fate(槍弓)

 見下ろしている。彼女は己の足元をじっと見下ろしている。新しくはないけれど、隅々まできれいに磨き上げられたローファー。泥のひとつも残されず、ただ歩んだ距離だけを刻み付けた表情をしている。
 彼女を見下ろしている。男は大柄な体を少し前に屈め、リボンが揺らめく長髪の真上を見下ろしている。肩先に戸惑いが見え隠れしている――なぜ私は、彼女に話しかけてしまったのだろうとでも言うように。迷い子が親を探す目つきで、オレを見上げた。二人を見下ろしているオレは、陽気な空気に包まれながらごろりと屋根に寝ころんでいる。
「私なんて、そんな……」
「……変なことを言ってしまって、すまない。ただ君が送辞を読むのなら、それは、君と……君と凛に似合うだろうと思った……だけで」
 新手のナンパかよ。そう弓兵をからかいたくなったが、眼下の二人は至極真面目に不器用な態度のまま、いえ私なんてそんな、……君な、そう自分を卑下するものではない、などとぐずぐず問答を繰り返している。
「私なんかが送辞なんて、あ、でも……でも姉さんは答辞を読むって……いえ、本当は姉さんか生徒会長さんのどちらかで、どちらがピンチヒッターなのかそこまで私は聞いていないんですけど」
姉さんにはぴったりだと思います。周囲を舞う花弁のように華やいだ声へ、耳障りな音が重なった。年月の積み重なった門扉は高い音をたてながらゆっくりと閉じられ、しばらくして鍵がかけられる。
 そこにいる男二人がじっと相対する。
「――いくぞ、桜」
戸惑いながら二人を見比べていた少女は、軽く肘を掴まれて少年と共に去る。ぺこりと下げる頭ごと少女を連れていく少年。弓兵と少年は互いに敵対的な態度をみせるが、憎悪はなかった。その証拠に弓兵は徐々に小さくなっていく少年と少女をながめ、やがて十分な距離をとってからゆっくりと後を追いだす。霊体の揺らめきを感じていたオレも身を起こし、二人の後を追う弓兵の後を追った。霞む春の空に桜が舞う。なあ、今から何があるんだ。その問いには、しばしの思案のあと遠くから答が与えられた。

――儀式だよ。子供が大人になるための儀式のひとつさ。君が経験したものほど殺伐とはしていない、単調なものだがね。

 日頃よりも多くの人が、薄紅色の舞う坂道をのぼっていた。だがそれでも、既に人ごみの最後尾に近いらしく、腕時計を見ながら速足になる人がちらほらと存在していた。弓兵は焦ることなく、遅いとさえ思える速度で坂道を進む。弓兵のマスターはとっくに学園に行ったのだろう、姿はどこにもない。学園へ到達した弓兵は、人々が行く流れに反して体育館ではなく校舎へと足をむけた。体育館を臨みながら道を逸れ、槍兵も人気のない校舎へと踏み入る。がらんとした空間にかすかな足音が響いた気がした。互いに霊体のままなのに、オレ達の気配が響いているかのようだ。

 屋上の縁に立った弓兵は、風に煽られながら地上へ顔をむける。ぬるい空気、花々の香り。眼下で咲き誇る桜の木々を節ばった指で示し、今日が晴れでよかったなどと甘い言葉を口にする。常にない感傷的な言葉に、まあ殊更否定する事実でもあるまいかと
「そうだな」
とだけ、曖昧な調子で返答した。

 ゆるい時間のなかで、異質なものがふわりと浮き上がる。にぎやかな少女たちに囲まれていたくせ毛の少年は、しばらく騒いだ後に立ち去っていった取り巻きたちの間から抜け出でて、校庭の隅にたどり着く。するとまるで疲れ果てた老人のように、置かれていたタイヤの上に腰を下ろした。金属の引き戸が閉められた体育館では、式典が始まっているようだった。ぴくりとも動かない人影に、遠くから駆けてきた赤い髪が近づく。座りこみ嫌がる手を取り立たせると、一か所だけ細く開かれた体育館のドアへとくせ毛の少年を追い立てる。だが赤髪の少年もまた、追い立てたあと立ち尽くし、そのままぼんやりと空を見上げた。

 遠く、合唱の声が響く。
「近づかなくていいのか、どうせならもっと近くで中を見りゃいいのに」
「よそ者が参加するものでもないさ」
ふうん。人間には聞こえぬ声で会話を交わす。赤い髪の少年の胸元で、赤い造花が咲いていた。弓兵が口ずさむ。遠く響く合唱にあわせ、ゆるく歌いだす。
「なあ、もう少しはっきり歌ってくれや。よく聞こえねえぞ」
訪れた沈黙は重く、長い。そうやって躊躇うほうが後々厄介になるもんだと忠告しようとした瞬間、唐突に弓兵の口から調子が狂い上ずった声が無秩序に発せられた。鋭いものが二人のサーヴァントを貫く。
「……」
弓兵は静かに手を口に持っていき、一度だけ、威風堂々と咳払いをした。
低い声が合唱のベースとなり、別れの歌を静かに口ずさむ。調子を取り戻し、若い声にまじって旅立ちを言祝ごうとする。

 空をツバメが舞った。曲線を描く姿に、弓兵の声が止まる。

 声を失い立ち尽くす広い背中を見つめていた。合唱は続く。ランサーは、アーチャーに続くように大空へ向け口ずさむ。異国の少年少女が紡ぐメロディを。ただ調子だけを適当にあわせて、正しいかわからないまま、途切れ途切れに歌う。ツバメ舞う春の空へ祝福を込めて。
動きを止めたアーチャーへ、手を差し伸べるように。
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