そのほか
おなまえ
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「ガクくん、これなんだけど」
近頃、いろいろと忙しい。いろいろというのは、とにかくいろいろ。疲れ目睡眠不足筋肉痛上等生活が続く中、僕はオフィスからただ、青空をぼんやり眺めていた。遠くを見るのは目にいいと言うし、束の間の休憩だ。
「今日はいい天気だなあ……もう夜だけど………」
「ガクくん?」
雲が薄く地平線のビル明かりをぼやかして、暗い水彩画みたいになっている東京。を縁取る大きい窓。に反射する自分。の眼鏡に反射する、また東京……
ため息をついて、ここからはちょっと見えづらい場所にあるホテルをちらっと見る。あくまでちらっと。思い出す。甘いにおいのついた薄明かり。出したことのない音程の声。景色とか街がどうでもよくなる時間。瞬間、どうしようもないほどの夜の音や空気が即座に頭を駆け巡って、大声を出してしまいそうになる。
「ガクくん」
……そうやってバカなフラッシュバックに熱中しすぎて、僕はあなたちゃんがすぐ背後に接近しているのに気づかなかった。
だからイタズラに背中をつーっとなぞられただけで、
「ガクくん」
「ッひゃうん!?」
変な声をあげてしまった。
「えっ」
振り向くとあなたちゃんの驚いた顔。
「あ!あばばばっ……!ち!ちがくて!あのッあれびっくりしちゃって!その、誰もいないって思ってたから!それだけ!」
反射的に早口で『焦ったときに出る言葉ランキング』みたいなのを上から消化していってしまった。いまだに心臓がばくばく言っておさまらなくて苦しいくらいだ。
「……そうなんだ?」
「全然信じてない顔!いやそりゃそうだよね……」
べつに何を糾弾されているわけでもないのに、勝手に責められている気分になっていたたまれない。逃げ出したいほど恥ずかしい。背中を軽くさわられただけで変な声が出るなんて、きっと生涯の恥。もちろんその直接的要因が彼女にあるとしても。
「ふたりのときじゃないと危ないよ?」
きっとあなたちゃん以外の人にさわられても僕は「こう」ならないとは思うんだけど、あんな声……をもしも公衆の面前であげてしまったら大人としてというか、男としてというか……確かにいろいろと危なそうだ。ハルくんやみんなに聞かれたらと思うとゾッとする。きっと軽蔑されて、のちに同情の目で見られることだろう。
「あう……気をつけます、できるだけ……」
「うん?」
僕の言葉に、彼女がぐんと近づいてきて怖い顔をする。それからひときわ低い声で、秘密みたいに僕をさわる。あ、これ、いけない感じのやつ。
「できるだけじゃなくて」
すすす、と、忍者みたいに指が首筋を駆け下りたかと思うと、シャツの隙間をぬって鎖骨のくぼみをくるくる回って、胸のほうまで降りてくる。僕はたったそれだけでだめになりそうで、こんな場所で骨抜きにされてしまいそうで、膝が震えるのをこらえるのに必死だ。
「んっ、だ、だめだよ、っぁ!」
「絶対ね」
僕が発する「だめ」はだめじゃないという意味だと彼女は知っているはずだけど、今は意地悪というか、しつけをしたい気分なのだろう。情けない顔をしているはずの僕の頬をむぎゅっと掴んで、観察するみたいな視線が絶えず責めてくる。もう片方の手は魔法みたいに僕を軽くさわってくすぐって、どうしようもなく動けない。ささやかな拘束なのに、それよりもずっと弱い僕はただ息を震わして、拒絶することもできないで、耐えて期待することしかできない。
このままむちゃくちゃなキスが降ってきそうだな、今日のシャツは薄いからすぐ脱がせられちゃうなとかって思ってしまう僕はもう、あんまり目の前がちかちか光って耐えられなくなりそうになる。これ以上が欲しくなってしまうから、本当にだめなのに。
「あ、ぜっ、絶対!がんばります、ぅ♡!」
「うん。よし。がんばって」
僕が追い詰められるみたいに宣言すると、彼女は満足げにうなずいて、身体から指を離した。一緒に頬も解放されて、『ム』って突き出した唇だけ残されたのが変な感じだ。てっきりキスされてしまうと思いこんでいた僕の、やましいそわそわだけがふんわりと空中浮遊する。
「はあ、あぅ……もう!あなたちゃん………」
さすがにちょっとは抗議しようと息を整えていると、
「あと、浮いてるからね」
「え、ぁ゛っ♡!」
そんな隙も与えられないままに、あなたちゃんはぎゅっ!と、若干強めな力で僕の胸の先端をつまむ。そのままぐりぐりと、より目立たせるようにして指でもてあそんでくる。
「や♡っめてよぉっ、」
服の上からにしてはその位置が合いすぎているので、浮いていたのは本当だろう。恥ずかしくて、おさえられなかった高い声も乳首が勝手に立ってしまっていたこともそれに気づかれたことも、全部がとにかく恥ずかしすぎて、僕は思わずうつむいてしまう。
「はい、やめた。下にはなんかしら着たほうがいいよ。多少暑くても」
「っん、は、はい……そうします……絶対……」
すぐに放された胸をいたわるように、僕は前かがみになって防御の体勢になる。寒いときみたいに手でそこをさすると、今以上に変な気持ちになりそうだったのでやめた。
「じゃあこれ、ガクくん宛ての郵便でーす」
「ゆ、ゆうびん……?」
ゆうびんってなんだっけ。郵便。彼女に何枚かの封筒を渡されて、受け取る。仕事のやつとか、そうじゃないやつとかが混じっているみたいだ。あなたちゃんがここへ来た本来の目的は、きっと僕に注意するためじゃなくてこれを届けるためなのだろう。
「そう。郵便のお届けにきたんです。やっと渡せたし、私はそろそろ帰ろうかな」
そう言って颯爽と去ろうとするあなたちゃんの背中を、つい呼び止める。
「あ、ま、待っ……て!ください!」
「うん?」
体が熱い。うまい誘い文句も思い浮かばないまま、衝動的に声を張ってしまった。恥ずかしいけど、僕から離れていった指の感覚がまだ残っているのだ。まだ僕で遊んでほしいって、できれば叱らないで甘やかしてほしいって、未練たらたらに思ってしまっている。
「僕……も、もうそろそろ上がろうかなって思ってて、こんな仕事明日の僕がやってくれるし!だっだから一緒に、っ」
どうしてもっとスマートにいけないんだろう僕は。今までの人生で何度も何度も思ったことなのに、あなたちゃん相手だとなおさらだめだ。声がうわずって、スピードも安定していなくて、言い訳も変だし。あまりにも下手だ。こんなの絶対笑われる。バカにされるって、思うのに。
「ははっ。うん。じゃあ一緒に帰ろう」
彼女はいつも僕を、ゆっくり待っててくれる。
「やっ……!っありがとう。ちょ、ちょっと待ってねPCの電源落とさなきゃ、あ荷物も……」
「ゆっくりでいいよー。あ、このあとどっか食べに行く?」
「ほえっ、い、いいの?」
「いいよ。ガクくんの行きたいとこ行こう」
まだ一緒にいられるなんて。優しいあなたちゃんが、うれしい。
「え、えっと……えと………」
すごくすごくうれしいけど、だめだ。僕の頭はいま、ほとんど淡いピンクに包まれている。僕の行きたいとこなんかもう、ほとんど決まっている。
誰にもバレたくないような、なのにみんなの前で腕を絡めたりしてみたいような、二律背反な僕の眼鏡に反射する、ここから見えづらいところ。ごはんよりもちゃんと上手に、僕を満たして乱してくれる時間が、今はなによりも欲しいから。わがままかな。こんなのカッコ悪いどころかキモいって思われるかもしれないけど。
「……あの、あのね、」
「ふふ。行こっか」
「あっ、え!まだ言ってな」
「あはは。だってガクくんずっとかわいい顔で、む~んって悩んでるから。わかるよ」
彼女がときどき言う『かわいい顔』がどんな顔なのか僕にはわからないけど、とにかくわかりやすい表情をしていたらしい。自分が恥ずかしくてたまらなくて、急いで荷物をまとめるふりをしてうつむいてしまう。
「ぁ、あは……すみません……」
「謝らないでいいよ。もう行けそう?」
「うん。お待たせしました」
「とんでもないです」
思えば、今日の僕はすごく普通な軽装だ。普段着っていうか、フォーマルな感じではないな……会社なのに。
彼女の隣に立つのがなんとなく恥ずかしくて三歩くらい遅れてついていく。エレベーターを待っている間も、どことなく気まずいというか、さっきからじんじん熱い身体に気付かれたくないような気がして、黙ったまま到着音に焦らされる。
空気を読んだように誰も乗っていないエレベーターに乗り込む。一階のボタンを押して、閉まるボタンを押してから、あなたちゃんはちょっぴりちぢこまっている僕を振り返った。
「ガクくん」
「はわっ、はい!」
「気を付けすぎ」
そう言って、誰にも見られない狭い密室で、あなたちゃんがぐっと距離をちぢめてくる。僕はそれだけで何も見えなくなる。世界の全部のピントが彼女にだけ合っていく。
「ちょっとくらい隙見せてよ、私の前でだけは」
そして秘密を教えてくれるみたいに囁かれる。この人はなんてかっこいいんだろうと思った。僕とは正反対だ。だから惹かれるのかもしれない。申し訳なさを覚えつつも、結局僕はこの関係が好きでたまらない。
「あ、あう、っ気をつけます……」
「はは。わがまま言ってごめん」
頭がショートしそうでちょっとふらつく。あなたちゃんにキスをされるといつも、視界が夢の中みたいにぼやけるのだ。さらに頭を撫でられて、脳内のぼんやりが加速する。
「う、ううん。うん……」
これから長時間一緒に過ごすことになるというのに、こんなんで大丈夫なのか。めまいとか出血多量とか酸欠とかで倒れたり、はたまた死んじゃったりしないだろうか僕は。と、毎回思わされているような気がする。
隙を見せていいのか見せないように気を付けるべきなのか、彼女が望むその答えは結局よくわからないままで、下降感と多幸感に包まれていく。一階につくまで止まることもなくて時間的には長くなかったはずなのに、冷房だってばっちり効いているはずなのに、狭い銀色の中が妙に暑くて、早く外に出たかった。早く、こんなところじゃなくて、こっそりと悪いことをしている風じゃなくて、ふたりになりたかった。
「あなたちゃん、」
「うん」
エレベーターのドアのスピードが、やけにゆっくりに感じる。
「あなたちゃん、………」
「はい」
早く開いて。早く僕たちを降ろしてよ。
「……チュウしたい……」
「あはは。いいよ」
彼女は僕の言葉を聞いて、ドアが開ききると同時にキスを落としてくれた。彼女はいつも、小さくて、もごもごしてて、気持ち悪い僕の言葉を、ちゃんと聞いてくれる。
「ん、あ……ありがとう」
「ぜんぜん。」
幸か不幸か、エレベーターの前には誰も待っていなかった。とうとう一階に降りて、ビルの外へ出る。暗い夜空をぎらぎらの人工星団が彩っている。
「行こ。ここじゃ続きできないからね」
「う……うん」
僕は彼女についていく。不意に手をぎゅっと握られた僕はあわてて手汗をにじませて、だけど離してくれないから困って、それが変にうれしかった。今日みたいにあなたちゃんのうしろをついていく日が、変だけどうれしい日が、ずっとずっと、この光が消えてしまうまでずっと、続いたらいいなって思った。