「雨の日の迷子」


 雨が降っていた。

 見慣れない街並みを、リーゼ・ヴァイス・ドラゴンロードは一人歩く。

 黒いコートの裾が雨に濡れ、長いダークブラウンの髪が頬に張り付く。

着慣れない日本人の普段着。それを着てこんな所に居れば普通の人に見える。

その気の緩みからだろうか。

「……迷いました」

 小さく呟いて、手元の紙を見る。

 日本語で書かれた住所。

 読めないわけではない。

 けれど、入り組んだ並盛町の住宅街は地図と見比べてもさっぱりだった。

 今回の任務は極秘。

 ヴァリアーはボンゴレ本部からある命令を受け、日本へ来ていた。

 リング争奪戦へ向けた準備。

 そのためリーゼは、現地で必要な物資を受け取るよう命じられていた。

 本来なら簡単な仕事だった。

 ……迷わなければ。

『リーゼェ!!』

 イヤホン越しに聞こえる怒鳴り声に肩を震わせる。

「は、はい!」

『まだ着かねぇのかァ!!』

「ご、ごめんなさい……!」

『謝る暇があるなら動けェ!!』

 通信は一方的に切れた。

 リーゼは小さく肩を落とす。

「……急がないと」

 焦るほど道は分からなくなる。

 気付けば、見たこともない商店街まで来てしまっていた。

 その時だった。

「うわぁっ!」

 前から誰かが走ってきて、勢いよくぶつかる。

「きゃっ……!」

 リーゼは尻もちをつき、相手もその場に転んだ。

「ご、ごめんなさい!」

 二人の声が重なる。

 顔を上げる。

 栗色の髪の少年。

 制服姿。

 どこにでもいそうな中学生だった。

「あ……こっちこそ、ごめん」

 少年は慌てて立ち上がり、リーゼへ手を差し伸べる。

「大丈夫?」

 リーゼは少し戸惑いながら、その手を取った。

「ありがとうございます……」

「外国の人?」

「えっと……はい」

「観光?」

 一瞬、答えに詰まる。

「……仕事、です」

「そうなんだ!」

 少年は疑う様子もなく笑った。

 こんなにも警戒心のない人がいるのか、とリーゼは少し驚く。

「何か困ってる?」

「実は……」

 紙を差し出す。

「この場所を探していて……」

 少年は住所を見る。

「あ、ここ知ってるよ!」

「本当ですか?」

「うん! 途中までなら案内できる!」

 リーゼは目を丸くした。

「で、でも……」

「困ってる人を放っておけないし」

 照れくさそうに頭を掻く。

「俺、沢田綱吉。ツナって呼ばれてる」

「……リーゼです」

 名字までは名乗らなかった。

 仕事中だから。

 二人は並んで歩き始める。

 ツナは学校のことや、日本の食べ物のことを話してくれる。

 リーゼは相槌を打つだけだったが、不思議と居心地は悪くなかった。

 こんなふうに、普通の人と歩くのはいつぶりだろう。

 その時。

「ボール!」

 小さな男の子が車道へ飛び出した。

 大型トラックが迫る。

「危ない!」

 ツナが叫ぶ。

 考えるより先に体が動いていた。

 リーゼは地面を蹴る。

 一瞬で車道へ飛び込み、子供を抱えて歩道へ転がる。

 トラックは轟音を立てて通り過ぎた。

「だ、大丈夫!?」

 ツナが駆け寄る。

「はい……」

 子供は泣きながら母親のもとへ駆けていく。

 何事もなかった。

 ……一般人には。

(今の動き……)

 ツナだけは見ていた。

 普通じゃない。

 あの距離を、一瞬で。

 リーゼは自分の失敗に気付く。

(しまった……)

 反射だった。

 暗殺者の動きを、一般人の前で見せてしまった。

「リーゼさんって……」

 問いかけようとしたツナの言葉を遮るように、イヤホンから怒号が響く。

『リーゼェェ!! どこほっつき歩いてやがる!!』

 あまりの大声にツナにも丸聞こえだった。

「ひっ……!」

『五分以内に来い!!』

「す、すぐ向かいます!」

 通信が切れる。

 リーゼは深々と頭を下げた。

「案内していただいて、ありがとうございました」

「え? あ、うん」

「失礼します」

 駆け出そうとして、ふと立ち止まる。

 振り返り、小さく微笑んだ。

「……優しいんですね」

 その一言だけ残して、雨の中へ走り去っていく。

 ツナは呆然とその背中を見送った。

「優しいって……」

 胸の奥に、妙な引っ掛かりが残る。

 優しそうだった。

 少し泣きそうな顔をしていた。

 なのに。

 さっき子供を助けたあの動きは、どこか恐ろしいほど洗練されていた。

「リーゼさん……」

 もう姿は見えない。

 この時のツナはまだ知らない。

 数週間後。

 ボンゴレリングを巡る戦いの中で、あの日雨の中で出会った女性が、自分たちの敵であるヴァリアーの一員だと知ることになることを。

 そしてリーゼもまた知らなかった。

 あの気弱な少年が、自分の運命を少しずつ変えていく存在になることを。
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