グラブル(フェルラガ)
無数の星。存在する場所を違えることなく、ただ空の一点で光を放ち続ける。時間通りに位置を変え、夜になれば健気に月光と共に輝き、空に神話を映し出す。
無数の星。物語を仮託したのは人間だ。孤立した星同士を結び付け、線を引き、そこに神話を見出す。愛しい人を、愛しい物語を、悲劇を見出す。
過去の人間にできて、今の人間にできないとどうしていえよう。星座を描くことは、今の人間にだって可能なのだ。
それが、どのような形で為されようとも。
寸胴に湯を沸かし、香味野菜と共に肉を火にかける。弱火で長時間煮込むことで、骨の髄から旨味が溶けだすのだと説いたとき、フェルディナンドの息子は退屈そうに「へェ」と言った。長い時間をかけスープを作り、一段落したところで挽いた肉を捏ねていく。焼くのは彼が戻ってくる直前でいい。洗って切った野菜を一度煮たてた調味液に放り込み、朝に購入したパンが籠に揃っていることを確認する。そうしてようやくフェルディナンドは息をついた。
そろそろだと壁に掛かった時計を仰ぐ。今日は遠地に任務へ出ていたラガッツォが帰ってくる予定の日だった。玄関のランプはすでに灯してある。フェルディナンドは椅子に腰かけると、机の上に置いてあった本を手に取り、栞を頼りに頁を開いた。
神に愛された少年が星になる物語は、神話をベースにしたものだ。最近発行されたその本を、フェルディナンドはラガッツォから教えられた。人気だから買ってきた、と居間で彼が読んでいたのだ。彼は読書という行為を昔から愛しているようだが、同時に図書館という場所も愛していて、自宅に購入した本をため込むといった行為はみせなかった。俗に思春期とよばれる人生の季節を彼が迎えてからは、フェルディナンドはラガッツォの部屋へあまり立ち入らなくなったが、機会が皆無という訳ではない。時折彼の部屋をのぞき、奥まった場所に佇む慎ましい本棚に、数十冊ほどの選ばれた本が納められている様子を目にすることがあった。
だから彼が新しく購入した本を家に持ち帰ってくると、その本のなにが彼の琴線に触れたのか気になってしまうのだ。
本の中で、少年が神の瞳である湖を覗き込み、彼の短い人生で初めての感情を抱いている。ふと、ラガッツォの初恋の切欠は一体なんだったのだろうとフェルディナンドは思った。
彼が幼い少年であったとき、彼は熱の籠もった視線を向けることがあった。フェルディナンドは、その視線の先には例えば大型犬を飼う隣家の可愛らしい少女がいるべきだったと今でも考えているが、ラガッツォはその視線をフェルディナンドに向けていたのだ。
彼は宝石にも劣らない輝きを湛える眼を見開いて、じっとフェルディナンドを見つめていた。わずかに上気した少年らしい丸みを帯びた頬、紅を刷いたような唇が緩く開き、物欲しそうにフェルディナンドの背中を追っていた姿を今でも昨日のことのように思い出せる。
彼はフェルディナンドの名を呼びながら、生まれ落ちたばかりの雛鳥のように後ろをついて回った。そっと外套の裾を握った彼の手が緊張していたことを、この世界でフェルディナンドだけが知っている。
彼は生まれ落ちた世界でフェルディナンドに恋をした。そして期待をしていた。自分たちはもしかして愛し合う恋人同士になれるのではないかと。
だから、彼が初めて任務で人を殺してきた夜、雪で冷えた彼の頬を両手で包み耳元で「きみは私の自慢の息子だ」と告げたとき、彼が抱いていた希望は失望に変化したのだ。唇の赤味は一瞬で青く変化し、溌溂と輝いていた瞳は曇り、やがて瞼の奥に隠される様を、フェルディナンドは十センチ先の鼻先越しに観察していた。彼の頬に付着していた血痕を舌先で舐め取ってやると、彼は一度だけ大きく体を震わせた。そして彼は大人に対し、感情を秘めるという態度を身に着けた。
彼が少年から青年に変化する途上で十五歳の誕生日を迎えても、十八歳を迎えてもなお彼の唇は愛を囁くことがなかった。誰に対してもだ。時折もの言いたげな視線がフェルディナンドに投げかけられる以外、艶めいた気配は見せなかった。
彼を理解し、彼の未来を描いているのはフェルディナンドだ。しかし時には運命が予想だにせぬ悪戯を仕掛けることもあるのだと、ラガッツォと出会ったからこそ知ることができた。
ドアベルが鳴る。声が玄関から届く。
「ったく、ヒデェ雨が……おい、窓は閉めたのかよォ」
荒々しい足音と共に、水滴を廊下と居間に撒き散らしながらラガッツォがフェルディナンドの前に立った。相変わらず色の濃い隈を目の下に湛えながら、彼はぐるりと周囲を見渡してみせた。
「窓かい? 閉めてあるよ。今日は夜から激しい雨だとニューススタンドの少年が言っていたからね」
フェルディナンドは居間のテーブルに載った新聞を指さしながら答えた。
「そうかよ。そんな日に迎えもなしで仕事してきた俺に何か言うことねェのか」
「おつかれさま。夜ご飯は出来ているから、シャワーを浴びてくるといい」
「そうかよ、そうしてくる」
そう言い残してその場から立ち去ろうとしていたラガッツォはふとフェルディナンドの手元に目を留め、感情のない声で問うた。
「その本、読んでて面白いかァ?」
フェルディナンドは首を傾げ、唇を曲げた。
「今度舞台化するんだろう? 美しい劇が見れそうだなと思ったよ」
フン、と呆れたように鼻を鳴らすと、ラガッツォは今度こそバスルームへ向かった。
テーブルを挟んで食事をとっている間にも雨は激しさを増し、一軒家の屋根を、窓を、雨粒が激しく打ち据えた。雷鳴が轟き、フェルディナンドが風呂を終わらせるころには、鋭い稲妻が暗黒の空を切り裂いていた。
「これでは星も見えやしないね」
ソファに寝ころびうたた寝をするラガッツォに話しかける。
「はっ……、こんな天気の時くらい空を見るのをやめたらどうだァ。……星座図か、天球儀でも眺めてろよ。飽きるくらいあるじゃねェか。アンタの部屋に二つ、いや、三つか? 俺の部屋にも一つ」
フェルディナンドはソファの肘掛けに腰を下ろし、ラガッツォの芯の太い髪を指で梳いた。
「そうだよ、私は店に行くとね、つい感動して手に取ってしまうんだ。人は月を、惑星を、星をこんなにも欲していて、美しい姿を残そうとしてしまうのだとね」
まるで私がきみを手元に残したように、と心のなかだけで呟く。
ラガッツォは眩し気に目を細め、フェルディナンドが髪を撫でる手に身を委ねていた。
「仕事は順調だったかい」
「問題ねェ。週明けにも報告する。……二人ばかり抵抗が激しかったんで『処理』したが……」
フェルディナンドの顔色を探るようにラガッツォが下から窺う。彼の丈夫な手首を手に取り、そっと出っ張った骨の部分に唇を押し当てた。
「いい子だね、きみはいつも期待以上の働きをしてくれる。自慢の息子だよ」
複雑に絡まった感情が一瞬ラガッツォの瞳を過ぎ去り、やがて瞼がそっと伏せられる。
「そうかよ。……そうなら、よかった」
ラガッツォはかさついた唇を一度軽く舐め、ほう、と静かに息を吐いた。
いま、彼の。
彼の心の奥底に触れたら、彼はどんな顔をするのだろう。
唐突に襲われた衝動にフェルディナンドは腰を思わず浮かせた。ラガッツォが不思議そうな表情を浮かべる。
彼と手をつないだまま見下ろし、フェルディナンドは一度音もなく息を吸った。
「きみは」
怪訝そうな表情。雨粒の立てる轟音が二人を包む。真っ暗な世界、ランプが照らす狭い空間に二人だけで存在している。ふたりだけで生きてきた。
これまで、ずっと。
彼が両親を手に掛けたときから、ずっと。
「私の話をしよう。私だって感動する。人の作ったものに。人そのものに。私だって愛する。人の作った精巧な工芸品を、それを作る手を、いや、ただそこに存在しているという理由で人を愛したことだってあった」
ラガッツォの表情が音もなく強張る。ああ、このまま歪めさせたい。ギリギリとネジを締めるように、限界まで緊張させ、一点を超えた瞬間バラバラになってしまうきみの表情。きみの身体。
愛するだろうか。手足を失い、私以外を見るすべを失くしたきみは、私を。
「だが私が愛したものは、みな私を厭うんだ。残念なことにね。だから私は――」
遠く記憶のなかの光景を眺める。私が愛してきたもの。愛した家族たち。乗り越えるために解体した幾つもの身体。それでも留まってくれず、やむなく手をかけた妻と娘。
「私の元に留まってくれるきみを、大切に思うよ」
いつかたべてしまいたいくらいに、と耳元で囁く。轟く稲妻と重なっても、その言葉はラガッツォに届いた。その証拠に、彼の白い耳はみるみる赤味を帯びてゆく。
「……っ、あ、」
ラガッツォは数度口を開閉させ、やがて絞り出すように細い声で抗った。
「気色悪ィこと、言うなよ」
「そうかい? ごめんよ」
紅潮した頬を隠すように腕を上げた彼は、上半身を勢いよくソファから起こすと、顔を背け吐き捨てた。
「好きにしろ。……俺のことなんか、好きにすればいい。煮ようが焼こうが、文句なんざ……言わねェよ」
そして立ち上がると、フェルディナンドを指さし告げた。
「その代わり、明日の朝飯は作れよな。俺は疲れてんだ」
そう言い残し、彼は足音も荒く自室へと去った。
居間に残されたフェルディナンドは、首を傾げ、直前まで息子の手首に触れていた指で唇をなぞった。
調和のとれた未来を描く星座たち。この世界はフェルディナンドの思うがままに動く。否、動かすのだ。
人は言うことを聞かない。だから星座を描いて当てはめていく。物語を作る。星々を操るように。
けれどラガッツォは軌道から逸れていく。フェルディナンドという星に計画よりも接近していく。
そしていつか、彼はフェルディナンドを赦すのだろうか。
ふとよぎった予感に、フェルディナンドは不思議な心地がした。初めての感情だ。これはなんだ、と心を探る。ああ。
私は初めてなのだ。誰かに愛されるということが。誰かに受け入れられ、赦されるということが。
かわいそうなラガッツォ。
きみの愛に包まれても、私の心は動かない。
顔を伏せたフェルディナンドが一人ソファの上に取り残される。
ジジ、とランプが揺らぎ、灯りが消えた。窓の外では暴風雨が荒れ狂い、雨粒を何度も何度も家々の壁に叩きつけた。飽きることなく。
無数の星。物語を仮託したのは人間だ。孤立した星同士を結び付け、線を引き、そこに神話を見出す。愛しい人を、愛しい物語を、悲劇を見出す。
過去の人間にできて、今の人間にできないとどうしていえよう。星座を描くことは、今の人間にだって可能なのだ。
それが、どのような形で為されようとも。
寸胴に湯を沸かし、香味野菜と共に肉を火にかける。弱火で長時間煮込むことで、骨の髄から旨味が溶けだすのだと説いたとき、フェルディナンドの息子は退屈そうに「へェ」と言った。長い時間をかけスープを作り、一段落したところで挽いた肉を捏ねていく。焼くのは彼が戻ってくる直前でいい。洗って切った野菜を一度煮たてた調味液に放り込み、朝に購入したパンが籠に揃っていることを確認する。そうしてようやくフェルディナンドは息をついた。
そろそろだと壁に掛かった時計を仰ぐ。今日は遠地に任務へ出ていたラガッツォが帰ってくる予定の日だった。玄関のランプはすでに灯してある。フェルディナンドは椅子に腰かけると、机の上に置いてあった本を手に取り、栞を頼りに頁を開いた。
神に愛された少年が星になる物語は、神話をベースにしたものだ。最近発行されたその本を、フェルディナンドはラガッツォから教えられた。人気だから買ってきた、と居間で彼が読んでいたのだ。彼は読書という行為を昔から愛しているようだが、同時に図書館という場所も愛していて、自宅に購入した本をため込むといった行為はみせなかった。俗に思春期とよばれる人生の季節を彼が迎えてからは、フェルディナンドはラガッツォの部屋へあまり立ち入らなくなったが、機会が皆無という訳ではない。時折彼の部屋をのぞき、奥まった場所に佇む慎ましい本棚に、数十冊ほどの選ばれた本が納められている様子を目にすることがあった。
だから彼が新しく購入した本を家に持ち帰ってくると、その本のなにが彼の琴線に触れたのか気になってしまうのだ。
本の中で、少年が神の瞳である湖を覗き込み、彼の短い人生で初めての感情を抱いている。ふと、ラガッツォの初恋の切欠は一体なんだったのだろうとフェルディナンドは思った。
彼が幼い少年であったとき、彼は熱の籠もった視線を向けることがあった。フェルディナンドは、その視線の先には例えば大型犬を飼う隣家の可愛らしい少女がいるべきだったと今でも考えているが、ラガッツォはその視線をフェルディナンドに向けていたのだ。
彼は宝石にも劣らない輝きを湛える眼を見開いて、じっとフェルディナンドを見つめていた。わずかに上気した少年らしい丸みを帯びた頬、紅を刷いたような唇が緩く開き、物欲しそうにフェルディナンドの背中を追っていた姿を今でも昨日のことのように思い出せる。
彼はフェルディナンドの名を呼びながら、生まれ落ちたばかりの雛鳥のように後ろをついて回った。そっと外套の裾を握った彼の手が緊張していたことを、この世界でフェルディナンドだけが知っている。
彼は生まれ落ちた世界でフェルディナンドに恋をした。そして期待をしていた。自分たちはもしかして愛し合う恋人同士になれるのではないかと。
だから、彼が初めて任務で人を殺してきた夜、雪で冷えた彼の頬を両手で包み耳元で「きみは私の自慢の息子だ」と告げたとき、彼が抱いていた希望は失望に変化したのだ。唇の赤味は一瞬で青く変化し、溌溂と輝いていた瞳は曇り、やがて瞼の奥に隠される様を、フェルディナンドは十センチ先の鼻先越しに観察していた。彼の頬に付着していた血痕を舌先で舐め取ってやると、彼は一度だけ大きく体を震わせた。そして彼は大人に対し、感情を秘めるという態度を身に着けた。
彼が少年から青年に変化する途上で十五歳の誕生日を迎えても、十八歳を迎えてもなお彼の唇は愛を囁くことがなかった。誰に対してもだ。時折もの言いたげな視線がフェルディナンドに投げかけられる以外、艶めいた気配は見せなかった。
彼を理解し、彼の未来を描いているのはフェルディナンドだ。しかし時には運命が予想だにせぬ悪戯を仕掛けることもあるのだと、ラガッツォと出会ったからこそ知ることができた。
ドアベルが鳴る。声が玄関から届く。
「ったく、ヒデェ雨が……おい、窓は閉めたのかよォ」
荒々しい足音と共に、水滴を廊下と居間に撒き散らしながらラガッツォがフェルディナンドの前に立った。相変わらず色の濃い隈を目の下に湛えながら、彼はぐるりと周囲を見渡してみせた。
「窓かい? 閉めてあるよ。今日は夜から激しい雨だとニューススタンドの少年が言っていたからね」
フェルディナンドは居間のテーブルに載った新聞を指さしながら答えた。
「そうかよ。そんな日に迎えもなしで仕事してきた俺に何か言うことねェのか」
「おつかれさま。夜ご飯は出来ているから、シャワーを浴びてくるといい」
「そうかよ、そうしてくる」
そう言い残してその場から立ち去ろうとしていたラガッツォはふとフェルディナンドの手元に目を留め、感情のない声で問うた。
「その本、読んでて面白いかァ?」
フェルディナンドは首を傾げ、唇を曲げた。
「今度舞台化するんだろう? 美しい劇が見れそうだなと思ったよ」
フン、と呆れたように鼻を鳴らすと、ラガッツォは今度こそバスルームへ向かった。
テーブルを挟んで食事をとっている間にも雨は激しさを増し、一軒家の屋根を、窓を、雨粒が激しく打ち据えた。雷鳴が轟き、フェルディナンドが風呂を終わらせるころには、鋭い稲妻が暗黒の空を切り裂いていた。
「これでは星も見えやしないね」
ソファに寝ころびうたた寝をするラガッツォに話しかける。
「はっ……、こんな天気の時くらい空を見るのをやめたらどうだァ。……星座図か、天球儀でも眺めてろよ。飽きるくらいあるじゃねェか。アンタの部屋に二つ、いや、三つか? 俺の部屋にも一つ」
フェルディナンドはソファの肘掛けに腰を下ろし、ラガッツォの芯の太い髪を指で梳いた。
「そうだよ、私は店に行くとね、つい感動して手に取ってしまうんだ。人は月を、惑星を、星をこんなにも欲していて、美しい姿を残そうとしてしまうのだとね」
まるで私がきみを手元に残したように、と心のなかだけで呟く。
ラガッツォは眩し気に目を細め、フェルディナンドが髪を撫でる手に身を委ねていた。
「仕事は順調だったかい」
「問題ねェ。週明けにも報告する。……二人ばかり抵抗が激しかったんで『処理』したが……」
フェルディナンドの顔色を探るようにラガッツォが下から窺う。彼の丈夫な手首を手に取り、そっと出っ張った骨の部分に唇を押し当てた。
「いい子だね、きみはいつも期待以上の働きをしてくれる。自慢の息子だよ」
複雑に絡まった感情が一瞬ラガッツォの瞳を過ぎ去り、やがて瞼がそっと伏せられる。
「そうかよ。……そうなら、よかった」
ラガッツォはかさついた唇を一度軽く舐め、ほう、と静かに息を吐いた。
いま、彼の。
彼の心の奥底に触れたら、彼はどんな顔をするのだろう。
唐突に襲われた衝動にフェルディナンドは腰を思わず浮かせた。ラガッツォが不思議そうな表情を浮かべる。
彼と手をつないだまま見下ろし、フェルディナンドは一度音もなく息を吸った。
「きみは」
怪訝そうな表情。雨粒の立てる轟音が二人を包む。真っ暗な世界、ランプが照らす狭い空間に二人だけで存在している。ふたりだけで生きてきた。
これまで、ずっと。
彼が両親を手に掛けたときから、ずっと。
「私の話をしよう。私だって感動する。人の作ったものに。人そのものに。私だって愛する。人の作った精巧な工芸品を、それを作る手を、いや、ただそこに存在しているという理由で人を愛したことだってあった」
ラガッツォの表情が音もなく強張る。ああ、このまま歪めさせたい。ギリギリとネジを締めるように、限界まで緊張させ、一点を超えた瞬間バラバラになってしまうきみの表情。きみの身体。
愛するだろうか。手足を失い、私以外を見るすべを失くしたきみは、私を。
「だが私が愛したものは、みな私を厭うんだ。残念なことにね。だから私は――」
遠く記憶のなかの光景を眺める。私が愛してきたもの。愛した家族たち。乗り越えるために解体した幾つもの身体。それでも留まってくれず、やむなく手をかけた妻と娘。
「私の元に留まってくれるきみを、大切に思うよ」
いつかたべてしまいたいくらいに、と耳元で囁く。轟く稲妻と重なっても、その言葉はラガッツォに届いた。その証拠に、彼の白い耳はみるみる赤味を帯びてゆく。
「……っ、あ、」
ラガッツォは数度口を開閉させ、やがて絞り出すように細い声で抗った。
「気色悪ィこと、言うなよ」
「そうかい? ごめんよ」
紅潮した頬を隠すように腕を上げた彼は、上半身を勢いよくソファから起こすと、顔を背け吐き捨てた。
「好きにしろ。……俺のことなんか、好きにすればいい。煮ようが焼こうが、文句なんざ……言わねェよ」
そして立ち上がると、フェルディナンドを指さし告げた。
「その代わり、明日の朝飯は作れよな。俺は疲れてんだ」
そう言い残し、彼は足音も荒く自室へと去った。
居間に残されたフェルディナンドは、首を傾げ、直前まで息子の手首に触れていた指で唇をなぞった。
調和のとれた未来を描く星座たち。この世界はフェルディナンドの思うがままに動く。否、動かすのだ。
人は言うことを聞かない。だから星座を描いて当てはめていく。物語を作る。星々を操るように。
けれどラガッツォは軌道から逸れていく。フェルディナンドという星に計画よりも接近していく。
そしていつか、彼はフェルディナンドを赦すのだろうか。
ふとよぎった予感に、フェルディナンドは不思議な心地がした。初めての感情だ。これはなんだ、と心を探る。ああ。
私は初めてなのだ。誰かに愛されるということが。誰かに受け入れられ、赦されるということが。
かわいそうなラガッツォ。
きみの愛に包まれても、私の心は動かない。
顔を伏せたフェルディナンドが一人ソファの上に取り残される。
ジジ、とランプが揺らぎ、灯りが消えた。窓の外では暴風雨が荒れ狂い、雨粒を何度も何度も家々の壁に叩きつけた。飽きることなく。
