そのほか
おなまえ
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はじめてのくち杖kは、ああ、こんな言葉……口に出すのも恥ずかしくてタイプミスをしてしまいました。
………はじめてのくちづけは、檸檬の味がするのだとか。せっかくのはじめてがそんなに火薬くさかったら困るだろうというのが飴よりも
えてしてはじめてのことというのは、成就しないもの。そう人類創生より決まっているのだから、しかたのないこと。それなのにはじめてを重んじる恋愛というこっぱずかしさを階段状に固めたような文化に、私は絶望している。
そしていま。
父上母上、私、そのはじめてがなに味か、この味蕾で知ろうとしています。
あなたさんが、そのひとが、いかんともしがたいほどのあやしげな笑みで、私のはじめてを暴こうとしているのです。
そしてこの空き教室、この放課後に。それを彼女に奪われてしまうという重大な事態を嫌だと思わないこと、それこそが本当の由々しき事実なのです。
「はっ、いけません!こ、こんなところでっ!」
なんと破廉恥なことだろう。などと、ものすごく破廉恥な妄想に毎夜ふけっている私はとにかく彼女に嫌われたくなくて、脳内においてさえかまととぶってしまう始末だ。
跳ねる言葉尻に期待をいかんなく含ませていることは自分で言葉を発していながら恥ずかしくなるほどわかりやすかった。自分ですらわかるのだから彼女にわからぬはずもない。
「あはは」
「あ、あう」
むしろ私の仮初め的抵抗を愉しんでいるかのような笑みに、壮絶なV数の電流が背を駆け抜ける。
全身のうちの、意識から外れた部分が例えようもないほどはげしく刺激され、好きですと、屈服するように告白してしまいそうになった。
そしてひとりで悶える私を見て、彼女は目を細め、わるい天使のごとくそっと、ささやきを産み落とす。
「いけませんか?」
堕 落
私の眼前にはそのふた文字がはっきりと、もはや、左目へ堕、右目へ落といった具合に貼りついたかと思われるほどにはっきりと浮かんだ。
そしてごくりと生唾を飲み、ほとんど決まっていた覚悟を決めなおしたところで、あなたさんの指が私の喉元へふれる。思わぬ感触に肩が震えた。ああ、決めたのはそこまでの覚悟ではないのに。せめて覚悟の用意の準備をする時間をください。と思いつつ、くすぐったいその白魚の踊りにまんまと翻弄される。
「な、な、なにをっ」
私の問い方がだめだったのか、彼女は戸惑いの声に答えることなく指をすすすとすべらせ、実にいやらしい足跡を私の首筋へと植え付けていく。びくりと震えて、あなたさんの指紋の刻まれたところだけが粟立って、寒いのに暑い。こんな感覚をおぼえたことがない。
生まれてこの方、妄想してこの方、触覚にとっての革命的な淫靡をたたきこまれるかのようだ。これは教育といえるだろう。教育者たる私に対して、ひどく弱く隠された縄の痕を、指さして教えるみたいな背徳。
すごく痒くて、もどかしくて、それなのにもっとほしくなる。ああ、ここは学校、職場なのに!いけないことなのに!すぐにでも「いけなくありません」と男にあるまじき前言撤回をして、目を閉じたりくちびるを少し突き出したりしてしまいたい!
そしてあなたさんのお顔が、近づいて、睫毛のまたたきで崩れ落ちそうになって、私は、
「あっ、んっ、ああっ………?!」
と、先走って感触を想像してしまった私は、
「ぶゔッ」
勢いよく鼻血を吹きだした。
べつに私自身が今だ!このタイミングで鼻血を出そう!などと画策してのことではないので、正しくは私の鼻腔がこんなときにかぎって勝手に血液を放出しやがったと責任転嫁してしかるべきなのですが。
……ともかく放たれた鼻血は黄金比率の軌跡を描いたのち、血管からの大冒険を終えて私の服へ付着した。おかえりなさい。
「わあ、あっ、あ、すみません、汚れていませんか!」
私はあわてて彼女に問う。
「あっ、はい、私は大丈夫ですが糸色さんは」
奇跡ともいえる確率で彼女は助かった。
きっと日ごろの行いがすばらしいゆえのことだろう。私の身を案じてくれる眉の下がり方は、永遠に記憶しておきたいほどにそれはそれは美しかった。
「いや!私も大丈夫です、なにもかも。いままでもこれからも、すべて大丈夫です!……」
こんなところを見せてしまって、あきれられて捨てられてもしかたがない、そう人類創生より決まっていたのだから。
と、頭の裏でうっすらと考えていた私などという存在に、あなたさんはポケットからかわいらしいティッシュをさっと取り出す。このような消耗品ぽっちすらもかわいらしいのだから、徹底的に悪魔的だ。と片隅に思っていたら、なんとそれを差しだしてくれた。
「あ。う……」
「あう?」
この矮小な私から弾けた雑菌塗れの血をぬぐうために。やさしい。うれしい。なんと慈悲深いあなたさん。聖母のごとき笑みが首をかしげて、私がそれを受け取る瞬間を待っている。
敬虔なる信者ならご存じのことでしょうが、もちろん聖母を待たせるわけにはいきませんので、私はあわてて受け取り、乾き固まりつつある血液を襟首から拭い去る。土下座をしたい気分になりながら、お礼を述べる。
「ありがとうございます。これなら、クリーニングに出さなくても大丈夫かもしれません」
「いえいえ。それはよかったです」
ああ、だけれども、あなたが私以外にもこんなにやさしいのだとしたら、もし街中で見知らぬ中年男性が鼻血を出してもこんなに心配して親切にするのだとしたら、それはそれで、
「……絶望した!」
「あっ、急にきた」
「おじさんにもやさしいあなたさんに嫉妬してしまう、身分知らずな私自身に絶望したっ!」
「おじさんに……?」
「おじさんが鼻血を噴出するような場面にあなたさんがいてほしくはありませんが!もしそういった場面に出くわしたら今のようにティッシュをやさしく手渡しするつもりでしょう!」
「え……まあ、困っていたら」
「あああ!やっぱり!私が困ります!」
「浮気になるってことですか?」
「うわ……っ!浮気………浮気………」
浮気。路チュー。禁断の。不倫。不貞。ポリアモリー。寝取られ。セカンドパートナー。ギャル男。バウムクーヘン。ああ、あのひととは本気じゃないから………次々と、考えたくもないスキャンダル用語が頭を通過する。私の有する豊富な知識たちのことを今だけは軽蔑する。………あなたさんが私ではない男にやさしく微笑・たぎる親切・聞かれる連絡先・触れる手指・交わす言葉・合わす視線・味わう空気……
「あっあっ………!!」
頭が痛い!あなたさんが私といっしょにいない時間、私に笑わない時間、触れない時間、私のことを考えていない時間………が、前述のような悲劇の直接的な原因になってしまう事実。
「ああああああああ」
さらに私の生活にあなたさんのことを考えていない時間は存在しないという事実も加味すると……
「浮気ですうーーーーーっ!!!!!この世のすべてがっ!!!」
「わあ……」
自分の大声で耳がビリビリする。教室の窓硝子すらビリビリしていた気がする。頭がとにかく痛い!
痛みと恥に耐えかねて突発的に、ここにいたらもっと恥ずかしいことが待っている!こんな恥の多い教室を出なければ!と思いたち、いつも逃げてばかりの足がまた逃亡をはかろうと動いた。
「あ」
しかしあなたさんが、腕をがっしとつかんで止める。まるでそうするのがわかっていたみたいに。
「う」
急ブレーキに唸る私と、余裕そうな彼女。もう、もう、消えてしまいたい。なにも許せなくて浅薄すぎる、男として懐が狭すぎる私を、彼女はいつも笑って許してくれるものだから、消えてしまいたくなる。あなたのくちづけで、泡になりたいと思ってしまう。
「では、これからは気を付けますね」
「あっあ、いえ。あの。もちろん私程度のものがあなたを縛るなんておこがましいですから、気にしないでください」
私はひそかに泣きそうになりながら、小さく言いました。きちんと聞き取ってほしいと思ってはいなかったから、ほとんど目も合わせないで、自販機横でいっぱいいっぱいになったごみ箱の上へ、さらに空き缶を置いていくみたいにして。
「………ふふ」
「いっ今笑いましたねーー!?私は真剣に話しているんです!」
「ああ、すみません……」
喜怒哀楽の権化たる私に対して落ち着き払っているあなたさんが何かに謝りつつ手を伸ばしてきたかと思うと、途端に私の頭で奇妙な感覚が芽生えました。
はじめてと言ってもいい、あたたかな、ピィピィ鳴くひよこが乗せられたかのようにあたたかな感触。その温度が、何度も私のごわごわした髪の毛を舐めては引いていくのです。そうすると突然、口の中がこそばゆく甘くなってしまい、私はくちびるをムイムイと引き結んだりちぢこめたり忙しくしてしまいました。
「んん……?」
「急にごめんなさい。でも、糸色さんがかわいくて」
……
「ぇあっ?え?どこがですか!」
「変ですかね」
そう訊くあなたの目が本当に私を愛しているものだから、壊れそうになる。私の狭い胸はすでにあなたで満員ですと、どれほど伝えればわかってもらえるのでしょうか。
あなたさんが、頭から頬へ、てのひらを落としました、私の心臓がうるさくて、日没の音も、聞こえないほどでした。
「へっ……変です。すごく、……あなたさん、」
息が、息ができなくて、助けてほしくなりました。息をついでくれるひとが、私にふれるのをただ、待っていました。私をいつでも救う福音の吐息がほしくて、知りたくて、私はすがるようにただ、見つめていました。
「そっか」
そして、とうとう、笑ったあなたさんがそのまま、やさしく、くちびるを奪ったのでした。
以上が私のくちづけに関する顛末です。
味が柑橘系であったかどうか、やわらかそうなくちびるが実際やわらかかったかどうか、そのような些末なことを書き記す気は毛頭ありませんので(私以外の人間がそれを知る必要はないためです)、どうぞご想像ください。
……しかしそれ以降私はそれに本当に病み付きになって、薄い膜を指でつつと壊していくかのように危うい感触に溺れたくて、恥ずかしながらも毎日々々求めてしまうということをお伝えしておきます。心ごと、まったく言葉通り私は奪われつづけていますが、なにも減るものではありませんので、むしろ捧げるような心持ですらあります。
では、これで私たち恋人の記録は終わりとします。これを読んで、失礼にも馬鹿々々しいと思う人は笑って下さい。教訓になると思う人がいるとはとても考えられませんが、もしいれば、いい見せしめにして下さい。私自身は、あなたさんにものすごく惚れていて、そして惚れられている自覚があるのですから、どう思われても仕方がありません。だけれども、なるだけ放課後の教室に近づかないこと。これだけは、御願いします。