fate(槍弓)
木立のあいだから弾丸のように飛び出した躰は勢いよく道路の上を転がり、途中に刻まれた浅い段差で跳ねあがると、道路脇ののり面に全身をぶつけてようやく止まった。濃い霧があたり一面に広がっている。まるで生命を有しているかように動き、のたうっていた濃霧は、対象には既に反撃する意思がないとみるや否や関心を失ったように力を失い、森の中へと下がっていった。
「――ぁ、容赦の、ないことで」
徐々に感覚を取り戻した身体の腹は、大きくえぐり取られたせいでぽっかりと空間ができていた。骨はあちこちで折れ、皮膚の大半は擦過傷でささくれだっている。食道をせりあがってきた灼熱に抗わず、熱をそのまま吐き出した。血が道路に散る。
焼けついた思考のまま、腹のあった場所に手を当てルーンを刻もうとしてやっと「いま自分は魔力そのものが枯渇しきっているのだ」という事実をなんとか思い出すことができた。
闇に沈んだ国道の上でふらふらと上半身を揺らし、やがて黒いアスファルトの上へ全身で倒れこんだ。冬の日の早朝に触れるアスファルトは冷え切っていて妙に心地よく、そのままじっと寝そべっていたいほどだった。
「霊体に、なればいいだけの話じゃねえか」
聞いてくれる相手もいないまま毒づき、ゆらりと姿を消す。時折通り過ぎる車のヘッドライトが、頬と手でアスファルトに縋りつく姿なき槍兵を照らしては去っていく。ランサーはしみじみと呟いた。
「ああ……腹減った」
霊体化したことでなんとか形を取り戻せた腹がきゅう、と鳴いた。
マスターから下された命令をこなすのは何度目だっただろうか。郊外にあるのだと古い地図で示されたアインツベルンの城へ赴いたのは、姿を闇に隠せる丑三つ時のことだった。郊外の森を、地図の上で指し示された通りのルートで進んでいく。森は木々のざわめきと獣の息づかい、暗闇で光る獣の眼で満ちていた。ただランサーをとりまくものたちだけが物言いたげな沈黙を守っている。
ランサーは順調に進んでいた。目標地点に迫り、己が今から侵入しようとしている場所の全体を確認するためにと、手近な木に登った。アインツベルンの城の全景を目におさめたとき――城の門前に堂々と立っていた少女は、確かにランサーと目を合わせた。思わず身構えるランサーに対し、獰猛な表情で遠くから笑いかける。
彼女は小さな身体の後ろに巨人を従わせ、恭しく告げた。
「招待もしていないのに訪れる無礼者であったとしても、主として歓待しましょう。でも名乗りは不要ね。――行きなさい、バーサーカー!」
アインツベルンの娘は疾うにランサーの存在を察知していたのだ。先手を打たれたランサーを更に追い詰めるように高く甘い声が告げる。ねえそのサーヴァントの正体がわかる? 一度や二度殺したくらいで破壊できないわよ。ふふ、あなたはどう戦ってくれるのかしら。
雑じり気のない純粋無垢な笑い声に背筋が凍った。轟音と共に足場にしていた大樹が薙ぎ払われる。巨体が最早鈍器と区別がつかぬ巨大な刃を振り回し、森の木々や土くれ諸共ランサーを潰そうとする。
――「正体を見極めたのち撤退してこい」
マスターの声が指先までいきわたった神経を縛る。はっ、勝手なことを言いやがる。撤退せよ? そもそもオレに倒せるかどうかも怪しいぞこりゃ。一度ならば宝具で心臓を貫けるだろう。二度ならあの大男ごと広く大地を抉れるだろう。三度目は? 四度目は? そしてあの猛り狂う魔力の暴風から、オレはどう小狡く尻尾を巻いて逃げ出せばいいんだ?
めんどくせえ。考えることさえ面倒くさいことばっかりだ。それでもやるしかねえんだろうな。つくづくろくでもねえ。ランサーは生い茂る葉に姿を隠しながら、両足で飛び続けた。暴れる巨体との距離を寸分違わず測りながら。
***
一方的に嬲られるだけの鬼ごっこは、数刻ののち、ランサーが郊外の森から這う這うの体で脱出したことで終結した。アインツベルンの娘が森の外へ出るのを嫌ったのか、間もなく迎える夜明け以降の争いを嫌ったのかは定かではない。ただ追手を差し向けないという少女の決断がランサーにとって僥倖であったことは事実だった。
道路に寝そべったまま、腹が減った、と再び独り言ちた。
「こんなんなら森ン中の魔獣の肝でも食ってやりゃよかった」
だが今、再び森へ戻ろうものなら今度こそ己の首を落とされるだろう。仕方ない、と最早身体が重いのか軽いのかも判別できなくなった状態で立ち上がり、歩き出す。街の方角から、人々の魂の匂いが漂ってきていた。
魂を喰らえば楽になれるぞ。
そっと囁く欲望に、ランサーは首を横に振った。んな落ちぶれた真似をするくらいなら己の霊核を槍で突いた方がマシだ。ふらり、ふらりと街を目指して進む。タイミングよく、荷台に隙間のあるトラックが周囲へ振動を振りまきながら通り過ぎた。渾身の力を込めて跳ね、土埃で汚れた荷台に飛びつく。荷台の上に腰を落ち着けて、休息を欲するまま横たわる。冬木の中心部へ移動しているらしい車の振動に揺れながら、ランサーはしばしの安寧を得た。
深山付近に差しかかった時点で荷台から降り、未だ暗い街を彷徨う。海辺から街の中へと進み、やがて坂に差しかかった。身体が空っぽだ、と胸元を掴む。雑多な匂いが鼻腔を擽る。
……女狐とヒトの血にまみれたあっちは悪臭に近い。左手からは呪いに満ちた臭いにしか感じられぬ澱みが伝わってくる。その先には奴がいる。
朝方まで潰れていたと思われる酔っ払いが、ランサーの隣を通り過ぎた。
「なあランサー。霊体の治療というものにはなかなか巡りあえない、このような立場になってからは余計にな。従って、そのような機会に遭遇できたなら……鈍りかねない技術を磨くに越したことはないと、そうは思わないかね? 患者にも私にもさぞかし有益だろう」
そういって、神父は底なし沼のような目を細めるのだ。技術を磨く、それは結構なことだ。その結果治療と称してオレのハラワタをかきまわさないならな。
ふわふわと、いい匂いのする方角へ導かれるように向かった。随分と濃厚な大気が満ちている。あそこで休めばさぞ疲れが取れるだろう……。
そのような、軽率な判断をしてしまうほどランサーは疲労困憊していた。
長い坂道を進み、途中から高い石造りの塀が隣にずっと伸びていたかと思うと、その塀はやがて雑木林の中へと折れ曲がり消えていった。名も知れぬ大きな屋敷の裏手に広がっていた林の地面では、足を一歩進めるたびに枯れ葉が潰れて乾いた音をたてる。
一際目立つ大木の根元へ、崩れるように座った。周辺に満ちるマナに頭が眩む。
ここで。
ここで宝具を解放するときのように魔力を汲み上げれば、たとえ人の魂ほどでなくとも、空腹が紛れてくれるのではないだろうか。
呼吸を求めるように、眠りを求めるように、ただ魔力を欲した。ランサーの要求に応じて大気が揺れる。周辺のマナが震え、やがて命に従いランサーの身体に――
「警告は一度だ。立ち去れ」
光を失いつつある瞳で、崩れた塀越しに由緒のありそうな洋館の頂点を仰いだ。屋根の天辺で、弓につがえられた矢は、ランサーの頭部を一ミリのずれもなく狙い定めている。
朝もやの中、名残惜し気に夜空で瞬く星を背負った声の主の姿を、ランサーは捉えてニイ、と力なく笑ってみせた。
「よう、いつぶりだ弓兵。生きてたかテメエ」
「それは私の台詞だ。最も、貴様は今にも死んでくれそうでありがたいがな」
「は、口の悪いやつだ。反論は、できねえがな」
なんの気まぐれか、上に立つサーヴァントは見逃してくれるらしい。ならばこの機を逃すべきでないということはランサーも重々承知していた。温情に縋ってこの場から去ろうと弱々しく震えかけている足へ力を込める。
ずしゃり、と重い落下音が意識の遠くで響いた。地に落ちた鎧が葉を粉々にする。
土と植物の、輪郭のはっきりとした青い匂いが鼻をさした。朝の木の葉はしっとりと濡れていて、ランサーを柔らかく受け止めながら全身の熱を奪っていく。懐かしい大地の香りに、ここで終われるなら諦めもつくだろうかと、ほんの一瞬だけ気の迷いが生じた。
「――」
迫ってくる気配に覚悟を決める。
「――……!」
早くすりゃあいいものを、オレが正常ならもう先刻から三回は、テメエの息の根を止めてやれたぞと嗤う。
「だから、貴様を私の陣地に入れる訳にいかないのだから」
出て行けといっている、と困惑しきった声が塀の上からぶつけられる。返事のない槍兵に焦れたのか、弓兵はわざわざ地面に降り立ち、横たわる身体に近づいて屈みこんだ。よりによって高所を捨てるなど愚か者のすることだろうに、と目をうっすらと開ければ、
「おい、せめて死ぬなら他の場所に行ってくれないか」
と情け容赦のない言葉を耳元で囁かれた。
「なんでそんなコソコソしてんだテメエ」
「派手に立ち回る力も残っていないだろうに、よく言うな貴様」
もう朝が来るのだから互いに派手なこともできないだろう、と囁く声の通り、周囲はうっすらと明るみだしていた。
「大体ここは『おまえ』の陣地じゃなかろう……は、そりゃそうだ。これだけ空気が濃いってことは大体魔術師が陣地をはるわな、当然の帰結だ」
アーチャーはむっと口を結び、応えようとしなかった。
「あぁ”私の”な。マスターの、とは言いたくないってか。主の存在を伏せるとは結構な忠義だ」
喋る毎に命を削り取られているかのようだった。だが喋りでもしていなければ、このまま抵抗なく消え失せていきそうでもあった。
「もう立てないのか貴様」
アーチャーから伸ばされる手をぼう、と眺めていた。無意識のうちに、口内に唾がわく。
いい匂いだと思ったのは、こいつがいたからだろうか。
欲望に押されるまま褐色の手首を掴み、最後の力を振り絞って力任せに、男を胸元へ引き寄せた。捕らえた獲物の口に食らいつく。
驚きに見開かれた鋼色の眼を見つめながら、開いた口へ舌をねじ込む。舌を噛まれないように親指を口の端にひっかけながら、弓兵の唾液を啜り舌を絡める。
――美味そうな匂いに、甘い体液に、脳内が塗りつぶされる。食いつくしたい、貪りたい。この、男を
抵抗する力は、徐々に増していった。胸を押され、髪を手で引っ張られる。だが構わず口を重ね続けた。上あごを舐めると、弓兵は可愛らしく震えてみせた。ゆっくりと、そこを舌で何度も撫でてやり、唇を噛んでは歯列をなぞり、歯の一粒一粒を丁寧に舐っていく。一度強くなったかと思った抵抗は、舌を深々と絡めるにつれて弱々しくなっていった。腹に落ちてきた唾液が身体に染みわたり熱が生まれる。アインツベルンの娘に与えられた傷が再び疼きだすほど存分に魔力を奪い取ってから、弓兵の胸元を掴む手を緩めてやった。
唾液にまみれた互いの口を離すと、ふうふうと熱い息が耳元で繰り返し吹きかけられる。いつの間にかもたれかかってきていたアーチャーは肩を上下させながら、赤く上気した顔をランサーの首元にうずめていた。
「ぁー。さてはアーチャー、テメエ色事には疎いだろ……っぐっ」
褐色の掌は容赦なくランサーの腹を殴った。それ自体の威力は小さくとも、回復しきっていない傷跡を押され、苦痛に顔を歪める。
熱のこもった吐息に紛れて、忌々しそうに恨み言が吐き出される。
「貴様、覚えておけよ。す、捨ててやる、貴様など今すぐ人のいない場所に捨ててきてやる」
湿った声でなされたささやかな強がりに、思わず微笑んだ。
「それはちょいとばかし待ってもらおう。まだ」
足りないんだよ、と告げようとした言葉は途切れた。ガタガタと鎧戸を揺する物音が朝の空気に混じった。寝起きなのかえらく不機嫌な女の声が探し人へ呼びかける。
「アーチャー。アーチャー? どこにいるの? なにかあったの、ねえ」
泳いだ眼がオレを見る。ゆっくりと人差し指を伸ばし、弓兵の口元へそっと添えた。両方の口角を吊り上げて、笑いかける。
「しぃー」と呼吸だけで告げる。声に出さず、警告する。ほら、間違ってもうわずった声を出すんじゃねえぞ。できるだろう、おまえなら。
「……私なら、ここだ。狸か鼬が横切ったから……確認、していた」
不自然な区切りはあったが、まあ及第点だろう。いい子だな、と目線で褒めてやる。
「それよりも、早く窓を閉めろ。まだ空気が冷たいから、身体が冷えて、しまうぞ」
ええそうね、ありがとう。よろしくね。不機嫌な声はそのまま屋敷の奥へと消えていった。
満足したオレにひどく不服をおぼえたらしく、アーチャーは眉を寄せて嫌そうな顔をしてみせた。そんなことは気にせずに、弓兵の腰を無理矢理抱き寄せれば抗いは一層激しくなり、小さな声で非難が重ねられる。
「あまりにも酷い様になっていると思って少し情をかければ貴様、無礼にもほどがあるぞ」
「なんだ、同情してくれてたのか。じゃあ後ちょっとだけ付き合ってくれや」
「この! だからな、先程から何度も言っているだろう。さっさとこの土地から出ていけ」
「テメエが協力してくれりゃそのまま出てってやるよ」
協力って、協力とはなんだそんな義理はないと小声で言い募る男に、そりゃちょいとばかし我慢してくれりゃいいだけだ、とあしらいながらアーチャーが身にまとっている武装のベルトへ手をかけた。
「おっ、おい」
「しばらく目ぇだけ瞑ってりゃ、悪いようにはしねえよ」
薄い光のなか、暴れるアーチャーと泳ぐ両手にあわせて、木々の間で枯れ葉が散った。薄い青がにじみだした空を背景に、宙を舞う木の葉もろともアーチャーを地面に押さえつける。
「諦めな。アーチャー」
ああでも、抵抗するのは自由だぜ。そういったオレを前にして、アーチャーはただ呆然と間抜け面を晒していた。
***
彼方の犬の遠吠えに動揺したのか、下に敷いたがっしりとした身体は全身を強張らせていた。褐色の掌で自ら閉ざした口の隙間から漏れ出る荒い息を押さえつけようとして、アーチャーは苦しそうに身をよじる。悪戯心でつぅ、と裏筋を舐めてやれば、眉間のしわはより一層深くなった。
ベルトを半ば無理矢理外してアーチャーの服を緩めたとき、勝負はついていたのだ。困惑から立ち直ってオレを殴りつけるより早く、先程の口づけで既に頭を擡げていたアーチャー自身を咥えてしまいさえすれば、あとはかわいいものだった。
ぐちゅり、とあふれる唾液と共に口を上下させれば、指を一本食んだ後孔がひくりと締まる。そっと腹の内側を指の腹で擦ってやれば、咥えているものは一層固く張りつめる。
「ん、……ぅ」
頑丈な靴を履いたままの足が木の葉を散らす。じゅる、と先端から滲む白濁を啜ると、その刺激がたまらないらしく快感に支配された細い声を漏らした。
ぐ、と狙いすまして内壁を押す。瞬間、アーチャーの身体が跳ねた。ふぅふぅと、殺しても殺しても湧き出る喘ぎを堪えられないのか、手を噛みながら反対の手でオレの頭を力加減なく掴みにかかる。一度屹立から口を放し、双球へやわやわと舌を這わせながら「いてえ」と訴えると、喘ぎの合間で「自業自得だ」と呻く声が届いた。
「こっちはいてえか? そうでもなさそうだな」
溶け始めた身体の中で、最初は頑なに拒絶された指を上下させてみると、アーチャーは固く目を閉じたまま、生じた快感を逃すためにぎこちなく腰をよじらせた。その痴態に思わず唾を飲み込む。たまらねえな、こいつに巡りあえたのはなかなかに幸運だ、と内心で笑う。
「……貴様、さっさと終わらせろ。もう、こんな」
身を縮めた大柄な男へのしかかっている光景に欲望を煽られ、つい
「ここで抱けねえのだけが惜しいな」
と漏らすつもりのなかった本音が無意識のうちにこぼれ落ちる。互いの視線と視線がかちあい、思わず固まった。アーチャーも目を見開いたまま微動だにしない。
「……いや、今のは流せ」
「抱かれてたまるか!」
その叫びの大半は、なんとか間に合ったランサーの左手に吸収され、朝の街に響くことはなかった。もごもごとがむしゃらに反論しながら暴れる弓兵を、全身を使ってなんとか押さえつけながら
「ここまできてそりゃねえだろ、否、ここではしねえ、ここではしねえからそう暴れんじゃねえ……って」
と説き伏せるのだか煽っているのだか分からなくなりながらも、なんとか猛犬を従えさせるようにねじ伏せる。
「ほらアーチャーこっちに集中しろよ」
アーチャーへ見せつけるように、わざと舌で唇を舐めた。そのまま緩慢な速度で、いまだ力を失っていない性器へ口づけ、目をあわせながら喉の奥まで導いていく。魅せられたようにその様子を追っていた弓兵は、じわじわと頬を紅潮させ、我慢できなくなったのか己の腕で顔を隠した。
遠くで鳥が羽ばたく気配がした。
喉の奥に、濃厚な魔力が吐き出された。飲み下せば、じわりと身体に熱が灯る。
寝そべったまま肩を上下させている弓兵の服を直してやり、頭を両手で抱えて軽く口づけた。
「今度は全部もらいに来るからな」と唇を重ねたまま囁く。
いまだ快楽の淵を彷徨っているらしい弓兵は、それでも呆れたように
「甘やかすのは今回だけだ」
と、吐き捨てた。
「じゃあ今度はオレが、甘やかしながら抱いてやるよ」
返答を待たずにランサーはその場から姿を消した。報告もなく連絡を絶ったことで、さぞ苛立っているであろうマスターのもとへ戻るために。
***
「アーチャー?」
洋館から出てきた軽い足音が、枯れ葉の海に沈む弓兵に近づいてくる。
「きゃっ。なに、なにしてるの。そんなところで」
枯れ葉に抱かれたまますっかり明るくなった空を見上げ、アーチャーはひきつった笑みを浮かべてみせた。
「いやなに、考え事をすこしばかり」
「どう考えても考え事をする格好じゃないと思うんだけど」
少女は疑念と共に腕を組む。
「なにか居たの? というかなにかあった?」
「ああ、冬眠し損ねたムジナを発見してな」
「ちょっとアーチャー、あなた本当に大丈夫? 変なものでも食べたのかしら」
むしろ食われた、とはさすがに口にせず、差し出された少女の腕をとって立ち上がった。マスターは不審げに首をひねり、バタバタと弓兵にまとわりつく葉っぱを掃っていく。
「まあいいわ。具合を確かめるから一旦中に入りましょう」
遠ざかる小さな背中に、たまらず呼びかけた。
「凛」
「なあに」
「なあ、校庭で遭遇した……サーヴァントがいただろう」
「ランサーのこと? ええ、いたわね」
「もし奴と戦うことがあったら」
躊躇いはどこにもなかった。
「私の自由にさせてくれないか、私の」
実力で倒してやりたいんだ。
振り向いたマスターは不思議そうに首を傾けながらも
「うーん。まあ、そうね。状況が許せばいいかな」
と、あっさり受けいれた。意外な答えに弓兵は己の耳を疑う。
「本気か?」
「なんでよ、あなたが言ったんじゃない」
「そうだが」
それにね。
「だってアーチャー。あなた初めて、私になにかを望んでくれたんだもの」
彼女は振り返ることなく、そのまま洋館へ戻っていった。名も知れぬ動物が、朝露に濡れる世界で甲高い鳴き声を発している。
弓兵は立ち尽くしたまま、いまだ青髪の感触が残る掌をじっとみつめていた。
槍兵と弓兵の邂逅は、その朝が最後となった。
「――ぁ、容赦の、ないことで」
徐々に感覚を取り戻した身体の腹は、大きくえぐり取られたせいでぽっかりと空間ができていた。骨はあちこちで折れ、皮膚の大半は擦過傷でささくれだっている。食道をせりあがってきた灼熱に抗わず、熱をそのまま吐き出した。血が道路に散る。
焼けついた思考のまま、腹のあった場所に手を当てルーンを刻もうとしてやっと「いま自分は魔力そのものが枯渇しきっているのだ」という事実をなんとか思い出すことができた。
闇に沈んだ国道の上でふらふらと上半身を揺らし、やがて黒いアスファルトの上へ全身で倒れこんだ。冬の日の早朝に触れるアスファルトは冷え切っていて妙に心地よく、そのままじっと寝そべっていたいほどだった。
「霊体に、なればいいだけの話じゃねえか」
聞いてくれる相手もいないまま毒づき、ゆらりと姿を消す。時折通り過ぎる車のヘッドライトが、頬と手でアスファルトに縋りつく姿なき槍兵を照らしては去っていく。ランサーはしみじみと呟いた。
「ああ……腹減った」
霊体化したことでなんとか形を取り戻せた腹がきゅう、と鳴いた。
マスターから下された命令をこなすのは何度目だっただろうか。郊外にあるのだと古い地図で示されたアインツベルンの城へ赴いたのは、姿を闇に隠せる丑三つ時のことだった。郊外の森を、地図の上で指し示された通りのルートで進んでいく。森は木々のざわめきと獣の息づかい、暗闇で光る獣の眼で満ちていた。ただランサーをとりまくものたちだけが物言いたげな沈黙を守っている。
ランサーは順調に進んでいた。目標地点に迫り、己が今から侵入しようとしている場所の全体を確認するためにと、手近な木に登った。アインツベルンの城の全景を目におさめたとき――城の門前に堂々と立っていた少女は、確かにランサーと目を合わせた。思わず身構えるランサーに対し、獰猛な表情で遠くから笑いかける。
彼女は小さな身体の後ろに巨人を従わせ、恭しく告げた。
「招待もしていないのに訪れる無礼者であったとしても、主として歓待しましょう。でも名乗りは不要ね。――行きなさい、バーサーカー!」
アインツベルンの娘は疾うにランサーの存在を察知していたのだ。先手を打たれたランサーを更に追い詰めるように高く甘い声が告げる。ねえそのサーヴァントの正体がわかる? 一度や二度殺したくらいで破壊できないわよ。ふふ、あなたはどう戦ってくれるのかしら。
雑じり気のない純粋無垢な笑い声に背筋が凍った。轟音と共に足場にしていた大樹が薙ぎ払われる。巨体が最早鈍器と区別がつかぬ巨大な刃を振り回し、森の木々や土くれ諸共ランサーを潰そうとする。
――「正体を見極めたのち撤退してこい」
マスターの声が指先までいきわたった神経を縛る。はっ、勝手なことを言いやがる。撤退せよ? そもそもオレに倒せるかどうかも怪しいぞこりゃ。一度ならば宝具で心臓を貫けるだろう。二度ならあの大男ごと広く大地を抉れるだろう。三度目は? 四度目は? そしてあの猛り狂う魔力の暴風から、オレはどう小狡く尻尾を巻いて逃げ出せばいいんだ?
めんどくせえ。考えることさえ面倒くさいことばっかりだ。それでもやるしかねえんだろうな。つくづくろくでもねえ。ランサーは生い茂る葉に姿を隠しながら、両足で飛び続けた。暴れる巨体との距離を寸分違わず測りながら。
***
一方的に嬲られるだけの鬼ごっこは、数刻ののち、ランサーが郊外の森から這う這うの体で脱出したことで終結した。アインツベルンの娘が森の外へ出るのを嫌ったのか、間もなく迎える夜明け以降の争いを嫌ったのかは定かではない。ただ追手を差し向けないという少女の決断がランサーにとって僥倖であったことは事実だった。
道路に寝そべったまま、腹が減った、と再び独り言ちた。
「こんなんなら森ン中の魔獣の肝でも食ってやりゃよかった」
だが今、再び森へ戻ろうものなら今度こそ己の首を落とされるだろう。仕方ない、と最早身体が重いのか軽いのかも判別できなくなった状態で立ち上がり、歩き出す。街の方角から、人々の魂の匂いが漂ってきていた。
魂を喰らえば楽になれるぞ。
そっと囁く欲望に、ランサーは首を横に振った。んな落ちぶれた真似をするくらいなら己の霊核を槍で突いた方がマシだ。ふらり、ふらりと街を目指して進む。タイミングよく、荷台に隙間のあるトラックが周囲へ振動を振りまきながら通り過ぎた。渾身の力を込めて跳ね、土埃で汚れた荷台に飛びつく。荷台の上に腰を落ち着けて、休息を欲するまま横たわる。冬木の中心部へ移動しているらしい車の振動に揺れながら、ランサーはしばしの安寧を得た。
深山付近に差しかかった時点で荷台から降り、未だ暗い街を彷徨う。海辺から街の中へと進み、やがて坂に差しかかった。身体が空っぽだ、と胸元を掴む。雑多な匂いが鼻腔を擽る。
……女狐とヒトの血にまみれたあっちは悪臭に近い。左手からは呪いに満ちた臭いにしか感じられぬ澱みが伝わってくる。その先には奴がいる。
朝方まで潰れていたと思われる酔っ払いが、ランサーの隣を通り過ぎた。
「なあランサー。霊体の治療というものにはなかなか巡りあえない、このような立場になってからは余計にな。従って、そのような機会に遭遇できたなら……鈍りかねない技術を磨くに越したことはないと、そうは思わないかね? 患者にも私にもさぞかし有益だろう」
そういって、神父は底なし沼のような目を細めるのだ。技術を磨く、それは結構なことだ。その結果治療と称してオレのハラワタをかきまわさないならな。
ふわふわと、いい匂いのする方角へ導かれるように向かった。随分と濃厚な大気が満ちている。あそこで休めばさぞ疲れが取れるだろう……。
そのような、軽率な判断をしてしまうほどランサーは疲労困憊していた。
長い坂道を進み、途中から高い石造りの塀が隣にずっと伸びていたかと思うと、その塀はやがて雑木林の中へと折れ曲がり消えていった。名も知れぬ大きな屋敷の裏手に広がっていた林の地面では、足を一歩進めるたびに枯れ葉が潰れて乾いた音をたてる。
一際目立つ大木の根元へ、崩れるように座った。周辺に満ちるマナに頭が眩む。
ここで。
ここで宝具を解放するときのように魔力を汲み上げれば、たとえ人の魂ほどでなくとも、空腹が紛れてくれるのではないだろうか。
呼吸を求めるように、眠りを求めるように、ただ魔力を欲した。ランサーの要求に応じて大気が揺れる。周辺のマナが震え、やがて命に従いランサーの身体に――
「警告は一度だ。立ち去れ」
光を失いつつある瞳で、崩れた塀越しに由緒のありそうな洋館の頂点を仰いだ。屋根の天辺で、弓につがえられた矢は、ランサーの頭部を一ミリのずれもなく狙い定めている。
朝もやの中、名残惜し気に夜空で瞬く星を背負った声の主の姿を、ランサーは捉えてニイ、と力なく笑ってみせた。
「よう、いつぶりだ弓兵。生きてたかテメエ」
「それは私の台詞だ。最も、貴様は今にも死んでくれそうでありがたいがな」
「は、口の悪いやつだ。反論は、できねえがな」
なんの気まぐれか、上に立つサーヴァントは見逃してくれるらしい。ならばこの機を逃すべきでないということはランサーも重々承知していた。温情に縋ってこの場から去ろうと弱々しく震えかけている足へ力を込める。
ずしゃり、と重い落下音が意識の遠くで響いた。地に落ちた鎧が葉を粉々にする。
土と植物の、輪郭のはっきりとした青い匂いが鼻をさした。朝の木の葉はしっとりと濡れていて、ランサーを柔らかく受け止めながら全身の熱を奪っていく。懐かしい大地の香りに、ここで終われるなら諦めもつくだろうかと、ほんの一瞬だけ気の迷いが生じた。
「――」
迫ってくる気配に覚悟を決める。
「――……!」
早くすりゃあいいものを、オレが正常ならもう先刻から三回は、テメエの息の根を止めてやれたぞと嗤う。
「だから、貴様を私の陣地に入れる訳にいかないのだから」
出て行けといっている、と困惑しきった声が塀の上からぶつけられる。返事のない槍兵に焦れたのか、弓兵はわざわざ地面に降り立ち、横たわる身体に近づいて屈みこんだ。よりによって高所を捨てるなど愚か者のすることだろうに、と目をうっすらと開ければ、
「おい、せめて死ぬなら他の場所に行ってくれないか」
と情け容赦のない言葉を耳元で囁かれた。
「なんでそんなコソコソしてんだテメエ」
「派手に立ち回る力も残っていないだろうに、よく言うな貴様」
もう朝が来るのだから互いに派手なこともできないだろう、と囁く声の通り、周囲はうっすらと明るみだしていた。
「大体ここは『おまえ』の陣地じゃなかろう……は、そりゃそうだ。これだけ空気が濃いってことは大体魔術師が陣地をはるわな、当然の帰結だ」
アーチャーはむっと口を結び、応えようとしなかった。
「あぁ”私の”な。マスターの、とは言いたくないってか。主の存在を伏せるとは結構な忠義だ」
喋る毎に命を削り取られているかのようだった。だが喋りでもしていなければ、このまま抵抗なく消え失せていきそうでもあった。
「もう立てないのか貴様」
アーチャーから伸ばされる手をぼう、と眺めていた。無意識のうちに、口内に唾がわく。
いい匂いだと思ったのは、こいつがいたからだろうか。
欲望に押されるまま褐色の手首を掴み、最後の力を振り絞って力任せに、男を胸元へ引き寄せた。捕らえた獲物の口に食らいつく。
驚きに見開かれた鋼色の眼を見つめながら、開いた口へ舌をねじ込む。舌を噛まれないように親指を口の端にひっかけながら、弓兵の唾液を啜り舌を絡める。
――美味そうな匂いに、甘い体液に、脳内が塗りつぶされる。食いつくしたい、貪りたい。この、男を
抵抗する力は、徐々に増していった。胸を押され、髪を手で引っ張られる。だが構わず口を重ね続けた。上あごを舐めると、弓兵は可愛らしく震えてみせた。ゆっくりと、そこを舌で何度も撫でてやり、唇を噛んでは歯列をなぞり、歯の一粒一粒を丁寧に舐っていく。一度強くなったかと思った抵抗は、舌を深々と絡めるにつれて弱々しくなっていった。腹に落ちてきた唾液が身体に染みわたり熱が生まれる。アインツベルンの娘に与えられた傷が再び疼きだすほど存分に魔力を奪い取ってから、弓兵の胸元を掴む手を緩めてやった。
唾液にまみれた互いの口を離すと、ふうふうと熱い息が耳元で繰り返し吹きかけられる。いつの間にかもたれかかってきていたアーチャーは肩を上下させながら、赤く上気した顔をランサーの首元にうずめていた。
「ぁー。さてはアーチャー、テメエ色事には疎いだろ……っぐっ」
褐色の掌は容赦なくランサーの腹を殴った。それ自体の威力は小さくとも、回復しきっていない傷跡を押され、苦痛に顔を歪める。
熱のこもった吐息に紛れて、忌々しそうに恨み言が吐き出される。
「貴様、覚えておけよ。す、捨ててやる、貴様など今すぐ人のいない場所に捨ててきてやる」
湿った声でなされたささやかな強がりに、思わず微笑んだ。
「それはちょいとばかし待ってもらおう。まだ」
足りないんだよ、と告げようとした言葉は途切れた。ガタガタと鎧戸を揺する物音が朝の空気に混じった。寝起きなのかえらく不機嫌な女の声が探し人へ呼びかける。
「アーチャー。アーチャー? どこにいるの? なにかあったの、ねえ」
泳いだ眼がオレを見る。ゆっくりと人差し指を伸ばし、弓兵の口元へそっと添えた。両方の口角を吊り上げて、笑いかける。
「しぃー」と呼吸だけで告げる。声に出さず、警告する。ほら、間違ってもうわずった声を出すんじゃねえぞ。できるだろう、おまえなら。
「……私なら、ここだ。狸か鼬が横切ったから……確認、していた」
不自然な区切りはあったが、まあ及第点だろう。いい子だな、と目線で褒めてやる。
「それよりも、早く窓を閉めろ。まだ空気が冷たいから、身体が冷えて、しまうぞ」
ええそうね、ありがとう。よろしくね。不機嫌な声はそのまま屋敷の奥へと消えていった。
満足したオレにひどく不服をおぼえたらしく、アーチャーは眉を寄せて嫌そうな顔をしてみせた。そんなことは気にせずに、弓兵の腰を無理矢理抱き寄せれば抗いは一層激しくなり、小さな声で非難が重ねられる。
「あまりにも酷い様になっていると思って少し情をかければ貴様、無礼にもほどがあるぞ」
「なんだ、同情してくれてたのか。じゃあ後ちょっとだけ付き合ってくれや」
「この! だからな、先程から何度も言っているだろう。さっさとこの土地から出ていけ」
「テメエが協力してくれりゃそのまま出てってやるよ」
協力って、協力とはなんだそんな義理はないと小声で言い募る男に、そりゃちょいとばかし我慢してくれりゃいいだけだ、とあしらいながらアーチャーが身にまとっている武装のベルトへ手をかけた。
「おっ、おい」
「しばらく目ぇだけ瞑ってりゃ、悪いようにはしねえよ」
薄い光のなか、暴れるアーチャーと泳ぐ両手にあわせて、木々の間で枯れ葉が散った。薄い青がにじみだした空を背景に、宙を舞う木の葉もろともアーチャーを地面に押さえつける。
「諦めな。アーチャー」
ああでも、抵抗するのは自由だぜ。そういったオレを前にして、アーチャーはただ呆然と間抜け面を晒していた。
***
彼方の犬の遠吠えに動揺したのか、下に敷いたがっしりとした身体は全身を強張らせていた。褐色の掌で自ら閉ざした口の隙間から漏れ出る荒い息を押さえつけようとして、アーチャーは苦しそうに身をよじる。悪戯心でつぅ、と裏筋を舐めてやれば、眉間のしわはより一層深くなった。
ベルトを半ば無理矢理外してアーチャーの服を緩めたとき、勝負はついていたのだ。困惑から立ち直ってオレを殴りつけるより早く、先程の口づけで既に頭を擡げていたアーチャー自身を咥えてしまいさえすれば、あとはかわいいものだった。
ぐちゅり、とあふれる唾液と共に口を上下させれば、指を一本食んだ後孔がひくりと締まる。そっと腹の内側を指の腹で擦ってやれば、咥えているものは一層固く張りつめる。
「ん、……ぅ」
頑丈な靴を履いたままの足が木の葉を散らす。じゅる、と先端から滲む白濁を啜ると、その刺激がたまらないらしく快感に支配された細い声を漏らした。
ぐ、と狙いすまして内壁を押す。瞬間、アーチャーの身体が跳ねた。ふぅふぅと、殺しても殺しても湧き出る喘ぎを堪えられないのか、手を噛みながら反対の手でオレの頭を力加減なく掴みにかかる。一度屹立から口を放し、双球へやわやわと舌を這わせながら「いてえ」と訴えると、喘ぎの合間で「自業自得だ」と呻く声が届いた。
「こっちはいてえか? そうでもなさそうだな」
溶け始めた身体の中で、最初は頑なに拒絶された指を上下させてみると、アーチャーは固く目を閉じたまま、生じた快感を逃すためにぎこちなく腰をよじらせた。その痴態に思わず唾を飲み込む。たまらねえな、こいつに巡りあえたのはなかなかに幸運だ、と内心で笑う。
「……貴様、さっさと終わらせろ。もう、こんな」
身を縮めた大柄な男へのしかかっている光景に欲望を煽られ、つい
「ここで抱けねえのだけが惜しいな」
と漏らすつもりのなかった本音が無意識のうちにこぼれ落ちる。互いの視線と視線がかちあい、思わず固まった。アーチャーも目を見開いたまま微動だにしない。
「……いや、今のは流せ」
「抱かれてたまるか!」
その叫びの大半は、なんとか間に合ったランサーの左手に吸収され、朝の街に響くことはなかった。もごもごとがむしゃらに反論しながら暴れる弓兵を、全身を使ってなんとか押さえつけながら
「ここまできてそりゃねえだろ、否、ここではしねえ、ここではしねえからそう暴れんじゃねえ……って」
と説き伏せるのだか煽っているのだか分からなくなりながらも、なんとか猛犬を従えさせるようにねじ伏せる。
「ほらアーチャーこっちに集中しろよ」
アーチャーへ見せつけるように、わざと舌で唇を舐めた。そのまま緩慢な速度で、いまだ力を失っていない性器へ口づけ、目をあわせながら喉の奥まで導いていく。魅せられたようにその様子を追っていた弓兵は、じわじわと頬を紅潮させ、我慢できなくなったのか己の腕で顔を隠した。
遠くで鳥が羽ばたく気配がした。
喉の奥に、濃厚な魔力が吐き出された。飲み下せば、じわりと身体に熱が灯る。
寝そべったまま肩を上下させている弓兵の服を直してやり、頭を両手で抱えて軽く口づけた。
「今度は全部もらいに来るからな」と唇を重ねたまま囁く。
いまだ快楽の淵を彷徨っているらしい弓兵は、それでも呆れたように
「甘やかすのは今回だけだ」
と、吐き捨てた。
「じゃあ今度はオレが、甘やかしながら抱いてやるよ」
返答を待たずにランサーはその場から姿を消した。報告もなく連絡を絶ったことで、さぞ苛立っているであろうマスターのもとへ戻るために。
***
「アーチャー?」
洋館から出てきた軽い足音が、枯れ葉の海に沈む弓兵に近づいてくる。
「きゃっ。なに、なにしてるの。そんなところで」
枯れ葉に抱かれたまますっかり明るくなった空を見上げ、アーチャーはひきつった笑みを浮かべてみせた。
「いやなに、考え事をすこしばかり」
「どう考えても考え事をする格好じゃないと思うんだけど」
少女は疑念と共に腕を組む。
「なにか居たの? というかなにかあった?」
「ああ、冬眠し損ねたムジナを発見してな」
「ちょっとアーチャー、あなた本当に大丈夫? 変なものでも食べたのかしら」
むしろ食われた、とはさすがに口にせず、差し出された少女の腕をとって立ち上がった。マスターは不審げに首をひねり、バタバタと弓兵にまとわりつく葉っぱを掃っていく。
「まあいいわ。具合を確かめるから一旦中に入りましょう」
遠ざかる小さな背中に、たまらず呼びかけた。
「凛」
「なあに」
「なあ、校庭で遭遇した……サーヴァントがいただろう」
「ランサーのこと? ええ、いたわね」
「もし奴と戦うことがあったら」
躊躇いはどこにもなかった。
「私の自由にさせてくれないか、私の」
実力で倒してやりたいんだ。
振り向いたマスターは不思議そうに首を傾けながらも
「うーん。まあ、そうね。状況が許せばいいかな」
と、あっさり受けいれた。意外な答えに弓兵は己の耳を疑う。
「本気か?」
「なんでよ、あなたが言ったんじゃない」
「そうだが」
それにね。
「だってアーチャー。あなた初めて、私になにかを望んでくれたんだもの」
彼女は振り返ることなく、そのまま洋館へ戻っていった。名も知れぬ動物が、朝露に濡れる世界で甲高い鳴き声を発している。
弓兵は立ち尽くしたまま、いまだ青髪の感触が残る掌をじっとみつめていた。
槍兵と弓兵の邂逅は、その朝が最後となった。
