そのほか
おなまえ
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空き教室、僕の眼鏡がずれるほどの、きみとの距離。
チョークのにおい、シンナーのにおい、眉唾ともいえる蠱惑のにおい、難しくなるくらいたくさんの嗅覚の中で、僕はただきみに惹かれて途方もない。にべもなく、あらゆる言葉を使い果たしてきみをかたどりたくなる。だから、きみの唇で黙りこくりたくて待っているだけ。
鼻先がこすれてこそばゆい。まばたきに風圧があるって知った。皆既月食みたいに重なり合って僕たちは秘密裏にハネムーンする。
「もっと僕を見て」
僕の瞳孔に魔力があればいいのに。魔神が宿っていればきみを一瞬で魅了してしまえるのに。まるで催眠術にかかったみたいに夢中中の夢中になって、おかしくなるくらい僕を毎秒想ってほしい。
「もっと僕を見てよ」
「見てるよ」
「見てない!」
あなたがはっと笑った。だって、見てないんだもの。僕を見てどこにも行かせないで誰にも奪わせないでって言ってるんだよ、それがきみの役目だって。
そう主張する僕を「ちょっとヘンだね」とまやかすあなたは、それからキスをしてくれる。
面倒くさくなったんだろう、僕を黙らせるのにはこれが一番効くから。下衆な手段だ。下衆だとわかっていても。口を合わせているその間、この世界には喧騒もなくてチャイムも鳴らなくて青空も光らなくてまったく僕たちだけになって気分がとてもよくなる。
これって、少し麻薬っぽい。やめなくちゃと思うほど抜け出せなくなる。あぶない。だからこのあぶないのを誰にも広めないように、僕ひとりがずっと受け止めていなくちゃ。僕だけが。
「ねえ離さないでよ、もっと……」
「嫌だよ。心土くんを見るのに忙しいんだから」
意地悪!
「そんなに見ないで」
「ええ?」
僕は弱いのに、僕にはもうなにもないのに、あなたが好きだよの目で見てくるせいで、つい偉そうになってしまうんだよ。
縋っても許される気がして、タオル地のような心をゆったりとつかむ。指の間をすり抜けて言葉がいらなくなって、僕の眼鏡がいっそ邪魔なくらいになって、あんまりな赤面がたたって夕陽になるみたく、あるだけの息を全部奪われて困ってしまいたい。
「ダーリン」
きみを呼ぶ。
「……心土くんはハニーって感じじゃないね」
「じゃあなんなんだい」
「ヴィラン」
「ひどい!」
ハートマークの真ん中をぎざぎざに歩いていくきみの音声は、どうしようもないくらいに何度も夢に出てくる。この光景もきっと。走馬灯にだってきっと。何秒に編集されたって焼き付いておさまらない熱病の真昼。記憶というには心臓に隣接しすぎている。音楽というには楽譜に暴力をはたらきすぎている。とにかくとんでもない質量で、僕の胸が苦しくなる。欲しくなる。おねだりしたくなる。
「ダーリン、あっう゛」
すると、形容しがたく甘い僕の声が耳障りだったのか、彼女は突然頬をつねってきた。爪を喰いこませる感じに、じゃれるって程度ではない攻撃だ。
「ゔ、い、いはゃいんぁけど!」
「ははは」
指はすぐに放されたけど、ずきずきと痛みが残ってやまない。痕になっているかもしれない。ひどい。これから僕はいったいいくつ、この身体にあなたを記録させられるのだろうか。それで喜ばしいのが恥ずかしくて、眼鏡をかけなおす。とてもヴィランな笑顔が似合うきみに、僕はきっと明日も滅亡したい。