fate(槍弓以外)

 町から出ると、森が広がっている。おかあさんは、あっちへ行っては駄目だとことある毎に言うけど、Jくんが森へ入ってしばらくしたところの傷がついた樹木と、巨木の陰のウロを秘密基地だと決めたので、俺も一応大人の目というものを気にしながらそのウロへと向かう。そこは高台みたいになっていて、西の下の方を向くと、まばらな住宅と一面に敷かれた田畑が見える。
 その日は俺一人で、網をもって秘密基地へと歩いていた。おかあさんは、病院にじいちゃんのお見舞いに行くから、あんたは家で宿題を済ませなさいと言った。近頃変なことが多いから、外へ出ちゃだめよと。
 それを聞いて、ラッキーだと思わないやつはいないだろう。途中でDの家に寄ったけど、しんと静まり返った家は沈黙していて、押したインターフォンが中で虚しく反響するだけだった。仕方がないので、網と虫かごを揺らしながら町を出る。近頃の街はどこか変だった。

 狩れた葉を踏むと、気持ちのいい音と一緒に灰茶色が粉々に割れる。上空からは、終わりなく緑を失った葉が降り続ける。珍しいことに、秘密基地には誰もいなかった。いや、いた。変なヤツがいた。
 見慣れない姿に警戒して、そばの樹の裏へ身を隠してヤツを観察する。変なヤツはまず恰好が変だった。目立つ真っ赤な上着と、図書館に置いてある本の中に出てくる奴がきているようなマント、黒い服の部分には白い細かい線が入っている。なにより見慣れぬ肌の色と、白い髪。近所のじいちゃんと同じ色なのに、奴は若そうだった。たぶん。そしてでかい。隣のクラスの、学年で一番でかいTの、柔道をしている方の兄ちゃんよりでかい。
 奴はそのでかい身体を俺たちの秘密基地の倒木の上に下ろして、ぼんやりとどっかを見ていた。よく見ると、赤いマントの裾に大きな染みがついている。もしかして、あれって血じゃないだろうか。
 怪我しているのかさせたのか、怖くなって思わず後ずさる。足元で枯葉が大きな音を立てる。気づかれた、と恐怖して逃げようとしたけれど、足がもつれてその場で思いっきり尻もちをついた。
「いてっ」
 地に着いた手の指を小枝が切り裂く。反射的に痛む場所を口で咥えると、鈍い血の味がした。
「随分うるさい小僧だ。私がそんなに気になるかね」
ぱっと顔を上げても、変なヤツは俺を見ていなかった。遠くの、丁度田んぼがある方を向いて口だけを動かしていた。横顔はなにかに似ていた。ぼんやりと思い出したのは、学校のホールの片隅で埃を被ったままの古臭い彫像だった。銅色の横顔をして、どこを見ているかわからない不気味な目。夜になってから像と目をあわせると、変な世界に連れていかれるとみんなが噂している。
「そんなに気になるかね。喋ることもできないほど?」
 俺はむっとして、飛び上がるように立ち上がった。せめて、網の柄を武器のように構える。
「おじさんこそなにしてるんだよ、そこは俺たちの秘密基地なんだからな、ちょっとは『エンリョ』してみろよ!」
「……」
 ヤツはしばらく動きを止め、やがてゆっくりと首を俺の方に回すと、白々とした目つきで俺を捉える。
「……おじさん、だと」
奴は口角を吊り上げて、偉そうに首を振った。その態度も上っ面な笑顔も気に食わない。俺はこいつがなんか嫌だ。
「せめて『アーチャー』と呼んでくれるかな、少年」
自分をアーチャーといった男は笑顔を浮かべていたけど、こいつ笑顔だけど、ぜってえ笑ってねえ。
「変な名前。変な格好」
「……」
「なんの用だよ、こんなとこ」
ろで、という前にアーチャーの姿がぱっと消え去った。
 起こったことの意味がわからない。呆然としていると、森の奥からトラ太が歩いてきた。名前の通りの毛皮を見にまとっているトラ猫は、誰かから潤沢に餌を貰っているおかげで艶々光っている毛皮を地面に擦り付けていたかと思うと、いきなり構えて毛を逆立てる。シャーッ、と威嚇する先に「アーチャー」が立っていた。
「え? ……どうやって移動したんだよ。手品か?」
でも葉を踏み砕く音さえしなかった。俺たちの間を風が吹き抜ける。森の中から低くごうごうと唸る音がする。空が遠い。
 風で翻るマントの中で、アーチャーは空を見上げていた。
「少年。毎日が楽しいか?」
「は?」
「明日がくることが嬉しいかね」
「……?」
 意味わからねえ、と首を傾げたまま網の柄を握りなおした。
「遊ぶの、なら、たのしいけど」
「そうか」
 アーチャーがふっと西に顔をむけた。下に広がる田んぼは、彼岸の頃に一面を赤く染める。どうせならその頃見た方がオトナは喜ぶのに、と思ったけれど、アーチャーの横顔が無性に怖くてなにも言えなかった。
「君は消えるだろう。それまでは精々日々を楽しむことだ、頑張りたまえ」
アーチャーの姿は、さらさらと空気に溶けていって消えた。口が開いたままの俺に声が告げる。
「また会おう『シロウ』。君が業火で焼け死ぬ日に」
 そうしてなにもなくなって、いつもと同じ秘密基地の前で俺は立ち尽くした。手で胸元の名札を探り、ビニールでカバーされたそれをまじまじと見直した。
 大きく『――士郎』と書かれた名札を手にして、頼りのないそれをぎゅっと握りしめた。
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