DEATH NOTE
おなまえ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
夜はもはや永遠だった。
煌々と白すぎる月光のせいで、弱い星の瞬きはほとんど死んでいる。
きょうは一日中きれいに晴れて、倒れそうなほど暑かったらしい。自分は外に出ないので、それは単に、カメラから見た彼女の反応からの予想に過ぎないが。
四角くふちどられたあなたさんの夏の思い出の中に、私はけっして存在しない。してはいけないはずだ。
しかしたったの1ピクセルも存在しない私が、あなた越しに見る青空をまぶしがって目をすがめたり、思わず画面に手を伸ばしてしまったり、する。
真夜中の空蝉に似た逢瀬は毎夜続いていた。
魅力というよりは魔力が、あなたさんの寝姿から発されている。
距離が近ければ近いほどそれは強くなって、中毒症状を引き起こす。私しか見ることのできない監視映像のあなたのベッドに私が手をかけている場面をなんどもなんども巻き戻しているのと同じだ。
黄金の光の十字架に磔られた哀れな天体、彼女のほっぺたは月の生き写しみたいに丸くて光っている。
中毒の真っ只中で溺れてその酸欠感が頭をぼやかしていく感覚は、言葉にできないほど楽しい。おおよそ普段の私が踏もうとはしない無駄足に、底なし沼で踏む二の足に、心の安寧すら覚えてしまうようになっていた。
永遠にまじわらない水魚のまじわり、双魚のまぐわい、境界線の破壊スイッチに指をかけてその時を見つめている。たった1グラムでも、私という異端者があなたの中に侵食する日を待っている。
そして平穏のための異常の帳がまた懲りもせず降りた。
だから今夜も帳に隠れて秘密の話をしましょう。
何度も何度も回したドアノブをハンカチ越しに握る。
いつも通りに在る部屋が眼前にあらわれると、私はつい安堵の息をついてしまった。私はここのところ、カメラの映しているこの部屋が実は偽物であなたさんもどこにもいなくて、あなたの色をした半透明なセロファンがレンズに貼りついているだけなのではないかと考えてしまうことがあった。そんなこと絶対にあるはずがないのに。
その証明に、あなたさんの寝息はきょうも響いている。世界でひとりだけに。
部屋の空気を思い切り吸い込む。そうすると身体の内側が清浄に洗われて、私は人間になる。
ここの本棚にある漫画や小説はすべて読んでしまったので、初めてのときみたいにぬいぐるみに会釈をして、今日はさっさとあなたさんのそばに寄った。
いま、あなたは何の夢を。
「こんばんは」
そして喉の一番深いところであいさつをして、ベッドの真横に座る。彼女といるときの自分は、ずいぶん穏やかな声音をしている。
掛布団からはみ出した手の甲を、ちょっと間握った。
そして白鍵の澄んだ色をした指の背をなぞってみる。かなしいほど暗闇に染まっている関節のまるいところの凸凹を確かめるように、なるべくゆっくりとなぞる。人差し指、中指、薬指………
「ど」
「れ」
「み」
「、………」
独りよがりに三音を吐くと、鍵盤は鳴らなくなった。
壊れそうにつながりを成している手指が、眠ったふりをつづけるあなたさんのことが、私はどうしようもないほど、どこにも行けなくなるほど大好きだった。
お膳立てされたような左手の薬指へ、くちづける。
その行為は「誓う」よりももっと強い言葉であなたを縛るだろう。
宇宙のどこにも無い部屋で、あなたの羽へとたおやかに針が突き刺さる。逐電していく星団の回転の中で、眠るあなたの睫毛の輝きは光よりも永遠の惑星だった。
頭のなかがいっぱいにとろけた銀河になる。有限のきらめきがあふれてしまうというところまで来て、表面張力でおしとどまる。
あなたさんの目に映る自由を奪いたい。どこかへ飛んでいく鱗粉を奪いたい。そういうあやうさがそのまま乾燥して標本になっていく。
そして、いけないと思いながら、私はそろそろ、夜闇以外の色に染まるあなたを見たくなっている………
「ここ……蚊にさされたんですね」
かわいい色に腫れている腕のところをやわらかく、嫉妬心の爪で押すと、またひとつあたらしくバッテンの痕跡ができた。どんなに馬鹿な探偵でも気が付く証拠を、あなたさんの肉体に残していく。その作業でこぼれた脳汁が指先をぬめらせる。
すでに私があなたのものであるように、あなたが私の大切なものになっていく感覚が、内奥に芽吹いていく。
ふと、以前付けた首のキスマークはほとんど消えかかっていることに気が付いた。あんなに鮮烈な紅だったのが、悲しいことに息絶え絶えだ。もう一度付け直しておこうと首へ顔を近づけると、あなたさんがなんでもないふりをして身をよじって拒絶した。
そのまま寝返りをうって向こう側を向いた彼女は夢も見ていないし、寝息すら立てていない。
「……あ……」
……その反応に私は少なからずショックを受けていた。私には恋愛経験がないし、ましてや好きな人に拒絶されたときにどうすればいいかなんてわかるはずもない。
「……すみません。ちょっと、調子に乗りました」
だから首に口づけるのはあきらめて、かわいい耳に謝罪の声を流し込んでキスをした。
もしかしたら、私があなたを見つけてしまった日から、あなたは私を拒絶すると決まっていたのだろうか。だとしたら、なんといういじわるを神さまはするのだろう……などと考えつつ、耳の裏側に舌を押し付ける。
そうすると、何本かの髪の毛が口に入って私の唾液で湿ってしまった。まだ誰もふれたことがない、食べたことがない場所の味。それを私は知っていて、あなたさんに言葉で教えることだってできる。
私は子どもじみた優越感に肩まで浸かりながら耳を食むことにした。
やわらかく、やさしく、いっそ独占欲を超過したさまざまな永劫の欲求が、やさしいままに私の首をしめつける。きっとこれはあなたさんの手。抑止、抑止、欲に死にそうになりながら私はそこをふやけるまでなめまわした。寝息ぶってはいるが震えている吐息は、何度あなたさんの顔を覗き込もうとしたかわからないほどに愛らしい。
てらてら光る唾液の痕跡は、私のさびしさを加熱する。もうこれだけの行為では満足できなくなっているのだ。以前にこの光景を見たなら心がじんわりとあたたかくなって、微笑を浮かべることすらできたはずだ。
肥大化する自己をトレースしてあなたさんのそばに置いていくのが、追い付かなくなっている。
月光にうすく透ける耳の血管が神話的な軌道を描いていて、いっそあなたさんが月に帰ってしまえばいいのに、と思った。それはそれで、もちろん、私は死ぬほど寂しがるのだろうが。
陽の光の中で私にくちづけてください。
二重螺旋に重なり合う不可能の渦が、どうにも、楽しくて苦しい。
あなたの眠れない日、痛い日、悲しい日、悪夢を見る日、すべて知っています。だから最近は調子に乗って、あえてその日を選んでここへ来たりしているんです。
「寝たふりをしなくても……べつにいいのに」
私にキスをしなければこの部屋から出られないとしたら、どこに口づけてくれますか。私がどこにも行かないでと懇願したら、どんな顔をしてくれますか。どんなに苦しく膨らもうとかなわない願いはこの世にあると思いますか。あるとしたら、それは誰のためにかなわないのだと思いますか。
あなたのそばにいるのは誰でしょうか。
あなたさんの嘘の寝息を間近に感じながら、私は妄想の禅問答を解いている。
私はあなたと物語になりたかった。だれにも語り継がれない物語、つまらなく、幸せで、それでいて永遠な。
「好きです」
後味は少し苦い。
「あなたが」
「あなたさんのことが……」
あなたさんの頭をなでる。ベッドにもたれるようにして体を丸める。
「ふたりで……だれもしらない……だれもいない場所にいきたいですね」
夢みたいなことをつぶやく。妄言は天体にも標本にもなれずに、いなくなった。
「ね………」
だがこの部屋のどこかに温度を持って、漂流し続けている。意識を保ったまま放流された宇宙ごみのような、残酷な不成就の流星群は、いつかこの部屋を埋め尽くして輝きを失うだろう。
いまだにそっぽを向いたままのあなたさんの髪を撫でつつ、私はようやく立ち上がった。もちろん、その前に髪へキスをする。唇にできないのは口惜しく、この上なく寂しかったが、愛している気持ちをいっぱいに込めた。離れがたいという気持ちも。
「あなたさん。私、……」
「……。自己紹介はまた、今度にしましょうか」
口をついて出そうになった自分の名前を、のみこむ。私はあなたのこと全て知っているけれど、あなたは私のことを何も知らない。まだそのままでいたい。まだここにいたいと思った。
だが、夜が終わりそうだ。自分の心拍を数えるよりも永遠であるはずのこの真夜中がまたひとつ死ぬ。朝になる。あなたさんの部屋の空気を染みこませた肺がまた外界に穢される時間になる。
私がベッドから一歩離れると、あなたさんが少し安心したように息をついた。
「愛してます。」
私、もう待てないのかもしれません。このままでは、眠っている……眠ったふりをしている……あなたを、いつか無理やりどうにかしてしまうかもしれません。倫理より欲望が勝ってしまう日が、今は来ないと確信していても、いつかはやってくるかもしれない。曖昧を壊すときの愉悦をこの身体がおぼえてしまうかもしれない。
もはや思考の宇宙は私の手を離れ、黒い嵐になってあなたのことを呑みこもうとしている。
「本当は朝焼けのぎりぎりまであなたのそばにいたいんです」
ベッドの上へあがって、掛け布団越しに馬乗りになる。
あなたさんの安心した吐息は鳴りを潜め、部屋は突如としてすべらかな緊張につつまれた。
胸の中で、結婚前夜のようなせわしい鼓動がしている。良心に悖った、むしろ奇を衒った私の刹那衝動が、思考を飛び越してあなたさんにふれたがってしまった。
ほんのわずかな身動ぎのたびに反応してきしむ音は、私の内部から鳴っているのではと疑ってしまうほどに、弱々しい。
彼女へ限界まで顔を近づけて、深呼吸をする。
キスがしたい。あなたと見つめあったまま、溺れるくらいに何度も。一度だけと決めたことを破りたい。私の首にその手を回してほしい。あなたさんのすべてを知り尽くしたい。あなたさんの存在をどこからも連れ去って無くしたい………あのスイートルームへ。
「……ですが……でも、まだ……」
自分の口から漏れ出た保身がめまぐるしく乱反射して突き刺さる。
一度だけ、ただ一度だけに従順に、私はあなたさんのくちびるへと欲望を転嫁する。
あなたに移したその体温が、私にわたったこの体温が、朝日に上書きされることが純粋に、嫌だと思った。
私はもうこの部屋を出なければならない。あなたさんの上から退いた。
「……それでは。またこんど、自己紹介をしましょうね……」
・・・
あなたさん。
お引越しされるんですね。なんでも夜中に誰か、知らない男が部屋に侵入してくるんだとか。怖いですね。寂しくなりますが、さようなら。お元気で。
そしてまたどこかで、「こんにちは」。