テニスの王子様
おなまえ
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ふたりきりの帰り道に、車が通ったり、人が横切ったり、花が咲いていたりする。そうするとあなたはいちいち目をそっちへ遣って、すこし微笑む。
あなたの博愛的な部分は不気味すぎるほどだった。本来人間には無い器官が、無い成分を分泌してしまっているとしか思えないほど、そうしているときのあなたの横顔が自然にきれいなのが、俺はとても、嫌いだった。
俺たちの通学路、ふたりぼっちの下校は、唯々諾々とした彼女の慈悲によって成り立っていて、それなのに俺は彼女に恋をしていて、しかもその恋心は刻々と、おなかの中で時限爆弾が秒針をすり減らすように、ぶちまけてしまいそうに泣いている。
「伊武くん、あぶないよ」
と言って、俺を車道側から遠ざけるあなたのいかにも非力そうな腕。なにもあぶなくないのに変に心配そうな目が、それよりもさらに変な俺の邪をつっつく。
「嫌だな…」
俺のこころを踏みあらし、塗りたくり、蹂躙してもてあそぶ。あなたは、俺の価値観がぐらぐらするのを見透かしているみたいに、目を細めてわらう。たったいまさようならを引き留めたばかりのこの手が、この手に掴まれているその手が、一体になっていく感じがした。
「なんで俺だけがこんな気持ちにならなきゃいけないわけ?……きみっていつも、俺がこうやってわざわざかっこ悪くなるの見たがってさあ、ほんとに、性格悪いし…俺だって性格良くはないけどさ、きみほどじゃないと思う」
「うん。そうだね」
「…ほら、そうやって肯定するから、俺が悪いみたいになるだろ。しかも、俺が手を繋いでるせいできみはいつまでも帰れないんだからさ、それも俺が悪い感じになるし」
「うーん…ごめん。ごめんね」
あなたの眼はどこも見ていない。強いていえば世界。世界に向けて謝っている。俺ひとりになんて言っていない。この子と俺だけが存在する世界なら、俺はどうにかなれたのかな。いつも頭の中で考えるようなことを、現実にできたのかな。
吐きそうだな。
ああ、いつもの空想だって、わかってるけどさ。
「好きなんだよ…」
「…うん。わたしもだよ」
「うるさい。うるさいうるさい。」
慈しむなよ。憐れむなよ。愛するなよ、俺以外のやつを。何も愛せないなら何も見るなよ。いらいらする。心臓がいらいらして、俺はまた間違えている。返答も。感情も。
「むかつく。誰も好きじゃないくせに」
「みんな好きだよ」
「そうじゃない、俺だけを、好きに……なって。」
くちびるから離れてゆく自分の言葉が、声が、夢の中のようにぼやけている。それはこの子が俺だけを好きになることはないとわかっていたからだ。もうずっとわかっていた。恋をする前から、恋をしてしまっても、ずっとわかっていた。
俺はあなたとキスをした。
あなたのくちびるは完璧なまでにあたたかくやわらかい。目をつむってふれているうちは、思ったより、生きているという感じがする。
人間らしく熱をおびた俺の手は、そのまま魅惑されるように彼女のほほへ触れ、恋人がするみたいな手つきで余裕ぶって撫でた。
あなた、好きだよって、俺のなかのいちばんやさしい声色で伝えるから、あなたは俺以外のなんにも好きにならなくていいよ。
その手を、あなたがゆっくりと握る。肯定しないための、かといって否定もしないよう、やわく、あくまでも俺をやさしく傷つける手だ。
くち同士が離れるときの、わずかな体温の隔たりや、吐息の温度、車の走行音にもかき消えそうなちいさなノイズが、永遠ぶって俺の脳裏に咲きみだれる。
そこでようやく目を開けて、あなたがなんでもないように苦笑するのを確認した。
俺は、あなたとキスをしたんじゃなく、ただあなたにキスをしただけだったんだ。
ああ、俺はきみがはじめてだったのにな。
「………」
「……帰ろ。」
「…うん。」
くちびるの別れたとたん、苦しくてそれ以上は何も言えなかった。絶対、俺のほうがバカなんだ。俺のほうが性格も悪い。俺が悪いんだよ。きみを好きになってしまった俺が悪い。
きょうも消えたくなった。夕暮れが刻刻とはじけては滲んでいる。たぶん、でも、あしたも消えたくなるだろう。ふつふつと夜がやってくる。
未練がましく手を繋いで、俺は、ずっとあなたを好きでいるんだろう。
ため息がふるえる。
「…嫌だな」
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