アークナイツ

 待っていればよかった。俺は、待っていればよかった。
 戦場を駆ける黄金の疾風。
 ウルサスの兵を、質の悪い賞金稼ぎを、裏切りの騎士を、ちんけな強盗を、彼は剣でねじ伏せていった。圧倒的な力で。
 彼の姿は彼が操るアーツそのものだった。静かに湛えられた光の海。波がそよぐ草原の中心で煌めく天馬。
 ぼたぼたと誰のものかもわからない血を剣の先から垂れ流しながら、彼はいつも俺のもとに戻ってきた。彼が俺を見下ろす静かな瞳。長い睫毛で縁取られた黄金の瞳は、森林で生きる動物たちの眼そのものだった。静謐で、感情がなく、己を狩る者の気配に耳を震わせ遠くを眺める動物たち。
 野生動物がヒトになったような姿をした彼が、ただひとつこれだけは覚えることが出来たといわんばかりに、いつも俺のもとに帰ってくる。その事実は、俺の心を甘美な蜜で満たした。静かに息を吐いて、すっと俺の前に立つ彼に、俺の執着心は、俺の飢餓は、俺の慈愛は、根こそぎ攫われてしまったのだ。

 すべて過去の話だ。
 すべては過去に押し流された、遠い昔話。

「いやだ」
 最初はなにを言われているのかわからなかった。
 トーランドはムリナールの尻にまわしていた手にぐっと力をこめる。抗うように、ムリナールの尻が締まった。

 あのムリナールが有給休暇を消化しきった冬の日に、トーランドはカジミエーシュの屋敷を訪問した。訪問した、といえば響きがいいが、正面玄関から堂々と家に上がり込めるはずもなく、裏口から屋敷に回りこみ、開いている窓に足をかけただけである。
「よう、退職祝いにきてやったぜ」
 ソファに腰かけたムリナールの隣に腰を下ろし声を掛ければ、上品な手つきで紅茶を飲んでいた彼は心底嫌そうな顔をしてトーランドを振り返った。
「何処から聞いた」
「さあ? 別にいいじゃねえか」
 ムリナールは慎重な手つきでソーサーをテーブルに戻した。トーランドは彼を放ってぐるり、と部屋のなかを見渡す。
 ムリナールの部屋は彼の懐具合の窮状をありありと示すように、モノがなくがらんとしていた。カーペットも、書斎机もない。あるのはソファと、テーブルと、ベッドと申し訳程度のクローゼットだけだ。そして、トーランドとは反対側のソファの上には小さな旅行鞄が置かれている。彼の人生がその小さな鞄ひとつにおさまっている様子は、胸を締め付ける哀愁と、だが彼はそれよりも少ない荷物でかつて己と一緒に戦場をさすらっていたのだという郷愁を共に掻き立てた。
「結局ロドスに行く事にしたんだってな」
 ムリナールの視線がこちらに向くことはなかったが、彼の黄金色の耳はひょこりとこちらの声に合わせて動いていた。
 彼は耳の根元を触られるのが好きだった。抱いているときに指先で弄ってやると、腰を震わせ泣いていた。
「いいんじゃねえか、新しい人生の門出だな」
 ふと、ふたりの間に横たわる金色の尾を撫でた。かつて戦場に張られたテントの隅で、何度もそうしたように。
 びくり、とムリナールが肩を震わせはじかれたようにトーランドを見た。目と目が合う。
 彼の瞳の奥に、かつて燃え盛っていた熱を感じた。戦いで散った火花が切欠となり、消しようのない火となるあの感覚。
 互いの感情が流れ込む。俺たちはあの日々を忘れていなかったのだという驚き。ただ互いの身体を求めることしかできなかった幼さへの羞恥。目の前にある体温への渇望。
 ムリナールは薄く唇を開け、この場を取り繕うため何事かを喋ろうとした。だが声を出すことに失敗し、徐々に紅潮していく己の頬を掌で擦り、やがてトーランドの肩を両掌で包んで額をそこに押し付けてしまった。
「……どうしたお坊ちゃん。今更そんなうろたえて」
 そう言う己の声も微かに震えていることにトーランドは気づいていた。
 なんだ、なんか恥ずかしいなと独り言を言いながらムリナールの身体に手をまわし、不埒な欲望に突き動かされるがまま十年ぶりに彼の背中に、そして流れるように彼の尻に触れると、ムリナールは呟いた。

「……いやだ」
 トーランドは息を詰めた。そして大きく吐き出す。
「ムリナールの旦那よ、嫌なら嫌って態度を取ってくれやしないかね」
 ムリナールはトーランドに縋りつくように抱きついたまま、いやだ、と駄々をこねるように繰り返した。
「……から」
「え? なんだ?」
 トーランドはムリナールの口元に耳を寄せた。吐息が耳を擽る。低音が囁いた。
「屋敷にはマリアとマーガレットがいるから、それ以上俺に触れるな」
 あっ、そういう。
「なるほどな、確かに教育上よろしくないことはよろしくないな。ほら、ムリナール俺から離れろ。離れた離れた」
 トーランドが手に力をこめムリナールを押すと、彼は名残惜しそうな表情を浮かべながらソファに座り直し、両手を組むとそこに額を押し当て深々とため息をついた。
「この家だとダメだな」
「今更……」
「つまり邪魔がない場所ならいいってことだな」
「もう何歳になったと思っている……」
「じゃあ俺の家にくるか。郊外に一軒家を借りてるんだ。そこならいいだろ?」
「流石に十年は長すぎる……」
「晩飯を用意しといてやろうか? 酒はいらない?」
「お前もこんなかわいげのない男に煽られるな……」
「百本の薔薇はいるか?」
「いらん」
 シャワーとベッド以外なにもいらない、とムリナールは吐き捨てるように言った。
「それじゃ、俺の家の場所はテキストで送っといてやるよ。今晩来い、ムリナール」
 トーランドは立ち上がると、ソファの上で項垂れているムリナールを振り返ってにっと笑った。
「来ないとまた悪戯しにくるぜ」

 ***

 二十二時ぴったりに家の扉が叩かれた。
「よう。昼間ぶりだな旦那」
 暗闇を背景にトーランドを見下ろしたムリナールは、数回瞬きすると諦めたように家に入り、着ていたコートを脱いだ。ムリナールからは、清潔な石鹸の香りが漂っていた。
「話の早い坊やは嫌いじゃないぜ。ベッドは二階だ」
 トーランドはムリナールから渡されたコートを手に持ったまま薄暗い階段を先導する。軋むドアを開け、鎮座するベッドを指で指し示すと、ムリナールがたじろぎ喉を鳴らす気配がした。
「そう緊張するなよ。やることは昔と変わりねえんだからよ」
「……十年ぶりだから緊張もする」
 トーランドは耳にした言葉を疑うように目を見張り、無造作にベッドに腰かけたムリナールを凝視した。
「十年ぶり? どういう意味だそりゃ」
「言葉通りの意味だが」
「俺と十年ぶりってことか? それとも――」
「人と同衾するのが十年ぶりだ。満足したか? したならさっさと抱け」
 トーランドは唇を曲げ、鼻を鳴らした。情緒のない奴め。
「十年ぶりなら、ゆっくりしてやるよ。俺だって鬼じゃない」
 部屋の灯りを落とし、サイドランプを点灯させると古びた部屋がぼう、と浮かび上がった。金色の髪が鈍く光を反射させている。
 かつてベッドに寝転がりトーランドの髪を悪戯にいじっていた姿を思い出す。彼は言った。
 私は大騎士領に戻る。
 十年分、年を取ったムリナールが、ベッドに静かに座っていた。
 そっと手を取る。かつて剣を握り、そしてこの十年ペンを握っていた手はかさつき、節ばっていた。乾いた爪に舌で触れ、指先に歯を立てる。手首を撫でてやりながら手の甲に数度口づけをすると、ムリナールは身体を静かに震わせた。
 彼の身体を抱き寄せ、ベッドの上に押し倒す。淡いグラデーションの色相を持つ尾がベッドの上に散った。
 言葉なく、唇を重ね合わせる。数度彼の唇の表面を吸うと、ムリナールは緩く口元を開きトーランドの舌の訪れを歓迎した。
 唇も乾いている、あちこち手入れをしてやらないと、と考えながらトーランドは舌でムリナールの口を探った。規則正しく並んだエナメル質の歯が、トーランドの舌を恐れて縮こまっている。喉の奥に逃げた舌を追い、吸うとムリナールの身体が跳ねた。
 じゅう、と音をさせながら彼の唾液を吸い、舌を絡める。互いの体温が、擦れ合う服が興奮の材料になる。彼の足の間を膝で刺激すると、彼の中心は緩く立ち上がっていた。情交の興奮を忘れているわけではないらしい。
 彼のシャツに手をかけ、釦をひとつひとつ外していく。素肌に掌を這わせると、かつて彼が好んだように、胸を突き出し愛撫をねだるような姿勢になった。
 ムリナールは顔に腕を当て、そっぽを向いた。彼の尻尾が波打つように動き、耳が下を指す。
「……相変わらず、かわいいな」
「……相変わらず、目が悪いようだ」
 ん、とムリナールが息をのんだ。トーランドは彼の胸の尖りをつまんだまま、捏ねるようにゆっくりと刺激を与える。ムリナールはじわりじわりと愛撫されることが好きだった。最初は弱く、触れているか触れていないかわからないくらいの力で。そして興奮してきて目尻が赤く染まり、尻尾が上を向くころには少し強めに。
 ムリナールが太ももをこすり合わせ、立ち上がったものをトーランドから隠そうとする姿を横目で見ながら、胸に唇を這わせる。舌で突起を絡み取り、一際強い力で吸い上げる。
「――っ、あ、」
 ムリナールの押し殺した喘ぎが部屋に響いた。
「ん、……っ、ぁ」
 胸を反らせ、隙が出来た背中に手を差し込み、腰を撫でる。豊かな毛並みを探り当て、梳くように手を差し込んで彼の尾を愛してやる。
 胸と尾への刺激にムリナールは身体を震わせ、シーツを掴みながら頭を横に振った。
 唇が薄く開き、赤く色づいた舌がちらりと覗く。
 トーランドはムリナールの服を全て脱がせると、自分の服も脱ぎ、ベッドサイドに置いてあった瓶を手に取った。
 ムリナールのがっしりとした重みのある脚を抱え上げ、彼の尻の合間に油で濡れた指を差し入れる。
「あ、そん……」
「大丈夫だって、ゆっくりしてやるよ。すぐに入れない」
 宣言通り、トーランドはムリナールの慎ましい口に指の腹で触れたまま、緩く上下させ表面だけを刺激した。ムリナールの足が引きつるように動き、腰を捩る。
 根気強く表面を撫でていると、やがてムリナールの身体は過去を思い出したのか、徐々に力が抜け緩みだした。ず、と指を中に侵入させる。
「――!」
 はぁ、とムリナールが大きく息を吸った。
 油を体内に塗り込めるように指を動かし、さて、こいつの好きだったところは確かここだったような、と身体が覚える記憶を頼りにムリナールの腹側を指先で刺激する。
「あっ、……や、」
 やめろ、と艶に濡れた声が懇願する。
「好きだっただろ、ここ」
「んん、……あ、なん、で」
 ムリナールは焦ったようにシーツを掻き、額を擦りつけた。
「ん、身体は忘れてないみたいだな……緩んできた」
 この調子なら俺のもちゃんと入りそうだな、と軽口を叩くと、非難と期待が入り混じった視線が向けられた。
 二本の指で体内をかき回すと、ムリナールの下腹部が跳ねた。トーランドは背を曲げると、ムリナールの太くがっしりとした首筋、衰えることを知らず逞しく張った胸筋、古傷が幾つも残る肩先に口づけを落としていく。
 彼の耳元に鼻先を押し付けながら三本目の指を中に差し入れると、ムリナールは頼りなさげに息を吐いた。喉の震えも、彼の押し殺した喘ぎも、すべてトーランドのものだった。
 トーランドしか知らない、ムリナールのありのままの姿。
「お前の匂いがする……」
 鼻先を埋めながらそう囁くと、ムリナールは数回瞬きをし、そのまま彼の鼻先をトーランドの髪に埋めた。
 すんすん、と子供のように匂いを嗅ぐ姿に笑いをこらえながらぎゅっと力強く抱きしめ、性器を彼の足の間に擦りつけた。
「いれたい、いいだろ、なあ……」
 ムリナールは最初何を問われているのかわからないといった表情を浮かべ、ぽーっと浮ついた眼で不思議そうにトーランドを眺めた。やがてゆるゆると首を上下させ、トーランドの肩を自分の方に抱き寄せる。

 天を向き張り詰めたトーランドの性器は、とうに限界を訴えていた。ムリナールの両足を抱え、温い泥濘のなかに沈めていくと、全身が歓喜で沸き立つ。
「あ、……んんっ、トーラン、ド」
 ムリナールがトーランドに手を伸ばし、背中に手を何度もすべらせる。
 汗が終わりなく流れ落ち、眼下のムリナールに落下する。シーツにはどちらのものかもわからない液体で染みがいくつもできていた。
「あっ、あ……」
「くっ、」
 ああ、気持ちがいいな。何も考えられねえ。
 トーランドは真っ白になった頭を抱え、何度も何度もムリナールの体内を抉った。
「はあっ、あっ、」
 ムリナールは苦しそうに喘ぎ、トーランドにすがりついて己の身を犯す性器を受け入れていた。
 何度も突き上げ、そのたびに唇を重ね合わせる。互いの爪が古傷を引っ掻き、新たな傷を生み出していく。ムリナールの耳の付け根を愛してやれば、彼は泣いて乞い、トーランドの角の付け根の痕を探った。汗を舌で舐め、互いの髪が交差する。
 更けていく夜に包まれ、トーランドは何度もムリナールの中に精を吐き出した。ムリナールもトーランドの手で導かれ、幾度も果てる。吐き出すものを失くしても互いを離せず、ふたりは気を失うように眠るまで身体を求め合った。

 ***

 窓の外が真っ赤に燃え上がっていた。
 トーランドが、窓の外に朝焼けが広がっていると認識するまで一瞬の間が必要だった。
 赤い光が虹のように濃淡をつけ、空を覆っている。
 鳥の鳴き声が遠くから聞こえてきた。冬の朝の冷えた空気が扉の下から流れ込んでくる。
 新聞配達の少年が運転する自転車の金属音が響いた。
 隣には、ムリナールが寝ていた。
 大きな体を丸め、まるでトーランドに守られて心底安心したかのようにすやすやと眠っている。
 暫くその寝顔を眺めていると、やがてムリナールが目を覚ました。

 黄金色の瞳。
 静謐で、感情がなく、己を狩る者をじっとみつめる草食動物の瞳。

 やがてふっと綻び、彼はトーランドに微笑んだ。
「そんなに見るな」
「おはようさん」
「おはよう」
「待ってたんだ」
「……なにを?」
 ムリナールが問いかける。
 トーランドは彼の金色の頭を抱え、呟いた。
「ずっと待ってたんだ。お前が戻ってくるのを」

 かわいい俺の天馬。
 お前の帰りを、俺はずっと待っていた。
 
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