開戦



 雷のリング戦が終わった夜。

 ヴァリアーが滞在するホテルは静まり返っていた。

 リーゼ・ヴァイス・ドラゴンロードは、自室でハルバードの手入れをしていた。

 長さは百九十センチ。

 身長百六十センチの自分には少し大きすぎる相棒だ。

 穂先に砥石を滑らせる。

 規則正しい音だけが部屋に響いた。

 すると突然。扉が勢いよく開かれた。

「ば〜ん!王子と〜じょ〜。」

そこにはベルフェゴールが立っていた。

「ししし。」

「暇。」

「……え?」

「暇だから来たってワケ。」

 そう言うなり、ズカズカと部屋へ入ってくる。

 相変わらず自由だ。

 リーゼは慌てて椅子を勧めようとしたが、ベルは勝手にベッドへ腰掛けた。

「部屋きれー。」

「は、はい……。」

「つまんねぇの。」

「えぇ……。」

 思わず困った声が漏れる。

 ベルはその反応が面白かったのか、小さく笑った。


---

 視線がハルバードへ向く。

「それ。」

「はい?」

「貸して。」

 リーゼは反射的にハルバードを抱き寄せた。

「だ、駄目です!」

 ベルは目を丸くする。

「そんな必死?」

「これは……大切なので。」

「ふーん。」

 ベルは興味深そうに柄へ触れようとする。

 リーゼはさらに一歩下がった。

「本当に駄目です。」

「ししし。」

「取らねって。」

 そう言いながらも、わざと手を伸ばす。

「わっ……!」

 リーゼは慌てて逃げる。

 その様子を見てベルは声を出して笑った。

「反応おもしろ。」

 リーゼは真っ赤になって俯く。

「遊ばないでください……。」

「楽しー♪」

 悪びれた様子はまったくない。


---

 しばらく沈黙が続く。

 ベルはベッドに寝転がったまま天井を眺めていた。

「リーゼ。」

「はい。」

「その槍。」

「自分で選んだ?」

 突然の質問だった。

 リーゼは少し考えてから首を横に振る。

「ドラゴンロード家で代々使われている武器です。」

「父も、祖父も、その前も。」

「ふーん。」

「じゃあ、自分で選んだわけじゃない。」

 その言葉にリーゼは黙る。

 考えたこともなかった。

「王子なら。」

 ベルはナイフを一本取り出し、指先で器用に回す。

「好きな武器しか使わない♪」

 ナイフがぴたりと止まる。

「誰かに決められるとか、つまんない。」

 その言葉はベルらしかった。

 自由で、気まぐれで、誰にも縛られない。

 リーゼには眩しく見えた。


---

 ベルは立ち上がる。

「明日、王子の試合。」

「はい。」

「ちゃんと見とけ。」

「……はい。」

「王子が一番強いから♪」

 自信満々に笑う。

 その言葉に嘘はない。

 ベルは本気でそう思っている。

「ししし。」

 ドアへ向かう。

 そこでふと足を止めた。

「リーゼ。」

「はい?」

「王子が勝ったら。」

 一拍置く。

「ちゃんと"おかえり"って言え。」

「……え?」

 リーゼが聞き返した時には、ベルはもう廊下へ出ていた。

 ドアが静かに閉まる。


---

 一人になった部屋。

 リーゼは呆然と立ち尽くしていた。

(おかえり……?)

 試合から戻った人へ言う、ごく普通の言葉。

 なのに、どうしてそんなことを言われたのだろう。

 ベルフェゴールらしい気まぐれなのか。

 それとも、何か意味があったのか。

 分からない。

 ただ一つだけ。

 ヴァリアーに来てから初めて、誰かに「帰ってくること」を前提にした言葉を求められた。

 その事実が、リーゼの胸に小さく残った。


---

 一方その頃。

 廊下を歩くベルフェゴールは、ナイフを指先で回しながら一人笑っていた。

「ししし……。」

「変な顔してた。」

 リーゼの慌てた顔を思い出して、また笑う。

 最初は、気弱でからかい甲斐のある新人だと思っていた。

 でも最近は少し違う。

 あの反応を見ると、つい構いたくなる。

 理由は分からない。

 王子だから。

 気に入った玩具で遊ぶのは当然。

 ――今のベルフェゴールは、本気でそう思っていた。
5/6ページ
スキ