fate(槍弓)
【二月某日】
妙に暖かい日だった。
日頃居場所にしているカルデアの中庭で、人目のない片隅に立つ大樹の上に陣取り、ふわふわした心地の昼寝をしていた。
日差しを遮るため被ったマントで体は少々汗ばみ、マスターの命を振り切って外へ出たならば、平和な街が山の下に広がっているのではないかと錯覚しそうな程の陽気だった。
しかし暦は立春をすぎたばかりであり、例え山を下りたとしても外にはいまだ寒さが残っているかもしれない。そして中庭の空は、魔力のこもった分厚い硝子によって外界から遮断されている。
屋内で循環する空気が鼻をくすぐる。どこかで嗅いだことのあるような、甘い匂いがした。まるでアーチャーを背後から抱きしめたときのような、心を幸せにする匂いだ。
無意識に、鼻をすんすんと鳴らす。だが、何事にも程度というものがある。夢うつつの中で、匂いはささやかな幸福を通り過ぎ、徐々に濃密になっていく。
日差しの熱とあいまり、遂にキャスターの眠りを破った。
「っちい……。なんだ、この天気と甘ったりぃ匂いは」
汗ばむ身体を起こす。額を片手で乱暴に拭い、寝床にしていた硬い木肌へ白い手を置いた。
その瞬間、巨大な爆発音がカルデアを揺らす。
ガチン、と身体にスイッチの入る音がした。反射的に人目につかない物陰へ飛び、杖を握る。中庭を取り巻く硝子戸が、窓枠の中でカタカタと震えている。
その間にも異様なほど強く香る甘ったるい匂いに、キャスターは鼻へ皺を寄せた。戦いの為の感覚を一つ潰されることは、ひどく不愉快だった。
己の気配を可能な限り殺しながら、中庭を出て通路を駆ける。腰に下げた袋の中を手で探り、複数の種類のルーンをいつでも放てるよう指の間に挟む。
マスターは無事のようだが、カルデアに敵が侵入していないという楽観は持っていなかった。同時に、サーヴァントがこの場所に数多く居るとしても、全員が味方であるなどと思ってもいなかった。
――特にあの金ピカ野郎とか。
キャスターとして現界して魔力の存在を察知する能力は格段に上昇した。しかし。
「……場所が最悪すぎる」
なにせサーヴァントが日々現界し、或いは出入りするのだ。気配は感じられても、敵味方の区別など容易につくものではない。杖に己の魔力を込め、壁に張り付く。
カルデアの管制室につながる大通路には、その手前で脇にそれる小通路がある。しかもその通路はすぐに折れ、幾つもの分岐点を持つ。すなわち、敵を待ち伏せしながら退路が確保できる。
マスターがレイシフトとやらをする突き当りの部屋に、魔力の存在は一つしかなかった。おそらくドクターと共にいる女サーヴァントだ。その部屋へ向かい、幾つもの魔力を持つ個体が急速に移動してきている。
キャスターは踵から爪先へ体重をかけ、迫ってくる個体へ魔術と石を放つための力をこめる。廊下へ飛び出て侵入者と敵対し
「――は?」
まずった、と思った瞬間石が掌からすべり落ちた。
「――っ!」
辛うじて手で書いたルーンが効いた一体のみがその場に凍り付き、残りの人影が扉を破壊しながら管制室へと侵入する様を呆然と見送る。
「サーヴァ、ン、ト?」
のチョコ?
良く見知ったサーヴァントの姿をした、しかしチョコで出来ているようにしか見えぬ物体が走った廊下には茶色い足跡が残り、とろりと甘い香りを放っていた。
「――――どいてくださいキャスターーー!!!!」
かけられた大声と共にキャスターは脇の通路へ転がり込む。その数秒後、巨大な盾を振りかぶりながらマシュが扉の壊された管制室へ飛び込んだ。
遅れること数十秒、奥から響いていたドクターの遠い叫び声を目指し鬼のような顔をしたマスターが全速力で部屋に走りこむ。
キャスターは杖に付属する金属を鳴らしながら、混乱を極める部屋の内部をそっと伺い見る。手助けする前にマスターとマシュは消え、チョコにまみれた部屋とチョコにまみれたドクターだけが残る。
混乱するキャスターの背後に気配なく立った華美な服を纏うかつての劇作家は、キャスターの両肩へ、ぽん、と手を置いた。
「ひっ!」
キャスターの周囲にふわりと満開の花の匂いが香り立つ。
「『人を甘美な忘却の床に寝かしつける』――その薬とは、愛、或いは甘い菓子、であるのかもしれませんなぁ」
その低音でキャスターの背筋を粟立たせた劇作家は、愉快極まりないと言わんばかりに高笑いし、ゆうゆうとマスターの後を追う。キャスターはぎこちない動きでその姿が消えたことを確かめ、ため息をついた。
頭をかきながら首を振り、自室にでも帰って、あわよくばアーチャーに甘やかされながら、再び虚ろな現実という夢を得ようと、その場から静かに去る。
「オレは何も見ちゃいねえ」と呟きながら。
【二月十三日】
「げっ」
と声を発してから、声を発するべきでなかったと後悔した。
不遜な顔をした金色に輝くアーチャーは、革製の上着に包まれた腕を組み、キャスターへ向かって赤い目を弓のように細める。
「雑種。答えることを許す。マスターはどこにいる」
廊下の中央に仁王立ちになった王へ、キャスターは内心肩をすくめ「レイシフト中じゃねえかな」と嘘偽りを返す。
「なんだ、チョコとやらを差し出すことを許してやったのに、心底のろまな女よ!」
そう言って気まぐれな金色の弓兵が早々にその場を去ったことに安堵し、キャスターは弓兵と反対の方向へ歩き出した。
サーヴァントの形をしたチョコがカルデア内を荒らしまわったことが特に話題になる訳でもなく―ある騎士王が「あれは食べられるのでしょうか」と問うたことは別として―、近づいた記念日に女性陣はここ数日浮足立っている。
しかし、キャスターの心はずぶずぶと沈み込んでいた。
「あー、早くあいつの飯が食いてぇ」
「全く同意します、アーチャーのご飯は貴重です」
どこを歩いてもサーヴァントに会うってぇのも息苦しいな、と不意に現れキャスターの横を歩くセイバーを横目に見ながら思う。
「何の用だセイバーよ」
「貴方と同じでしょう。目的地が同じなだけで目的は違うでしょうが」
「飯か」
「菓子です。……私も、そのぅ」
チョコを作っているので、と目を泳がせ頬を赤らめる。よくよく見れば、セイバーは黒い欠片の詰まった小袋をその手に抱いている。キャスターはげんなりとした顔と声で訊いた。
「まさかそれも動き出すんじゃなかろうな」
首を傾げたセイバーは言った。
「動きませんよ、チョコなのですから」
その言葉に、どうだかな、と毒づいたキャスターは頭の後ろで腕を組んだ。
「しかしさっさとバレンなんたらが終わらない限り、オレ達には飯を作らん気だぞあいつは」
キャスターはアーチャーの飯を食べていない日数を指折り数える。
「仕方ないでしょう。マスターやドクターと違い、私たちの食事は娯楽なのですから。あまり人目につくところで限られた人間、いえサーヴァント、が楽しむべきでない」
人間はともかく、サーヴァント全員に行き渡るほど十分な食料はないのですから、と硬い口調でセイバーはキャスターを諭す。
「わかってるさ、その辺のお堅さは…よーく、な」
諦めきったキャスターに何を思ったのか、セイバーは手を振りながら優しく告げる。
「い、いやもうすぐですよキャスター。今日の午前に殆ど皆チョコは作り終えて、あとは当日の仕上げにキッチンを使う人しかいませんし」
何よりもう明日で終わりではないですか、と不器用なフォローをする。
バレンタインだのなんだのと、カルデアに一つしかない厨房へ人とサーヴァントが出入りするようになって、アーチャーは人間以外へ食事を作らなくなった。
その理由は、キャスターとて重々承知している。している、のだが。
「飯がないってのはつまらんもんだな」
ほとんどキャスター自身に向かって吐かれた言葉に、セイバーは無言で同意した。
厨房は濃すぎるほど甘い匂いに満たされている反面、人の気配はなく閑散としていた。毎日の食事が作られている場所であるにも関わらず、隅々まで汚れ一つなく綺麗に磨き上げられている。作業台を作る金属がさめざめと光を反射する様は、キャスターの心を薄ら寒い心地にさせた。広い空間の片隅に設置された作り付けのオーブンと作業台の間に、二つの人影があった。
「アーチャー、マシュ、チョコを追加で頂いてきました」
その声に黒い服を着た男が振り向く。隣に立つ小柄な少女は額に汗を滲ませながら、「ありがとうございます」と返しつつ、抱えたボウルから目を外さない。寸前まで二人が近い距離でボウルを覗きこんでいた姿は、辺りに漂う甘ったるい匂いと相まってキャスターの胸を心底むかつかせた。
「でも、これさえ上手くいけば……追加はいらなくて、申し訳ないのですが」
と心ここにあらずといった調子で呟くマシュに、「いえ、いいのです。私も今から作るのですから、そのついでです」とセイバーは返し、どこからかエプロンを取り出し腕をまくった。
キャスターは三人を少し離れて見つめ、アーチャーへ無言のまま強い視線を送ってみる。
しかし、ちらりとキャスターを見たアーチャーは、その存在や視線に反応することなく、目の前へ艶々と輝く球体の菓子を並べていく。その脇には、贈るであろう人数分の小箱が山積みになっている。
その数の多さとその数のチョコを傷一つなく作り上げるアーチャーの几帳面さが、キャスターを心底うんざりさせた。
手早くチョコの包装を仕上げているアーチャーの隣で、ボウルの中のチョコを台に置かれたスポンジの上に流し落としていたマシュは、慎重な手つきでペーストを均しながら暫く黙りこくり、やがて動きを止め「あれ?」と戸惑った。
「なにか……アーチャーさん」
あれ、とチョコの入っていたボウルと、机上の温度計の上を何度も視線が往復する。
「あっ!!」
マシュの小さな悲鳴と「最後に温度を上げ忘れていないか」というアーチャーの声が重なる。そのユニゾンに、ふむ、とセイバーが頷いた。
「あぁ………そんな」
マシュはキャスターから見れば大袈裟なほど肩を落とし、両手で顔を覆って身悶えた。
「もう明日なのに……どうしましょう、先輩に渡せなかったら」
マシュの焦りと悲しみを訴える肩にセイバーが手をそっと置く。
「何度でも作ればいい、私も一緒に付き合いますから」
と生真面目な慰めを口にする。だめだこりゃ、と肩を竦めたキャスターを、アーチャーは目線で咎め、諫めた。その態度に無性に腹が立ち、荒々しい足取りで三人へ近づいた。マシュは初めてキャスターの存在に気づき目を丸くする。
「嬢ちゃんよ」
その呼びかけとは反対に、アーチャーへ顔を向けながらキャスターは言う。
「博愛とやらのこもった義理堅いうまくてきれいなチョコもいいがね、貰う方からしたら、例え不格好で不味かろうとも……渡す相手を何が何でも手にしようとする、醜さを感じるほど熱い愛のこもった只一つのチョコこそ、印象に残るもんさ」
マシュとセイバーは、その言葉にそぐわぬ硬い声に戸惑う。しかし、アーチャーはキャスターの言葉を受け流しながら、口角を皮肉気に歪めて手を広げた。
「神に近い者にも関わらず、否、だからこそ強欲だなキャスター」
キャスターはふん、と鼻を鳴らし
「人間てぇのは欲張りなのさ」
と呟いた。そのままアーチャーの前に並べられたチョコを一粒勝手に己の口へ放り投げ「せいぜい頑張れよ」と手をぷらぷら振りながら去る。
【二月十四日】
「……スター、…キャスター!いるんだろう、君」
つっけんどんな中に、隠しきれぬ愛情がこめられた声が耳を擽る。夢とはとても呼べぬ浅い幻想は掻き消え、光に溢れた中庭に戻ってきたキャスターは、大樹の寝床の上で、ふわぁと欠伸しながらのびる。滲む涙を擦りながら、木の下に立つアーチャーを見下ろした。
「どうしたアーチャー、バレンなんちゃらは終わったのか…、…あ、それ」
キャスターはアーチャーの手に抱えられた弁当箱を目にするや否や木の上から躊躇いなく飛び降りた。
「まったく、こういった物だけには目敏いのだから」
と小言を言いながらも、アーチャーは音もなく着地したキャスターへ、籐で編まれた弁当箱を差し出す。
鼻をひくつかせ、「あ、オレの好きなやつ?」と問うたキャスターに「そうだ、香草焼きを挟んである」と答える。
その言葉にひどく幸せそうな満面の笑みを浮かべ、顔を輝かし見えない尻尾をぶんぶんと勢い良く振っている男の姿を見てアーチャーは尽きぬ小言を引込めた。
「飯だ!何日ぶりかの!」
身体中で喜びを表現しながら、座って弁当の蓋を手にしたキャスターへ、アーチャーは物言いたげに数度咳払いをする。鳥の香草焼きが挟まったサンドイッチを口へ入れる寸前に、眼前にそそり立つ白髪の男を見上げ、キャスターは首を傾げた。お前も食う?と手にした好物を差し出す。アーチャーは無言で首を振り、仄かに上気する頬と、決して相手にあわせぬ目線と共に「義理で悪いがね」と白い小箱を差し出した。
「あ、チョコか。ありがとうよ」
カサカサ音を立てる軽いプレゼントを受け取ったキャスターは、ふと違和感を覚えた。小箱から漂う芳醇なラム酒の香りは、昨日厨房でくすねた球体のチョコには無かったものだ。疑問と共に手にしていたサンドイッチを弁当箱へ戻し、両手で小箱にかけられた青いリボンをほどく。小箱を開け、思わず呟いた。
「あ、うまそう」
「気に入って頂けたなら幸いだ。……君の印象に残るかどうかは知らんがね」
箱の中には四角いチョコが複数鎮座し、カカオと酒の華やかな匂いを放っている。キャスターが苦手とする砂糖にまみれた甘ったるい匂いは感じられない。
――――これのどこが義理か。
キャスターは心の中で思う。この菓子はただ一人の為だけにその味を作られ、作った男と贈った相手以外の口には絶対に入らないものだ。この中にはその熱でひりつくほど、ただ一つの感情だけがこめられている。
その事実がひたひたとキャスターの心を満たした。愛とも執着とも区別のつかぬ粘ついた思いに口角を上げ、他所を見つつその実キャスターの反応だけを観察している愛しい男を見上げる。ただこの数片の菓子で、ここ数日感じていたキャスターの苛立ちは霧散した。
「印象か」
キャスターは呟く。その声に反応した紅茶色の肌の男へ、悪戯な笑みを浮かべる。
「バレンタインってのは恋人のイベントなんだろ?」
アーチャーは片眉を上げた。
「君らしくない。……言いたいことがあるなら率直に言いたまえよ」
「お前が口移しで食わしてくれたら熱い愛を感じられるかもしれん、アーチャ」
ーァ、と言い切る寸前にアーチャーはキャスターが手にした箱を素早く取り上げた。
「あっ、この」
「……すまない、近頃耳の調子が幾分か悪くてな。何か言ったかキャスター」
「聞こえてんだろ弓兵よ」
「さて、何のことか」
じり、と間合いを測る二人の間に緊張が走る。
「そのチョコを寄越せ弓兵。もしくは口うつ」
「もしや君は甘味が苦手だったかな、それは悪いことをした」
「ぬかせ」
「これはなかったことに」
「オレの好みなんざお前が一番よく知ってんだろうがよ!」
キャスターはさもそれが当然であるかのように言い放つ。特に考えのなかったその言葉に、アーチャーは動きを止めた。キャスターは好都合といわんばかりに男へ向かい、あ、と口を開ける。
「食わせ」
ろ、という言葉と同時に、顔を赤く染めたアーチャーは、指で摘み上げたチョコを殴らんばかりの勢いでキャスターの口にねじ込む。
「んぐぅ!…っ!」
咽そうになりながら、それでもチョコを吐き出すまいと悶えるキャスターに向かい「今夜はせいぜい首を洗って部屋で待っていろ!」と叫びながらアーチャーはその場を後にした。置き去りにされたキャスターは、もぐもぐと口を動かし、「うめぇ」と一人ごちる。今夜アーチャーが己の部屋へ来訪するという約束はキャスターを心底高揚させた。カカオの苦みと抑えた甘みが残る舌で唇をなめ、さてどうやって食ってやろうかと思案する。
「いいピクニック日和だな、いや本当に、楽しい日だ」
と、浮ついた声を垣根の向こうへ投げかける。芝生の上にお茶の道具を広げた中で、ジャックの耳を押さえたマスターと、ナーサリーの耳を押さえたドクターは、同時に深いため息をついた。
妙に暖かい日だった。
日頃居場所にしているカルデアの中庭で、人目のない片隅に立つ大樹の上に陣取り、ふわふわした心地の昼寝をしていた。
日差しを遮るため被ったマントで体は少々汗ばみ、マスターの命を振り切って外へ出たならば、平和な街が山の下に広がっているのではないかと錯覚しそうな程の陽気だった。
しかし暦は立春をすぎたばかりであり、例え山を下りたとしても外にはいまだ寒さが残っているかもしれない。そして中庭の空は、魔力のこもった分厚い硝子によって外界から遮断されている。
屋内で循環する空気が鼻をくすぐる。どこかで嗅いだことのあるような、甘い匂いがした。まるでアーチャーを背後から抱きしめたときのような、心を幸せにする匂いだ。
無意識に、鼻をすんすんと鳴らす。だが、何事にも程度というものがある。夢うつつの中で、匂いはささやかな幸福を通り過ぎ、徐々に濃密になっていく。
日差しの熱とあいまり、遂にキャスターの眠りを破った。
「っちい……。なんだ、この天気と甘ったりぃ匂いは」
汗ばむ身体を起こす。額を片手で乱暴に拭い、寝床にしていた硬い木肌へ白い手を置いた。
その瞬間、巨大な爆発音がカルデアを揺らす。
ガチン、と身体にスイッチの入る音がした。反射的に人目につかない物陰へ飛び、杖を握る。中庭を取り巻く硝子戸が、窓枠の中でカタカタと震えている。
その間にも異様なほど強く香る甘ったるい匂いに、キャスターは鼻へ皺を寄せた。戦いの為の感覚を一つ潰されることは、ひどく不愉快だった。
己の気配を可能な限り殺しながら、中庭を出て通路を駆ける。腰に下げた袋の中を手で探り、複数の種類のルーンをいつでも放てるよう指の間に挟む。
マスターは無事のようだが、カルデアに敵が侵入していないという楽観は持っていなかった。同時に、サーヴァントがこの場所に数多く居るとしても、全員が味方であるなどと思ってもいなかった。
――特にあの金ピカ野郎とか。
キャスターとして現界して魔力の存在を察知する能力は格段に上昇した。しかし。
「……場所が最悪すぎる」
なにせサーヴァントが日々現界し、或いは出入りするのだ。気配は感じられても、敵味方の区別など容易につくものではない。杖に己の魔力を込め、壁に張り付く。
カルデアの管制室につながる大通路には、その手前で脇にそれる小通路がある。しかもその通路はすぐに折れ、幾つもの分岐点を持つ。すなわち、敵を待ち伏せしながら退路が確保できる。
マスターがレイシフトとやらをする突き当りの部屋に、魔力の存在は一つしかなかった。おそらくドクターと共にいる女サーヴァントだ。その部屋へ向かい、幾つもの魔力を持つ個体が急速に移動してきている。
キャスターは踵から爪先へ体重をかけ、迫ってくる個体へ魔術と石を放つための力をこめる。廊下へ飛び出て侵入者と敵対し
「――は?」
まずった、と思った瞬間石が掌からすべり落ちた。
「――っ!」
辛うじて手で書いたルーンが効いた一体のみがその場に凍り付き、残りの人影が扉を破壊しながら管制室へと侵入する様を呆然と見送る。
「サーヴァ、ン、ト?」
のチョコ?
良く見知ったサーヴァントの姿をした、しかしチョコで出来ているようにしか見えぬ物体が走った廊下には茶色い足跡が残り、とろりと甘い香りを放っていた。
「――――どいてくださいキャスターーー!!!!」
かけられた大声と共にキャスターは脇の通路へ転がり込む。その数秒後、巨大な盾を振りかぶりながらマシュが扉の壊された管制室へ飛び込んだ。
遅れること数十秒、奥から響いていたドクターの遠い叫び声を目指し鬼のような顔をしたマスターが全速力で部屋に走りこむ。
キャスターは杖に付属する金属を鳴らしながら、混乱を極める部屋の内部をそっと伺い見る。手助けする前にマスターとマシュは消え、チョコにまみれた部屋とチョコにまみれたドクターだけが残る。
混乱するキャスターの背後に気配なく立った華美な服を纏うかつての劇作家は、キャスターの両肩へ、ぽん、と手を置いた。
「ひっ!」
キャスターの周囲にふわりと満開の花の匂いが香り立つ。
「『人を甘美な忘却の床に寝かしつける』――その薬とは、愛、或いは甘い菓子、であるのかもしれませんなぁ」
その低音でキャスターの背筋を粟立たせた劇作家は、愉快極まりないと言わんばかりに高笑いし、ゆうゆうとマスターの後を追う。キャスターはぎこちない動きでその姿が消えたことを確かめ、ため息をついた。
頭をかきながら首を振り、自室にでも帰って、あわよくばアーチャーに甘やかされながら、再び虚ろな現実という夢を得ようと、その場から静かに去る。
「オレは何も見ちゃいねえ」と呟きながら。
【二月十三日】
「げっ」
と声を発してから、声を発するべきでなかったと後悔した。
不遜な顔をした金色に輝くアーチャーは、革製の上着に包まれた腕を組み、キャスターへ向かって赤い目を弓のように細める。
「雑種。答えることを許す。マスターはどこにいる」
廊下の中央に仁王立ちになった王へ、キャスターは内心肩をすくめ「レイシフト中じゃねえかな」と嘘偽りを返す。
「なんだ、チョコとやらを差し出すことを許してやったのに、心底のろまな女よ!」
そう言って気まぐれな金色の弓兵が早々にその場を去ったことに安堵し、キャスターは弓兵と反対の方向へ歩き出した。
サーヴァントの形をしたチョコがカルデア内を荒らしまわったことが特に話題になる訳でもなく―ある騎士王が「あれは食べられるのでしょうか」と問うたことは別として―、近づいた記念日に女性陣はここ数日浮足立っている。
しかし、キャスターの心はずぶずぶと沈み込んでいた。
「あー、早くあいつの飯が食いてぇ」
「全く同意します、アーチャーのご飯は貴重です」
どこを歩いてもサーヴァントに会うってぇのも息苦しいな、と不意に現れキャスターの横を歩くセイバーを横目に見ながら思う。
「何の用だセイバーよ」
「貴方と同じでしょう。目的地が同じなだけで目的は違うでしょうが」
「飯か」
「菓子です。……私も、そのぅ」
チョコを作っているので、と目を泳がせ頬を赤らめる。よくよく見れば、セイバーは黒い欠片の詰まった小袋をその手に抱いている。キャスターはげんなりとした顔と声で訊いた。
「まさかそれも動き出すんじゃなかろうな」
首を傾げたセイバーは言った。
「動きませんよ、チョコなのですから」
その言葉に、どうだかな、と毒づいたキャスターは頭の後ろで腕を組んだ。
「しかしさっさとバレンなんたらが終わらない限り、オレ達には飯を作らん気だぞあいつは」
キャスターはアーチャーの飯を食べていない日数を指折り数える。
「仕方ないでしょう。マスターやドクターと違い、私たちの食事は娯楽なのですから。あまり人目につくところで限られた人間、いえサーヴァント、が楽しむべきでない」
人間はともかく、サーヴァント全員に行き渡るほど十分な食料はないのですから、と硬い口調でセイバーはキャスターを諭す。
「わかってるさ、その辺のお堅さは…よーく、な」
諦めきったキャスターに何を思ったのか、セイバーは手を振りながら優しく告げる。
「い、いやもうすぐですよキャスター。今日の午前に殆ど皆チョコは作り終えて、あとは当日の仕上げにキッチンを使う人しかいませんし」
何よりもう明日で終わりではないですか、と不器用なフォローをする。
バレンタインだのなんだのと、カルデアに一つしかない厨房へ人とサーヴァントが出入りするようになって、アーチャーは人間以外へ食事を作らなくなった。
その理由は、キャスターとて重々承知している。している、のだが。
「飯がないってのはつまらんもんだな」
ほとんどキャスター自身に向かって吐かれた言葉に、セイバーは無言で同意した。
厨房は濃すぎるほど甘い匂いに満たされている反面、人の気配はなく閑散としていた。毎日の食事が作られている場所であるにも関わらず、隅々まで汚れ一つなく綺麗に磨き上げられている。作業台を作る金属がさめざめと光を反射する様は、キャスターの心を薄ら寒い心地にさせた。広い空間の片隅に設置された作り付けのオーブンと作業台の間に、二つの人影があった。
「アーチャー、マシュ、チョコを追加で頂いてきました」
その声に黒い服を着た男が振り向く。隣に立つ小柄な少女は額に汗を滲ませながら、「ありがとうございます」と返しつつ、抱えたボウルから目を外さない。寸前まで二人が近い距離でボウルを覗きこんでいた姿は、辺りに漂う甘ったるい匂いと相まってキャスターの胸を心底むかつかせた。
「でも、これさえ上手くいけば……追加はいらなくて、申し訳ないのですが」
と心ここにあらずといった調子で呟くマシュに、「いえ、いいのです。私も今から作るのですから、そのついでです」とセイバーは返し、どこからかエプロンを取り出し腕をまくった。
キャスターは三人を少し離れて見つめ、アーチャーへ無言のまま強い視線を送ってみる。
しかし、ちらりとキャスターを見たアーチャーは、その存在や視線に反応することなく、目の前へ艶々と輝く球体の菓子を並べていく。その脇には、贈るであろう人数分の小箱が山積みになっている。
その数の多さとその数のチョコを傷一つなく作り上げるアーチャーの几帳面さが、キャスターを心底うんざりさせた。
手早くチョコの包装を仕上げているアーチャーの隣で、ボウルの中のチョコを台に置かれたスポンジの上に流し落としていたマシュは、慎重な手つきでペーストを均しながら暫く黙りこくり、やがて動きを止め「あれ?」と戸惑った。
「なにか……アーチャーさん」
あれ、とチョコの入っていたボウルと、机上の温度計の上を何度も視線が往復する。
「あっ!!」
マシュの小さな悲鳴と「最後に温度を上げ忘れていないか」というアーチャーの声が重なる。そのユニゾンに、ふむ、とセイバーが頷いた。
「あぁ………そんな」
マシュはキャスターから見れば大袈裟なほど肩を落とし、両手で顔を覆って身悶えた。
「もう明日なのに……どうしましょう、先輩に渡せなかったら」
マシュの焦りと悲しみを訴える肩にセイバーが手をそっと置く。
「何度でも作ればいい、私も一緒に付き合いますから」
と生真面目な慰めを口にする。だめだこりゃ、と肩を竦めたキャスターを、アーチャーは目線で咎め、諫めた。その態度に無性に腹が立ち、荒々しい足取りで三人へ近づいた。マシュは初めてキャスターの存在に気づき目を丸くする。
「嬢ちゃんよ」
その呼びかけとは反対に、アーチャーへ顔を向けながらキャスターは言う。
「博愛とやらのこもった義理堅いうまくてきれいなチョコもいいがね、貰う方からしたら、例え不格好で不味かろうとも……渡す相手を何が何でも手にしようとする、醜さを感じるほど熱い愛のこもった只一つのチョコこそ、印象に残るもんさ」
マシュとセイバーは、その言葉にそぐわぬ硬い声に戸惑う。しかし、アーチャーはキャスターの言葉を受け流しながら、口角を皮肉気に歪めて手を広げた。
「神に近い者にも関わらず、否、だからこそ強欲だなキャスター」
キャスターはふん、と鼻を鳴らし
「人間てぇのは欲張りなのさ」
と呟いた。そのままアーチャーの前に並べられたチョコを一粒勝手に己の口へ放り投げ「せいぜい頑張れよ」と手をぷらぷら振りながら去る。
【二月十四日】
「……スター、…キャスター!いるんだろう、君」
つっけんどんな中に、隠しきれぬ愛情がこめられた声が耳を擽る。夢とはとても呼べぬ浅い幻想は掻き消え、光に溢れた中庭に戻ってきたキャスターは、大樹の寝床の上で、ふわぁと欠伸しながらのびる。滲む涙を擦りながら、木の下に立つアーチャーを見下ろした。
「どうしたアーチャー、バレンなんちゃらは終わったのか…、…あ、それ」
キャスターはアーチャーの手に抱えられた弁当箱を目にするや否や木の上から躊躇いなく飛び降りた。
「まったく、こういった物だけには目敏いのだから」
と小言を言いながらも、アーチャーは音もなく着地したキャスターへ、籐で編まれた弁当箱を差し出す。
鼻をひくつかせ、「あ、オレの好きなやつ?」と問うたキャスターに「そうだ、香草焼きを挟んである」と答える。
その言葉にひどく幸せそうな満面の笑みを浮かべ、顔を輝かし見えない尻尾をぶんぶんと勢い良く振っている男の姿を見てアーチャーは尽きぬ小言を引込めた。
「飯だ!何日ぶりかの!」
身体中で喜びを表現しながら、座って弁当の蓋を手にしたキャスターへ、アーチャーは物言いたげに数度咳払いをする。鳥の香草焼きが挟まったサンドイッチを口へ入れる寸前に、眼前にそそり立つ白髪の男を見上げ、キャスターは首を傾げた。お前も食う?と手にした好物を差し出す。アーチャーは無言で首を振り、仄かに上気する頬と、決して相手にあわせぬ目線と共に「義理で悪いがね」と白い小箱を差し出した。
「あ、チョコか。ありがとうよ」
カサカサ音を立てる軽いプレゼントを受け取ったキャスターは、ふと違和感を覚えた。小箱から漂う芳醇なラム酒の香りは、昨日厨房でくすねた球体のチョコには無かったものだ。疑問と共に手にしていたサンドイッチを弁当箱へ戻し、両手で小箱にかけられた青いリボンをほどく。小箱を開け、思わず呟いた。
「あ、うまそう」
「気に入って頂けたなら幸いだ。……君の印象に残るかどうかは知らんがね」
箱の中には四角いチョコが複数鎮座し、カカオと酒の華やかな匂いを放っている。キャスターが苦手とする砂糖にまみれた甘ったるい匂いは感じられない。
――――これのどこが義理か。
キャスターは心の中で思う。この菓子はただ一人の為だけにその味を作られ、作った男と贈った相手以外の口には絶対に入らないものだ。この中にはその熱でひりつくほど、ただ一つの感情だけがこめられている。
その事実がひたひたとキャスターの心を満たした。愛とも執着とも区別のつかぬ粘ついた思いに口角を上げ、他所を見つつその実キャスターの反応だけを観察している愛しい男を見上げる。ただこの数片の菓子で、ここ数日感じていたキャスターの苛立ちは霧散した。
「印象か」
キャスターは呟く。その声に反応した紅茶色の肌の男へ、悪戯な笑みを浮かべる。
「バレンタインってのは恋人のイベントなんだろ?」
アーチャーは片眉を上げた。
「君らしくない。……言いたいことがあるなら率直に言いたまえよ」
「お前が口移しで食わしてくれたら熱い愛を感じられるかもしれん、アーチャ」
ーァ、と言い切る寸前にアーチャーはキャスターが手にした箱を素早く取り上げた。
「あっ、この」
「……すまない、近頃耳の調子が幾分か悪くてな。何か言ったかキャスター」
「聞こえてんだろ弓兵よ」
「さて、何のことか」
じり、と間合いを測る二人の間に緊張が走る。
「そのチョコを寄越せ弓兵。もしくは口うつ」
「もしや君は甘味が苦手だったかな、それは悪いことをした」
「ぬかせ」
「これはなかったことに」
「オレの好みなんざお前が一番よく知ってんだろうがよ!」
キャスターはさもそれが当然であるかのように言い放つ。特に考えのなかったその言葉に、アーチャーは動きを止めた。キャスターは好都合といわんばかりに男へ向かい、あ、と口を開ける。
「食わせ」
ろ、という言葉と同時に、顔を赤く染めたアーチャーは、指で摘み上げたチョコを殴らんばかりの勢いでキャスターの口にねじ込む。
「んぐぅ!…っ!」
咽そうになりながら、それでもチョコを吐き出すまいと悶えるキャスターに向かい「今夜はせいぜい首を洗って部屋で待っていろ!」と叫びながらアーチャーはその場を後にした。置き去りにされたキャスターは、もぐもぐと口を動かし、「うめぇ」と一人ごちる。今夜アーチャーが己の部屋へ来訪するという約束はキャスターを心底高揚させた。カカオの苦みと抑えた甘みが残る舌で唇をなめ、さてどうやって食ってやろうかと思案する。
「いいピクニック日和だな、いや本当に、楽しい日だ」
と、浮ついた声を垣根の向こうへ投げかける。芝生の上にお茶の道具を広げた中で、ジャックの耳を押さえたマスターと、ナーサリーの耳を押さえたドクターは、同時に深いため息をついた。
