艦これ

 暑い。暑すぎる。
 舗装もされていない道の上に置かれた、日に白く焼け所々欠けている安っぽいベンチの中心に一人で陣取り、手を背もたれの後ろにだらりと下げたままのけぞった。
雲一つない底なしの空を力の抜けきった顔で振り仰ぐ。
 暑い。冗談にならないほど暑い。むしろ熱い。
私は気合をいれてはいてきたストッキングと、小洒落ているせいで通気性の悪い服への、何度目かわからぬ後悔をした。暑すぎて汗さえ出なくなってきた。空気が歪んで見えるなんて目の錯覚よ、そうに違いないと歪んだ遠景をごまかす。

 のっそりと腕を上げ、手首の内側で光る華奢な時計を見た。針は嫌になるほど前に進まないのに、いつの間にか約束した時間は過ぎ、長針は約束していたのと同じ数字を指そうとしている。
 鄙びたバス停の、その脇に置かれた道路上のベンチに座る鹿島の背中側では、木造の小さな二階建てが身を寄せあい気持ちばかりの商店街を作っている。鎮守府内の売店を除けば、最寄りの商店はここだ。辺鄙な場所に置かれた鎮守府ゆえに、艦娘たちが娯楽を求めると、ここか、ここからバスに乗り街まで出ることになる。車を所有する許可を下されているのは僅かな数の艦娘だけだった。

 鹿島はだらりと目前に広がる青々とした稲を見て、はあ、と魂が抜けていくような息をした。これはデートなのよ。その重要性が全くわかっていない、姉さんはいつもそう。仕事、仕事、仕事、たまに提督、まれに私。休みを取ったらそれは休みなのよ。なんでわざわざ職場に呼び出されているの。公私の区別がついてない。本当についてない。デートを放り出すのも、妹を炎天下に放り出したまま連絡の一つもくれないのも許されることじゃない、ええ絶対。
 ハァァァ、と怨嗟を口から吐き出すと、その音を聞いた白い影が怯えたようにびくりと動いた。
 商店の連なりの中に、一軒の本屋がある。店頭に出されたカゴには、いつ入荷したのかわからない日に焼けた在庫処分品が並び、店の硝子窓には色褪せた図書券の広告が黄色く変色したテープによって貼られ、かろうじて書籍の敵である日光を遮る真似をしている。鹿島がベンチに座りだしてしばらくした頃、黒い制服を着た少年のような少女と、上に羽織ものをした白い水着の小柄な少女が、ぽくぽくと農道を連れ立って歩いてきた。彼女らはわざわざ途中にいる鹿島へ律儀に敬礼して本屋にむかった。
 少年のような横顔のあきつ丸は、店頭の処分品の題名を一つ一つ舐めるように確認していく。この暑さに汗もにじませず襟をきっちりしめ、涼しい顔をしている。一方その隣にいるまるゆは赤い顔をして、下げている水筒で頻繁に口を湿らせていた。
あきつ丸は店頭で確認を終えると、薄暗い商店に躊躇いなく入っていく。まるゆはどこから見つけてきたのか長い枝で地面の土に落書きをはじめ、暑かったのか羽織ものを放り出し、白く生々しい肌を日光に晒した。

 少女の四角張った声が店内から周囲に響く。声高に、どうやら入荷してほしいらしい小難しい本の題名を並べ立てている。ここの主人であれば道楽者だから話は早いだろう。しかし今店で座っているおばあ相手では、あきつ丸の訴えは通じない。
その証拠にあきつ丸の訴えはループしはじめている。
 甘いねえ、そういう話はする相手を選ばなきゃあ、相手をね、と心中で呟いた鹿島は生気を失った目でまるゆをちらりと見遣った。ぐりぐり、ざりざりと謎の図形を一心に描いていた少女は、やがてだらだらと汗を流したまま、飽いた様子で「あきつ丸、あきつ丸」と小さく頼りない声でがたつく硝子扉から呼びかける。書店の埃臭い空気に圧倒されているらしい少女は、心細そうに名を繰り返した。しかしあきつ丸の、どの本を入荷しどの本を読むべきか、それはいかに価値ある内容なのかをおばあに説く演説が勢いに乗り、しばらく終わる様子をみせない。まるゆが物欲しそうに隣の駄菓子屋を眺めている。
 
 そう、今日はうだるような暑さ。外で遊べば喉が渇き、駄菓子屋の壁に下がる紙の「ラムネ」の文字が神々しく輝いてみえる。
 まるゆは腰に下がる水筒から水を飲もうと筒をひっくり返す。けれどもう中身は尽きたらしい。まるゆが不思議そうに筒の中をのぞきこんだ。そのなかにはもう一滴も残っていないと知ったまるゆは、水筒を抱え悲しそうに「ラムネ」の文字を見上げた。
 鹿島はデートのために中身をいっぱいにしてきた財布の感触を肌で探る。再び時計を顔に近づけた。財布の中に眠る遊興費が今日使われるのか、鹿島に知る術はなかった。くるり、と鹿島の方向へ身体をむけたまるゆにむけ、ちょいちょい、と手を振る。まるゆは眉を下げておずおずと近づいてきた。髪は汗でくたりと下がり、頬は真っ赤に焼けている。
財布を鞄から出して、鹿島は言った。
「私と貴方の分、ラムネ二本買ってきてくれる?」
小銭を掴んだ左手をずい、と差し出す。まるゆは手の勢いに思わずのけぞったまま、ありがとうございます、まるゆ、買ってきますと目を輝かせ、菓子のひしめく店舗の中へ駈け込んでいく。

 はぁ、と息を吐いてのけぞった。鹿島の待ち人は来ない。目前に田んぼの広がる道路の上で日に焼けたベンチに座り、あきつ丸の演説を背景にしながら香取をひたすら待ち続けている。
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