そのほか
おなまえ
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順繰りに双眼鏡でのぞく。
100と四捨五入センチメートルぽっちの、世界と呼ぶには全然満たないあなたの身長と体積。しわが寄った服の影色。とんでもない倍率で鑑賞したらますます生々しく生きている、生粋の生の生っぽさ。鎖骨。平和な晴天のてのひらが強引に包み込む時間。いつかは終わるのかもしれない永遠。いや、永遠って終わるか?まあ永遠と信じられ仰がれている、愛っていう立ちくらみ。……
俺はとても視線をやりきれないほど壮大な考えごとにクラクラしてきて、目から双眼鏡を離した。たとえ自分から考えだしたことであっても、頭蓋骨がちょっと窮屈になった気がした。
「平子さん」
そして、俺を呼ぶ声。
幻聴みたいにこだまして、まったくうるさいな。いっつもこの声は俺を深い空に突き落とす。どんなときにも、どこへ歩いても、正午の影みたいに俺の中に根付いて道端をついてきてしかたない。ただでさえ今は、網膜にべったりあなたのドアップが焼き付いているというのに。俺は日々、五感をじわじわ盗られっぱなしで、どこに何を訴えれば勝てるかもわからない。
(ああ、あなたが発する俺の名前の音程の平均値を出すだけの毎日がええな。それで稼げたらもっとええけど、そんなもん出したところで俺以外に得するやつおらんやろな。ああ、もう、頭痛い。)
(頭痛い。)
「あいあい」
天井にごろ寝していたのを座りなおして返事をしてやる。
「それ、双眼鏡ですか?」
「そや」
「なにを見ていたんですか?」
「まあ、なんや空とか」
「ええっ。太陽を見たら危ないですから、やめたほうがいいですよ」
空よりも『とか』に重たい鉛の比重がかかっていることをこいつは知らない。背景に釣鐘の花の残像が、太陽より強く焼け焦げていなくなってくれない。
「そやな」
逆さまにした双眼鏡でのぞいて、昨日の夜ふかしを後悔したら、順繰りに生は終わっていく。
恐竜を絶滅に追いやるような笑顔で俺を見るあなたをのぞく。さっきとは違って、怖いぐらい遠くにいる。
遠く遠おくに見えるあなたの全身が、電器屋に並んだおもちゃみたいに小さい。合図さえあれば、この手にぎゅっと握ってしまえる。指の一本一本で柔らかく拘束して、あやうい力加減に悩む俺自身が枷になってしまえる。
もしこの手につかまえたら、ポケットに入れて誰にも秘密にしよう。誰かにふくらんだポケットを指さされたら、頭痛薬を入れてるんやと言おう。
そして、あなたと旅をする。あなたとふたりで旅をする。
小さいあなたを額縁に押しこめて、きっと列車に揺られる。どこへでも行ける切符の鋏痕にまかせた車中で、眠るふたりが立ちくらむ。時にその気持ち悪さを口移ししあいながら、小さいおまえと旅をする。
腕を伸ばして
「あっ、こっち見ないでください」
「いまさら。さっきからずっと見とんがな」
あなたの跳ねる声を合図に、てのひらを、ぎゅっと掴む。
その姿は闇にぼんやりと消えることなく、ましてやこのてのひらに衣服や毛髪や肉体の感触がするわけもなく、俺の手はたっぷりと空をすくいとった。あたりまえに。開いてみても、不幸ぶっちぎりな手相の上には誰もいない。指紋をかすめもしない。
「えっ!もう、やめてください」
「……あーはいはい。もうやめた。どっこも見いへん」
「うう……」
双眼鏡を置いてから、ふつうの大きさで恥ずかしがっているあなたの顔を見る。
もちろん、連れ去ってどこかへ消えることは簡単にできる。今すぐにでも。パッキングなんかする必要ないし、ホテルの予約もとらなくていい。なんも心配ない。きっと行き先はこの俗世にはないから。
「はあ」
ちょっと傷心になれば、きょうの陽は沈んでいく。見計らったみたいに。
旅の予定はまだないけど、きょうはとりあえずそばに寄る、でいいか。天井から駆け下りて、あなたと同じ目線になる。逆さまな世界を急に戻したから、酔ったみたいに立ちくらみ。
順繰りに終わっていく旅路を反時計回りに遡って遊んでみよう。なんの濁りもない毎日をお花愛でるみたいに犠牲にしてみよう。ああ、壮大や。俺は頭の中が壮大で困るな。世界をとうに通り越して、俺はぐるぐる環状線な感情に巻きつかれてばかりで、その出所がどこかといえば、目の前のこいつでしかない。
「平子さんは、どこかへ行きたいんですか?」
「ああ、遠くがええな。なるだけ遠―いところに」
「平子さんなら、だれにも見つからないでどこまでも行けそうですね」
「だれにも見せへんように、ちゃーんと隠しとかなあかんなァ」
てのひらのなかに。ポケットのなかに。額縁の中央に。あなたの座る空席がいつまでも、夕暮れが落ちても、俺の中心に居付く。もういちど、なにもない手をぎゅっと握りこむ。いつかの旅路を夢に見て、頭の痛い俺はいつまでもくらんでいる。