fate(槍弓)

 なにを共に語ればよかったのか、私達にはわからなかったのだと思う。
なにしろ、最初に交差したのは警戒心と殺意だったのだ。青く長い髪を月光に輝かせ、霊子の粒を散らしながら、鞭のようにしなる身体で、彼は私を倒そうとした。
私は、彼を殺そうとした。


 午後になると冬木の街に海風が吹きつける。だが凪と陸風にはまだ幾分か猶予がある。べたついた風は街へ潮を染みつかせ、戸外の金属は錆びつき、人間から体温を奪う。風は海辺に座しているランサーも同様に煽り、潮気がまとわりついて軋んだ長髪が上空へと巻き上げられ四方八方へ散った。顔の周りを覆うそのむず痒さに首を振ったが、たいして意味はなかった。
 太陽はじわり、じわりと傾く。時間の流れる速さは耐えがたいほど緩慢だった。ランサーは太陽が海原の果ての地平線へ沈むときを毎日待ち焦がれている。残日の朱色に世界のすべてが支配され、ランサーの背中が闇に溶けかかっているときに、待ち人は来たるのだ。
 ふわぁ、と欠伸をしながら握った釣り竿にブツエビをホホ掛けし、凪の訪れを待ちながらマキエサをする。けれど、むしろ自分自身の方が撒き餌のようなものだ、と自嘲し唇を歪めた。波が果てしなく反復するように、自身を撒き餌にして隣へ待ち人が訪れる日々を毎日毎日反復している。我ながらよく飽きないものだ。変わりばえしない風景に、もう一度欠伸をした。
 始まりはいつだったのか。
 魔力の塊が迫る気配に、慣れた相手だと知りつつも首筋の毛が逆立つ。目には見えぬ、しかし指先の形までくっきりと輪郭を持っているサーヴァントは、いつも倉庫の手前で一度、止まる。まるで好きな女の子に話しかける前に深呼吸をして、手汗を拭う少年のように。
僅かな躊躇の後、彼は倉庫に挟まれた狭い通路をゆったりと歩き、海底に眠る魚を見下ろすランサーの隣に一定の距離をあけ、立つ。互いの視線が交差することはなく、共に海原を見る。
 男の気配をすぐ近くで感じた途端、ランサーの血肉は沸き立った。見たい。触りたい。そして。その感情を押さえつけ釣り竿を振ったランサーへ、アーチャーが問うた。興味など一切ない、という素振りで。
「釣れているか、ランサー」
毎日繰り返される一言一句同じ問いに、もう幾度答えたかわからない。
「今日の目当てはメバルだからな、今から釣るんだよ」
そうか、とアーチャーが呟く。その目線はバケツの中で泳ぐ数匹の魚で止まり、やがてランサーの頭上へ移動する。
「何か街であったか?」
視線の正確な軌道を脳内で描きながら発したランサーの声に、アーチャーはゆるく頭を振った。
「何もない。……日常的で些細な事柄以外はな」
そうか、と今度はランサーが呟き、二人の間へ沈黙がのしかかる。だが、その重みは親密で心地よいものだった。
 アーチャーが日課としているらしい深山と新都のパトロールは、ランサーの座る海岸で一度停止する。以前は今のようにランサーへ声をかけることもなく倉庫の上に立ち、釣りをする姿を認めただけですぐにその場を離れていた。そのたびにランサーは顔をしかめながら思った。サーヴァントの安全まで確認するなど難儀な性格をしているものだ、と。ほんのわずかな哀れみさえ込めて。

 始まりは、いつだったのか。
日々の反復の中で、アーチャーは倉庫の屋根を降りた。壁に凭れることをやめた。後ろでする監視まがいの振る舞いをやめた。頑なな腕組みを解いた。なにもアーチャーだけではない。ランサーとて時間を問わない気ままな生活をやめ、同じ時間に釣りをしている。場所を日によって変えることはしなくなった。たとえ魚が一匹も釣れなくとも。
 話をしたのだと思う。ささやかな日常の変化について。
小僧や嬢ちゃんから見知らぬ老人や子供について、新都での殺人事件からスーパーでの白菜の価格高騰についてまで。アーチャーが自ら積極的に語ることはない。しかしランサーが水を向けると、言葉少なではあるものの、ぽつり、ぽつりと出来事を話す。ランサーは、今冬は白菜が高いようで小僧が唸っていた、だの、公園でイベントが開催されていたが警察が呼ばれる騒ぎが起きた、などという出来事への関心は全くなかった。
ただ、聞きたかったのだ。そして、とても可愛かったのだ。柔らかな低音で、私の料理が小僧に勝っていたと凛が言ったのだ、柳洞寺で大掃除があったようだ、などとどこか嬉し気に喋るアーチャーが。
 まるで自らの箱庭を自慢する幼子のようだ、と。
その箱庭には「オレ」も入っているかもしれないと思う。塗料の剥げかけた青く褪せた小さな人形。おもちゃの槍で魚を釣る海辺の戦士。
 ランサーはアーチャーを見上げた。すると息を合わせてアーチャーは海へと視線をずらす。痛いほど強烈な視線がぶつかり合うことは、決してない。
「ささやかな事柄ってのはなんだ」
アーチャーは口を開け、さて、と息をつく。
「坂道で事故があったな。……商店街では奇遇にもキャスターに会った。貰いものだとかで、肉と果物を分けてもらったから、衛宮邸の夕食へ招待しておいた」
「お前は飯を作らなくていいのか」
「食材は私を通して衛宮邸へ贈られたものだからな。なにより台所の主はエミヤシロウなのだ。ならば小僧が采配して作るべきだ」
尊大な物言いに目を細め笑った。衛宮邸の温度がそのまま伝わってくるようだ。
「楽しそうで結構だな」
その一言にアーチャーの周囲の空気が何故か硬くなる。
「どうした、なにか変なことを言ったか、オレ」
わからん奴だと思いながらふと空を見上げると、飛行機が低空を一直線に横切った。奥には暗雲が立ち込めている。西から湿った甘い匂いが侵食してきている。
「アーチャー」
「ランサー」
声が重なる。ただそれだけのことに隣の男はひどく動揺しているようだった。
「なんだ、アーチャー」
アーチャーは意識的に顔を背け、腕を組んだ。
「いや、君から言いたまえよ。どうでもいいことだからな、私は」
「俺の方こそどうでもいいが、なんだ、一雨きそうだから濡れる前に帰っとけよ。嬢ちゃんが心配するんじゃねえか」
んでお前はなんだったんだ、と聞いた相手の態度は先ほどまでよりもより一層頑なな空気を漂わせている。
ランサーはロッドを握り直し、身体から余分な力を抜いた。腹で呼吸しながら海の揺れを感じる。
 時間をかけなければ、この男から素直な言葉は引き出せない。
隣の男と同じ街、近い距離で暮らした末の結論はそれだった。かつての己の性分では、ただ待つなどという行動は選択しなかっただろう。にもかかわらず今は心の底から湧く言葉へ静かに耳を澄まし、待っている。己でも己の変化がおかしい反面、この男に変えられたのならそれはそれでいい気がしていた。
「君もくるといい。小僧たちが待っていると言っていた」
「本当か、そりゃあいい。晩飯の心配がいらん」
 
 二人は動かない。
天を雲が覆い夜と共に雨が来る。波の狭間で、灯浮標がぼう、と光を放っている。倉庫の間に漂う血生臭さはやがて洗い流されるだろう。アーチャーが一歩、ランサーに近づいた。
「君は海の中を見たことがあるか」
「……記憶を探せば、あるかもしれんな」
「白い砂のサンゴ礁の海も、血と泥で出来たような醜悪極まりない海も、何故かがらんとしているのだ。だだっ広いんだ。魚はいるが密集していなかったな。己の身体は沈まなかった。強い力で水面へ追い出されるとき、海底に眠る何かと目が合ったんだ。眠っているのに目は爛々と光っている。あれは一体なんだったんだろうな」
今でもわからん、と暗い海を見る。
まるでコールタールを流し込んだような海は中で息衝く生命の力をどこからか発散させている。
 闇の中で最初の一滴がぽたり、と落ちる。空が決壊し、ざあああと雨が降り出した。埃を巻き込んだ甘い雨のにおいが辺り一面を包む。金属の輝きを湛える瞳が闇の中でランサーを向く。
「或いはあれは、私だったのかもしれんな」
ランサーの目の前でアーチャーが雨に濡れていく。白髪はぺたりと下がり先端から水滴が終わりなく垂れている。褐色の肌に幾筋もの水の線が描かれる。布は濡れそぼり爪が青白く冷えていく。足元に水溜りができる。
 ――――この男は、泣いているのだろうか。
ランサーは思わずアーチャーへ手を伸ばした。アーチャーの武骨な手、中指の第一関節から先を僅かにそっと握る。 たった1cmの接触は互いの熱と互いの距離をあからさまに示していた。
平坦な声が独白する。
「ただ君の隣に立つだけで、私の周りは色鮮やかになるんだ」

アーチャーの言葉は二人の指先を短く震えさせた。己の頬を伝う雨は予想以上に冷たく、身体の熱を容赦なく奪う。こんな場所にこの男を置いていくことなどできそうになかった。ああ、とランサーは後悔した。オレは言わなければならなかったんだ。
 街のことよりも、誰かのことよりも、お前のことを教えてくれと。
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