グラブル(フェルラガ)
頭に触れた甘い体温を今でも思い出す。炎が燃え盛る屋敷で、彼は俺の頭を穏やかな手つきで撫でた。一度、二度と。足元に広がる血液の錆びついた臭い、木材の水分が蒸発し響く高音。肌が火に舐められ焼ける感触。天国だと思った。ここは天国だと思った。
俺を愛してくれるひとがいる。それだけで充分だった。人生で俺が求めていたのはそれだけだった。彼に手を引かれ屋敷を立ち去るとき、ふと立ち止まり後ろを振り返った。瞳の表面に映る、崩れ行くかつての「家」。未練など、なにもなかった。固く俺の掌を掴んでくれる冷たい彼の手だけが、俺がこれから進むべき道を指し示していた。彼こそ光。俺が辿り着かなければいけない最果て。
彼と一緒に送る暮らしは平和そのものだった。彼は時折、仕事という名目で家を留守にした。そのとき以外は、常に甲斐甲斐しく俺の世話を焼いた。毎日清潔な衣服を着せられ、一日三回腹いっぱいの食事をした。躾のために食事を抜かれることなど一度もなかった。柔らかな笑みを湛え、決して怒りを露わにしない彼に勉強を教わり、星の位置を知るために夜空を眺めながら互いの指を重ね、武術の師も紹介された。共に食卓を囲み、夜は床を共にした。
「きみは賢いね、ラガッツォ。自慢の息子だ」
ベッドで本を読み聞かせながら、キッチンで野菜の皮を剥きながら、彼はよくそう口にした。何気なく、極めて常識的な事柄を口にするような響きで平然と。そして隙さえあれば俺の頭を撫でようとする。そのたび、俺は目を固くつぶり、肩を窄ませた。
――人に手を伸ばされると、反射的に身が竦む。それは動物が自分の身を守るために学習した反応だ。かつて俺に手を伸ばしたものは皆、俺を殴った。
彼が手を伸ばす気配を俊敏に察知し身を強張らせる俺に対し、彼は責めるような言葉を一切口にしなかった。ただゆっくりと俺に触れ、
「いい子だね。よく、がんばったね」
と唇をたわませながら頭を撫で、髪を梳くのだ。彼の掌から伝わる体温は、いつだって俺の身体を溶かした。彼の声は、いつだって俺を有頂天にさせた。
その感情が、「親子」の枠から逸脱しているものだと気づいたのはいつだっただろうか。尊敬が、敬愛が、親愛が、歪に変形するまで然程時間はかからなかった。俺の身長が急激に伸びたある夏、俺は自分の感情を言葉として生み出した。
俺はこのひとを愛しているのだ。
彼が俺を愛してくれるのとは、違う意味で。
きみは賢いね、ラガッツォ。彼は耳元で囁く。「賢い」俺はわかっている。そんな日は来ないと知っているのに、そんなことをする筈がないと理解しているのに、いつかこの人が俺を殴る日がきたら、きっと俺は彼を赦してしまうのだろうと、俺はわかっている。それほどまでに、俺はこのひとを愛してしまっているのだ。
靄のかかった世界からゆらりと意識が立ち昇る。その瞬間、床が一際大きく地を抉るように揺れた。怯えた子供の叫び声が空間を引き裂く。
ラガッツォは数度瞬きし、朦朧とした意識を覚醒させるために二度ほど頭を振った。人が散在する定期船の食堂で、ラガッツォは椅子に腰かけたままうたた寝をしていたようだ。壁に掛けられた時計を見ると、食事を終えた時から十分ほど針が進んでいる。
艇が揺れたせいで、カップに残っていた茶がテーブルにこぼれていた。一つ長机を挟んだ先で、幼いエルーンの兄妹が両親に抱きかかえられている。先程の叫び声の主は幼い彼らだろう。ノイズ交じりの船内放送が、艇が嵐に接近したことを知らせていた。
アルビオンを経由地として、辺境の小さな港を目的地とする航路を進む定期船には、便の本数が限られていることもあって、それなりに乗船者がいた。ラガッツォが無言で食卓から立ち上がると、正面にいた幼子を抱きかかえた母親が遠慮したように頭を下げる。会釈を返し、二等船室へ続くドアへと向かった。
今回の任務を指示したフェルディナンドの指先を思い出す。綺麗に手入れされた桜色の爪が、地図の上を軽やかに動き回る。彼の低く甘い声が、フェルディナンドにするべきことを教える。
先日初めて訪れた彼の新居には、彼の新しい「家族」がいた。娘ができたんだよ、彼女の名前はシャノンというんだ、とフェルディナンドは心底嬉しそうに微笑んでいた。きっと彼は彼女を愛しただろう。かつて幼いラガッツォにしたように、優しく頭さえ撫でただろう。訪問が深夜だったため目にすることの叶わなかった少女の姿が、母に抱えられた幼子に重なる。
『――アスクレピオスの杖はそのままでいい』
フェルディナンドは思慮深げな声でそう言った。寝静まった住宅の居間で、彼はソファに腰かけ、定期連絡を済ませるラガッツォの手の甲を数度撫でた。彼の体温が滲むように全身に広がったあのとき、きっと彼は知らないのだろうとラガッツォは思考した。
ラガッツォの胸に広がっているどす黒い感情。醜い嫉妬が渦巻くさま。そんなものを彼はきっと知らないのだろう。彼はラガッツォが抱いている感情など、想像すらできないに違いない。
フェルディナンドはラガッツォという新しい息子を手に入れてもなお満足できないようだった。彼の執着は「家族」にある。彼はラガッツォが大きくなるにつれて、新しい家庭を手に入れることへの固執を隠さなくなった。
それはラガッツォの成長によってもたらされたものかもしれず、あるいはラガッツォひとりでは彼の欠落を埋められなかったことの証明なのかもしれない。ラガッツォは正面から訊ねたことがない。
俺という存在では満足しないのかと、訊ねたことがない。
その問いの背後には確固たる形を伴った劣情が存在していることを、ラガッツォは熟知している。それ故ラガッツォは問い質すことができない。俺では満足できないか。新しい家族がそんなに欲しいか。新しい家族を手に入れたらどうするんだ。そいつらと一緒に暮らすのか。俺はどうなる。アンタは俺を手放すのか? フェルディナンド、それでアンタは幸せになるのか?
問いを押し隠し、ふたりで親子の仮面を被る。仮面の下は、互いに目にすることができない。
鞄を枕にし、狭い二等船室のベッドで眠る。見知らぬ男の鼾が響く薄暗い部屋で、ラガッツォの胸を占めるのはただひとりの男の姿だった。
船が港に横付けされ、最後まで残った乗客がまばらに地上へ降り立つ。ラガッツォも巨大な荷物を抱えたドラフの男について船を降り、役目を終えたチケットを係員に渡した。
石畳を進む。背後で、定期船のエンジンが一度大きく唸った。乗客を送り届けた船体はそのまま反対方向へと回転し始める。
嗅ぎなれない香辛料の匂いが周辺に漂っていた。チケット売り場や土産屋、食堂などが入る簡素な木造の建物が、港の入り口に寄せ集められている。細い路地を進み、商店の間を抜け、時が経て黒ずみ時代がついた門をくぐった。密集した人影がすっと引き、視界が一気に広がる。眼下には石壁の建物が一面に広がっていた。急峻な山々の裾にある猫の額ほどの盆地に、人家がびっしりと軒を連ねている。
辺境の連邦を構成する国のひとつが、ラガッツォが降り立ったこの群島を拠点とする共和国だった。山の麓には政府の機関が入る城が置かれ、街の中心には商店が並び、港付近にはまるで島に壁を作るように輸出入の盛んな繊維業の工場と倉庫が所狭しと並んでいる。
今回ラガッツォがこの島まで足を伸ばしたのは、フェルディナンドからの命令が始まりだった。街の武器屋へ行って、最近売られているという武器の真贋を確かめてきてほしい――。手間を取らせてすまないね、随分と遠い所へ、といったようなことをフェルディナンドは言った。それに対し、気にするな、とか構わねえよ、などとラガッツォは答えたような気がする。
フェルディナンドは目を細めたまましばし沈黙すると、また離れ離れだね、パパは寂しいよ、と心底心細そうに呟いた。
花の萎れたような彼のその姿は、ラガッツォの後ろ暗い欲望を深々と満たした。彼が己を必要としている事実だけで、ラガッツォは息ができる気がした。
急な角度で盆地の中心へと下る階段を踏みながら、今回の任務を脳裏で再確認する。街の奥まった場所に位置する、城に近い武器屋の壁に、問題の武器は飾られているらしい。
影を深く落とす建物の間を進み、頭上で洗濯物がはためく路地裏を潜り抜ける。ひっそりとした花壇で落ち着いた色の花々が太陽の光を浴びていた。
一刻ほど歩いただろうか。表通りの喧騒が遠ざかり、日の当たらないじめっとした裏通りを行くと、目的の武器屋が見えてきた。無骨な柱に石壁が凭れかかっているようなつくりの、苔むした建物だ。銅板で作られた看板が壁にぶら下がっている。店舗の出入り口である扉の脇に、人の背丈ほどもある斧のレプリカがオブジェとして立てられていた。
ドアベルを鳴らしながら店舗に入る。狭い店内は明かりも乏しく、様々な武器が脈絡なく置かれ雑然としていた。埃臭い空気に包まれた室内の奥で、巨大な人影が動く気配がした。
「……いらっしゃい」
巨大な体躯のドラフの店主は、店内を見て回るラガッツォを一瞥すると、愛想なく言葉を発した。
「何かお探しで」
ラガッツォはゆるりと店内へ視線を巡らせてから、カウンターの奥に掛けられている剣をしげしげと眺めた。
「最近話題の掘り出しものってェのはそれか?」
ドラフの店主は緩慢に背後を振り返ると、剣が納められた木箱ごと両手で持ち、カウンターに軽々と置いた。
「そうだよ。『ジュワユース』ってえ剣だ。古いが一級品の武器さ。最近群島のコレクターが亡くなってね、うちが引き取ったんだ。人気があるから、買いたいなら早くした方がいいぞ」
「へえ」
ラガッツォは感情を浮かべない眼で透き通った緑色の刃を眺めた。確かに銘のある剣だろう。作りはしっかりして洗練されている。実用品としての美を兼ね備え、そこらの二束三文で売られている武器とは筋の通り方が違う。相応しい持ち主が手にしたなら、期待以上の働きをしてくれるだろうと思えた。
だが。
「他にも、この武器を狙ってる奴がいるのか?」
「ああ、何人か見に来たよ。大体は値札を見て帰ったがね。……ひとり、なにか探している様子の奴もいたよ。どうやら期待していたものとは違ったらしい」
「そうかい」
ラガッツォは頭を振ると、店主に向けて笑みを作った。
「俺も値札を見て帰るひとりになりそうだ。ありがとうよ」
店主は構わない、といった様子で大きな手を振ると、再び『ジュワユース』を元あった場所に戻した。
店を出る。鞄からメモを取り出し、地名と店名、「ジュワユース」と書かれた文字に線を引いた。横に「本物ではない」と書き加える。しばし躊躇ったあと、他に来訪者あり、という一文を付け加えた。
ラガッツォは大きく息を吐くと、宛てもなく通りを歩きだした。次の定期船が出るのは五日後だと聞いている。それまで世話になる宿を探さなければならない。
一度大通りに出て酒場で情報でも集めるか、と思考を巡らしながら進み、ふととある店の前で立ち止まった。古民家を改造したような店舗は、夥しい数の書籍と棚で埋まっている。
吸い寄せられるように書店に入ったラガッツォは、見慣れぬ本の並ぶ棚の間を泳ぐようにして巡り、何冊かを手に取ってぱらぱらと頁を捲った。
暫く無心で本を漁り、数冊を購入して店を出る。思ったより時間が過ぎていたのか、日が傾き始めていた。
ラガッツォは店頭にまで溢れている書籍を眺めながら名残惜しく店を離れ、何の気もなしに隣の店舗のショーウインドウへ目を遣った。
美しい色の華奢な瓶が、何本も飾られている。すらりとしたフォルム、透き通った輝き。まるで芸術品のようだ。
ラガッツォは店舗の看板を仰ぎ、ああ薬屋なのか、とひとり納得した。
自然と、奥まった場所に飾られた藤色の瓶の広告に目線が囚われる。
『恋の魔法をかけたい、あの人に』
「気になるかい」
隣から唐突に掛けられた声に、ラガッツォは思わず飛び上がった。見ると、ラガッツォの腰ほどの身長を持つハーヴィンが、掃除のための道具を持ちながらまっすぐ見上げていた。
「気になる人がいるなら、一緒に飲むといい。お茶に混ぜるといい香りがするんだ」
「へえ……でも、恋の魔法っていうのはなんなんだ。随分胡散くせェが」
「それはね」
老齢のハーヴィンは、老獪な笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「この島に山があるのは知っているだろう、旅人さん。あの山の頂上には二年に一度、白い花が咲くんだ。その花には、好いた人を自分に恋させる魔力が籠っているとずっと言い伝えられてきた。その花を煎じて作ったのがあの薬だよ。だが必要以上に怪しまなくていい、お茶に入れると良い花の香りがするくらいだと思えばいい。効き目はひっそりとあらわれるからね。香りを嗅いでみるかい」
彼はそう言うとラガッツォの返事も待たず、店舗に入って掃除道具を置き、カウンターからティーカップと沸かされていた茶を手早く用意した。後ろの棚から瓶を取り出し、数滴を垂らしいれる。
呆然と立ち尽くしていたラガッツォを手招きすると、彼の鼻先にカップを近づけ、
「どうだ、いい香りだろう」
と笑ってみせた。
「飲んだらだめだよ、私に恋してしまうからね」
冗談を言いながら、カップをカウンターに置く。馨しい花の香りが紅茶と調和し、周辺の空気を嗅ぐだけで気分がほぐれる心地がした。深く息を吸い込むと、くらりと脳が揺さぶられる。
「……味は? 不味かったりしないのか」
「ベースはシロップだよ。紅茶に入れる砂糖代わりに使えばいい」
「本当に、恋に落ちるのか? どのくらいの期間?」
ラガッツォの脳裏に、ひとりの男が浮かぶ。この身に愛を与えてくれるひと。けれど、誰かに恋している姿など少しも想像できないひと。
「恋に落ちるのは本当さ。だがその関係を継続できるかはその二人の努力次第だよ」
ああ、一度でも恋の炎に燃える彼の瞳を見ることができたなら。
俺は、その思い出を生涯抱えて生きることができる。
「――値段は、いくらだ」
店主は目を細め、指を立てた。
***
「ただいま」
無人の家にラガッツォの声が響く。玄関で立ち止まり、ラガッツォは深々と息を吸い込んだ。懐かしい我が家の匂いがする。フェルディナンドと共に暮らすこの家に戻るのは数ヶ月ぶりだった。
フェルディナンドは外出しているようだ。いつもは玄関先に掛けられているコートが定位置になかった。ラガッツォはちらりと空のウォールハンガーを見遣り、そのまま自室へ向かった。
荷物を下ろし、靴を履いたままベッドに寝ころぶ。ふわりと欠伸が出た。両腕を頭の後ろで組んで枕にし、目を閉じる。荷解きをしなければならない。ナビスへの案件報告もまだだ。報告へ行ったらフェルディナンドに会えるだろうか、という考えがよぎり、胸の底が焦げるような感覚を抱いた。
馴染みのない街で買った「恋の魔法」をかけるシロップは、今も荷物の底で眠っている。
俺は紛い物の恋情がほしいのだろうか、と何度目になるかもう数えられない問いを自分に投げかける。わからない、とラガッツォは思った。
わからない。彼から恋をされて俺は嬉しいのだろうか。けれど俺は彼に俺だけをみていてほしいのだ。「新しい家族」などではなく、「古い」俺を。俺を彼の「特別」にしてほしいのだ。たとえ一瞬でも構わない。そのあとは俺のことなど忘れてくれたっていい。
ただ彼の特別になれたという思い出がほしいのだ。
ゆるりと瞼を上げ、自室を見渡す。フェルディナンドが誕生日に贈ってくれた金属製の天球儀が棚に飾られている。いささか古びてはいるが、ラガッツォが在宅しているときは毎日磨いているので鈍い輝きを常に湛えている。本棚にはラガッツォが買い集めた本の他に、フェルディナンドが贈ってくれた本が何冊も収まっている。なかには絵本もある。「天司」という世界を支える幻想の存在の話を、彼は何度もラガッツォに読み聞かせてくれた。幼いラガッツォとフェルディナンドは同じベッドに潜り、体温を分かち合いながら幻想の世界に共に浸ったのだ。あの夜に感じた幸福を、誰もラガッツォから奪うことはできないだろう。
本を読み終えると、彼は必ずラガッツォの頬と額にキスを贈ってくれた。乾いていて優しいあの感触。そして彼は穏やかにラガッツォの胸を叩き、「おやすみ」と囁いてくれた。この部屋には、やさしくてしあわせな思い出だけが詰まっている。
フェルディナンドはうつくしいものだけを、無色の愛を、ラガッツォに無限に注いでくれた。
そんな彼に会うたび、ラガッツォは恋をする。
「ただいま、ラガッツォ。それとも『おかえり』かな。任務ご苦労だったね。遠かっただろう」
家に帰ってきたフェルディナンドは疲れも見せず、コートを脱ぐと台所に立っていたラガッツォを抱きしめた。ふわりと彼の纏う香水の匂いがラガッツォを包む。
「別に、いつも通りだ。大して難しい任務でもなかった」
「そうかい」
彼は目を細め微笑むと、ラガッツォから身体を離した。一抹の寂しさを感じながら、ラガッツォは問いかける。じっと、手元の芋の皮を見つめながら。
「それより、新しい『家族』はどうなったんだ」
「ん? ああ、上手くいかなかったよ。残念だった。けれどシャノンはまだ生きているからね、また会えるかもしれないな」
「そうかよ」
「おや。……この瓶はなんだい? お土産かい?」
フェルディナンドは、キッチンの棚に置いた藤色の瓶を手に取り首を傾げた。しげしげと興味深そうに細身の華奢な瓶を観察する。
「茶に入れるシロップらしい。山の上で採れる花から作ってるって言ってたぜ。いい香りがするんだとよ」
「へえ、いいね。食事のあとに楽しもうか。私はシャワーを浴びてくるよ」
そう言って、フェルディナンドはラガッツォの頬に軽くキスをしてその場を去った。頬に残る温かで柔らかな感触に、喉が震えた。
白磁のティーポットから、静かにカップへと紅茶が注がれる。刺青の刻まれた白くすらりとした指が紅茶の入ったカップを、ラガッツォに向けて差し出した。
フェルディナンドは自分のカップにも紅茶を注ぐと、ラガッツォの向かいの席に座り、卓上に置かれていた藤色の瓶を手に取った。キャップを取り、鼻先に瓶の口を近づけて香りを確かめる。
「確かに花の香りがするね」
そのまま数滴、紅茶に滴らせた。紅茶の紅色が、一層鮮やかになる。
「君も使うだろう?」
その言葉に思わず表情を強張らせたラガッツォに対し、フェルディナンドは自然な仕草でシロップをラガッツォの分までカップに滴らせた。
「飲まないのかい?」
フェルディナンドに促され、ラガッツォはティーカップを手に取った。馨しい香りが鼻先に広がり、脳がくらりと揺さぶられる。
「恋させる魔法」とあの商人は確かに言っていた。その言葉をそのまま信じているわけではない。民間伝承、まじないの類だろう。だが、とも思う。
フェルディナンドは、恋をするのだろうか。どんな風に、いったい誰に。
ラガッツォは何気ないふりを装いながら口をつける。華やかな香りが鼻に抜け、柔らかな甘さが舌に残った。
「うん、美味しいね。いつもと気分が変わっていい」
フェルディナンドは満足げに喉を上下させ、ラガッツォに微笑んで見せた。
「……なんか、いつもと違ったりするか?」
「うん、なにがだい? 味がかい?」
「――いや、なんでもねェ。忘れてくれ」
不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げたフェルディナンドは無言のまま、紅茶をのんびりと楽しんでいた。
「そういえば、俺の他にも武器を見に来たって奴がいたらしいぜ。期待外れだったらしいけどよォ。……また改めて報告する。俺は風呂に入ってくる。流石に疲れた」
「ああ、わかったよ。ゆっくりしておいで」
席を立ち、ラガッツォはフェルディナンドに背を向けた。数歩歩き、そっと胸に手を当てる。気づかれぬように、強く爪を立てた。
俺は恋をしている。ずっと彼に、叶わぬ恋をしている。
まじないなどでは揺らがないほど、その想いはこの身を蝕む。全身に毒が回るように、彼への想いだけで満たされる。決して成就しない想いは、大きな洞となってラガッツォの胸に穴を開けていた。幼い頃から、ずっと。
***
「はぁ……っ」
吐き出す吐息が熱い。熱の籠る身体を持て余し、ラガッツォは寝返りを打った。明かりの落とされた自室、ベッドの上でラガッツォは身を捩らせた。
身体がおかしい。シャワーを浴び、寝ようとベッドにもぐりこんだあたりで熱が出てきたとは感じていた。長旅の疲れが出たのかもしれないとも。
だが熱は徐々に増幅され、今となっては指先まで痺れるような感覚に支配されている。ラガッツォはシーツを掴み、ひんやりとした感触を求めて頬を擦り付けた。
熱が腰に溜まる。この感覚には覚えがある。男なら誰だって覚えがあるだろう。そう、これは――。
「つらそうだね、ラガッツォ」
唐突に掛けられた声に、ラガッツォはその身を震わせた。
「なっ、フェルディナンド、いつの間に……」
「おや、私が部屋に入ってきたのにも気づかないとは、君らしくない」
フェルディナンドは目を細め、可笑しそうに笑った。言葉なく彼が身体から放っている圧に圧倒される。
「出てけよ、何の用だ」
フェルディナンドはベッドに腰かけると、上半身をかがめ、ラガッツォの手首を握った。肌に痕が残りそうな程の強さで握られ、思わずたじろぐ。
ラガッツォは両足を閉じて反応を見せる局所を彼から隠しながら、身を捩った。
「どういうつもりだ」
「おや、どういうつもりだ、とは意外だね。君こそどういうつもりだったんだい」
フェルディナンドはラガッツォの耳に唇を寄せると、吐息交じりに囁いた。
「パパには毒薬や媚薬の類は効かないよ。教えていなかったから、知らなかっただろうけれど」
身体が凍りつく。
ラガッツォは顔をフェルディナンドに向け、問いかけた。
「あれは毒薬だったのか?」
彼は不思議そうな表情で言った。
「知らなかったのかい、今の君が一番よくわかっていると思うけれど。あれは媚薬だね。飲ませた相手をその気にさせる薬だよ。……なんて言って買わされたんだい?」
カっと、熱が頬に昇った。そんなこと、口が裂けたって言えやしない。口を開いたまま、数度誤魔化しを言いかけては止める。緊張のあまり乾燥した唇を舐める。その様子を、フェルディナンドの透き通った緑色の瞳がじっと見つめていた。
「……別に、ただのシロップだと」
「悪い子だ、ラガッツォ。パパに嘘はいけないよ。正直に言いなさい」
彼の甘い声が、脳髄を揺らした。
「言わないとずっとこのままだよ」
彼の手が、服越しにラガッツォの胸を這う。強烈な刺激に、ラガッツォは身を丸めようとした。けれどフェルディナンドはラガッツォの逃げを許さない。
やさしいキスが、頬に落ちる。彼の乾いた唇が、ラガッツォの頬を辿った。彼に抱きしめられ、体温を全身で感じていた。熱に身体が溶けていく。朦朧とした頭で、ラガッツォは口を開いた。
「……飲んだ奴は、恋をするって……一緒に、飲んだ相手と、」
その言葉を聞いたフェルディナンドの表情を見ることが怖く、ラガッツォはシーツに顔を埋めた。失望してくれ。嫌ってくれ。嫌悪し、侮蔑し、父子の縁を切り、今すぐこの部屋から出て行ってくれ。何も言わず、今すぐに。
だがラガッツォの願いは叶えられなかった。フェルディナンドはやさしい手つきでラガッツォの下ろされた前髪を指先ですくうと、そっと撫でつけた。
「そうか、ラガッツォはパパに恋してほしかったんだね」
固く目を閉じる。彼の甘い声が耳にとろりと流れ落ちる。
「かわいいな、成長したんだね、ラガッツォ。いつの間に恋を覚えたんだい」
正面を向かされ、ラガッツォはフェルディナンドと対峙する。彼の緑色の瞳は、穏やかな光を湛え、ラガッツォを慈愛で包み込んでいた。
「パパのことが好きかい」
唇が震える。彼から目線を反らすことが出来ない。抱きしめられている。至近距離で、彼の吐息を感じる。身体の中心で反応しているものの存在など、疾うに彼には筒抜けになっているだろう。
「……すき、だ」
ラガッツォの言葉にフェルディナンドは目を細め、軽く、唇に唇を重ねた。
恋焦がれた感触に、全身が沸き立つ。欲しくて仕方なかったもの、彼が俺に向ける特別な視線。特別な行為。特別な存在であること。
彼の手がラガッツォの耳に触れ、そっと慈しむように撫でた。フェルディナンドの唇が首筋を食む。その感触に全身が沸き立った。背筋がぞくぞく逆立ち、快楽が血管を巡る。
唇は首筋から鎖骨へ進み、ちり、と軽い痛みを残した。着ていた部屋着に手をかけられる。上半身を裸にされ、下半身に手が伸びたところでラガッツォは抗った。今更と分かっていても、確かな反応を示している下半身を見られることが酷く恥ずかしかった。
そんなラガッツォの姿に、フェルディナンドは小さく唇を舐めて笑みを作った。
「腰をあげてごらん」
ラガッツォは枕に顔を埋め、いやいやと首を数度横に振ったが、フェルディナンドは構わずラガッツォの下半身を覆っていた衣服を全て取り払った。
心もとない気持ちで、全裸をフェルディナンドに晒す。こんな姿を見せるのは子供の頃以来だった。
フェルディナンドはラガッツォに覆いかぶさると、露になった肌へやさしいキスを繰り返した。彼の手がラガッツォの肩を撫でる。そのたびに、敏感になった身体はびくりと反応を返した。繊細な指先はラガッツォの肌を蕩かすように愛撫し、やがて胸の尖りを捉える。
「な、んで……そんな、」
ラガッツォの戸惑いも他所に、フェルディナンドはこれまでに見せたことのない蠱惑的な笑みを浮かべると、軽く首を傾げ指先でラガッツォの胸先を弾いた。
「ここに触ると気持ちよくなれるんだよ」
そう言った彼の指先が尖りの先端を摘み、やわく擦る。捏ねられ、押しつぶされ、宥めるようにさすられると、もやもやとした熱が全身に渦巻き、腰の中心部を限界まで押し上げた。
フェルディナンドはラガッツォに見せつけるように唇を胸に近づけると、その薄い唇で、指で刺激していたのとは反対側の尖りを咥えた。
「あっ……、や、いやだ、」
乾いた唇が咥え、一瞬の後に湿った感触が胸に与えられる。吸われ、悪戯に歯を立てられる。余りにも刺激的が強すぎ、ラガッツォは耐えきれず身を捩った。だがフェルディナンドはラガッツォの反抗を許してくれない。全身を抱き込まれ、じっくりと胸を愛される。
彼の舌が唾液の糸を引きながらラガッツォの胸から離れるころ、胸の尖りはこれまでに見たことのない形をしていた。赤みを帯び、ぷっくりと勃ちあがっている。
初めて目にする己の体の変化から目を離すことが出来ず、ラガッツォは音を立てて唾液を呑み込んだ。
フェルディナンドはラガッツォの手を押さえ、ラガッツォの抗いを封じながら唇で割れた腹筋を辿り、リップ音を立てながら全身に赤い痕を残していく。
両足を立てて隠していた中心を、フェルディナンドは優しくラガッツォの両足を開かせることで露にさせた。ラガッツォの性器は完全に勃ちあがり、先端は先走ったもので濡れそぼっている。
「ふふ、」
「なんだよ、なにが可笑しいんだ」
「いや、ごめんよ。若いな、と思ってね」
苦しかっただろう、と囁きながら、フェルディナンドはラガッツォの性器に手をかけた。緩く握り、自慰を思わせる動きで掌を上下させる。性とは無関係そうな、常に清潔な表情をしていたフェルディナンドが初めて見せた直接的な仕草に、ラガッツォは全身が焼き切れそうな興奮を抱いた。
「あ、ダメだ、ダメ、そんな……すぐ、」
「イキそうなのかい? いいよ、出してご覧」
フェルディナンドの手が茎を上下し、張り出した部分を親指で刺激し、先端の穴をくじる。愛したものの手で施される刺激に耐えられず、ラガッツォは全身を強張らせ、駆け上る快楽に身をゆだねた。熱が噴出し、全身を快感が貫く。
「――あ、っ、はぁっ、はぁ……」
陶然と、天井を見上げた。精を吐き出しても身体を暴走させる熱は微塵も収まらず、けれど射精後の気怠さだけは残り、行き場のない思いを抱えて熱い息を吐いた。
もっと欲しい、と思う。彼に抱きしめられ、性器を愛されてもまだ足りない。微笑まれ、キスをされてもまだ足りない。じっとフェルディナンドを見つめる。
彼の透き通った緑色の瞳を見つめる。彼の瞳の奥に、自分への熱が存在しないかと、探るように。細められた瞳が近づき、彼の唇がラガッツォの鼻先に押し当てられる。
「好きだよ、ラガッツォ。かわいいな」
ぽろりとこぼれたフェルディナンドの言葉に、泣きそうになる。言葉の持つ意味の特別さとは裏腹に、彼はとても静かな声でラガッツォに愛を囁くのだ。
愛してくれ、もっともっと、俺が壊れてしまうまで。情熱的に、互いの熱に溺れるように。
ラガッツォは涙の膜が張った眼を腕で隠し顔を背けた。衣擦れの音が耳に響く。フェルディナンドが服を脱ぐ音が終わると、硝子を置くような音が耳元でした。
「足を開けて、ラガッツォ」
言葉と同時にフェルディナンドの左手がラガッツォの右足首を掴み、慎重な手つきで、しかし有無を言わさず秘所を露にさせる。ひくり、と身体が震えた。彼の手が差し込まれ、ぬめりが最奥に塗り付けられる。
「なに、なんだ、……なにを、」
「おや、知らなかったかな。男同士はここを使って繋がるんだよ」
平然とフェルディナンドは言った。見れば枕元に油の入った瓶がいつの間にか置かれている。彼は最初からそのつもりだったのだ、とラガッツォは察した。男同士がどう交わるか、耳にしたことがないわけではない。フェルディナンドとそういうことが出来るのだろうか、と薄っすら妄想したことさえ、ないとはいえない。だがラガッツォが描いた図はどこまでも曖昧で、現実感を伴わず、乙女が夢見る恋愛と同等の幻でしかなかった。
混乱するラガッツォを置き去りに、フェルディナンドの指は最奥の表面を指の腹で探り、ラガッツォが息を吐いた瞬間を見計らってつぷりとその指先を侵入させた。ぞくり、と背筋が逆立つ。強烈な違和感と、薬によってもたらされている快楽。
「はっ、あ、無理、そんな」
「大丈夫だよ。パパに任せなさい。力を抜いて、息をするんだ」
パパ、という単語にカっと血が上った。父親代わりの男と交わろうとしている事実が、改めて突き付けられる。
フェルディナンドは濡れた音をさせながら、狭く強張った秘所を淫らな場所へと変化させていった。ずっ、と奥まで指が差し入れられ、中を探られる。油のぬめりを伴って指が前後する。最奥に、触れられてはいけない箇所があると直感した。そこに指が近づくたび熱がたまり、身体が震える。底知れぬ快楽の気配に、ラガッツォは怯え、後ずさった。
有無を言わさぬ手つきで腰が捕まえられ、身体がフェルディナンドに向かって引き寄せられる。押さえつけられ、フェルディナンドの指が体内を蹂躙する。
「あっ……、ま、」
「痛いかい?」
ラガッツォは頬を紅潮させながら、緩慢に首を横に振った。フェルディナンドに愛されている後孔がくぱりと口を開き、まるでそこを埋める存在を欲しがるように開閉し、彼の指にきゅっと吸い付いたのがラガッツォにもわかる。
ラガッツォの後孔を丹念に解したフェルディナンドは、満足したのか指を引き抜き、力なくシーツに横たわっていた両足を抱えた。足首に長い指が絡みつき、そっと口づけが贈られる。
フェルディナンドの赤い唇が笑みの形に割れ、その間から伸ばされた舌がラガッツォの踝を這う淫猥な光景に、胸が詰まった。言葉にならない感情が胸の内に渦巻き、全身が燃え尽きて灰になってしまいそうな心地になる。
服を脱ぎ、露になっているフェルディナンドの男根は強く張り、硬く天を指していた。彼がラガッツォに欲情しているという確かな証拠に、精神が昂ぶる。日頃は厚い服に隠されているフェルディナンドの身体はひとりの大人として成熟していて、艶めかしい色気を全身から発散させていた。
熱い熱棒が、最奥に触れる。濡れた音をさせて後孔に性器の先端が口づける。ぐっと狭い穴をこじ開けて、灼熱がラガッツォを侵略しようとする。
じわりじわりと身体の中心が貫かれていく感覚に、息が止まる。ラガッツォはフェルディナンドの二の腕を指先で掴み、絞り出すようにか細い声を出した。
途中まで差し込まれて、抵抗を感じたのか一度抜き出された。身の内に生まれた欠落に寂しさを抱いたところで再び体内を埋められる。ごりごりと奥を突かれ、男根の張り出した部分が体内の腹側を抉った。
「あっ――、」
フェルディナンドの首に手をまわし、身を委ねた。規則的に前後する動きに揺さぶられる。汗で額に張り付いた赤色の髪を、フェルディナンドが唇で咥えそっと除けた。
「う、フェル、……っ」
「――気持ちいいかい?」
湿った息が耳に吹きかけられる。腹の奥の敏感な場所を突かれる度、身体がぐずぐずと崩れていく。固く閉ざされた場所を繰り返しノックされると、堪えきれず声が出る。
「あ、ダメ、だ、フェルディナンドっ……!」
思わず両足を浮かせ、左右の足でフェルディナンドの腰を拘束する。フェルディナンドが宥めるようにラガッツォの額へ唇を落とした。互いの汗ばんだ肌が重なり、熱が一体になる。
どちらのものか判別のつかない荒い息が部屋に満ちる。圧し掛かられ、フェルディナンドの白い肌が眼前に広がる。愛しさで胸がいっぱいになり、思わず目の前の肌へ唇を押し当てた。
抱きしめられながら揺さぶられる。視界に白い光がちらつく。身体が高みに押し上げられる。フェルディナンドの男根を腹で食む幸福で満ちる。
深く舌を絡めあい、唾液を分け合った。極まった身体が硬直し、震える性器から精が噴出する。だらだらと終わりなく流れ続ける。受け止めきれない快楽に耐えるため、ラガッツォはフェルディナンドの柔らかな肌に爪を立てた。全身がびくびくと痙攣する。
ラガッツォに覆いかぶさっていたフェルディナンドが息を詰め、身体を震わせた。ねばついた熱が腹の中に放出される。男の身体でありながら男の精を身体で受け止める倒錯に、くらりと精神が酔った。
***
微睡みから意識が覚醒する。朝日が部屋を照らしていた。少し開けられた窓から風が吹き込み、カーテンがゆらゆらと揺れていた。ラガッツォは重く怠い腰を抱えたまま、己を抱き込むがっしりとした腕に手を這わせた。彼の深く紋様の刻まれた手の甲に、掌を重ねる。
穏やかな朝に、純粋な幸福だけが詰まるため息が出た。フェルディナンドの手が、ラガッツォを寝つかせようとするときのように胸を数度軽く叩く。
「おはよう、ラガッツォ」
「あァ……」
昨夜の一連の出来事を思い出し、ラガッツォは密やかに目元を紅潮させた。フェルディナンドの顔を正面から見られる気がしなかった。
「身体の調子はどうだい、ラガッツォ。無理をさせていないといいのだけれど」
昨夜深く交わったとは思えぬ平然とした声が、ラガッツォを労わった。
「別にあれくらい平気だ。心配すんな」
そうかい、とフェルディナンドは一抹の寂しさを滲ませたような声を出した。意を決してラガッツォは振り向き、背後にあるフェルディナンドの瞳を覗き込む。
「どうしたんだい?」
――なんでもない、と言おうとした。自分は一夜の夢を見ただけなのだと、全てを忘れようと思った。けれど。
「なあ、俺はアンタが好きだ。フェルディナンド」
ラガッツォはその身を貫く衝動に任せて、言葉を発した。情を交わしたことで増幅したフェルディナンドへの愛は、底が見えないほどに深い。
ラガッツォの言葉を聞いたフェルディナンドは心底嬉しそうに笑顔を作り、ラガッツォに応えた。
「パパもラガッツォのことが大好きだよ」
――このひとはうつくしいものだけをくれる。いつだって無色の愛をくれる。
そしてこのひとは、息子と呼ぶ存在を抱いても顔色一つ変えない。
まるで人の姿をしたなにか、注いだ愛がすべて抜け落ちてしまう怪物。
そんな考えを押し殺して、ラガッツォはフェルディナンドを、まるで彼に人としての形を与えるように、そっと両腕で抱いた。
俺を愛してくれるひとがいる。それだけで充分だった。人生で俺が求めていたのはそれだけだった。彼に手を引かれ屋敷を立ち去るとき、ふと立ち止まり後ろを振り返った。瞳の表面に映る、崩れ行くかつての「家」。未練など、なにもなかった。固く俺の掌を掴んでくれる冷たい彼の手だけが、俺がこれから進むべき道を指し示していた。彼こそ光。俺が辿り着かなければいけない最果て。
彼と一緒に送る暮らしは平和そのものだった。彼は時折、仕事という名目で家を留守にした。そのとき以外は、常に甲斐甲斐しく俺の世話を焼いた。毎日清潔な衣服を着せられ、一日三回腹いっぱいの食事をした。躾のために食事を抜かれることなど一度もなかった。柔らかな笑みを湛え、決して怒りを露わにしない彼に勉強を教わり、星の位置を知るために夜空を眺めながら互いの指を重ね、武術の師も紹介された。共に食卓を囲み、夜は床を共にした。
「きみは賢いね、ラガッツォ。自慢の息子だ」
ベッドで本を読み聞かせながら、キッチンで野菜の皮を剥きながら、彼はよくそう口にした。何気なく、極めて常識的な事柄を口にするような響きで平然と。そして隙さえあれば俺の頭を撫でようとする。そのたび、俺は目を固くつぶり、肩を窄ませた。
――人に手を伸ばされると、反射的に身が竦む。それは動物が自分の身を守るために学習した反応だ。かつて俺に手を伸ばしたものは皆、俺を殴った。
彼が手を伸ばす気配を俊敏に察知し身を強張らせる俺に対し、彼は責めるような言葉を一切口にしなかった。ただゆっくりと俺に触れ、
「いい子だね。よく、がんばったね」
と唇をたわませながら頭を撫で、髪を梳くのだ。彼の掌から伝わる体温は、いつだって俺の身体を溶かした。彼の声は、いつだって俺を有頂天にさせた。
その感情が、「親子」の枠から逸脱しているものだと気づいたのはいつだっただろうか。尊敬が、敬愛が、親愛が、歪に変形するまで然程時間はかからなかった。俺の身長が急激に伸びたある夏、俺は自分の感情を言葉として生み出した。
俺はこのひとを愛しているのだ。
彼が俺を愛してくれるのとは、違う意味で。
きみは賢いね、ラガッツォ。彼は耳元で囁く。「賢い」俺はわかっている。そんな日は来ないと知っているのに、そんなことをする筈がないと理解しているのに、いつかこの人が俺を殴る日がきたら、きっと俺は彼を赦してしまうのだろうと、俺はわかっている。それほどまでに、俺はこのひとを愛してしまっているのだ。
靄のかかった世界からゆらりと意識が立ち昇る。その瞬間、床が一際大きく地を抉るように揺れた。怯えた子供の叫び声が空間を引き裂く。
ラガッツォは数度瞬きし、朦朧とした意識を覚醒させるために二度ほど頭を振った。人が散在する定期船の食堂で、ラガッツォは椅子に腰かけたままうたた寝をしていたようだ。壁に掛けられた時計を見ると、食事を終えた時から十分ほど針が進んでいる。
艇が揺れたせいで、カップに残っていた茶がテーブルにこぼれていた。一つ長机を挟んだ先で、幼いエルーンの兄妹が両親に抱きかかえられている。先程の叫び声の主は幼い彼らだろう。ノイズ交じりの船内放送が、艇が嵐に接近したことを知らせていた。
アルビオンを経由地として、辺境の小さな港を目的地とする航路を進む定期船には、便の本数が限られていることもあって、それなりに乗船者がいた。ラガッツォが無言で食卓から立ち上がると、正面にいた幼子を抱きかかえた母親が遠慮したように頭を下げる。会釈を返し、二等船室へ続くドアへと向かった。
今回の任務を指示したフェルディナンドの指先を思い出す。綺麗に手入れされた桜色の爪が、地図の上を軽やかに動き回る。彼の低く甘い声が、フェルディナンドにするべきことを教える。
先日初めて訪れた彼の新居には、彼の新しい「家族」がいた。娘ができたんだよ、彼女の名前はシャノンというんだ、とフェルディナンドは心底嬉しそうに微笑んでいた。きっと彼は彼女を愛しただろう。かつて幼いラガッツォにしたように、優しく頭さえ撫でただろう。訪問が深夜だったため目にすることの叶わなかった少女の姿が、母に抱えられた幼子に重なる。
『――アスクレピオスの杖はそのままでいい』
フェルディナンドは思慮深げな声でそう言った。寝静まった住宅の居間で、彼はソファに腰かけ、定期連絡を済ませるラガッツォの手の甲を数度撫でた。彼の体温が滲むように全身に広がったあのとき、きっと彼は知らないのだろうとラガッツォは思考した。
ラガッツォの胸に広がっているどす黒い感情。醜い嫉妬が渦巻くさま。そんなものを彼はきっと知らないのだろう。彼はラガッツォが抱いている感情など、想像すらできないに違いない。
フェルディナンドはラガッツォという新しい息子を手に入れてもなお満足できないようだった。彼の執着は「家族」にある。彼はラガッツォが大きくなるにつれて、新しい家庭を手に入れることへの固執を隠さなくなった。
それはラガッツォの成長によってもたらされたものかもしれず、あるいはラガッツォひとりでは彼の欠落を埋められなかったことの証明なのかもしれない。ラガッツォは正面から訊ねたことがない。
俺という存在では満足しないのかと、訊ねたことがない。
その問いの背後には確固たる形を伴った劣情が存在していることを、ラガッツォは熟知している。それ故ラガッツォは問い質すことができない。俺では満足できないか。新しい家族がそんなに欲しいか。新しい家族を手に入れたらどうするんだ。そいつらと一緒に暮らすのか。俺はどうなる。アンタは俺を手放すのか? フェルディナンド、それでアンタは幸せになるのか?
問いを押し隠し、ふたりで親子の仮面を被る。仮面の下は、互いに目にすることができない。
鞄を枕にし、狭い二等船室のベッドで眠る。見知らぬ男の鼾が響く薄暗い部屋で、ラガッツォの胸を占めるのはただひとりの男の姿だった。
船が港に横付けされ、最後まで残った乗客がまばらに地上へ降り立つ。ラガッツォも巨大な荷物を抱えたドラフの男について船を降り、役目を終えたチケットを係員に渡した。
石畳を進む。背後で、定期船のエンジンが一度大きく唸った。乗客を送り届けた船体はそのまま反対方向へと回転し始める。
嗅ぎなれない香辛料の匂いが周辺に漂っていた。チケット売り場や土産屋、食堂などが入る簡素な木造の建物が、港の入り口に寄せ集められている。細い路地を進み、商店の間を抜け、時が経て黒ずみ時代がついた門をくぐった。密集した人影がすっと引き、視界が一気に広がる。眼下には石壁の建物が一面に広がっていた。急峻な山々の裾にある猫の額ほどの盆地に、人家がびっしりと軒を連ねている。
辺境の連邦を構成する国のひとつが、ラガッツォが降り立ったこの群島を拠点とする共和国だった。山の麓には政府の機関が入る城が置かれ、街の中心には商店が並び、港付近にはまるで島に壁を作るように輸出入の盛んな繊維業の工場と倉庫が所狭しと並んでいる。
今回ラガッツォがこの島まで足を伸ばしたのは、フェルディナンドからの命令が始まりだった。街の武器屋へ行って、最近売られているという武器の真贋を確かめてきてほしい――。手間を取らせてすまないね、随分と遠い所へ、といったようなことをフェルディナンドは言った。それに対し、気にするな、とか構わねえよ、などとラガッツォは答えたような気がする。
フェルディナンドは目を細めたまましばし沈黙すると、また離れ離れだね、パパは寂しいよ、と心底心細そうに呟いた。
花の萎れたような彼のその姿は、ラガッツォの後ろ暗い欲望を深々と満たした。彼が己を必要としている事実だけで、ラガッツォは息ができる気がした。
急な角度で盆地の中心へと下る階段を踏みながら、今回の任務を脳裏で再確認する。街の奥まった場所に位置する、城に近い武器屋の壁に、問題の武器は飾られているらしい。
影を深く落とす建物の間を進み、頭上で洗濯物がはためく路地裏を潜り抜ける。ひっそりとした花壇で落ち着いた色の花々が太陽の光を浴びていた。
一刻ほど歩いただろうか。表通りの喧騒が遠ざかり、日の当たらないじめっとした裏通りを行くと、目的の武器屋が見えてきた。無骨な柱に石壁が凭れかかっているようなつくりの、苔むした建物だ。銅板で作られた看板が壁にぶら下がっている。店舗の出入り口である扉の脇に、人の背丈ほどもある斧のレプリカがオブジェとして立てられていた。
ドアベルを鳴らしながら店舗に入る。狭い店内は明かりも乏しく、様々な武器が脈絡なく置かれ雑然としていた。埃臭い空気に包まれた室内の奥で、巨大な人影が動く気配がした。
「……いらっしゃい」
巨大な体躯のドラフの店主は、店内を見て回るラガッツォを一瞥すると、愛想なく言葉を発した。
「何かお探しで」
ラガッツォはゆるりと店内へ視線を巡らせてから、カウンターの奥に掛けられている剣をしげしげと眺めた。
「最近話題の掘り出しものってェのはそれか?」
ドラフの店主は緩慢に背後を振り返ると、剣が納められた木箱ごと両手で持ち、カウンターに軽々と置いた。
「そうだよ。『ジュワユース』ってえ剣だ。古いが一級品の武器さ。最近群島のコレクターが亡くなってね、うちが引き取ったんだ。人気があるから、買いたいなら早くした方がいいぞ」
「へえ」
ラガッツォは感情を浮かべない眼で透き通った緑色の刃を眺めた。確かに銘のある剣だろう。作りはしっかりして洗練されている。実用品としての美を兼ね備え、そこらの二束三文で売られている武器とは筋の通り方が違う。相応しい持ち主が手にしたなら、期待以上の働きをしてくれるだろうと思えた。
だが。
「他にも、この武器を狙ってる奴がいるのか?」
「ああ、何人か見に来たよ。大体は値札を見て帰ったがね。……ひとり、なにか探している様子の奴もいたよ。どうやら期待していたものとは違ったらしい」
「そうかい」
ラガッツォは頭を振ると、店主に向けて笑みを作った。
「俺も値札を見て帰るひとりになりそうだ。ありがとうよ」
店主は構わない、といった様子で大きな手を振ると、再び『ジュワユース』を元あった場所に戻した。
店を出る。鞄からメモを取り出し、地名と店名、「ジュワユース」と書かれた文字に線を引いた。横に「本物ではない」と書き加える。しばし躊躇ったあと、他に来訪者あり、という一文を付け加えた。
ラガッツォは大きく息を吐くと、宛てもなく通りを歩きだした。次の定期船が出るのは五日後だと聞いている。それまで世話になる宿を探さなければならない。
一度大通りに出て酒場で情報でも集めるか、と思考を巡らしながら進み、ふととある店の前で立ち止まった。古民家を改造したような店舗は、夥しい数の書籍と棚で埋まっている。
吸い寄せられるように書店に入ったラガッツォは、見慣れぬ本の並ぶ棚の間を泳ぐようにして巡り、何冊かを手に取ってぱらぱらと頁を捲った。
暫く無心で本を漁り、数冊を購入して店を出る。思ったより時間が過ぎていたのか、日が傾き始めていた。
ラガッツォは店頭にまで溢れている書籍を眺めながら名残惜しく店を離れ、何の気もなしに隣の店舗のショーウインドウへ目を遣った。
美しい色の華奢な瓶が、何本も飾られている。すらりとしたフォルム、透き通った輝き。まるで芸術品のようだ。
ラガッツォは店舗の看板を仰ぎ、ああ薬屋なのか、とひとり納得した。
自然と、奥まった場所に飾られた藤色の瓶の広告に目線が囚われる。
『恋の魔法をかけたい、あの人に』
「気になるかい」
隣から唐突に掛けられた声に、ラガッツォは思わず飛び上がった。見ると、ラガッツォの腰ほどの身長を持つハーヴィンが、掃除のための道具を持ちながらまっすぐ見上げていた。
「気になる人がいるなら、一緒に飲むといい。お茶に混ぜるといい香りがするんだ」
「へえ……でも、恋の魔法っていうのはなんなんだ。随分胡散くせェが」
「それはね」
老齢のハーヴィンは、老獪な笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「この島に山があるのは知っているだろう、旅人さん。あの山の頂上には二年に一度、白い花が咲くんだ。その花には、好いた人を自分に恋させる魔力が籠っているとずっと言い伝えられてきた。その花を煎じて作ったのがあの薬だよ。だが必要以上に怪しまなくていい、お茶に入れると良い花の香りがするくらいだと思えばいい。効き目はひっそりとあらわれるからね。香りを嗅いでみるかい」
彼はそう言うとラガッツォの返事も待たず、店舗に入って掃除道具を置き、カウンターからティーカップと沸かされていた茶を手早く用意した。後ろの棚から瓶を取り出し、数滴を垂らしいれる。
呆然と立ち尽くしていたラガッツォを手招きすると、彼の鼻先にカップを近づけ、
「どうだ、いい香りだろう」
と笑ってみせた。
「飲んだらだめだよ、私に恋してしまうからね」
冗談を言いながら、カップをカウンターに置く。馨しい花の香りが紅茶と調和し、周辺の空気を嗅ぐだけで気分がほぐれる心地がした。深く息を吸い込むと、くらりと脳が揺さぶられる。
「……味は? 不味かったりしないのか」
「ベースはシロップだよ。紅茶に入れる砂糖代わりに使えばいい」
「本当に、恋に落ちるのか? どのくらいの期間?」
ラガッツォの脳裏に、ひとりの男が浮かぶ。この身に愛を与えてくれるひと。けれど、誰かに恋している姿など少しも想像できないひと。
「恋に落ちるのは本当さ。だがその関係を継続できるかはその二人の努力次第だよ」
ああ、一度でも恋の炎に燃える彼の瞳を見ることができたなら。
俺は、その思い出を生涯抱えて生きることができる。
「――値段は、いくらだ」
店主は目を細め、指を立てた。
***
「ただいま」
無人の家にラガッツォの声が響く。玄関で立ち止まり、ラガッツォは深々と息を吸い込んだ。懐かしい我が家の匂いがする。フェルディナンドと共に暮らすこの家に戻るのは数ヶ月ぶりだった。
フェルディナンドは外出しているようだ。いつもは玄関先に掛けられているコートが定位置になかった。ラガッツォはちらりと空のウォールハンガーを見遣り、そのまま自室へ向かった。
荷物を下ろし、靴を履いたままベッドに寝ころぶ。ふわりと欠伸が出た。両腕を頭の後ろで組んで枕にし、目を閉じる。荷解きをしなければならない。ナビスへの案件報告もまだだ。報告へ行ったらフェルディナンドに会えるだろうか、という考えがよぎり、胸の底が焦げるような感覚を抱いた。
馴染みのない街で買った「恋の魔法」をかけるシロップは、今も荷物の底で眠っている。
俺は紛い物の恋情がほしいのだろうか、と何度目になるかもう数えられない問いを自分に投げかける。わからない、とラガッツォは思った。
わからない。彼から恋をされて俺は嬉しいのだろうか。けれど俺は彼に俺だけをみていてほしいのだ。「新しい家族」などではなく、「古い」俺を。俺を彼の「特別」にしてほしいのだ。たとえ一瞬でも構わない。そのあとは俺のことなど忘れてくれたっていい。
ただ彼の特別になれたという思い出がほしいのだ。
ゆるりと瞼を上げ、自室を見渡す。フェルディナンドが誕生日に贈ってくれた金属製の天球儀が棚に飾られている。いささか古びてはいるが、ラガッツォが在宅しているときは毎日磨いているので鈍い輝きを常に湛えている。本棚にはラガッツォが買い集めた本の他に、フェルディナンドが贈ってくれた本が何冊も収まっている。なかには絵本もある。「天司」という世界を支える幻想の存在の話を、彼は何度もラガッツォに読み聞かせてくれた。幼いラガッツォとフェルディナンドは同じベッドに潜り、体温を分かち合いながら幻想の世界に共に浸ったのだ。あの夜に感じた幸福を、誰もラガッツォから奪うことはできないだろう。
本を読み終えると、彼は必ずラガッツォの頬と額にキスを贈ってくれた。乾いていて優しいあの感触。そして彼は穏やかにラガッツォの胸を叩き、「おやすみ」と囁いてくれた。この部屋には、やさしくてしあわせな思い出だけが詰まっている。
フェルディナンドはうつくしいものだけを、無色の愛を、ラガッツォに無限に注いでくれた。
そんな彼に会うたび、ラガッツォは恋をする。
「ただいま、ラガッツォ。それとも『おかえり』かな。任務ご苦労だったね。遠かっただろう」
家に帰ってきたフェルディナンドは疲れも見せず、コートを脱ぐと台所に立っていたラガッツォを抱きしめた。ふわりと彼の纏う香水の匂いがラガッツォを包む。
「別に、いつも通りだ。大して難しい任務でもなかった」
「そうかい」
彼は目を細め微笑むと、ラガッツォから身体を離した。一抹の寂しさを感じながら、ラガッツォは問いかける。じっと、手元の芋の皮を見つめながら。
「それより、新しい『家族』はどうなったんだ」
「ん? ああ、上手くいかなかったよ。残念だった。けれどシャノンはまだ生きているからね、また会えるかもしれないな」
「そうかよ」
「おや。……この瓶はなんだい? お土産かい?」
フェルディナンドは、キッチンの棚に置いた藤色の瓶を手に取り首を傾げた。しげしげと興味深そうに細身の華奢な瓶を観察する。
「茶に入れるシロップらしい。山の上で採れる花から作ってるって言ってたぜ。いい香りがするんだとよ」
「へえ、いいね。食事のあとに楽しもうか。私はシャワーを浴びてくるよ」
そう言って、フェルディナンドはラガッツォの頬に軽くキスをしてその場を去った。頬に残る温かで柔らかな感触に、喉が震えた。
白磁のティーポットから、静かにカップへと紅茶が注がれる。刺青の刻まれた白くすらりとした指が紅茶の入ったカップを、ラガッツォに向けて差し出した。
フェルディナンドは自分のカップにも紅茶を注ぐと、ラガッツォの向かいの席に座り、卓上に置かれていた藤色の瓶を手に取った。キャップを取り、鼻先に瓶の口を近づけて香りを確かめる。
「確かに花の香りがするね」
そのまま数滴、紅茶に滴らせた。紅茶の紅色が、一層鮮やかになる。
「君も使うだろう?」
その言葉に思わず表情を強張らせたラガッツォに対し、フェルディナンドは自然な仕草でシロップをラガッツォの分までカップに滴らせた。
「飲まないのかい?」
フェルディナンドに促され、ラガッツォはティーカップを手に取った。馨しい香りが鼻先に広がり、脳がくらりと揺さぶられる。
「恋させる魔法」とあの商人は確かに言っていた。その言葉をそのまま信じているわけではない。民間伝承、まじないの類だろう。だが、とも思う。
フェルディナンドは、恋をするのだろうか。どんな風に、いったい誰に。
ラガッツォは何気ないふりを装いながら口をつける。華やかな香りが鼻に抜け、柔らかな甘さが舌に残った。
「うん、美味しいね。いつもと気分が変わっていい」
フェルディナンドは満足げに喉を上下させ、ラガッツォに微笑んで見せた。
「……なんか、いつもと違ったりするか?」
「うん、なにがだい? 味がかい?」
「――いや、なんでもねェ。忘れてくれ」
不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げたフェルディナンドは無言のまま、紅茶をのんびりと楽しんでいた。
「そういえば、俺の他にも武器を見に来たって奴がいたらしいぜ。期待外れだったらしいけどよォ。……また改めて報告する。俺は風呂に入ってくる。流石に疲れた」
「ああ、わかったよ。ゆっくりしておいで」
席を立ち、ラガッツォはフェルディナンドに背を向けた。数歩歩き、そっと胸に手を当てる。気づかれぬように、強く爪を立てた。
俺は恋をしている。ずっと彼に、叶わぬ恋をしている。
まじないなどでは揺らがないほど、その想いはこの身を蝕む。全身に毒が回るように、彼への想いだけで満たされる。決して成就しない想いは、大きな洞となってラガッツォの胸に穴を開けていた。幼い頃から、ずっと。
***
「はぁ……っ」
吐き出す吐息が熱い。熱の籠る身体を持て余し、ラガッツォは寝返りを打った。明かりの落とされた自室、ベッドの上でラガッツォは身を捩らせた。
身体がおかしい。シャワーを浴び、寝ようとベッドにもぐりこんだあたりで熱が出てきたとは感じていた。長旅の疲れが出たのかもしれないとも。
だが熱は徐々に増幅され、今となっては指先まで痺れるような感覚に支配されている。ラガッツォはシーツを掴み、ひんやりとした感触を求めて頬を擦り付けた。
熱が腰に溜まる。この感覚には覚えがある。男なら誰だって覚えがあるだろう。そう、これは――。
「つらそうだね、ラガッツォ」
唐突に掛けられた声に、ラガッツォはその身を震わせた。
「なっ、フェルディナンド、いつの間に……」
「おや、私が部屋に入ってきたのにも気づかないとは、君らしくない」
フェルディナンドは目を細め、可笑しそうに笑った。言葉なく彼が身体から放っている圧に圧倒される。
「出てけよ、何の用だ」
フェルディナンドはベッドに腰かけると、上半身をかがめ、ラガッツォの手首を握った。肌に痕が残りそうな程の強さで握られ、思わずたじろぐ。
ラガッツォは両足を閉じて反応を見せる局所を彼から隠しながら、身を捩った。
「どういうつもりだ」
「おや、どういうつもりだ、とは意外だね。君こそどういうつもりだったんだい」
フェルディナンドはラガッツォの耳に唇を寄せると、吐息交じりに囁いた。
「パパには毒薬や媚薬の類は効かないよ。教えていなかったから、知らなかっただろうけれど」
身体が凍りつく。
ラガッツォは顔をフェルディナンドに向け、問いかけた。
「あれは毒薬だったのか?」
彼は不思議そうな表情で言った。
「知らなかったのかい、今の君が一番よくわかっていると思うけれど。あれは媚薬だね。飲ませた相手をその気にさせる薬だよ。……なんて言って買わされたんだい?」
カっと、熱が頬に昇った。そんなこと、口が裂けたって言えやしない。口を開いたまま、数度誤魔化しを言いかけては止める。緊張のあまり乾燥した唇を舐める。その様子を、フェルディナンドの透き通った緑色の瞳がじっと見つめていた。
「……別に、ただのシロップだと」
「悪い子だ、ラガッツォ。パパに嘘はいけないよ。正直に言いなさい」
彼の甘い声が、脳髄を揺らした。
「言わないとずっとこのままだよ」
彼の手が、服越しにラガッツォの胸を這う。強烈な刺激に、ラガッツォは身を丸めようとした。けれどフェルディナンドはラガッツォの逃げを許さない。
やさしいキスが、頬に落ちる。彼の乾いた唇が、ラガッツォの頬を辿った。彼に抱きしめられ、体温を全身で感じていた。熱に身体が溶けていく。朦朧とした頭で、ラガッツォは口を開いた。
「……飲んだ奴は、恋をするって……一緒に、飲んだ相手と、」
その言葉を聞いたフェルディナンドの表情を見ることが怖く、ラガッツォはシーツに顔を埋めた。失望してくれ。嫌ってくれ。嫌悪し、侮蔑し、父子の縁を切り、今すぐこの部屋から出て行ってくれ。何も言わず、今すぐに。
だがラガッツォの願いは叶えられなかった。フェルディナンドはやさしい手つきでラガッツォの下ろされた前髪を指先ですくうと、そっと撫でつけた。
「そうか、ラガッツォはパパに恋してほしかったんだね」
固く目を閉じる。彼の甘い声が耳にとろりと流れ落ちる。
「かわいいな、成長したんだね、ラガッツォ。いつの間に恋を覚えたんだい」
正面を向かされ、ラガッツォはフェルディナンドと対峙する。彼の緑色の瞳は、穏やかな光を湛え、ラガッツォを慈愛で包み込んでいた。
「パパのことが好きかい」
唇が震える。彼から目線を反らすことが出来ない。抱きしめられている。至近距離で、彼の吐息を感じる。身体の中心で反応しているものの存在など、疾うに彼には筒抜けになっているだろう。
「……すき、だ」
ラガッツォの言葉にフェルディナンドは目を細め、軽く、唇に唇を重ねた。
恋焦がれた感触に、全身が沸き立つ。欲しくて仕方なかったもの、彼が俺に向ける特別な視線。特別な行為。特別な存在であること。
彼の手がラガッツォの耳に触れ、そっと慈しむように撫でた。フェルディナンドの唇が首筋を食む。その感触に全身が沸き立った。背筋がぞくぞく逆立ち、快楽が血管を巡る。
唇は首筋から鎖骨へ進み、ちり、と軽い痛みを残した。着ていた部屋着に手をかけられる。上半身を裸にされ、下半身に手が伸びたところでラガッツォは抗った。今更と分かっていても、確かな反応を示している下半身を見られることが酷く恥ずかしかった。
そんなラガッツォの姿に、フェルディナンドは小さく唇を舐めて笑みを作った。
「腰をあげてごらん」
ラガッツォは枕に顔を埋め、いやいやと首を数度横に振ったが、フェルディナンドは構わずラガッツォの下半身を覆っていた衣服を全て取り払った。
心もとない気持ちで、全裸をフェルディナンドに晒す。こんな姿を見せるのは子供の頃以来だった。
フェルディナンドはラガッツォに覆いかぶさると、露になった肌へやさしいキスを繰り返した。彼の手がラガッツォの肩を撫でる。そのたびに、敏感になった身体はびくりと反応を返した。繊細な指先はラガッツォの肌を蕩かすように愛撫し、やがて胸の尖りを捉える。
「な、んで……そんな、」
ラガッツォの戸惑いも他所に、フェルディナンドはこれまでに見せたことのない蠱惑的な笑みを浮かべると、軽く首を傾げ指先でラガッツォの胸先を弾いた。
「ここに触ると気持ちよくなれるんだよ」
そう言った彼の指先が尖りの先端を摘み、やわく擦る。捏ねられ、押しつぶされ、宥めるようにさすられると、もやもやとした熱が全身に渦巻き、腰の中心部を限界まで押し上げた。
フェルディナンドはラガッツォに見せつけるように唇を胸に近づけると、その薄い唇で、指で刺激していたのとは反対側の尖りを咥えた。
「あっ……、や、いやだ、」
乾いた唇が咥え、一瞬の後に湿った感触が胸に与えられる。吸われ、悪戯に歯を立てられる。余りにも刺激的が強すぎ、ラガッツォは耐えきれず身を捩った。だがフェルディナンドはラガッツォの反抗を許してくれない。全身を抱き込まれ、じっくりと胸を愛される。
彼の舌が唾液の糸を引きながらラガッツォの胸から離れるころ、胸の尖りはこれまでに見たことのない形をしていた。赤みを帯び、ぷっくりと勃ちあがっている。
初めて目にする己の体の変化から目を離すことが出来ず、ラガッツォは音を立てて唾液を呑み込んだ。
フェルディナンドはラガッツォの手を押さえ、ラガッツォの抗いを封じながら唇で割れた腹筋を辿り、リップ音を立てながら全身に赤い痕を残していく。
両足を立てて隠していた中心を、フェルディナンドは優しくラガッツォの両足を開かせることで露にさせた。ラガッツォの性器は完全に勃ちあがり、先端は先走ったもので濡れそぼっている。
「ふふ、」
「なんだよ、なにが可笑しいんだ」
「いや、ごめんよ。若いな、と思ってね」
苦しかっただろう、と囁きながら、フェルディナンドはラガッツォの性器に手をかけた。緩く握り、自慰を思わせる動きで掌を上下させる。性とは無関係そうな、常に清潔な表情をしていたフェルディナンドが初めて見せた直接的な仕草に、ラガッツォは全身が焼き切れそうな興奮を抱いた。
「あ、ダメだ、ダメ、そんな……すぐ、」
「イキそうなのかい? いいよ、出してご覧」
フェルディナンドの手が茎を上下し、張り出した部分を親指で刺激し、先端の穴をくじる。愛したものの手で施される刺激に耐えられず、ラガッツォは全身を強張らせ、駆け上る快楽に身をゆだねた。熱が噴出し、全身を快感が貫く。
「――あ、っ、はぁっ、はぁ……」
陶然と、天井を見上げた。精を吐き出しても身体を暴走させる熱は微塵も収まらず、けれど射精後の気怠さだけは残り、行き場のない思いを抱えて熱い息を吐いた。
もっと欲しい、と思う。彼に抱きしめられ、性器を愛されてもまだ足りない。微笑まれ、キスをされてもまだ足りない。じっとフェルディナンドを見つめる。
彼の透き通った緑色の瞳を見つめる。彼の瞳の奥に、自分への熱が存在しないかと、探るように。細められた瞳が近づき、彼の唇がラガッツォの鼻先に押し当てられる。
「好きだよ、ラガッツォ。かわいいな」
ぽろりとこぼれたフェルディナンドの言葉に、泣きそうになる。言葉の持つ意味の特別さとは裏腹に、彼はとても静かな声でラガッツォに愛を囁くのだ。
愛してくれ、もっともっと、俺が壊れてしまうまで。情熱的に、互いの熱に溺れるように。
ラガッツォは涙の膜が張った眼を腕で隠し顔を背けた。衣擦れの音が耳に響く。フェルディナンドが服を脱ぐ音が終わると、硝子を置くような音が耳元でした。
「足を開けて、ラガッツォ」
言葉と同時にフェルディナンドの左手がラガッツォの右足首を掴み、慎重な手つきで、しかし有無を言わさず秘所を露にさせる。ひくり、と身体が震えた。彼の手が差し込まれ、ぬめりが最奥に塗り付けられる。
「なに、なんだ、……なにを、」
「おや、知らなかったかな。男同士はここを使って繋がるんだよ」
平然とフェルディナンドは言った。見れば枕元に油の入った瓶がいつの間にか置かれている。彼は最初からそのつもりだったのだ、とラガッツォは察した。男同士がどう交わるか、耳にしたことがないわけではない。フェルディナンドとそういうことが出来るのだろうか、と薄っすら妄想したことさえ、ないとはいえない。だがラガッツォが描いた図はどこまでも曖昧で、現実感を伴わず、乙女が夢見る恋愛と同等の幻でしかなかった。
混乱するラガッツォを置き去りに、フェルディナンドの指は最奥の表面を指の腹で探り、ラガッツォが息を吐いた瞬間を見計らってつぷりとその指先を侵入させた。ぞくり、と背筋が逆立つ。強烈な違和感と、薬によってもたらされている快楽。
「はっ、あ、無理、そんな」
「大丈夫だよ。パパに任せなさい。力を抜いて、息をするんだ」
パパ、という単語にカっと血が上った。父親代わりの男と交わろうとしている事実が、改めて突き付けられる。
フェルディナンドは濡れた音をさせながら、狭く強張った秘所を淫らな場所へと変化させていった。ずっ、と奥まで指が差し入れられ、中を探られる。油のぬめりを伴って指が前後する。最奥に、触れられてはいけない箇所があると直感した。そこに指が近づくたび熱がたまり、身体が震える。底知れぬ快楽の気配に、ラガッツォは怯え、後ずさった。
有無を言わさぬ手つきで腰が捕まえられ、身体がフェルディナンドに向かって引き寄せられる。押さえつけられ、フェルディナンドの指が体内を蹂躙する。
「あっ……、ま、」
「痛いかい?」
ラガッツォは頬を紅潮させながら、緩慢に首を横に振った。フェルディナンドに愛されている後孔がくぱりと口を開き、まるでそこを埋める存在を欲しがるように開閉し、彼の指にきゅっと吸い付いたのがラガッツォにもわかる。
ラガッツォの後孔を丹念に解したフェルディナンドは、満足したのか指を引き抜き、力なくシーツに横たわっていた両足を抱えた。足首に長い指が絡みつき、そっと口づけが贈られる。
フェルディナンドの赤い唇が笑みの形に割れ、その間から伸ばされた舌がラガッツォの踝を這う淫猥な光景に、胸が詰まった。言葉にならない感情が胸の内に渦巻き、全身が燃え尽きて灰になってしまいそうな心地になる。
服を脱ぎ、露になっているフェルディナンドの男根は強く張り、硬く天を指していた。彼がラガッツォに欲情しているという確かな証拠に、精神が昂ぶる。日頃は厚い服に隠されているフェルディナンドの身体はひとりの大人として成熟していて、艶めかしい色気を全身から発散させていた。
熱い熱棒が、最奥に触れる。濡れた音をさせて後孔に性器の先端が口づける。ぐっと狭い穴をこじ開けて、灼熱がラガッツォを侵略しようとする。
じわりじわりと身体の中心が貫かれていく感覚に、息が止まる。ラガッツォはフェルディナンドの二の腕を指先で掴み、絞り出すようにか細い声を出した。
途中まで差し込まれて、抵抗を感じたのか一度抜き出された。身の内に生まれた欠落に寂しさを抱いたところで再び体内を埋められる。ごりごりと奥を突かれ、男根の張り出した部分が体内の腹側を抉った。
「あっ――、」
フェルディナンドの首に手をまわし、身を委ねた。規則的に前後する動きに揺さぶられる。汗で額に張り付いた赤色の髪を、フェルディナンドが唇で咥えそっと除けた。
「う、フェル、……っ」
「――気持ちいいかい?」
湿った息が耳に吹きかけられる。腹の奥の敏感な場所を突かれる度、身体がぐずぐずと崩れていく。固く閉ざされた場所を繰り返しノックされると、堪えきれず声が出る。
「あ、ダメ、だ、フェルディナンドっ……!」
思わず両足を浮かせ、左右の足でフェルディナンドの腰を拘束する。フェルディナンドが宥めるようにラガッツォの額へ唇を落とした。互いの汗ばんだ肌が重なり、熱が一体になる。
どちらのものか判別のつかない荒い息が部屋に満ちる。圧し掛かられ、フェルディナンドの白い肌が眼前に広がる。愛しさで胸がいっぱいになり、思わず目の前の肌へ唇を押し当てた。
抱きしめられながら揺さぶられる。視界に白い光がちらつく。身体が高みに押し上げられる。フェルディナンドの男根を腹で食む幸福で満ちる。
深く舌を絡めあい、唾液を分け合った。極まった身体が硬直し、震える性器から精が噴出する。だらだらと終わりなく流れ続ける。受け止めきれない快楽に耐えるため、ラガッツォはフェルディナンドの柔らかな肌に爪を立てた。全身がびくびくと痙攣する。
ラガッツォに覆いかぶさっていたフェルディナンドが息を詰め、身体を震わせた。ねばついた熱が腹の中に放出される。男の身体でありながら男の精を身体で受け止める倒錯に、くらりと精神が酔った。
***
微睡みから意識が覚醒する。朝日が部屋を照らしていた。少し開けられた窓から風が吹き込み、カーテンがゆらゆらと揺れていた。ラガッツォは重く怠い腰を抱えたまま、己を抱き込むがっしりとした腕に手を這わせた。彼の深く紋様の刻まれた手の甲に、掌を重ねる。
穏やかな朝に、純粋な幸福だけが詰まるため息が出た。フェルディナンドの手が、ラガッツォを寝つかせようとするときのように胸を数度軽く叩く。
「おはよう、ラガッツォ」
「あァ……」
昨夜の一連の出来事を思い出し、ラガッツォは密やかに目元を紅潮させた。フェルディナンドの顔を正面から見られる気がしなかった。
「身体の調子はどうだい、ラガッツォ。無理をさせていないといいのだけれど」
昨夜深く交わったとは思えぬ平然とした声が、ラガッツォを労わった。
「別にあれくらい平気だ。心配すんな」
そうかい、とフェルディナンドは一抹の寂しさを滲ませたような声を出した。意を決してラガッツォは振り向き、背後にあるフェルディナンドの瞳を覗き込む。
「どうしたんだい?」
――なんでもない、と言おうとした。自分は一夜の夢を見ただけなのだと、全てを忘れようと思った。けれど。
「なあ、俺はアンタが好きだ。フェルディナンド」
ラガッツォはその身を貫く衝動に任せて、言葉を発した。情を交わしたことで増幅したフェルディナンドへの愛は、底が見えないほどに深い。
ラガッツォの言葉を聞いたフェルディナンドは心底嬉しそうに笑顔を作り、ラガッツォに応えた。
「パパもラガッツォのことが大好きだよ」
――このひとはうつくしいものだけをくれる。いつだって無色の愛をくれる。
そしてこのひとは、息子と呼ぶ存在を抱いても顔色一つ変えない。
まるで人の姿をしたなにか、注いだ愛がすべて抜け落ちてしまう怪物。
そんな考えを押し殺して、ラガッツォはフェルディナンドを、まるで彼に人としての形を与えるように、そっと両腕で抱いた。
