のことがどうしようもなく好きなのだ。
五条さん、アナタはどんな顔をするのでしょう。
近頃私の腹の奥底が無性に疼くのだといったら、アナタはどんな顔を。
七海は己の身体を支配する熱に身を委ねる。汗のにじむ額を手の甲で拭い、五条の深い空色の瞳と視線をあわせ、喉の奥から生まれる甘い声をとめどなくあげた。
***
労働はクソだ。
恋人に
『ねえねえ、七海。ねえねえ、来月のこの日は何の日? そう正解、この僕、悟くんの誕生日で~す! なんと僕はこの日がお休みです! 超多忙なエリート・ビジネス・パーソン七海くんもたまには休みを取って一日一緒にいてくれるよね? ね?』
と(それはもうしつこく)せがまれて渋々、労働者の権利たる有給休暇を取得しようとしたら、前日――いやもう今日だ、当日の午前三時まで会社に残ってマーケットの数字を眺めながら無限に書類を作成する羽目に陥るのだから、つくづく労働はクソだ。
エナジードリンクを三本空にしても誤魔化せなくなった眠気に耐えかね、畳んだタオルを目元に置いてデスクの椅子で仮眠を取っていた七海は、足をすくう揺れに飛び起きた。ぐらりと建物が揺れ、周囲の物が落下し床に散乱する。
七海は思考する間もなく反射的にデスクの下に身を隠した。
(身体だけが、あの日々をおぼえている)
寝起きのぼんやりとした思考を、首を振ることで払い、デスクの足を強く掴んだ。地震か、と判断した強い揺れはしかし一瞬で止んだかと思うと、騒音と共に不規則に繰り返される。
揺れは階下からきているようだった。位置を変え、場所を変え、階層を変え――そうまるで、階下で呪霊と呪術師が戦闘しているかのような――瞬間、七海はデスクの下から飛び出し、背を屈めたまま窓際に走り寄った。硝子越しに外を眺める。
「ちっ、」
一般人を内部に残したまま帳を降ろすな、と毒づいた七海はそれが八つ当たりであることを自覚していた。
急いで自席に戻り、ジャケットと鞄を掴む。一直線にエレベータホールへ向かった。
やむを得ない事情(どうせ天災かガス爆発だ)により、七海建人、退勤します。
七海はエレベータホールに辿り着き、ボタンを押そうとしたところで己の判断の過ちを悟った。上昇してくるエレベータ、隣の階段の奥底から駆けあがってくる人間の足音。階段にいる人間らしき存在の方は七階ほど下だろう、一方エレベータの表示は七海の三階下。このまま上階まで通り過ぎてくれよ、と祈りながら七海は鞄を傍らに投げ捨て、ネクタイを解いてポケットにしまった。全身に漲る呪力を感じながら拳を握る。さあ、呪霊はどちらだ。エレベータか、階段か、或いは両方か。
エレベータの階数が七海のいるフロアを示すと同時に、間抜けな到着音が深夜のホールに鳴り響いた。中には――
巨大な蜘蛛の形をした異形を認めた瞬間、七海の術式が発動する。七海の目は弱点を見出す。同時に呪霊の口から糸のようなものが勢いよく吐き出された。屈んで躱し、踏み込む。七海は敵の懐に潜り込んで拳を振り上げた。弱点を的確に貫いた拳に敵は絶叫し、のたうった。
――始末した、か。
その油断に付け込むように、呪霊は口から黒くもったりした体液を周辺にまき散らした。
「くっ」
毒か、酸か、と顔を庇って液体を被った左手を振るう七海を尻目に、呪霊は消失した。同時に、かけられた液体も姿を消す。
「なんだったんだ……」
只の箱と化したエレベータから退避し、ホールに立ち尽くす。七海は己の左手の甲をしげしげと眺め、傷や呪いが残っていないことを確認した。深く息を吐く。
酷く懐かしい、過去の残り香を嗅いだ気がした。
「はぁっ……、はぁっ……、は、は、はぁっ……」
ぜえぜえと息も絶え絶えに遅れて階段を上ってきたのは、呪術高専の制服を着た線の細い少年だった。
「君はもう少し、基礎トレーニングを積むべきでしょうね」
「はぁっ、へっ!?」
「体力の残っていない状態でどうやって呪霊と戦うのです」
構えを取る頬の赤い少年に微笑み、七海はジャケットのボタンを直した。足を震わす少年の頼りなさに、心が疼く。彼もまた、五条の教え子なのかもしれないなと、ふと思った。
「申し訳ありません、アナタの仕事を横取りしてしまったようだ」
「……えっと、」
「ああ、挨拶が遅れましたね。私は七海と申します。かつて呪術高専に在籍していました」
「あっ……そう、なんですか。えっと、呪霊、祓っ……」
「祓いました」
「あの、」
「補助監督はどなたですか」
「伊地知さんです、あの」
「それはよかった。君は戻って七海が祓ったと――いや、私の名前は余所に出さないよう私からも連絡しておきます」
「その、」
「ん? なんでしょう」
少年は赤い顔をして俯き、もじもじと口を開いては閉じ、やがて覚悟を決めたように言葉を発した。
「あの、もしかして、体液、……浴びました?」
「呪霊のですか? そういえば、死に際に」
少年の顔が燃え上がるように赤くなる。耳の先まで真っ赤だ。
「その、言いづらいんですが、あの呪霊の体液には催淫効果があって――」
「は?」
「さ、催淫……。その……」
少年は俯いたまま早口で告げた。
「六時間もあれば抜けると思います」
七海は思わず腕に嵌めた時計に目をやった。
「……そうですか。情報提供、ありがとうございます。アナタはもう帰りなさい。私は大丈夫です」
「えっと、高専に治療に行くなら」
「いえ、結構です。くれぐれも、この件は内密に」
少年は頭を下げ「失礼します」と言うや否や階段を駆け下りていった。
七海は己の服を整え、乱れた髪を両手で撫でつけた。鞄を拾い、エレベータのボタンを押す。閉じていた扉が開く。白々とした光が灯る箱の中に入って「閉」を押し、そのまま一階のボタンを連打した。
――労働はクソだ。そして呪術も大概クソだ。
***
あつい。今にも叫びだしてしまいそうなほどに。
震える声を押し殺してなんとかタクシーの支払いを終え、七海は自室のある階を目指してマンションのエレベータに乗った。
「っはぁ、はっ……」
己の吐息の甘さに嫌気がさす。足に力が入らずもたれ込んだ奥の鏡には、頬を紅潮させ、殺気だった眼を光らせる男が写っていた。
這うように自室に辿りつき、言うことのきかない手を内心で罵りながら鍵を回した。渾身の力を振り絞って己の部屋の玄関に倒れ込み、ドアを閉める。鍵を回しきり、安全圏に退避できたと七海は心底安堵した。乱れた髪が目元に落ちる。
「……はっ、あ、ぁ」
心臓が煩く脈打っている。潤む瞳で、薄暗い廊下を見た。廊下は明かりが煌々と灯るリビングへと続いている。光を背負った大きな人影が、境に立っていた。
「七海」
催淫効果とやらのせいなのか、久しぶりに呪術を使ったせいなのか。七海の肉体も精神も、異様なほどに高揚していた。そして古びた物差しを取り出したことによって、改めて思い知る。己の前に立つ存在が持つ生来の強さを。
「ななみ」
この獣は捕食者だ。間違いなく、世界で唯一の。そして私は被捕食者なのだ。恐怖で逃げ出すこともできず、只己の首筋を贄として静々と彼の前に差し出すことしかできない――。
「大丈夫?」
五条はすたすたと玄関まで歩き、蹲る七海の前にしゃがみこんだ。冷えた指が七海の頬を撫でる。
「無茶しないでよー、現場久しぶりでしょ? 心配しちゃう。お風呂入れそう?」
「全て、筒抜け、ですか」
五条は首を傾げ、明後日の方向を見つめた。
「え、っていうかいっつもみんなに? 七海がかわいー、かわいーって言ってるしさあ、七海に何かあったら即座に連絡してって皆に言ってるからさあ、伊地知が電話してきた」
七海は心のなかで高専の方角に向かい土下座した。
「……浴びます、シャワー」
もぞ、と身じろぎジャケットを脱ごうとする七海を五条の手が助ける。受けとったジャケットを腕にかけた五条は、風呂場に向かう七海のうしろにぴたりと寄り添ってきた。七海は振りむき、眉を寄せる。
「なにか御用ですか」
「んー、お風呂場で倒れたら危ないから、ドアの前で監……見守ろうかなって」
「いま監視って言いましたよね」
「言ってない」
はあ、と七海はどこか甘い息を吐いた。
「いいですから、五条さん。私に構わないで。……ベッドで、待っていてくれますか」
俯く七海の首筋に鼻先を一瞬埋めた五条は
「うん」
と返答した。
「七海、水飲む?」
「飲むので、置いておいてください」
「了解」
***
冷たいドアノブを回すと、扉は抵抗なく開いた。湿った髪のまま、照明の抑えられた薄暗い室内に入る。ベッドの脇に置かれた机の上にミネラルウォーターのボトルがあった。迷わず近づき、蓋をねじって水を一息に呷る。冷蔵庫から出されたばかりの冷え切った水が熱の冷めない身体に送り込まれ、ぞくぞくと背筋を逆立たせた。胃の形さえ分かりそうだ、と腹に与えられた刺激に思う。
「ははっ、七海。ガチガチだ。話は本当だったんだね」
悪戯に七海に触れる腕を退け、七海はベッドに腰かけた。スプリングが控えめに音を響かせる。
寝そべったまま肘をついて頭を支えていた五条は、身体を起こすと七海を背中から抱いた。ふわりと五条の香りに包まれる。
耳元にキスを落とし、五条は囁く。
「いいよ、七海。今日は僕が全部してあげるから。横になってなよ」
七海は肩を掴む手に従ってベッドに横たわり、覆いかぶさる男を見上げた。
「体液を浴びたのはいつ?」
「三時二十七分」
「効果は?」
「約六時間」
「そっかー」
ちらりと枕元の時計に目を遣った五条は、着ていた上半身の服を脱ぎ捨てると、舌で赤い唇を舐めた。きゅう、と空色の目が細まり、唇が弧を描く。
「やりまくろーね、七海」
目を閉じた七海の口から、熱い息が漏れた。
***
ありとあらゆる体液とローションの染み込んだシーツを力の入らぬ指先で引っ掻き、七海は腰を震わせた。傍らに落ちている枕は噛み跡だらけで、唾液を吸った部分がてらてらと光っている。
未だ暗い外と部屋を隔てる窓には、室内で蠢く獣が写っている。
果てなくまぐわい続ける獣が、二匹。
「集中して、七海」
焦点のあわない瞳で窓を見つめていた七海の尻を、五条が軽く叩く。張りつめ続ける前が痛くて堪らなかった。
何度もいかされたことで七海の性器は赤みを帯び、「もう、前を触られるのは痛い」と息も絶え絶えに訴えたら、五条はぬめる指を七海のうしろに嬉々として挿入した。
「ここが七海のいいところなんだよ」
という言葉通り、腹側の一点を五条の指の腹で擦られるたび、七海の腰は跳ね、足の指先まで走る快感が全身を貫いた。
動きの鈍くなった身体を動かし、七海はぐしゃぐしゃになったシーツの上で仰向けになった。はぁ、は、と切れ切れの息を発する。全身が汗とローションで濡れぼそり、声は掠れ、それでも身体に刻み込まれた熱は一向に醒める気配がなかった。
五条が七海に覆いかぶさる。首筋を舌が這う。五条の香りが七海の鼻をくすぐり、七海の胸は絞り上げられるように痛んだ。
指が再び七海の中に侵入する。七海の最奥は一切抵抗せず、それどころか五条の指の訪いを喜び、指へ吸いつくように壁が絡みついた。
私はこの人が好きなのだ、と靄のかかった理性が言葉を生む。
どうしようもなくこの人が好きなのだ。だって彼の体温を感じると喜びのあまり涙腺が緩む。彼の大きな手が私の胸を這うたびに鼓動が高鳴る。彼の瞳が私以外をうつしていないという事実は、私の胸を暗い悦びで一杯にする。
シーツに頬を擦りつけ、七海は喘ぐように息をした。
「七海、大丈夫? ここ、気持ちいーね。もう玉がこんなに上がってる。またイク?」
そして私と五条さんの間にある愛やら執着やら、この言葉にならない感情はまだ進む余地を残している。
――嫌だ、怖い。この身体を一片の残りすらないほど明け渡し、彼を受け入れることは酷く怖い。彼の全てを手にすることが、酷く怖い。言うな。言ったら彼は。
彼は、私を喰らい尽くす。
言うな。
「ん? どうしたの」
「ごじょう、さん」
唇が。唇が、勝手に動く。互いの唾液で湿っている唇、舌が歯に当たる。もうこの口の中にある唾液が私のものか五条さんのものかさえわからない。なにもわからないのだ、世界は熱でぐちゃぐちゃに乱れ、惑う指先はたったひとりしか求めていなくて、私を救えるのは、あなただけ。
「五条、さん。……は、奥が」
「奥?」
「おくが、疼くんです」
こっち? と長い指先が七海の奥を探る。七海は焦点のあわない瞳で、五条を見上げた。興奮で色の変わった五条の瞳をじっと見つめる。
「もっと、……もっと、奥、が」
伸ばした足で五条を挟む。彼の瞳がきゅう、と細まった。体内を暴いていた指が、濡れた音と共に抜かれる。体の一部を喪失したかのようなその感覚に、七海の腹が痙攣した。
「ねえ、七海」
長時間煮詰めた蜜のような声が、七海の身体にとろりとかけられる。
「指だと、その『奥』は触ってあげられないよ」
五条が左手を伸ばし、七海の手首をまとめて掴み、シーツに押し付ける。彼が屈みこみ、互いの口と口が近づく。五条の吐息が、七海の肌に触れ産毛を揺らした。
「は……い」
「でも七海はさあ、もっと奥を触ってほしいんだね」
「……は、い」
五条に回した力の入らぬ足で、彼を引き寄せようとする。すると左ひざの裏に、五条の右手がかかった。互いの肌が、汗でぬめっている。
「自分が何を言っているかわかってる? 七海」
はい。七海は声なく返事をした。
ああ、もういい。五条さん、あなたは獣なのだ。強大な力を持つ世界で唯一の王、孤高の肉食獣。どうか一息に
「五条さん、あなたがしたいことを、私にしてください」
喰らい尽くしてくれ、この身体を。頭から骨ごと全部。私のすべてを、どうか貪ってくれ。
「愛してるよ、七海」
***
苦しい、と七海は喘いだ。
「息んで、七海。そう、上手」
己の後孔をこじ開けられる感覚。ずるり、と体内に異物が侵入する。ぬめりの力を借りて、七海の腹は五条の先端を飲み込んだ。
背筋を鈍い痺れが駆け上がる。
「……っ、はぁっ、あ。あぁ、ごじょ、……さ、ん」
ずるずるとどこまでも入ってくる硬直。
「ごじょ、さん……くる、し」
腹の圧迫感に七海は呻き、五条の肩に爪を立てた。
「んー、あともうちょっと、ね」
巨大な存在が七海の腹を拓き、ぴたりと動きが止まる。
「今日はここまでにしようね」
まだ終わりがないのか、と七海は嘆息した。額に浮かんだ汗の粒が流れ落ち、シーツに吸いこまれた。
「はは、気持ちいー。七海、どこ。ここを突いて欲しいの?」
「ひっ、……あ、うっ……」
初めて内部で感じる鮮烈な刺激に、七海の身体が跳ねる。全身の毛が逆立つ。自ら望んでいたとはいえ
――あまりにも強烈すぎる。
「むり、無理です、五条、さ」
「んー、でもこっちは気持ちいいって言ってるよ」
限界まで張りつめた七海の性器の先端からは、色の薄くなった液体がだらだらと流れ落ちていた。もうすべて絞りつくされたと思っていたのに。
ずるり、と五条の性器が引き抜かれ、再び緩慢な動きで七海の奥を抉る。
「ひっ、あぁっ、んん……」
シーツを握りしめ、五条の動きに耐える。様子を探るように、しばらく緩やかな動きを繰り返していた五条は、大丈夫だと判断したのか、やがて七海の奥を速いペースで突き上げるようになった。七海の濡れた内壁が五条の性器に絡みつく。五条の汗が、白い毛先からぽたりと七海の肌に落ちた。
「あっ、う……ひっ、あぁ、ん」
興奮している五条に、七海も煽られる。奥を突かれると背骨を電流が伝う。腹の奥から、終わりのない快楽があふれ出す。
七海は足を開き、際限なく甘い声を上げた。人の言葉などとうに忘れてしまった。五条の手が七海の手を絡みつき、シーツに両手を押しつける。五条の腰の動きが速くなった。
「あぁ、七海」
ななみ、と彼が甘い声で囁いた。
もういきそう、という言葉に頷きだけを返し、七海は己に覆いかぶさる身体へ足を回した。力を籠めて五条の掌を握り返す。
五条は一層激しく腰を打ちつけ、やがて動きを止めた。微かな震え。吐き出された彼の熱を体内で感じる。
七海の瞳から、止まらなくなった涙があふれ出て、伝い落ちた。
***
身体を支配する鈍い痛みを最初に感じた。
七海は目を開けようとして、瞼の抵抗に気づく。指を目元に運び、目をごしごしと擦った。涙やらなんやらでくっついているようだ。
瞬間、昨夜の記憶を思い出し、七海は赤面しながら目を開けた。窓と外の景色が視界一杯に飛び込む。
ベッドに横たわっていた七海は、肩までかけられていた毛布に包まれたまま、髪をかきむしった。
窓の外には、一面の夕焼けが広がっている。
本当に夕方か、と訝りながら七海は枕元の時計に目線を遣り、指し示している時刻に肩を落とした。
七海は痛みを訴える全身になんとか言い聞かせ、身体を起こしてベッドに腰かけた。喉も、腰も、あらぬところも全て痛い。というか、ただひたすらに怠い。
サイドテーブルに置かれていたペットボトルの水を呷り、七海は頭に手を当てた。
――遂に、越えてしまった。五条さんとの一線を。
「あ、七海起きた? 身体の調子、どう?」
部屋を覗いた五条が、ベッドに腰かける七海に近づいた。七海の正面に立った彼は、屈んで七海の頬を撫でた。
「……申し訳、ありません」
掠れて酷い声だ、と七海は顔を顰めた。
「え、なにが?」
五条は訳がわからないといった表情を浮かべ、七海の金髪を指で梳く。
「折角のあなたの誕生日なのに、一日中寝ていて」
「あ、そんなこと? いいよいいよ。それにもう凄すぎる誕生日プレゼント貰っちゃったし……痛、痛い、待て、ストップ七海っ、無言で蹴るのやめて怖い、その目が怖い」
五条は手を伸ばして七海と距離を取ると、ふと真顔になり、やがて口元を綻ばした。
「ねえ七海、僕今からケーキ買ってくるね。なにか欲しいものある?」
それはもう、大量の酒。と思わず口にしそうになった言葉を七海は堪え、笑みを顔に浮かべた。
「あなたが、私と、今日食べたいと思ってくれるもの」
胸元にぶら下げていたサングラスを手にした五条は、「りょーかい」と返事をし、七海の頭を数度撫でてから部屋を出た。
玄関の扉が閉まる音を聞きながら、七海は顔を己の掌に埋めた。
ああ、クローゼットの奥から五条さんへのプレゼントを出してこないと。
七海は身を縮め、震えるように笑った。こみ上げる笑いは止まらず、全身を襲う。
プレゼントを出してこないと。ああ、労働も呪術師も呪術もすべてクソだ。この世界はろくでもないことばかりだ。
しかしあの人と暮らせるこの日々は、確かに幸福の形をしている。
七海はまるで泣くように、終わりなく笑い続けた。
***
『同棲規則』
一つ、合鍵は渡すがここはあくまで七海の部屋と心得よ
一つ、ベッドを使った人間がシーツを交換する
一つ、ゴミ捨てができない場合、必ず連絡する
一つ、必要なものは各々で購入するが、七海に相談せず家具を買ってきてはならない
一つ、許可が下りた場合、五条は七海に挿入してもよい
