fate(槍弓)

 外へと開かれた日本家屋は、常にないほど賑やかな空気に包まれていた。まるで家そのものが浮足立っているかのような楽しさが、周辺に満ちあふれている。けれど、その元を突きつめていけば、台所に立つ少年少女達へ辿りつく。
 来訪者は首を傾げ止まる。ふ、と笑い縁側へ腰かけた。いい日だ、賑やかな方がこの陽気には似合う、と思いながら。

「先輩、お重拭きました、詰められます」
「ちょ、士郎士郎、卵! 卵焼き焦げるっ」
「さ、桜、ちょっとおにぎり詰めててくれ、味ごとに上の具で分けてあるから――セイバー、つまみ食いは無しだぞ」
「そうだ、シートもっていかないとだめです先輩、どこかにありますか? ライダー、お願いしますね」
「シロウ、箸はこれでいいのですか…ライダー、フォークは要りますか?」
「おかか……おかか……、あ、桜、そのお鍋とって!」
なんだかんだと騒ぎながら、一同は黒く漆の光るお重に料理をつめこみ、水筒だ、食器だと動き回る。
料理の後片付けを終えた士郎は、戸締りをしなければとエプロンを外した。
「俺戸締りしてくるから」
そう皆に言いながら居間を通り、縁側へ向かう。そこで初めて、座っている青髪の男に気づいた。
「うわっ、ランサー、いつから居たんだよ。……吃驚した」
「お前らが熱中しててこっちを全然見なかったからな、……邪魔すんのも悪いし」
僅かに言い淀んだランサーは鼻をかき、
「本当はアーチャーに会おうと思ってきたんだが、居ないみたいな。……仕方ねえな」
そう独り言ちて、手にさげている土産を意味なく持ち直した。
「あらランサー、きてたの。あなたも一緒に行く?」
奥から出てきた凛が誘う。誘われたランサーは不思議そうに一同を見渡し「そんな大荷物抱えてどこ行こうとしてんだ?」と問うた。
「お花見よ、皆で桜を見に行くの。公園まで」
凛の答えに、へえ、と知識のみでしか花見を知らないランサーは曖昧に頷く。
「けどアーチャーが居なくなってさ、料理してる間にどっか消えたんだよ」
ふーん、と生返事をしたランサーは
「『花見』ねえ、……楽しそうだな。けどアーチャーに用事があったんだが、どうするかな」
と口を歪めた。
 その様子を観察していた凛は、何か閃いた顔つきになり、ランサーに気付かれないようにしながら士郎へ目線をやった。疑問を浮かべる士郎に対し、にやり、と凶悪な笑みを向ける。
「ランサー、私ね、前からあなたの耳に入れなきゃと思ってたことがあったのよ。内密な話だから一対一で話がしたいなあって。士郎は鍵を閉めてて。あ、土蔵借りるわよ」
 その勢いにつられ、ランサーと士郎は思わず、お、おうと頷いた。
 ランサーの背を押しながら早く、早くと楽しげに立ち去る凛は、こっそりと士郎へ振り向き、人をこっちに寄せるんじゃないわよと無言の圧力をかける。
 士郎は無言で部屋に戻り、硝子戸へ鍵をかける。脳内で「あかいあくま」という言葉を思い描き、連れられていった男へ手を合わせながら。


***


 坂道を下り、桜並木のある川沿いの公園へ向かう。人々のざわめきは風に乗り道路を歩く士郎達にも届けられる。
 春の空は快晴。ぬくいそよ風が頬を撫で、桜の花びらを舞い踊らせる。
「……すごい人ですねシロウ。あれは何ですか?提灯?」
 ずらりと並ぶ桜並木、飾り付けられた提灯と多くの屋台、そして数え切れぬ人。酒の入った集団からどっと笑いが起きる。
「セイバー、後で屋台も見に行こう。まずは座る場所だな」
「けど先輩、どこにしましょうか。人が多くて……」
「あ、それはね」
士郎は河川敷を見渡し、しばらくして目当ての人間を探しあて大きく手を振った。周囲の中でも一際大きい桜の木の下で、白髪の少女が手を振り、そのまま士郎にぶつかろうとでもするかのように走りよる。
「シロウ、遅い!……場所とってずっと待ってたんだから」 
「ごめんイリヤ、待ったか」
 その問いに少女は赤い目を瞬かせた。
「うん、待った。だから早く来て」
そう言うや否や、駆け出して途中で士郎たちを振り返る。
「一番綺麗な場所にしたのよ。オハナミってそういうものだって」満面の笑みを浮かべたイリヤは手を広げた。そして木の下に戻り、座るセラに早くお茶とお菓子を出して、と楽し気に命ずる。
 ライダーは一同の後ろに佇み、桜の木をじっと見上げた。「ライダー?」と、その様子に気付いた桜が声をかける。
「桜、あなたの名前はこの『サクラ』と同じ花を指すのですか?」そう問われた桜は、ふんわりと笑った。「ええ、同じものです。私の名前はこの『桜』なの」
 ライダーは一拍の後、口元を緩めた。
「綺麗な花です。桜にとても、良く似合う」


***


 その目は見ようとする意思が伴わなくとも、自然に対象を認識した。最早癖になっているその行いを止める理由もなく、桜の巨木の下で弁当を広げる凛とその友人達、サーヴァントをぼんやりと見る。楽しげに笑っている会話の合間に、ふと凛がこちらを見上げた気がした。
もしかしたら何らかの手段で本当にこちらを見たのかもしれない。
 けれど、凛の目線はすぐ隣の士郎へ移った。こちらへ来ないなら勝手になさい、という凛の涼しい声が聞こえた気がした。
 水気を含んだ、しかし春の陽気をふんだんに取り込んだ川風が空へと吹き上がる風にまぎれ、アーチャーの全身をなめていく。このまま昼寝でもしてしまいそうだ、と春の陽気にあてられた頭で思う。だが、そのアーチャーを襲う眠気は、遠慮なく隣へ来たサーヴァントによって払い除けられた。
「なん、つう」
「ところ、で」
「ほうけてるんだ、」
「お前、はっ!」
 一飛びごとに悪態をつきながら、目立たぬ姿でアーチャーの下へ駆け上がる。ランサーは赤く塗られた大橋の最上部に到達して一息つき、そこで胡坐をかきながら微睡むアーチャーを見下ろした。
「お前はこんな所に座って、花見でもしてんのか」
呆れたようにため息をつき、アーチャーの隣に座る。
流石に花は見えねえな、色しか分からんと呟きながら、ランサーはアーチャーへにじり寄り、その肩へ自然に頭を乗せた。
「……随分距離が近いなランサー。春の陽気で呆けるのは人間もサーヴァントも同じかね」
 その冷めた物言いに、乗せた頭はそのままで口先だけの反論をする。
「なんだその言い方は。わざわざ会いに来てやったのにひでぇな。……もしかして照れ隠しなのか、それ?」
「……」
「……」
 二人の間を重苦しい沈黙が支配する。
「……風邪でもひいたのか、ランサー」
「んな訳ねえだろ、お前もわかんねえ奴だな」
 ランサーは片手をアーチャーの腰にまわし、ぺたりとくっつく。アーチャーは感情のない瞳で腰をさする片手を見下ろし、次にべたりと纏わりつく青い男を見下ろした。
「随分……いや、ランサー、もしかして酒をもうやってきたのか」
 と言いつつ距離を取ろうとするアーチャーを、「馬鹿言え」とランサーが追う。無言の攻防の末、面倒になったランサーが深くため息をついた。
「めんどくせえ、お前も会いたいなら会いたい、甘えたいなら甘えたいってはっきり言えよ。じゃねえと分からねえだろ普通、そんな態度とってばっかりだから嬢ちゃんにも心配されるんだろーが」
半ば怒りと共に尖った言葉をぶつけると、苛立たし気にアーチャーが問う。
「凛がどうかしたのか」
「どうかしてるのはお前だろ」ランサーはそっぽを向き、口を尖らせた。
「お前が俺に毎日会いたがってるけど、俺があんまり構ってやれねえから……夜には寂しがってぼんやり星を見てるわ、セイバーには慰められてるわ、だからちゃんと恋人を構ってやるのが恋人であるあなたの役目じゃないのって嬢ちゃんが言うもんだから、俺も反省してお前を甘やかしてやろうと……、ん、アーチャー? どうかしたか?」
ランサーの言葉が重なる度に頭が沈み、遂には片手の中に顔を埋めたアーチャーは、地獄の底で呻く亡者のような声を出した。
「――凛が、そう、言っていたのかね」
「おう、なんか秘密の話だって……あ、知らねえふりした方がよかった、か?」
 アーチャーは片手に顔を埋めたまま、はっと鼻で笑う。そして「馬鹿」と一言放った。
「は?」
「四月馬鹿に決まっているだろう馬鹿者。そんなものに騙されていては英霊の名が泣くぞランサー」
 面倒くさそうに片手をふりふり、アーチャーは半笑いで生ぬるい視線を向けた。
「嘘だそんなもの」
「嘘? 嬢ちゃんが俺に嘘ついてどうするんだよ」
「知るか。今頃あの花見の席で内心にやついているのかもしれんぞ。何しろ四月一日は嘘をついても許される日だからな」
エイプリルフールというのだ、と馬鹿にした笑みを浮かべたアーチャーが告げる。
「……今日は」「四月一日だな」
「じゃあセイバーに慰められてるってのは」「そんな事実はないな」
「じゃあ星を見てるって」「あいにくそんな趣味はないな」
「俺に会いたがっているってのは」
「……嘘に決まっている」
 くっそー、なんだよ信じた俺が馬鹿じゃねーか、と叫びながら後ろへ倒れたランサーへ、だからさっきから馬鹿者といっているだろうがたわけめ、と言い放つ。同時に、全く凛の奴はとため息をついて、楽し気に屋台を冷やかしている凛を眺めた。
「やってられっか、おいアーチャー、酒を飲むぞ。飲まずにはやってられねえ」
 元々の用事だってそれなんだよ、と傍らに抱えていた土産を引き寄せる。
「その酒がどうかしたのか」
ランサーはがばりと身を起こし、酒瓶の入った荷物を見せる。
「金ピカが我はこの酒には然程興味はないとか言って放っていたからな、一本頂いてきたんだよ。飲もうぜ、いい酒だぞこれは」
 アーチャーは筆文字が印刷された包装の酒を見下ろす。仕方ないな、と笑い
「なら私達も花見といくか。――――ついてこい、いい場所がある」
そう言うや否や、大橋の頂上からその身を翻した。


***


「大層なこと言った割に、結局お前の部屋なのかよ」
アーチャーはその声で、ドアの鍵を開ける手を止めた。
「なんだ、何度もここへきているのに知らなかったのかね」
 きい、と軋む戸を開ける。アーチャーの生活の匂いが染みついた、けれど殺風景なアパートの一室がランサーを出迎える。アーチャーは奥にある窓へ顎をしゃくり、見てみたまえよ、と声をかけた。
 その指示に従いカーテンを開けたランサーは思わず息をのんだ。
「……これは、これは」
 アパートの向かいにある庭に根付いた桜の木は、日当たりの良い場所で満開となり、はらりはらりと花弁を風に散らしている。
「ただの見慣れん木かと思えば、こんな花を咲かすとはな」
 ランサーの率直な感嘆に、思わぬ副産物だがな、楽しめるのなら楽しんだ者勝ちなのさ、とアーチャーは笑った。

 良い酒なら良い肴を、と忙しなく動き回ろうとするアーチャーに対し、男二人の酒盛りにそんな豪勢な肴なんぞ要らんと押しとどめ、適当なものをつまみながら日本酒を注ぐ。
 まず一口、と杯に口をつけ「美味いな」とアーチャーは顔をほころばせた。
「だろう?勿体ねえこった」
「本当にこれは飲んでもいい酒なんだろうな」と、アーチャーは酒瓶を矯めつ眇めつ尋ねる。
「気にするなって。どうせ金ピカの宝物庫には唸るほど酒が眠ってるんだ。一本位なくなったところで気にしねえよ。しかしうまいな、お前も飲めよ。辛口なのにどっか甘い、しかも喉に全然ひっかからねえ」とアーチャーの杯へ酒を注ぐ。アーチャーはまわりだした酒の熱と共に、窓の外の桜を眺めた。
 その目線をランサーが追う。
「桜ってのはどこにでもあったんだな」
「好きなんだろう、皆が。何処かの作家は桜が美しすぎてその下に死体が埋まっているなどと書いた位だ」
 その言葉にランサーは口角を上げた。
「死体なんて可愛いもんだ、得体の知れない何処かの杯よりかはましだろうよ」
「違いない」
アーチャーは眉尻を下げ微笑んだ。
 まだ冷蔵庫に何かあったはずだ、と台所へ向かうアーチャーのそうせざるを得ない性分に、落ち着かん奴だ、と思いながらちびりちびり米の味がする酒を舐める。
「おいアーチャー、月が出てるぞ」
風流なもんだ、見てみろよとランサーが指し示す先には、仄かに日が傾く青空に弦月がひっそりと浮かんでいた。

 血液の代わりに酒が全身を回っているようだ、それとも魔力の代わりだろうか、とどうでもいいことが頭を過る。
「コメでさかなを食い、さかなでコメを食う。これ以上の贅沢があるものか」と気分よく酔いながら、アーチャーは「コメ」と呼んだ杯を呷る。
 いつしか日は沈みかけ、屋内はほの暗い。酒が回ったアーチャーの頬は上気し、唇が赤く色づいている。ぺろり、とその赤い唇を舐める無意識の仕草が、同じく酔いの回ったランサーの脳内に強く残る。
 アーチャーは底を尽きかけた酒瓶を振り、まだ酒か肴はいるか、と潤んだ瞳で問いかける。ランサーは気怠い身体を倒して寝転んだ。目の前に放り出されたアーチャーの素足をゆるくつかむ。
 褐色の肌は涎が出そうなほど見事に熟れていた。
 アーチャーを見上げながら、美味そうに張り詰める足に舌を這わせ、僅かな力で噛む。ボトムスの中へ指を差し入れ、ふくらはぎをそっと撫で下ろすと、アーチャーは身体をひくりと震わせた。
 お前が一番美味そうだ。そう声に出してランサーは笑い、その身に宿る衝動のままアーチャーの足首へ歯を立てた。


夜空には弦月と春の大三角が輝く。いつかどこかで星を使っていた記憶がおぼろげに胸に浮かんだ。真夜中の冷えた風が室内へ流れ込んでいる。
 ――窓を閉めねえと。
 そう思いながら、布団に寝そべり吸っていた煙草の火を灰皿で押し潰す。
 アーチャーは、裸のままランサーの横に座し、ゆったりとランサーの背中をなぞっていた。
青い髪が散る白い背中には、赤い爪痕が線を描いている。アーチャーのぼんやりとした目つきと熱い吐息が、その身体にいまだ酒を残していることを示していた。
 ――けど、これはこれでいいもんだ。
 身体を合わせた後にアーチャーが甘えてくることなど滅多にない。名残惜し気にランサーの身体へ戯れるアーチャーが愛らしく、満足したランサーは身動ぎ一つせず相手の好きにさせていた。
 傷をなぞり、青く長い髪を褐色の指に巻き付ける。
 その手が、不意に止まった。アーチャーは時計を読み、今日が終わると密やかに告げた。
ランサーは機嫌よくアーチャーの手を持ちあげ、噛り付く。もっと甘やかしてやろうと身体を男へ近づけると、アーチャーはどこか現実感のない顔つきで、窓の外の桜を見た。
 ――嘘をついてもいいか、ランサー。
 青い髪を流した男は掌を褐色の足に這わせ、「今日だけなら、いくらでも」と返す。
 月がさめざめと輝く。
 
 ――君と一緒に死ねたなら、幸せだろうと思うんだ。
 
 秒針の音が響く。暗闇の中で遠くを走る車の低音が唸っている。
 コチリ、と時計が午前零時を指した。
 アーチャーは静かに目を閉じた。 
 ――全て嘘だとも。

 そうしてランサーに背を向けた。ランサーは、アーチャーにだけ届く声で、言う。
 ああ、幸せだろうな。
 くれぐれも、俺に誓いを破らせるなよ、アーチャー。
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