「雨の日の迷子」


 日本へ来て三日目。

 並盛町の朝は、イタリアとは違う静けさに包まれていた。

 リーゼ・ヴァイス・ドラゴンロードは、まだ薄暗いホテルの一室で静かに目を開ける。

 午前五時。

 アラームが鳴る前だった。

 眠れなかった。

 昨夜、偶然出会った沢田綱吉という少年のことが頭から離れなかったからだ。

「……優しい子だったな」

 思わず口にして、すぐに首を振る。

「考えちゃ駄目……」

 一般人だ。

 暗殺者が関わっていい相手ではない。

 ましてや、もう二度と会うこともない。

 そう思い込もうとしても、子どもを助けた後に向けられたあの驚いた視線だけが、胸に引っ掛かっていた。

 ――コンコン。

「リーゼ、起きてる?」

 ルッスーリアの声だ。

「は、はい!」

 慌てて扉を開ける。

「おはよう。ちゃんと眠れた?」

「……少しだけ」

「あらあら。クマができちゃってるじゃない」

 ルッスーリアはため息をつく。

「今日から忙しくなるわよ。朝ごはんだけでもちゃんと食べなさい」

「はい……」

 ホテルの一室とは思えないほど豪華な朝食が並ぶテーブル。

 しかし、その場の空気は重かった。

 ザンザスはソファで酒を口にし、スクアーロは地図を広げて何かを確認している。

 ベルフェゴールはナイフを指で回しながら欠伸をし、レヴィは腕を組んで壁にもたれていた。

 マーモンだけが宙に浮きながら資料を眺めている。

「全員揃ったね。」

 マーモンが淡々と切り出す。

「ボンゴレ本部から正式な通達が来たよ。」

 その一言で部屋の空気が変わる。

「九代目は沢田家光の息子、沢田綱吉を十代目候補として認めた。」

 リーゼは黙って耳を傾ける。

「そしてリング争奪戦が行われる。」

 リング争奪戦。

 ボンゴレの未来を決める戦い。

「……ようやくだなァ。」

 スクアーロが獰猛に笑う。

 ベルフェゴールも口元を吊り上げた。

「ししし。退屈だったし。」

 ザンザスだけは静かに酒を飲み干す。

「カスども。」

 低い声だけが響く。

「全部、奪う。」

 誰も反論しない。

 それがヴァリアーだった。

 リーゼは自然とハルバードの柄を握る。

(私も……戦う)

 そう思った矢先だった。

「リーゼ。」

 マーモンに名前を呼ばれる。

「君はリング戦には出ない。」

「……え?」

 思わず声が漏れた。

「君は正規の守護者じゃない。今回の役目は別。」

 資料が机に置かれる。

「情報収集と後方支援。」

 リーゼは目を伏せた。

 少しだけ、胸が痛む。

(私じゃ、駄目なんだ……)

「勘違いしないで。」

 マーモンは感情のない声で続ける。

「君を温存する価値があるって判断だよ。」

「……え?」

「リング戦だけが仕事じゃない。」

 その言葉に少しだけ肩の力が抜ける。

「それに。」

 ベルフェゴールがニヤリと笑う。

「王子たちが暴れてる間、裏で働いてもらわないと困るし。」

「ししし。」

 いつもの調子だ。

 からかっているようにも聞こえる。

 でも、その言葉に悪意はなかった。

「リーゼ。」

 スクアーロが立ち上がる。

「ついて来い。」

「は、はい!」

 ホテル裏の空き地。

 スクアーロは無言で木刀を抜いた。

「構えろ。」

 リーゼはハルバードを持ち上げる。

 自分の身長より三十センチも長い武器。

 重心を少しでも間違えれば、自分が振り回される。

「来い。」

 踏み込む。

 横薙ぎ。

 弾かれる。

 突き。

 流される。

 柄で打ち込む。

 避けられる。

 息が上がる。

 腕が震える。

「遅ぇ。」

 ガンッ、と柄を打たれ、ハルバードが地面へ転がった。

「あっ……!」

 慌てて拾おうとする。

「拾うな。」

 スクアーロの声が飛ぶ。

「武器を落とした時点で死んでる。」

 リーゼは動きを止めた。

「……はい。」

 悔しい。

 情けない。

 まだ足りない。

 その時だった。

「だがぁ…」

 スクアーロは木刀を肩に担ぐ。

「昨日よりゃマシだ。」

 たったそれだけ。

 リーゼは目を見開く。

「……はい!」

 自然と笑みがこぼれた。

 ほんの少し。

 本当に少しだけ。

 認めてもらえた気がした。

 その笑顔を見たベルフェゴールが、柱にもたれながら笑う。

「ししし。」

「褒められると分かりやすいねぇ。」

 リーゼは恥ずかしそうに俯く。

「す、すみません……」

「また謝ってる。」

 ベルフェゴールは肩をすくめた。

「変なやつ。」

 そう言いながらも、その表情にはわずかに面白そうな色が浮かんでいた。

 ホテルへ戻る途中、リーゼは空を見上げる。

 雲の切れ間から、朝日が少しだけ差し込んでいた。

 リング争奪戦まで、あとわずか。

 自分は表舞台には立てない。

 それでもヴァリアーの一員として、この戦いを支える。

 そう心に決め、リーゼは静かにハルバードを握り直した。
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