そのほか
おなまえ
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昼休みは、きまって隣のクラスへ出かける。四限目のチャイムが鳴るとき、僕はいつも胸を逸らせているような気がする。いつも通りお弁当をふたつ携え、廊下に出る。そこは僕たちの待ち合わせ場所だった。
白くくすんだ廊下には、いつもより人の行き来が多い。その面子を見ると、どうやら隣のクラスの四限目の授業が移動教室だったらしく、まだ帰ってきていない人もいるようだ。待っていればすぐに来るだろう、と考えつつも、心臓の音はそれを急かすように、ちょっと速い。
「ごめん、石田くん!」
「あっ」
あなたさんが、筆箱と教科書を持って駆けてきた。まだ昼休みは始まったばかりなのだからそんなに急がなくてもいいのに、と思う気持ちと、それでも僕にとってはしつけ糸を切るよりも短い時間だから大切にしようとしてくれてうれしい、と思う気持ちとで、とっさに言葉が出なくなる。ただ、うまく言えなくても、僕が無意識的にほほ笑んでしまったのは事実だ。
「ごめん、ちょっとこれだけ置いてくるね」
「う、うん。ゆっくりでいいよ」
「ありがと!」
軽快な足取りで彼女は自身の席へ向かうと、手に持っていた荷物を片付けてから僕のところへ戻ってくる。ゆっくりでいいと言っても急いで僕に向かってきてくれる彼女の姿が、とても愛おしい。
「お待たせ!じゃあ、行こうか」
「ああ」
・・・
昼休み、家庭科室にふたり。家庭科部部長権限で、というと聞こえが悪いが、誰に邪魔されることもない空間を、やわらかく昼の陽が照らす。
少しだけ窓を開けると秋の風が薄いカーテンを揺らしてから、快く僕たちの肌をさわって通りぬけていく。「もう涼しいね」と、彼女は笑った。この白く広い教室に、こぢんまりと並んで座る。
「はい、これ」
「きょうもありがとう!」
白いほうのお弁当箱を手渡すと、あなたさんは飛び上がるように喜んだ。毎日のことなのに毎度喜んでくれて、思わず僕のほうまで顔がほころんでしまう。
あなたさんと恋人という関係になって、こうしてふたりで昼食をとるようになってからというもの、だんだんと、彼女の食べているものが気になりはじめた。そして(菓子パンは確かにおいしいけれど十分な栄養を含んでいるとはいえないから)、僕がお弁当をつくってくるよと提案したのだ。
自分が好きなひとのために早起きしてせっせとお弁当をつくる献身的な人間であったとは、少し前の僕には想像もできないだろう。
ただ、自分が食べるものではないと思うと、彩りや栄養や彼女の好き嫌いに関してもいろいろ考えてつくらなければならない。それが苦に感じるひともいるだろうけれど、僕はまったくそうではない。喜んで食べてくれるのも、感想を聞かせてくれるのも、実はしいたけが苦手なのだとこっそり教えてくれるのも、全部うれしく思える。このひとのことが好きだと、何度でも思える。だから僕はできるだけ毎日、彼女の昼食係としてがんばっている。
「きょう二限目が体育でさ。お腹すいてたからほんとにうれしい……」
「それはちょうどよかったな」
お腹をさすりながら安心したように笑うあなたさんに、僕も笑みがこぼれる。
「……わー!おいしそう。いただきます」
そして、彼女はフタをぱかりと開けてから、目を輝かせながら手を合わせた。
きょうのメインはさばの味噌煮だ。お弁当には不向きな魚・同じく不向きな煮物という二重苦を背負う献立だが、軽く身を焼いたり水分を飛ばしたりと僕なりの工夫を重ねた自信作。さらに、小ねぎを入れただし巻き卵、きんぴらごぼう、かやくご飯といった面々がその大きな背を支えている。
「……どうかな?」
小さなひと口でさばを味わっているあなたさんに、僕は思わずそう質問してしまった。すると、きちんと飲みこんでから、感動するように微笑んで彼女は言った。
「っおいしいよ……!すごく!きょうも!」
「はは。よかった」
軽く笑ってみせつつも、僕は心底安堵した。
もちろん味見を欠かしたことはないが、それでも彼女の言葉を聞くまでは、表情を見るまでは、確信が持てないものなのだ。でも、きょうもおいしいと言ってもらえたから。それだけでどんな苦労も、もういいやと思える。
もうひとつのお弁当箱、黒いほうは僕のだ。僕もようやく、手を合わせてから食べる。おいしい。努力の甲斐あって傷んでいない、やはり上手にできている、よかった……と改めて噛みしめた。
「……体育、きょうもバレーだった?」
「ううん、きょうは外でいろいろしたんだよ。あのね」
食事の最中になんでもない話を交わすなんて経験さえもなかった僕は、この家庭科室で人とする食事の楽しさというものをはじめて感じることができた。お互い二年生になってクラスが離れてしまったときは悲しく思ったけれど、こうして昼休みに集まって各々のクラスでの出来事を報告しあえるのはその利点でもある。
それに、ふたりきりの家庭科室は秘密のようにひっそりしていて、なんだか座っているだけで楽しく感じる。
他愛ないおしゃべりをしながら食べすすめていると、いつも僕のほうが先に食べ終わってしまう。それは僕があまり積極的に話すタイプではないからでもあるし、ただ彼女の話をたくさん聞いていたいという若干邪な気持ちで相槌役にまわってしまうからでもある。
と、彼女の箸が止まった。
「――なんだけど、あ……えと、ごめん石田くん、そんなに見られると……」
「あっ!す、すまない」
手持ち無沙汰のあまり、無意識のうちに彼女をぼーっと見つめてしまっていたようだ。
「ちゃんと全部食べるよ!おいしいからね」
「違うんだ、疑ってるわけじゃなくて!」
そのうえ、残さないか疑って監視していると勘違いされてしまった。もし全部食べられないというときは僕が残りを食べるし、べつにショックを受けたりしないのに(それはそれとして改良の余地があるなとは思うが)。それでも、おいしいという言葉に思わずまたほっとしてしまう。
「あ、しゃべりすぎ?ごめんごめん」
「そうでもなくて!」
むしろもっとしゃべってくれてもかまわないくらいだというのに、うまく伝えられない。
「ごめん、食べづらいよね。その……きみがなにか食べてる姿が、好きで……」
「そっ、そうだったんだ。いや、全然いいんだけど」
気持ちを吐露してしまうと恥ずかしくて、思わず背を向けて窓のほうを見た。きみのことはあまり見ないようにするという決意も込めて。さらりと風が吹くのに、僕の頬はいっこうに冷めない。
「私も石田くんが食べてるところ好きだから、わかるかも。なんか安心するっていうか」
「あ、ああ。うん、僕もそうだ。そう思う……」
安心する。
彼女がちゃんと食べて、生きていると確認することができるからだろうか。少し仰々しいかもしれないが、滅却師という立場上、ひとの生き死ににかかわる場面は少なくない。だからか、彼女に生きていてほしいと、心から思うのだ。祈るように。それよりも確実に、刻まれるように思う。
そして、ほかでもない自分の作ったご飯が、自分が生きてほしいと思う相手の命を支えていると前向きにとらえれば、この日々がとても素晴らしいものである気すらしてくるようだ。
「ん。むこう向かなくてもいいよ。食べ終わったし」
僕がひとりでぐるぐると考えているうちに、もくもくと食べすすめていたらしい。その言葉に、素直に振り向いて彼女を見た。
すると彼女は空っぽになったお弁当箱をちらりと見せてから、フタを閉める。
「きょうもおいしかったです、ありがとう!ごちそうさまでした」
「ふふ。ごちそうさまでした」
そうしたらまるで拝むみたいに、僕にも手を合わせられる。おおげさだなと思うけれど、その満足げな顔に、僕もまた満足して手を合わせる。
「私、さばの味噌煮好きかも。石田くんが作ってくれたのを食べるまで気づかなかったけど」
「えっ……それは光栄だな、僕も好きでよく作るから。きょうは特においしくできたと思ったし、うれしい」
「得意料理だね!すごい、見習わないと」
「べつに見習わなくたっていいよ。ずっと僕がつくってあげるから」
僕がなんの気もなくそう返すと、彼女は愉快そうに笑った。
「あはは。石田くん、私のお嫁さんになってくれるの?」
「え」
言われてみれば確かに、いまの僕の言葉は古めかしいプロポーズのようだ……!
いまさら気づいても遅い。すでに彼女は笑い終わって、意地悪げに目を細めつつ僕の反応を見物している。
かっと顔が熱くなって、汗が出てくる。もうこんなに過ごしやすい気温に落ち着いたというのに、僕だけが夏に取り残されたかのようだ。
「お、およッ……!!それはそっちだろう、」
「ははっ」
あなたさんは適当な笑いで僕の大声(反論になっていない変なことを口走ってしまった)をごまかすと、お弁当箱を机に置いてこちらへ手を伸ばしてきた。
「わっ、うあ!」
それから、ぐしゃぐしゃと、わざとぼさぼさにするみたいに手のひらで撫でられる。
突然の急襲に抵抗もままならず、彼女と会うからと念入りにととのえられた僕の真ん中分けは、あっという間に乱されてしまった。ぴょんぴょんと飛び出してきたいくつもの毛束の存在を、手で確認するまでもなく感じてしまう。
「きみ……、」
もちろん本気で怒ってなどいないが、わざと眉間にしわを寄せ、上目に睨みつけてみる。ところが、あなたさんはあわてる様子どころか、それすらおもしろかったようでころころと声をあげた。
「ふふ、ごめんごめん。これから授業だったね」
そして僕がとっさに手櫛で直そうとしたのを止められ、彼女が今度はやさしく撫でて、ととのえ直してくれる。
労ってくれているようにも、子ども扱いをされているようにも思える手つきだ。僕たちはまごうことなき同級生で恋人同士であるはずなのに、僕はずっと彼女に勝てない……
「よしよし。いつもありがとね」
「、どう、いたしまして……ちょっと、照れくさいね」
よっぽどさばの味噌煮を気に入ってくれたのか、なんでもない日のはずなのにこんなにもらってもいいのだろうかと、少し不安になる。だが、大いに幸せにもなる。単純ながら。
「私が食べてるときすごい見てたから、しかえし。だよ」
「それは……すまない。うれしかったから……」
「石田くん」
「ん?」
ふいに彼女は撫でる手の位置をするすると下げて、両頬をつつんで僕を呼ぶ。
「好きだよ」
「っ……ん!」
そして急接近したかと思うと、ちゅっ。と、軽くキスをされた。
あたたかくてやわらかい感触が、一瞬でいなくなる。それでも、ずっと僕のくちに残留してやまない。ふれる心地を覚えてしまったそこが熱くなる。どきどきと、遅れて鳴りだす胸がうるさい。
「なっ……な!」
それに、なにせ予想外だったので、される瞬間の僕は変な顔だったに違いない。それを目撃したに違いないあなたさんは、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべてじっと真正面から観察してくる。
「よーく見ちゃおう、石田くんの照れてる顔」
「見なくていいっ!」
「あはは」
まわりに誰もいないとはいえ、校内でこんな破廉恥なことをしておいて余裕なのはなんなんだ、と、心のなかで毒づいてしまう。ああ、もう、僕はいつもペースを握られて、乱されてばっかりな気がする。
気づけば、昼休みもそろそろ終わる。家庭科室を使う人もあらわれる頃だ。下校時間までまた離れ離れだが、あなたさんの言葉があれば胸はあたたかいままだろう。それから、くちびるに灯ったぬくもりも、しばらくは逃げてくれそうにない。
……本当のことを言えば、きみの隣にさえいられるなら、僕はお嫁さんにでもなんにでもなるよ。
これから一生お弁当をつくってと言われればそうするし、どれほど髪型をぐちゃぐちゃにされてもかまわない。ただ心を落ち着けて、おしゃべりをして、いっしょにご飯を食べられるなら、何もかもかまわないよ。
僕はきっと甘いのだろう。
でろでろな練乳みたいに溶けて腑抜けて、あるいはお弁当に入れる魚みたいに文字通りの骨抜きで、彼女といるときの僕は、それ以外のときとは別人みたいに甘くやわらかくなってしまう。それがいいことなのか悪いことなのか自分ではわからないけれど、きみがいいと言ってくれるならそれだけで、とすら思っている。
だからただおだやかな秋晴れのように、夢心地にも似たこの恋がつづいていけばいいと、願う。よくばっても許されるなら、これからもずっと、きみに好きと言われたいと、願うよ。
とうとう予鈴が鳴ってしまって、僕たちはそれぞれの教室へ戻る。「じゃあまた、放課後にね」と、手を振って。
きょうのような平穏な日が、きょうのような上手なお弁当が、ずっとつづいていくことを信じるみたいに。