fate(槍弓)

 ランサーは英雄王と征服王に挟まれた位置にある酒樽から、柄杓を使って勝手に酒を拝借した。掬った酒を、一滴もこぼさず胃に流し込む。傍らに座す征服王は豪快な笑い声をあげ、己も手にした酒を機嫌よく呷った。
 隣に座る英雄王はちらりとも視線を寄越さない。だが、征服王が黄金の器に入った神代の酒をひっ掴み、空になったランサーの柄杓に注ぎ入れても咎めはしなかった。
 断りなく注がれるまま、数杯の酒を飲み干し満足したランサーは、ずっと送られていたセイバーの気遣わし気な視線に対してにやついた笑みを返すと、躊躇いなく王たちの酒宴に背をむけた。

 闇に包まれた城の通路を通り抜け、階段を下りる。一階にある食堂の方角から、食欲をそそる香ばしい匂いが漂っていた。
 ランサーは挨拶もなく扉を開け、食卓の端に置かれた椅子を自分で引くと、そのまま遠慮なく腰かけた。長方形のテーブルには糊のきいた純白のテーブルクロスがかけられ、中心には色とりどりの生花が活けられている。
 足音なく現れたメイドたちが、手にした白磁の皿を次々に並べていく。湯気をたてるオニオンスープ、茹でられソースがかけられたじゃがいも、羽で彩られた雉肉のソテー、固焼きのパン。皿に盛られている料理の中身を確認するスピードが追い付かないほどに運ばれてくる料理は、すぐにテーブルの表面を埋め尽くした。
 ランサーは無造作に、香草が練りこまれたパンを手に取ると、白くなめらかな歯を立てて堅い表面を噛みちぎった。
 蝋燭が揺らめく。ランサーとは反対の位置に置かれた椅子に、少女は腰かけていた。
 じゃがいものスープを飲み干し、爽やかな舌触りの林檎酒と共に白身魚のフライを頬張った。飲み込んでから、魚は鰈であったと気づく。
「酢漬けの野菜はお口に合うかしら……なにを混ぜたクーヘンがお好き?」
 少女は顔を上げ、メイドに指図する。ランサーは肉汁を飛ばしながら、焦げ目のついたヴルストを次々に咀嚼していく。
「折角だもの、ブルートヴルストもどうぞ。お好みの肉でシュニッツェルを作らせるわ……仔牛と豚肉、鶏肉に……ああ、本当に気持ちよく食べてくださるのね」
 ランサーが火傷しそうに熱いポテトパフへかぶりつき目線を下げると、前に座る少女は、蝋燭の炎が揺らめく合間に成人の女へと変化していた。
 片端から並べられた料理を食らい尽くしていくランサーは、しかし目の前に置かれた黄金色の酒の匂いを嗅ぐと、鼻に皺をよせそれを遠ざけた。白色のヴルストから肉を掻きだして食らい、ホワイトソースのかかった野菜にフォークを突き立てる。
「嬉しいわ、いっぱい食べてくださって」
 ランサーは敵意をむき出しにした表情で女と向き合い、爛々と光る眼でホムンクルスの女をねめつける。
「てめえらを喜ばせるために食ってるわけじゃねえ」
 ランサーは表面が香ばしくローストされた豚の足を手に取り、手が汚れるのも構わず噛みついた。

 限られた明かりがランサーとその手元を照らし、クリーム色の壁に影を映し出す。一心に料理を平らげていくランサーの影は、捕らえた獲物の、血が滴る肉を牙で引き千切る獣のように蠢き、背を曲げ食物を貪っていた。
「オレには力が必要だ。オレはあいつを支えるために、抱えきるために食う。もしあいつが死にかけて苦しいと訴えるなら、オレが最後あいつを楽にしてやるために食う。
 オレは死にいく仲間がいたなら、たとえ泣いてえずいて吐いたとしても、そいつの隣で肉を喰らうだろう。そうしなけりゃ、地面に深い穴を掘ってそいつを地に埋め、弔ってやることすらできねえからだ」
「……望むだけ、いくらでも差し出しましょう。あなたへ食物を、尽きることなく。ここはあなたの願いが叶う庭園」
「ああそして、あいつを許さねえ地獄だ」
 ランサーは奥歯で、豚の骨を噛み砕いた。
 表面が艶やかに輝くベリーのタルトを前にして、女は深く俯く。長い髪が影を作り、表情を窺うことはできない。
「わたしはこの城の主だけれど、あなたが客という名の庭園の主である限り、わたしは傅きます」
「つくづく、くだらねえモンに魅入られやがって」
「ねえ、ケルトの戦士。彼はあなたがいたから、ここに留まったのよ」

 ランサーは白い前髪の奥に隠された、女の赤い瞳を見上げた。
『――きみの目は、あかくて美しいな』

「主はひとり。あなたが彼を連れ出し共に去るというのなら、わたしに止めるすべはない」
 皿に盛られた、多種多様な料理を腹におさめることだけに集中しだしたランサーを前にして、女の口は低く嗄れた男の声を漏らす。
「ああ、また失敗だ。……幾度繰り返せど生まれぬ、魂も肉体も偽物にすぎぬ。偽りのうつわに脆弱な自我が芽生えたところで、微塵も役に立たぬ……。たとえ外へ出ようと吹き飛ぶだけよ。至れぬ、至れぬ、まだ足りぬ。真実の魂に到達できぬ、真実の形を作ることができぬ。愚かな部品が瓦解し崩壊するのみ……。無駄な消耗だ。なんと無益な時間であったことか。またしても、またしても」
 ランサーはじろりと睨み、吐き捨てた。
「部品か。部品ならいくらでも作り直せんだろ。オレとあいつが必要なら精々作り直せ、ご苦労なことだ」
「なにが足りぬ、どこへ考えが及ばぬ。われわれの答えは、何処に、いずこに」
 よく揚がったトマトを口に放り込み、ランサーは鼻先で笑った。
「ご立派なモンは作れても、テメエの前を見れねえ奴は難儀だね」

 ***

 久方ぶりに得られた、安楽な気分を貪欲に欲する錆びた肉体は、傍らに気配を感じても、脳からの命令に従い素直に起床しようとはしなかった。それどころか布団に包まれる快楽により発生した、口の端に涎がにじむ感触さえ放置して、いまだ悲壮に惰眠へしがみついている。
 ――いま奴に刺し殺されても、決して文句は言えない。
 うぅ、と声のない呻きを発しながら覚束ない手つきで、目覚めてはいるのだと伝える手先に絆されたのか、ランサーは寝台に腰かけたままアーチャーの手をしばらく黙って握っていた。
 酷く静かだった。
「アーチャー。おまえの目が覚めたら、出発するぞ」
 柔らかな布団に半ば埋まりながら、アーチャーは頷く。
ランサーは白髪を軽く二度叩き、口の端の涎を拭ってやると寝台から立ち上がった。

 ***

 まとった武装の表面をざっと撫で、腕を大きく振って動きを確認した。両手で拳を軽く握り、それを数回繰り返した。流れるように双剣を投影する。アーチャーは納得し、ランサーの気配を追って部屋を出た。
 回廊から屋根に上り、塔の先にある露台へ身体をすべりこませる。
 世界が真っ赤に燃えていた。
 森の果てを見据えるランサーの横顔に胸をうたれながら、アーチャーもランサーと同じ方向へ顔をむける。空を燃やす一面の朝焼けが、冷えているのにどこか甘い匂いのする朝の空気が、二人に出発を促していた。
 ランサーはちらりとアーチャーへ視線をやると、躊躇いなく地上へ飛び降りた。赤い外套を翻しながら、アーチャーもあとを追う。
 二人を吐き出した城は、耳が痛くなるほどの静寂のなかにあった。
 城は動きを止め、窓という窓をかたく閉ざしていた。ガス燈は沈黙し、燭台に差された蝋燭から火がかき消える。

 二人は歩き出した。
 深い森の果てにある、この庭園の終わりを目指して。

 森の小径には薄っすらと霧が漂っていた。ぱき、と足が踏んだ小枝を折る。木々がひそやかに交わすざわめきが人々の声に聞こえて、アーチャーは思わず背後の城を振り返った。
 先を進んでいたランサーは、取って返すとその腰を有無を言わさず片腕で抱え、強引に歩を速める。
 数歩進み、再び緩やかに足を止めたアーチャーの背中に、思案したランサーは予告なく飛びついた。腕をまわして首にしがみつく。
「うっ、おい、貴様、なにをする」
 ぶらり、と力を抜いてランサーはアーチャーにぶら下がった。
「歩くのがめんどくせえから、おまえにおぶさって行くわ」
「なにを、年端もいかぬ子供でもあるまいし。貴様は幼児か」
「あーはいはい、それで構わねえよ。なんだ、確か主はオレだろ? ほれ、進め」
 まったく、一体なんなんだ、貴様の親の顔が見たいものだとぼやくアーチャーに、ランサーが地平線から昇る太陽を指差してみせると「背中から振り落とすぞ貴様」と半ば本気で脅される。
 悪態を互いにつきながら、枯れ葉の積もった道を二人で進む。アーチャーの広く、頑丈であたたかな背中に頬をあて、ランサーは心臓が脈打つ音を肌で感じていた。
 小径は所々曲がっているものの、大半が直線だった。やがて漂う霧を抜け、古びて植物に浸食されている城壁と、朽ちた門番小屋が現れる。
 その脇を通り、門をくぐり抜けたアーチャーの足取りは、本人がいくら誤魔化そうとしても、明らかに重くなっていた。一歩足を踏み出す度に、二人の身体は大きく傾ぐ。
 おぶさるランサーが背後から手を伸ばし、アーチャーの頬を撫でても反応は緩慢で、やがてふらつくように立ち止まった。
「下りるから、手を離せアーチャー」
「いや……不要だ。支障はない、貴様を背負うことくらい」
「もう半分は来ただろ。次はオレがお前を背負ってやるよ」
「なにをいう。貴様と一緒にするな」
「遠慮するなって、ほら、下ろせよ」
 ランサーは広い背中から己を引きはがし、ふわふわとした足取りのアーチャーの前に回ると、軽く腰をかがめ「ほら」と促した。
「必要ない」
「かー、頑固だな。じゃあ命令するぞ、オレは。それが嫌なら自分から乗れ」
「……自分で、歩ける」
「歩けるかどうかは関係ねえ。オレに乗るか、乗らないかだ」
「仕方の、ない奴だ」
「オレの台詞だそれは」
 アーチャーは力の抜けた腕をランサーに回し、半ば倒れこむように目の前の背中に覆いかぶさった。
 ランサーはアーチャーをしっかりとした手つきで背負いなおすと、己に乗る重い身体を苦にもせず、足を前に出した。
 伸びる小径の前を、少女が行く。彼女はランサーを導き、外へ通ずる道を無言のまま教えていた。
「すまない、ランサー……どうにも、眠いんだ」
「眠けりゃ寝てろよ。着いたら起こしてやるから」
「だが、不思議だな。君がいると、眠ることが、……怖くない。すま、な」
い、と呟く声は、やがて寝息に取って代わった。安らいだ寝息が、すうすうとランサーの耳と首筋を擽る。
『行くのね、この先へ』
「ああ、それがオレの願いだ」
『嫌いじゃないわ』
「散々な言われようだったがな」
『どうか許して。「私」は信じるわ。繰り返した果てに生まれる奇跡だって、たまにはあるかもしれないもの』
「元気でな、嬢ちゃん」
『ええ、あなたたちも』
 イリヤは立ち止まり、微笑んで道の先を指差した。
『あとは真っすぐ行くだけ。主として、礼を言います。そして、さようなら』
「じゃあな、世話になった」

 ランサーは直線に伸びる森の道を、迷いのない足取りで進んだ。時折背に乗るアーチャーを抱えなおしては、その重みと温もりに頬を緩める。

 森の出口に佇むその姿は、遠くからでも見えていた。
 近づくと、輪郭はより一層明確になる。
 少年は草臥れた服を着て、幾つもの夜を越えた末に積み重なった、拭いきれぬ疲労をにじませながら、しかし前だけを見据えていた。両手はかたく握られ拳を作り、両足で力強く大地を踏みしめている。
 赤毛の下にある瞳は、迷いを完全に振り切っていた。彼はその身の内に青々とした若い炎を燃やし、己の未来をその手で掴むため、ただ立っていた。

 ――悪くない。たとえ閉ざされる庭園が最後に見せた幻だとしても、こいつは確かに生きている。

「……さよなら、ランサー」
「じゃあな、坊主」
 別れを告げ、ランサーは旅立つ。
 ――アーチャー、帰るぞ。オレたちがいるべき場所へ。

『さようなら。いつかまた』
 機械仕掛けの庭園は止まり、扉を引く重い音と共に、何者かの手で鍵が閉められる。
 閉ざされた世界を振り返ることはせず、背中で寝息をたてるアーチャーを両腕でしっかりと抱えなおす。ランサーは庭園の境界を越え、足元にある舗装された道路を、迷いなくその靴底で踏んだ。
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