DEATH NOTE
おなまえ
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まだまだ夜は明けなかった。
重く重く永遠に続くような暗い雲が月を譲らない。夜空というより終末じみた曇天の日。この日。私は銀色のドアノブをにぎってさらなる静寂へ身を浸す。ああきっとこの温度と暗闇を忘れることはないだろう。
ひそやかな実行のときは、グラデーション式に訪れた。さも生活の一部であるような顔をして、夕暮れが真夜中に変わるみたいに、私はあなたにとけこむのだ。そのための方法を知っているから。
私はため息をついた。きわめて静かに。
「………あなたさん……」
そっと歩んで、そばまで行く。
どんなに高性能なカメラでもとらえられない彼女の呼吸のたびの空気のゆらぎを、ただ感じていた。イヤホンを介してしか耳に入れられなかったはずの寝息がくすぐったい。ふいに、あなたさんがわずかに声をもらした。また夢を見ているのだろうか。まだ私には、あなたが何の夢を見ているかはわからない。
この場所はあまりにもあなたであふれている。これまでずっと我慢していたのに、一気に肺に入れると決壊しておかしくなってしまいそうだ。だから私は秘密を隠すときのようにひっそりと呼吸をしていた。ベッドへ、あなたへだんだん近づいていく。
ふと、彼女の枕元のぬいぐるみと目があって会釈する。いまからきみのご主人に、少しいけないことをするかもしれません、と伝えた。そうして黒くつやつやしたふたつの
そのときちょうどあなたさんが寝返りをうって、私のほうへごろりと転がってきた。驚いたが、見ると彼女はすこしばかり眉間にしわを寄せながらすやすや眠っていた。もしかして、嫌な夢を見ているのだろうか。そうだとしたら、かわいそうだ。
くちびるにかかった髪をよけながら、私はちょっぴりだけ深く息を吸いこむ。この部屋は間違いなくこの世で一番天国に近かった。すでにここから離れるのが憂鬱になって、365の単位であなたを把握したいと強く思う。
今度はあなたさんの顔に限界まで近づいた。私は息を止めている。彼女は規則的に息をしている。生きている。なによりだれよりも生きている。快いきもち。かけらほどの喧騒で掻き消えるなけなしの音が私を肯定してくれる。
いやなことから、あなたを救ってあげたい。いやな夢から覚ましてあげたい。喉の奥のほうでもやもやしていた甘くて曖昧な思考の濁流が、あなたの息ひとつでゆらいで、世にも薄べったい言葉になって視界の隅っこを通過している。
私はどこか、彼女の瞳を見たがっていた。
もはやピントも合わないような至近距離をじょうずに切り裂いて、きちんと私をあなたのものにしてください。
ああ。こめかみがドキドキしておさまらなくなってきた………暗い部屋がもっと暗くなって少し気持ちがいい………暗闇に流れる脳汁………完全なる調和の宗教音楽……あなたの隣を………監視る………わたし…・・・・・・…・
・・・・・・脳みそがボンヤリするほどの無酸素ののち、私は思いっ切りあなたさんの寝息を吸いこんだ。
「……あっ」
これがあなたさんのにおい。ずっと知りたかったような、知るのがおそろしいような禁忌の味わい。文字通り肺があなたに犯される霊妙な実感。
私は押しよせてくるあなたの波を呑みこんでから、思わず、恍惚と笑みをはらんだ吐息がもれてしまった。生の香気に頭がやられてくる。だんだんと内臓の回路が、あなたの痕跡にまみれていく。その実感が、毒の泉のように絶えずわいてくる。いままで私の中にばかり渦巻いていた奔流が外界へとあふれだしそうだ。ようするに私はちょっと狂っていた。
「好きです」
あなたさんはささやく私の言葉をたべてしまった。呼吸を交換しながら1ミリの濫觴でふれてしまいそうな距離がもどかしく、待てを命じられた飼い犬のような気持ちになっていた。しかし私は犬ではないので従順にできない。
だからたったの一度だけにしようと決めてから、私は彼女にくちづけた。
ふにゃふにゃした感触。が瞬く間に離れる。目を開ける。
短いキスがかわいい音をたてて終わってから数秒後、私の中で電撃的な反芻がおこった。それで、私にはまだまだ知らないことがたくさんあるのだと知った。湿ったような彼女のくちびるが、なんとも恋しくなっていた。一度だけと決めたのに。
私は彼女の首をべろりとなめた。
あなたさんの肌は思ったより甘くなかった。「私は生きている!」と皮膚の下から叫んでいるかのような生っぽさと、肉のやわらかさ、無防備さ、あたたかさ……の、中によわよわしく、いとおしさが含まれている。それはあくまで主観であり、この感覚は錯覚なのかもしれない。だけど確かに、口内の迷宮すべてが彼女の味に塗りかわっていくのが心地いい。
躍動する命の音を聞きながら、首筋にそって吸ったり、喉仏のあたりを食んだり、私はそこでできる限りのあらゆる弄びを楽しんだ。あなたさんの味は不思議で、いままで知らなかったわりには私の味蕾に馴染んで、唾液をつぎつぎにあふれさせる。彼女とくっついているところから心がどこか安定して、それなのにその端のほうが、むかむかする。心をもっているのに私は、すごく、けだものだった。
ちゅううう。と音を立ててひときわ強く吸い付いた肌の一か所が花のように咲いている。その痕を見ると、なぜかとても満たされた気持ちになる。
「どうしてでしょう。あそこから見ているだけでいいような気もしていたんですが」
レンズの滑らかなぬかるみをちらりと見て、過去の私を思った。今の私にきっと嫉妬している過去の私の愛らしさ。ばかばかしさ。
べたべたになった彼女の首許を袖で拭った。その行為で掻き消えない傷のような私の痕跡。不完全犯罪の味が染み入る静寂に少し酔っていた。
この赤いひとかけらを見つけたとき、あなたはどんな反応をするでしょうか。
今はそれが知りたいけれども、そのつぎに私がなんの味を知りたくなるかまだわかりません。あなたの上に乗ってしまうかもしれないし、あなたを無理やり起こして自己紹介をするかもしれない。そしてあなたに告げる「好きです」という言葉の後味がこの舌にふれるのを、どこかで待っています。
私にそうさせてしまうあなたを待っています。
・・・
もうそろそろ空が明るくなってくる。私はしぶしぶ立ち上がり、彼女の布団をかけなおした。そのとき身体にふれてしまって、あなたに書き換えられた肺腑の奥からあたたかな堕落心が漏れでてきた。欲求の宇宙は、私ひとり程度など易々と呑み込んでしまう。それを苦しいほど知っている。それに呑まれるのがたまらなく気持ちいいのだと知っている。
私は一度だけと決めたのにキスをして、部屋をあとにした。
それでは、またあした会いましょう。