fate(槍弓)

 大昔の話だ。まだ己に時間などという概念が、現代より幅のあるものだったとしてもこの身に刻まれていて、肉体は移ろいゆくものだった頃の話だ。平野を駆けると、昼夜を問わず周囲の自然の色は濃く浮き上がり、山は黒くそびえ、地には神と人間の境さえ軽々と越えられるほど生命に満ち溢れていた。木々も花々も猟犬も馬も、次々に生まれ出でては消え去っていく。だが天の星は常に同じ位置で輝いていた。毎夜毎夜飽くことなく数えても数え切れぬほどに。
 いつだったか、太陽がこうこうと照っていた昼間に、馬を御していたロイグが叫んだ。”星が流れた、白昼の天を星が”
昼に星など流れぬだろうと、己か帯同の者かが笑った。それは戦いの間にあった他愛もない会話だった。これほどの晴天に、天をすべり落ちる星などあるまいにと、俺たちは笑ったのだ。

「はい、気をつけ整列!えー、今から雪の片づけを開始します!範囲は衛宮邸の庭全体です!いいですか、これは生活に支障をきたしそうな……えーっ、雪を片づけるということが第一の目的であって、雪だるまを、家族になるくらいにぃ、作るというのはぁ、作業を少しでも楽しくしようとするぅ!」
「いいからさっさと皆で雪だるま作って遊びたいって言えよ藤ねえ」
「静粛に!衛宮君、先生の話は最後まで聞くように――!」
浮ついた調子で声をはりあげる大河の前では、かわいらしいピンクのマフラーとミトン、白いイヤーマフをした桜がふんふんと素直に頷いている。士郎はその隣に立ち、どこか面倒くさそうに、けれど立ち去ることはなく大河の言葉の節々で合いの手を挟むように文句をつける。その手は赤い先端部を厚い雪に刺したスコップの持ち手に置かれている。二人からは距離をおいた場所には、戸惑いを隠すように腕を組んだアーチャーが所在なさげに立っている。立ち去りたくとも大河の前からは動けないらしい。凛はコートを着て縁側に座り、持ち出してきたストーブにかじりついていた。ランサーは間に二人分のスペースを開けて凛の隣で胡坐をかき、そのままちらりと凛を横目で見た。
「外に出るのには支障ないのかい嬢ちゃん」
気遣う視線の先には凛の足首がある。凛の右足首には真新しい白い包帯が巻かれ、細い足を痛々しくみせていた。凛はかじかむ両手をこすり、白い息を吐きながらすました様子でランサーに応じる。
「別に心配は結構よ。わざわざ病院に行ってレントゲンまで撮ってもらったけど、骨にひびも入ってないし、腫れもひどくないし。湿布と痛み止めで十分、あとは激しく体を動かさなければいいだけ」
ランサーはセーターを着た上半身を震わせ、温い空気が残っている室内へ体を寄せた。
「しっかし嬢ちゃんも大概だな、凍った道でこけて足首ひねるなんざ間抜けな――、いや、いや悪くねえ嬢ちゃんは、な、ついうっかりしていただけだろうよ」
ランサーは明らかに攻撃的な意思を増した凛の吊り上がる目とオーラを受け流し、心もち体の向きを反対へとずらした。室内には、小豆を甘く煮たぜんざいの残り香が漂っている。今日の十時のおやつ時に、衛宮邸で士郎が大量に作ったという大鍋のぜんざいを皆で食べていたときに大河は訪れた。昨夜一際積もった雪をかきわけて辿りついたという大河は、
「しーろーうー、雪!雪だよしーろーうー!」
と小学生が遊びに誘いにきたように、わくわくとした調子で衛宮邸の玄関を開けた。彼女は寒い寒いと言いながら居間に座り込んで、士郎へ雪合戦しよう、雪だるまを作ろうと何度も誘いかけ、焼き立ての餅が投入された椀いっぱいのぜんざいが目の前に置かれるまで、その口は静かにならなかった。
「役割を発表します!士郎とセイバーちゃんは頭!いい、きれいな顔は綺麗な球からよ。なんたって一番見栄えに関わるところなんだから。アーチャーとランサーは胴体ね。桜ちゃんは椿と、枝を集めて飾りを」
さりげなく呼び捨てにされても特になにか言うこともなく、ランサーは四つ這いしながらこたつの上に置かれている蜜柑へ手を伸ばした。さすがに距離があるなと再び縁側で胡坐をかいて、蜜柑の皮へ爪を立てる。
「嬢ちゃん、それ、自分で治せはしねえのか」
そう言ってしまった後に大河の存在を思い出して、あ、やべえと内心で舌打ちをした。日頃くどくどと繰り返し説かれる聞きなれた台詞が再生される。ランサー、君には人間として生きている自覚が足りていない。君は今「人間」として生きているのだ。
肝心の大河は理想の雪だるまファミリーへについての熱弁で忙しいらしく、迂闊に発せられた問いかけは聞こえていなかったようだ。そのかわりに、アーチャーは二人が座る縁側へちらりと顔を向け「まったく君は」とでも言いそうな表情をした。ランサーは肩をすくめ、へいへい、俺たちは人間です、そうですとも皆「人間」で魔術や魔法なんて胡散臭いものなんざ誰も知らねえんだと、無言でアピールする。凛はその間も無言のまま湯気の立つ煎茶を啜った。答えはない。沈黙に答えを与えるかのように、小さな声が皮肉交じりに呟く。
「宝石だか薬草だかが底をついたとみえる。だから無駄遣いはやめろとあれほど」
「うっさいわね。こんな小さなことに使えないだけよ。貴方は頑張って雪だるまの胴体を作りなさいよ。ほらほら、先生ってばすごーく期待している目で待っていらっしゃるわ」
うっ、と詰まったアーチャーの向こうで、大河はふふんと得意げに笑った。ダウン、マフラー、手袋にブーツと防寒装備は完璧だ。その近くにいた士郎はハァと己の手へ白い息を吹きかけ、ばたばたと服のポケットを順々に叩いていく。そして
「俺手袋忘れた。ちょっと取ってくる」
と仁王立ちしている大河へ律儀に断りをいれ、もそもそと縁側にいる二人の間を通り抜けて家の中へ上がっていく。ランサーはその姿を目で追いながら、手元に残っていた四分の一の蜜柑を口の中へ放り込んだ。数日前に、衛宮邸の片隅でこそこそと彼に話しかけられた出来事を思い出す。
「――なあランサー。遠坂に聞いたんだけどさ」
少年はそこで言葉を区切って言い淀み、なにか難しくてたまらないとでもいった、いつもの彼には似合わぬ顔つきをしてみせた。
「ランサーと、その、アーチャーが……一緒に暮らしてるって本当なのか?」
深刻そうな雰囲気でどのような無理難題を告げられるのかと思えば、なんだそんなこと、とランサーは腰に片手をあて反対の手を面倒くさそうに一度振った。
「おう」
「……おう」
士郎はランサーの断言につられて思わず一度頷いた。
「……で?」
ランサーの問いに、士郎は意味ある単語を発しないまま両腕を組みうんうんと唸っている。間を持たせる煙草もなく、ランサーは体重をかけている足をかえた。
「いや、いやさ、別に単純な疑問で変な意味とかはないんだけど、ランサー、あいつと暮らして……る……のか」
「おう」
「……どんな感じで?」
「どんなって、そりゃあ」
普通に、とは言ったが、普通というフレーズがこれほどまでに虚しくなる二人組もそうはいねえだろうなと胸の内で密かに思った。
「どうしたんだ、なにが言いたいのかはっきり言えよ坊主」
別に嫌なら嫌って言えばいいんだぞ、と続いた言葉を打ち消すように士郎は勢いよく手を振った。居間からは少女たちが喋る声とTVの音が漏れてくる。薄暗い日本家屋の片隅で、士郎は頭を抱えていた。
「いやなんかさ、あいつと暮らして喧嘩しないのかとか、あいつと二人で飯食うときになにを喋るんだろうとか、あいつが風呂掃除してんのかとかさ、いやそれは十分にしそうだけど、なんかあいつの日常が想像つかないんだよだからってランサーに聞いても意味ないけど、俺いったいなにを言ってるんだ俺にもわからなくなってきた……」
徐々に気落ちしていく士郎を前にして、ランサーはためらいなくしなやかな腕を士郎の肩にまわした。内緒話をする口調で、にやつきながら語りかける。
「つまり、つまりだ坊主。お前さんは他所の自分みたいなものの暮らしが気になっちまうくらい元気が有り余っていると。頭にばっか血が巡っていると。若いねえ、いいぜ、今度俺のお気に入りの綺麗なお姉ちゃんが揃ってる場所へ連れて行ってやるから――他の奴には絶対内緒だぞ――、予定が空いたら連絡しな」
そう笑いながら士郎の背中をバンバンと叩き、居間へ戻ろうと少年に背を向けた。ランサーは笑みを浮かべた顔のまま心の中で、俺にもわからねえなと平坦な調子で呟いた。
 俺にだってあいつとの暮らしなんざ想像つかねえ。それは一緒に暮らしている今でさえそうだ。それでもなぜか毎日共に暮らしているんだ。他所から俺たちがどう見えているのか、なんなら教えてもらってもいいくらいだ。それでも離れようと思わない。
少なくとも、俺は。
 雪の中に立って桜と共に土蔵の屋根を見上げて、あんなところの雪はどうすればいいのかと話しあうアーチャーの横顔をぼうっと眺めた。ふうふうと凛が葛湯を吹く息遣いがひっそりと響く。
「――あれ?藤ねえとセイバーは?」
手袋をはめながら戻ってきた士郎が縁側に足をのせながら訊いた。
「さっきからいないわね。でも東からずっと音が……」
みしり、みしりとなにかが重く地を移動し、ぎちぎちと押し固められている耳障りな音がする。
「……すごい」
「……」
「せ、セイバーちゃん……すごいわ……」
「いいえ、まだまだです大河。まだ大きくできるはずです」
みしり、みしりとセイバーは、自身の身長の三分の二を超えかねない巨大な雪玉を、全身を使って押して歩いてくる。辿ってきた道の雪ははがれ、地と土が見えている部分さえある。
「ええ、セイバー大きい、大きすぎるって!大体俺たちの作るところは顔――って、これじゃあ一体作るのにどれだけ雪使うんだよ!」
二人して瞳を輝かせる大河とセイバー、二人を制止する士郎、そしてそれを呆気にとられた表情で見つめる桜を前にして、ランサーは隣に座る凛に「その葛湯ってやつはうまいのか?」と訊く。凛は「あっち」とテーブルの上に積み上げられた個包装を指さしたが、その上に「食いすぎだ貴様」とアーチャーの叱責が重ねられた。

***

 セイバーが作った巨大な雪だるまと、それに負けじと大河が作った中くらいの雪だるまと、小さな幾つもの個性豊かな雪だるまを衛宮邸の庭に残し(巨大な雪だるまには特別に青いバケツが与えられた)、昼食を固辞したランサーとアーチャーはひと気のない坂道を二人で下っていく。アーチャーの両手は大きな両手鍋によってふさがれ、鍋の中からはぜんざいの甘い匂いが周囲に漂って道の上にふわりとそのあとを残していく。アーチャーの髪も、ランサーの髪も常にないほど湿っていた。
 始まりは雪だるまを作っている最中だった。ふとランサーはいたずら心を出して、士郎が屈みこんでいる地面の上空で、豊かに茂る大木の葉の中へ、意味なくひょいと重い雪玉を投げ込んだ。一拍の後に、勢いよく音を立てながら士郎の全身へすべり落ちた雪が降りそそぐ。
「――うわっ!うわ、うわ、なんだびっくりさせるなよ」
バサバサと体全体に降りかかった雪を払い、周囲を見渡した士郎は行為の主犯を睨みつけた。にやけるランサーへ、即席の雪玉を手加減せぬまま投げつける。士郎の雪玉はするりと身軽に躱したランサーを通り越してべしゃりと、否、鈍く重い音さえ響かせて、ランサーの後ろに立っていたアーチャーの背中に命中した。
 そのあと縁側まで侵入する雪玉に、凛が本気を出して怒りながら制止し説教を始めるまで、衛宮邸の庭は敵味方の区別さえない戦場と化した。鋭い角度で雪玉が飛び交い、果てには全身を雪にまみれさせた情けない姿のまま、大人三人と桜以外の少年少女二人は、すごすごと怒る凛に頭を下げた。
 
 たぷり、とぜんざいが鍋の中で波打つ。ランサーは腕を後ろで組みながら、彼の前を行く不機嫌さをかすかに残した弓兵へ話しかけた。
「またぜんざいが増えたな」
「ああ、この間やっと食べきったと思ったが」
「坊主のもさ、悪くねえけど」
先を行く背中は広く、暖かなジャケットに包まれている。
「……お前のやつのほうが美味いのは、なんでだろうな」
アーチャーは二歩、三歩と進んで、止まった。ランサーもつられて足を止める。
「どうしてだか教えてやろうか」
前を行く男は後ろを振り返りもしないのに、どこかとても愉しそうだった。
「当然だとも。君の身体はもう、私の料理だけでできているのだから」
ランサーは冬の昼の太陽の眩しさに、思わず目を細めた。口を尖らせ疑いを露わにする。
「それだけかあ?……なんか、どっか違うぞ」
アーチャーは沈黙し、やがてこらえきれず肩を震わせた。
「ならばそれは……中に入っている愛でも違っているのだろうよ」
驚きに腕を解くランサーを置いて、アーチャーは再び歩き出した。我に返りその後を追う。
「なあ今の言えよもう一度」
「さて、なにを言ったかな。なにも言っていないな、私は」
木で鼻をくくったような返答に耐え切れず、ランサーは傍らの街路樹を揺さぶった。数刻前の士郎のように、アーチャーの体へ雪が降りそそぐ。
「っ!また、もう十分だランサー。貴様はどうしてこう、たわけ、背中にまで」
アーチャーは両手を塞がれたまま体をもがかせ、傍らの男を叱りつけた。しかし考えなしにアーチャーと同様に全身へ雪をかぶった、ランサーのしょぼくれた犬のような姿を前にして言葉の勢いは失われていく。背中が、ともどかしそうに白い髪をふるアーチャーへランサーは手を伸ばし、ジャケットの裾からするりと白い手を差し込んだ。繊細に動く指は器用に服の間をくぐり抜けて素肌に辿りつき、背中へ直に触れる。ランサーの冷え切った掌が与える凍るような感触に、アーチャーは身を強張らせて目を見開いた。互いの時が止まる。屋根から雪が落下する低音がどこかで生じた。アーチャーの背中を溶けた雪の水が一筋、つたい落ちる。
「……ここを、どこだと思っている。……馬鹿め」
やめたまえよ、と呟いたアーチャーは手にした鍋をランサーに押し付けて上半身の服の裾を掴み、あえてわざと荒々しく服を扇いだ。雪は体温によってほとんど溶け、服に黒々と染みを作る。ランサーが項垂れると、青い髪から滴がたれた。
「なあ、アーチャー。帰ったら作らねえか、雪だるま」
「は?さっきまで散々作ってきただろう」
「俺たちの」
ランサーは常日頃には発さない強い口調で、けれどどこか夢を見ているようなまどろんだ調子を帯びさせながら繰り返した。
「俺たちだけの雪だるまがいいんだ」
言いながら、俺はなぜこんな馬鹿馬鹿しい、あまりにも幼い望みをこの男にぶつけているのだろうと己で呆れ返った。アーチャーは服を乾かすための動きを止めると、笑っているのか判別できない息を鼻でして、几帳面に服の裾を整えていった。立ち尽くすランサーの両手から鍋をもぎ取ると、そのままぐずついた路面の上を再び歩き始めた。
「どうしようもないうえに仕方のない奴だな貴様は。……一回だけだぞ」
と広い背中越しに告げる。ランサーは青い髪を舞わせながら顔を上げた。中途半端に口を開き――そのまま、なにもいうことができずに前の背を追って足を踏み出す。頭に乗る雪を払いのけ、坂道をのぼる眼前の男を抱きしめたいという衝動を抑える。二人は言葉も交わさず、人通りのない道を慎重に進んでいった。

***

 アパートについたアーチャーは鍋を抱えてカンカンと階段を上っていく。ランサーは寒さにかさつく頬を拭い「それを置いたら下りてこいよ」と呼びかけた。アーチャーは片眉を上げて二階の手すり越しに青い髪の男を見下ろした。
「昼食を作らねばならん」
とけんもほろろに切り捨てる。
「……腹減ってねえ」
「あれだけ食べればそうだろうさ。餅四個は君でも食べすぎだと言っただろう」
そう言いながら、それでもアーチャーは鍋を置いた後に、まったく手間のかかる奴だとぼやきながら下りてきて、共に遊んでくれるのだろうとランサーは確信していた。アパートの庭の、手をつけられていない雪に脹脛までずっぽりとはまり、手で雪を触っていると庭の向かいにある空き地の様子を観察していた老年の男が、道路に止めた軽トラックのドアに手をかけつつ、一人で雪に興じるランサーへ声をかけた。
「よう外国の兄ちゃん、雪は珍しいか?気合の入った恰好してるじゃないか」
ランサーは口元を覆うマフラーをずらし、あっけらかんと返す。
「ここの冬はいつもこの位積もるのか?」
「いやいや。まさか、俺だってこんな雪……そうだな、三十年ぶり位だよ。どうだ兄ちゃん、ここの雪貸してやろうか。人型をつけるのも自由だぞ、下には土しかねえからな」
男は厚い皮膚に覆われた掌で禿げた頭頂部と周辺の白髪を撫で上げ、そのまま空き地を指差した。そこには新雪がふかふかと一面に広がり、乱れもなく、とても柔らかで温かそうにさえ思われた。
「本当に?いいのか」
「おうとも、おうとも。孫たちを遊ばせてやろうかと思ったんだがなあ、もうそんな年じゃないんだとさ」
そう言い残すと男は大きく笑いながら車両で走り去った。吐き出された排気ガスの臭いがあたりに残る。まっさらな一面の白銀の誘惑に耐えきれず、ランサーは遠慮なく足を踏みいれた。二人が暮らすアパートを見ながらゆっくりと背から雪の大地へと倒れていく。建物は視界の下へ沈み、上空に広がる青空と共に衝撃が背中全体を叩いた。冷たく湿る雪の中へ、現世で得た仮初の肉体が落ちてしっかりと人の形を作る。
 真っ青な空には雲の一片さえ浮かんでいなかった。座にある空と現世の空が重なり、やがて両者は混然一体となって溶けていく。遠くから足音が聞こえる。それは階段を滑らないようにゆっくりと下り、ぬかるむ土と泥の上で水を跳ね飛ばし、道路の上で薄く凍った氷をぱりぱりと割っていく。そしてやがてランサーの頭の上に、影が落ちる。
「……背中から落ちるなど、随分と危ないことをする」
ランサーは眩しそうに、一度だけ静かに瞬きをした。
「……そうしないと、お前が見えない」
「もう少しまともな理由を言いたまえよ、息ができないとか」
ランサーは目を細め、己を覗きこむどこか幼い顔へ笑いかけた。白髪が陰になった顔の周囲で軽く踊る。なあアーチャー。お前は、俺たちが今、人間として生きているのだといつか言ったよな。魔術も魔法も関係ない、そこいらで暮らす現代の平凡な人間として生きているのだと。きっとそうだ、お前は間違っていない。だってこれほど青く瑞々しい思いなど、俺は、友に馬を駆けさせ妻となる女を手に入れようと野を走りすぎた遥か昔にしか抱かなかった。
「アーチャー」
「なんだ」
「一緒にいたいなあ」
「なにと?」
「お前の隣にいてえ。……ずっと」
それ以上の言葉を弓兵に差し出そうとしたが、いくら探しても出てはこなかった。それどころか、唐突に生じた予期せぬ胸の圧迫感にほのかな畏れを抱いた。
 傍らにいたアーチャーはしばし動きを止め、やがて躊躇いなく雪の中へ両膝をついた。ランサーの左手を持ち上げたかと思うと、冷えた両手で白い手を包み込むように握った。ランサーの胸元へ、半ば顔を埋もれさせながらこうべを垂れる。褐色のざらざらとした皮膚が、武器を振り回すことで厚くなったランサーの掌に擦りつけられる。アーチャーは一度だけ、大きく喘ぐように息を吸った。

 ――天を駆ける星はあったのだ。誰に見られることもなく消えていくとしても、あかあかとその身を燃やしながら、俺の中にある球型の空をすべり落ちていく。その軌道は確かに俺の天を切り裂いた。
ランサーとアーチャーの上には冬の平穏な青空だけがひろがっている。二人の周囲はただ眩しく光り輝いていた。青天を星が駆ける。閉じられた瞼の裏で、尾をひく一筋が燃えた。音もなく。
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