fate(槍弓以外)
「そうか、無理を言ってすまなかった。また機会があれば声をかけてくれ、ドクター」
「いやいや……少し待ってくれ、エジソン」
カルデアの中枢、管制室には人の姿もまばらで、閑散とした部屋で数人がキーボードをたたく乾いた音だけが響く。巨大な地球を模したシステムと、その周囲で大量のコードによって繋がれたモニタ、機械類が唸りをあげている。大量の機械が吐き出す高温の排熱に対し、空調からその熱を冷ますための寒風が轟々と音を立てて吹きつけられていた。
ドクターは、管制室の片隅で身を縮めるように遠慮がちに置かれた自分のデスクで、積み上がっている書類とファイル、何台ものモニタとハードウェアの中から、目的のものを見つけようと悪戦苦闘していた。
その前に立つ大柄な男は、目立たぬように机の上に置かれたコーヒーカップからそろそろと遠ざかった。白いカップに注がれた灰色の液体からは、発達した嗅覚を阻害してしまう刺激臭が漂っている。
「君の、いや貴方の、その努力する姿勢は僕達も見習うべきだと思っているよ、なんていうんだい、学ぶことをやめたときにこそ人は老いるというのか……」
獣の首を持つ男はその特徴的な目を細めて、ドクターの言葉を否定するために手を大袈裟に振った。
「いや、そんな高尚なものではないのだ。なに、身を食い殺しかねない好奇心という虫が、死してなおしぶとく生きているだけなのだから」
エジソンは豊かな毛並みを誇る後頭部をがりがりと掻き、ふう、と自嘲した。
ドクターは色とりどりの付箋で区分けされた書類の束から一枚を探し出し「ああ、これこれ」と腕を伸ばしてペンを取った。
「近々、カルデアの地下にある……知っているかい?発電施設だ。残った僕達ができることは限られてはいるけれども、放っておく訳にはいかないからね。とりあえずまた降りてみるんだ。そこの面子へ貴方も入れておこう、どうだい?」
エジソンはニィ、と面白がるように口を吊り上げた。鋭い牙が合間からちらりと覗く。
「それは楽しみだ、是非同行したい」
「じゃあ、よろしく頼むよ。有用な智恵をただ寝かせているのは、僕達にも、貴方にも損なことだからね。……ただ」
半ば話が終わったかと気を緩ませたエジソンへ、ドクターは精一杯の重々しさで警告する。
「”彼”は連れてこないでくれよ、くれぐれも。生命線の発電施設で、喧嘩して施設を破壊して、カルデアが自滅なんて恐ろしいことにはしないでほしいんだ」
ははっ、とエジソンはドクターの言葉を大らかに笑い飛ばし、「まったくもって同感だ、心しておこう」と胸を叩いた。
「ところでエジソン……この、ダヴィンチちゃん特製栄養ドリンクを飲んでみないかい?」
そう言いながらコーヒーカップへ手を伸ばすドクターをエジソンは制止し、
「私に疲れはないから気を遣わないでくれたまえ。ドクター、君に必要なのだろう、君こそ人間なのだから」
「そうなんだけどねぇ」
ドクターはデスクに頬杖をついたまま、力なくずるずると机の上に上半身を伏せ
「効くのは効くけど、なにに効くかがいつも違うのが厄介なんだよなあ……」
と消える声で呟いた。
「どうでした魔術師、ドクターとの交渉は。貴方の好奇心を満たす現代の知識は手に入れられそうですか」
通路の半ばに置かれたベンチに腰掛けていた赤い服のナースが、大股で歩くエジソンを呼び止めた。
「いや、私へ特別に教授してくれる人員は割けないそうだ。これはなにより、人間の絶対的な数が少なすぎることが真の問題であろう。だが、なら後は自力で学ぶだけだ。そうではないか?」
バーサーカーは目を伏せてゆっくりと笑みを作り、ええ、ええ、そうですとも、と同意した。
「エジソン、実験に失敗して怪我をしたときは私のところへ来てください。貴方は独特な身体を有してはいますが、治すという行為は誰に対しても同一です。消毒も切断も可能ですよ、いつでも」
ああ、なにもかも試して他に頼る術がなくなったら必ず君の所へ行こう。エジソンは笑いながらそう告げ、別れを交わしその場から立ち去った。
***
「キュー」
つぶらな二つの瞳が、ガシャガシャと金属の擦れる音を立てて廊下を大股に歩くテスラを見上げる。テスラは廊下の隅をとてとて歩くフォウを一顧だにもせず前へと進む。
しかし、しばらく前進したあとに引き返してきて、小さく佇むフォウを無感情に見下ろした。小さな獣を睨みつける長身の男は、機械に包まれた片腕でPCと本を持ち、冷淡に吐き捨てる。
「私は獣が嫌いなんだ」
「キューゥ」
「獣はどこを歩いているかわからないから不潔だ。しかも十分な知性がない」
「フォーゥ」
「毛皮からは毛が落ちるだろう。行動だって勝手で予測がつかない。小さいと力の加減を間違えそうだ」
「フォウ、キュゥ?」
「なにより、なによりだ。獣は見ただけでアイツを連想させるんだ。あの実験馬鹿はなんだってあんなに、ふわ……野蛮ななりをして、耳なんか時折ぴこぴこ動かして、直流など下らぬのに、なんなんだヒゲまで喋る度に跳ねて、瞳孔が開くと目が真ん丸になって……」
「キュゥ……」
「こうして手を伸ばしでもしたら、一体どんな言葉が返ってくるかも分からん。あんななりなのに、性格だけはちっとも変わっていない。……お前くらいの可愛げがあれば私だって……」
テスラは長い手足を縮めるように身を屈めて、慎重にフォウの鼻先へ人差し指を突き出した。フォウが、フンフンとひくつく鼻先を近づける。
その愛らしい様子に、テスラは表情の強張りを解いていく。けれど、鼻先と指先が衝突する寸前で
「キュウッッ!!」
とフォウが叫んだ。
鼻先で生じた電気の衝撃にフォウは小さな体を飛び上がらせ、その場から脱兎のごとく逃げ出した。その様子をテスラは呆然とした表情で見送る。そのまま常に雷電を帯びる己の掌を無感動に見つめた。奥歯をぐっと噛みしめる。
「そうだとも、獣など私が触るに値しない生き物だ」
はは、と笑ったまま、己が廊下を歩いていた目的を思い返し、再び歩き出した。
食堂から昼餉を仕込む香ばしい匂いが漂っている。遅めのブランチを済ませたサーヴァント達は、茶を喫しながらのんびりと食堂の外に広がる緑を眺め会話を交わしていた。テラス席で紅茶を傍らに置いた少女は、遠くから歩いてくる群青の服を着た長身の男を目にすると、親し気に小さく手を振った。
「どうしたんだエレナ、私ばかり見つめて。そんなに私の雷電が素晴らしいかね。そうだろう、はは、ははははは」
テスラの言葉に苦笑したエレナは、首を傾げ薄い唇を舐めた。
「ねえ、テスラ。……エジソンをここ数日見ないわね?」
エレナは優雅な手つきでティーカップを持ち上げ、唇を湿らせただけで再びカップを下ろした。木製のテーブルの上に肘をつき、重ねた手の甲に顎を軽く乗せ、上目遣いで囁く。
「貴方がそれを一番感じているのではなくて?」
「アイツがいない?気づいていなかったが、それは素晴らしいことじゃないか。清々するな。同じ分野で新たな才能が芽吹いたのなら、昔の人間は去るべきなのだ。頂点はひとつしかないのだから」
エレナはテスラの言葉にふぅ、と息を吐いて手元に置いた本をコツコツと二回叩いた。
「貴方たちって、過剰にぶつかってみせるわよね。無関心どころか、相手が気になって気になって仕方のない思春期の子供みたい。……あら、ごめんなさい」
むっと口を閉じたテスラへ、エレナは華やかな笑顔を向けた。
「ねぇ、きっと実験に没頭してまた寝食を忘れているんだわ。テスラ、私用事があるから代わりに行って、言ってきてくれない?ドクターが”半日後には約束の時間だ”って言っていたって。お願いね、それじゃ」
そう言い切るとエレナはそそくさと己の茶器を持ち、反論する間もなく去ろうとする。
「まて、エレナ」
思わず手を伸ばしたテスラをするりと躱したエレナはかわいらしく片目を閉じてみせ、悪戯に笑った。
一歩、二歩、三歩。
大股に五歩進んでは、くるりと身体を返してまた正しく五歩進む。まるで駒のように、苛々した様子で扉の前を繰り返し歩く。廊下の片隅からこっそりとその動きを追っていた少女が隣に話しかける。
「あれは一体なにをしているのでしょう。……エジソンは在室しているのではないのですか」
騎士王の、声量を押さえた問いに
「ずっとあの調子なんですよ」
と、隣に立つマシュが囁き返した。
近くを偶然通りかかるサーヴァント達は、エジソンの部屋の前で大柄な男がうろうろ歩き回る姿を目にしては首を傾げ、それをしているのがテスラだとわかると、納得したのかしていないのか不明な、複雑な顔つきで去っていく。
「はやく入ればいいのに、なんで入らないんでしょう」
と素朴な疑問を口にするマシュの胸元で、抱かれているフォウがきゅぅぅ、と鳴いた。
大きく息を吸って、吐ききった。足を踏みしめ、エジソンの部屋の簡素な扉を睨みつける。私は言伝を頼まれただけだ、たとえ押し付けられた依頼でも、実行しなければエレナとドクターに迷惑がかかる。テスラは息を詰めて、重々しい覚悟と共に入口へ手を伸ばす。ぴり、と通電するのはいつものことだ。テスラの覚悟とは裏腹に、引き戸は容易く開いた。みしみしと音を鳴らしながら戸が横に滑る。
「……おい」
初めて見る暗い部屋の中へ、戸惑いを押し殺しながら低く呼びかけた。からんからん、と涼しい音を立てて正体不明な金属の物体が部屋から廊下へ転がり落ち、テスラの足にぶつかって止まる。部屋の中は正体の分からぬガラクタで溢れていた。本、設計図、そして複雑な機械の山。部屋一面を支配するそれらの中に獣道が続く。明かりが落とされ薄暗い室内へ、テスラは首を突っ込んだ。
「おい、貴様、約束があるんだろう」
テスラの声に返事はない。だが部屋の隅にはありありと独特の形を描く魔力の塊があり、息衝いている感触がある。
「……寝ているのか。さっさと起きないか凡骨ライオンめ」
からん、となにかの部品が部屋のどこかで落下した。
「くそ、なんだって私がこんな……」
がしゃり、と部屋へ踏み入れたテスラの武装する足と、蹲る機械の山が擦れあって耳障りな高音を発する。獣道は部屋の半ばまで続き、途中で二手に分かれる。部屋を覆う濃密なエジソンの魔力に、テスラは息苦しさを感じ服の喉元を片手で緩めた。明かりの落ちた机の周囲の空間と、寝台の周囲の空間を比べて見て、舌打ちしながら寝台への道をかき分けるように進む。道を進むと寝台の方角から、すう、すうと気持ちのいい寝息が聞こえてきた。エジソンは服を着たまま、口を半開きにして長く薄い舌をのぞかせ、幸せそうにすやすやと寝入っていた。巨大な身体が寝返りを打つたびに、周囲に積み上がった機械がからん、からんとぶつかりあう。
「――」
言葉もなくエジソンを見下ろし、テスラは唾を飲み込んだ。薄く差す光の中で、エジソンのみっちり生えた白く高貴な毛皮が光を反射している。ふらりと身の奥で沸き上がる欲求に突き動かされ、テスラは男を起こさないように静かに身を屈め、毛皮に鼻先が触れる寸前ですん、と鼻を鳴らした。目前に広がる銀色の海がテスラを誘う。獣特有の乾いていて、けれど湿っている匂いに包まれる。
……ああ、顔を埋めたい。
湧き出た衝動にテスラは顔を顰めた。それでも毛皮は離れがたい魅力を発しており、テスラは高くそびえる己のプライドをたたき割って白銀の海に溺れるか、今すぐこの忌まわしい男を叩き起こすかの選択を強いられていた。
同じ分野で才能を競い、けっして認めることのないライバルである男の毛並みに顔を心行くまで埋め、そのまま深呼吸してみたい。両手で撫でてみたい。耳の薄い皮膚をなぞりたい。押し殺せぬ欲求に迫られ、テスラはハァと熱い息を吐きながら顔が毛皮に当たる距離まで徐々に近づいていく。
そのとき唐突にエジソンが寝返りを打ち、テスラは驚きに大きく身体を震わせた。
「はっ……!」
太い腕がテスラを抱きこみ、そのまま寝台へと乱暴に誘った。んむぐ、と顔がエジソンの首筋に埋まる。
「ん、んん……これは、刺激の強い目覚ましだ」
エジソンは寝惚けて呟き、また深い眠りへと戻っていった。テスラは強張る身体でそろそろとエジソンに掴まり、眠る男の様子を窺った。ドクターとエジソンの約束など最早どうでもよく、そっと毛皮に顔をあてる。目覚める様子を見せないエジソンに満足し、テスラは幸せな笑みを顔に浮かべ、十分に男の豊かな毛皮の感触を堪能した。
***
目を閉じたまま、なんとまあ奇妙なことだと内心で笑い声をあげた。だがそれは厭らしいものでも他人を嘲るものでもない。私たちは黙ってさえいれば互いの熱が心地よいのに、対面して口を開けばお互いをののしる言葉が勝手に生まれてしまうことが妙におかしいのだ。
エジソンは腕の中にある熱を具合よく抱きなおしながら、さてこの体温は幸せなものだが、その理由は一体なんなのだろうかと半ば眠りながら考えをめぐらした。
「いやいや……少し待ってくれ、エジソン」
カルデアの中枢、管制室には人の姿もまばらで、閑散とした部屋で数人がキーボードをたたく乾いた音だけが響く。巨大な地球を模したシステムと、その周囲で大量のコードによって繋がれたモニタ、機械類が唸りをあげている。大量の機械が吐き出す高温の排熱に対し、空調からその熱を冷ますための寒風が轟々と音を立てて吹きつけられていた。
ドクターは、管制室の片隅で身を縮めるように遠慮がちに置かれた自分のデスクで、積み上がっている書類とファイル、何台ものモニタとハードウェアの中から、目的のものを見つけようと悪戦苦闘していた。
その前に立つ大柄な男は、目立たぬように机の上に置かれたコーヒーカップからそろそろと遠ざかった。白いカップに注がれた灰色の液体からは、発達した嗅覚を阻害してしまう刺激臭が漂っている。
「君の、いや貴方の、その努力する姿勢は僕達も見習うべきだと思っているよ、なんていうんだい、学ぶことをやめたときにこそ人は老いるというのか……」
獣の首を持つ男はその特徴的な目を細めて、ドクターの言葉を否定するために手を大袈裟に振った。
「いや、そんな高尚なものではないのだ。なに、身を食い殺しかねない好奇心という虫が、死してなおしぶとく生きているだけなのだから」
エジソンは豊かな毛並みを誇る後頭部をがりがりと掻き、ふう、と自嘲した。
ドクターは色とりどりの付箋で区分けされた書類の束から一枚を探し出し「ああ、これこれ」と腕を伸ばしてペンを取った。
「近々、カルデアの地下にある……知っているかい?発電施設だ。残った僕達ができることは限られてはいるけれども、放っておく訳にはいかないからね。とりあえずまた降りてみるんだ。そこの面子へ貴方も入れておこう、どうだい?」
エジソンはニィ、と面白がるように口を吊り上げた。鋭い牙が合間からちらりと覗く。
「それは楽しみだ、是非同行したい」
「じゃあ、よろしく頼むよ。有用な智恵をただ寝かせているのは、僕達にも、貴方にも損なことだからね。……ただ」
半ば話が終わったかと気を緩ませたエジソンへ、ドクターは精一杯の重々しさで警告する。
「”彼”は連れてこないでくれよ、くれぐれも。生命線の発電施設で、喧嘩して施設を破壊して、カルデアが自滅なんて恐ろしいことにはしないでほしいんだ」
ははっ、とエジソンはドクターの言葉を大らかに笑い飛ばし、「まったくもって同感だ、心しておこう」と胸を叩いた。
「ところでエジソン……この、ダヴィンチちゃん特製栄養ドリンクを飲んでみないかい?」
そう言いながらコーヒーカップへ手を伸ばすドクターをエジソンは制止し、
「私に疲れはないから気を遣わないでくれたまえ。ドクター、君に必要なのだろう、君こそ人間なのだから」
「そうなんだけどねぇ」
ドクターはデスクに頬杖をついたまま、力なくずるずると机の上に上半身を伏せ
「効くのは効くけど、なにに効くかがいつも違うのが厄介なんだよなあ……」
と消える声で呟いた。
「どうでした魔術師、ドクターとの交渉は。貴方の好奇心を満たす現代の知識は手に入れられそうですか」
通路の半ばに置かれたベンチに腰掛けていた赤い服のナースが、大股で歩くエジソンを呼び止めた。
「いや、私へ特別に教授してくれる人員は割けないそうだ。これはなにより、人間の絶対的な数が少なすぎることが真の問題であろう。だが、なら後は自力で学ぶだけだ。そうではないか?」
バーサーカーは目を伏せてゆっくりと笑みを作り、ええ、ええ、そうですとも、と同意した。
「エジソン、実験に失敗して怪我をしたときは私のところへ来てください。貴方は独特な身体を有してはいますが、治すという行為は誰に対しても同一です。消毒も切断も可能ですよ、いつでも」
ああ、なにもかも試して他に頼る術がなくなったら必ず君の所へ行こう。エジソンは笑いながらそう告げ、別れを交わしその場から立ち去った。
***
「キュー」
つぶらな二つの瞳が、ガシャガシャと金属の擦れる音を立てて廊下を大股に歩くテスラを見上げる。テスラは廊下の隅をとてとて歩くフォウを一顧だにもせず前へと進む。
しかし、しばらく前進したあとに引き返してきて、小さく佇むフォウを無感情に見下ろした。小さな獣を睨みつける長身の男は、機械に包まれた片腕でPCと本を持ち、冷淡に吐き捨てる。
「私は獣が嫌いなんだ」
「キューゥ」
「獣はどこを歩いているかわからないから不潔だ。しかも十分な知性がない」
「フォーゥ」
「毛皮からは毛が落ちるだろう。行動だって勝手で予測がつかない。小さいと力の加減を間違えそうだ」
「フォウ、キュゥ?」
「なにより、なによりだ。獣は見ただけでアイツを連想させるんだ。あの実験馬鹿はなんだってあんなに、ふわ……野蛮ななりをして、耳なんか時折ぴこぴこ動かして、直流など下らぬのに、なんなんだヒゲまで喋る度に跳ねて、瞳孔が開くと目が真ん丸になって……」
「キュゥ……」
「こうして手を伸ばしでもしたら、一体どんな言葉が返ってくるかも分からん。あんななりなのに、性格だけはちっとも変わっていない。……お前くらいの可愛げがあれば私だって……」
テスラは長い手足を縮めるように身を屈めて、慎重にフォウの鼻先へ人差し指を突き出した。フォウが、フンフンとひくつく鼻先を近づける。
その愛らしい様子に、テスラは表情の強張りを解いていく。けれど、鼻先と指先が衝突する寸前で
「キュウッッ!!」
とフォウが叫んだ。
鼻先で生じた電気の衝撃にフォウは小さな体を飛び上がらせ、その場から脱兎のごとく逃げ出した。その様子をテスラは呆然とした表情で見送る。そのまま常に雷電を帯びる己の掌を無感動に見つめた。奥歯をぐっと噛みしめる。
「そうだとも、獣など私が触るに値しない生き物だ」
はは、と笑ったまま、己が廊下を歩いていた目的を思い返し、再び歩き出した。
食堂から昼餉を仕込む香ばしい匂いが漂っている。遅めのブランチを済ませたサーヴァント達は、茶を喫しながらのんびりと食堂の外に広がる緑を眺め会話を交わしていた。テラス席で紅茶を傍らに置いた少女は、遠くから歩いてくる群青の服を着た長身の男を目にすると、親し気に小さく手を振った。
「どうしたんだエレナ、私ばかり見つめて。そんなに私の雷電が素晴らしいかね。そうだろう、はは、ははははは」
テスラの言葉に苦笑したエレナは、首を傾げ薄い唇を舐めた。
「ねえ、テスラ。……エジソンをここ数日見ないわね?」
エレナは優雅な手つきでティーカップを持ち上げ、唇を湿らせただけで再びカップを下ろした。木製のテーブルの上に肘をつき、重ねた手の甲に顎を軽く乗せ、上目遣いで囁く。
「貴方がそれを一番感じているのではなくて?」
「アイツがいない?気づいていなかったが、それは素晴らしいことじゃないか。清々するな。同じ分野で新たな才能が芽吹いたのなら、昔の人間は去るべきなのだ。頂点はひとつしかないのだから」
エレナはテスラの言葉にふぅ、と息を吐いて手元に置いた本をコツコツと二回叩いた。
「貴方たちって、過剰にぶつかってみせるわよね。無関心どころか、相手が気になって気になって仕方のない思春期の子供みたい。……あら、ごめんなさい」
むっと口を閉じたテスラへ、エレナは華やかな笑顔を向けた。
「ねぇ、きっと実験に没頭してまた寝食を忘れているんだわ。テスラ、私用事があるから代わりに行って、言ってきてくれない?ドクターが”半日後には約束の時間だ”って言っていたって。お願いね、それじゃ」
そう言い切るとエレナはそそくさと己の茶器を持ち、反論する間もなく去ろうとする。
「まて、エレナ」
思わず手を伸ばしたテスラをするりと躱したエレナはかわいらしく片目を閉じてみせ、悪戯に笑った。
一歩、二歩、三歩。
大股に五歩進んでは、くるりと身体を返してまた正しく五歩進む。まるで駒のように、苛々した様子で扉の前を繰り返し歩く。廊下の片隅からこっそりとその動きを追っていた少女が隣に話しかける。
「あれは一体なにをしているのでしょう。……エジソンは在室しているのではないのですか」
騎士王の、声量を押さえた問いに
「ずっとあの調子なんですよ」
と、隣に立つマシュが囁き返した。
近くを偶然通りかかるサーヴァント達は、エジソンの部屋の前で大柄な男がうろうろ歩き回る姿を目にしては首を傾げ、それをしているのがテスラだとわかると、納得したのかしていないのか不明な、複雑な顔つきで去っていく。
「はやく入ればいいのに、なんで入らないんでしょう」
と素朴な疑問を口にするマシュの胸元で、抱かれているフォウがきゅぅぅ、と鳴いた。
大きく息を吸って、吐ききった。足を踏みしめ、エジソンの部屋の簡素な扉を睨みつける。私は言伝を頼まれただけだ、たとえ押し付けられた依頼でも、実行しなければエレナとドクターに迷惑がかかる。テスラは息を詰めて、重々しい覚悟と共に入口へ手を伸ばす。ぴり、と通電するのはいつものことだ。テスラの覚悟とは裏腹に、引き戸は容易く開いた。みしみしと音を鳴らしながら戸が横に滑る。
「……おい」
初めて見る暗い部屋の中へ、戸惑いを押し殺しながら低く呼びかけた。からんからん、と涼しい音を立てて正体不明な金属の物体が部屋から廊下へ転がり落ち、テスラの足にぶつかって止まる。部屋の中は正体の分からぬガラクタで溢れていた。本、設計図、そして複雑な機械の山。部屋一面を支配するそれらの中に獣道が続く。明かりが落とされ薄暗い室内へ、テスラは首を突っ込んだ。
「おい、貴様、約束があるんだろう」
テスラの声に返事はない。だが部屋の隅にはありありと独特の形を描く魔力の塊があり、息衝いている感触がある。
「……寝ているのか。さっさと起きないか凡骨ライオンめ」
からん、となにかの部品が部屋のどこかで落下した。
「くそ、なんだって私がこんな……」
がしゃり、と部屋へ踏み入れたテスラの武装する足と、蹲る機械の山が擦れあって耳障りな高音を発する。獣道は部屋の半ばまで続き、途中で二手に分かれる。部屋を覆う濃密なエジソンの魔力に、テスラは息苦しさを感じ服の喉元を片手で緩めた。明かりの落ちた机の周囲の空間と、寝台の周囲の空間を比べて見て、舌打ちしながら寝台への道をかき分けるように進む。道を進むと寝台の方角から、すう、すうと気持ちのいい寝息が聞こえてきた。エジソンは服を着たまま、口を半開きにして長く薄い舌をのぞかせ、幸せそうにすやすやと寝入っていた。巨大な身体が寝返りを打つたびに、周囲に積み上がった機械がからん、からんとぶつかりあう。
「――」
言葉もなくエジソンを見下ろし、テスラは唾を飲み込んだ。薄く差す光の中で、エジソンのみっちり生えた白く高貴な毛皮が光を反射している。ふらりと身の奥で沸き上がる欲求に突き動かされ、テスラは男を起こさないように静かに身を屈め、毛皮に鼻先が触れる寸前ですん、と鼻を鳴らした。目前に広がる銀色の海がテスラを誘う。獣特有の乾いていて、けれど湿っている匂いに包まれる。
……ああ、顔を埋めたい。
湧き出た衝動にテスラは顔を顰めた。それでも毛皮は離れがたい魅力を発しており、テスラは高くそびえる己のプライドをたたき割って白銀の海に溺れるか、今すぐこの忌まわしい男を叩き起こすかの選択を強いられていた。
同じ分野で才能を競い、けっして認めることのないライバルである男の毛並みに顔を心行くまで埋め、そのまま深呼吸してみたい。両手で撫でてみたい。耳の薄い皮膚をなぞりたい。押し殺せぬ欲求に迫られ、テスラはハァと熱い息を吐きながら顔が毛皮に当たる距離まで徐々に近づいていく。
そのとき唐突にエジソンが寝返りを打ち、テスラは驚きに大きく身体を震わせた。
「はっ……!」
太い腕がテスラを抱きこみ、そのまま寝台へと乱暴に誘った。んむぐ、と顔がエジソンの首筋に埋まる。
「ん、んん……これは、刺激の強い目覚ましだ」
エジソンは寝惚けて呟き、また深い眠りへと戻っていった。テスラは強張る身体でそろそろとエジソンに掴まり、眠る男の様子を窺った。ドクターとエジソンの約束など最早どうでもよく、そっと毛皮に顔をあてる。目覚める様子を見せないエジソンに満足し、テスラは幸せな笑みを顔に浮かべ、十分に男の豊かな毛皮の感触を堪能した。
***
目を閉じたまま、なんとまあ奇妙なことだと内心で笑い声をあげた。だがそれは厭らしいものでも他人を嘲るものでもない。私たちは黙ってさえいれば互いの熱が心地よいのに、対面して口を開けばお互いをののしる言葉が勝手に生まれてしまうことが妙におかしいのだ。
エジソンは腕の中にある熱を具合よく抱きなおしながら、さてこの体温は幸せなものだが、その理由は一体なんなのだろうかと半ば眠りながら考えをめぐらした。
