そのほか
おなまえ
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監視基地のある日。
外に出ることの許されないあなたにとってはどの日なのかもわからない、どこまでも薄曇りで滝の音が鳴り響く日に、彼女は、ふと、「好きです」と言った。
いつものように不動卿オーゼンのひざに乗せられて過ごしているときのことだった。
「ふうん。……」
これは遅効性の猛毒だ。と、オーゼンは思った。
その症状は発熱、めまい、夢遊感。この声を、温度を、あとで何度も思い返すだろう。いつかあなたが「憧れています」と言ってきたあの光景のように。重い胸の底へつりさがったゴンドラの鎖、とっくに再生のとぎれたフイルムのように擦り切れて、いつか、この大穴の果てにぼんやりと還るまで、しつこいほどに何度も。めくるめく旅路の中で、花のように咲く声を、光のように大切にしまっておくことだろう。
だが、そんな感情を表情に出す不動卿ではない。
「外に出たくて媚び売ってるのかい?はは……」
じっとりと呪うような笑い声。
あなたはぱちぱちとまばたきをしてから、「そう、じゃ……」と弱々しく返すが、否定にまでは踏み切れずにくぐもって消えた。彼女の前で「ない」を含む言葉を口にするのは危険であると、これまでの経験で覚えさせられたのだ。
そのまま口ごもっていると、オーゼンはあなたの頬をつかんだ。
「だがそんな薄い言葉だけじゃあ、なんの証明にもなりやしない」
生物としてのつくりが違うとしか思えないほどの、大きな手。
オーゼンとしては頭蓋骨すら綺麗に粉砕してしまえる力を、蝶の鱗粉をなぞる程度にまでおさえていたが、あなたからすれば簡単な拘束にすら命の危険を感じるのは当然のことだ。
いつかの忘れたい汗が額にとどまって、流れることもできずにいる。呼吸がどんどん早く震えていく。両足首がそわそわして、位置が定まらない。
かつての痛みと吐き気が、胸の奥底のほうから再現の液を垂れ流す。生そのものに傷をつけたトラウマの温度に沿って、ぐるぐると暗い部屋の四隅が半回転する。
「はあ。まあ、わからないよねえ」
オーゼンが、思い出程度で満足できるはずもない。この場所でいっしょに肉体が存在していること自体を奇跡とあがめるのと同じに、愛の言葉は偶像崇拝だ。どれほど脳みその中心に焼き付いたとしても。
すでに空中へ霧散した不可視の物質を信仰して、進行する無思考という不治の病をどうマシにしていくかなどと、無為な想像に身をやつすことなどしない。
オーゼンは愛の夢を見ない。だから、その代わりに、物理的なささげものを求めるのだ。
あなたには、いまオーゼンが求めるさらなる正解にたどりつける自信などなかった。わからなかった。
思い出されてきた、明滅するトラウマに酔いそうになりながら、命を乞うようにオーゼンの暗い目をおずおずと見る。
当の本人はあざ笑うような声をあげた。
「やっぱり、いつまで経っても馬鹿だなあ……簡単なことさ」
「キミからしなよ。ふだん私がしてやってることをさあ」
オーゼンがそう言って、唇の端をつりあげる。
あなたの視線はひとつにまとまった。理解はできても、身体がこわばる。
「早く」
声が近くなる。
近づいているのか近づかれているのかわからないほどの、酩酊状態にも似た薄い酸素。いつのまにかこの空間には、性と混乱を渦めく不思議な靄がかかっているようだ。
オーゼンの前髪が、くるりと弧を描きながらあなたの鼻筋をくすぐって、息が止まる。
くちびるが、ふれる。
心臓の音で立ちすさぶ波が、身体じゅうをゆらしているかのようだ。そしてそれがオーゼンの巨躯に伝わってしまわないかと、心配になるほど緊張している。
ぎゅっと固く閉じられたくちびるがぶつかっては、離れる。満ち引きに似ていても、その動作はあまりにぎこちない。逢瀬ならざる接触が何度か繰り返されたのち、オーゼンがつかんでいた手を頬からあごへ移動させた。
「ふん」
鼻からため息を吐き出すと、オーゼンは口をひらく。
そのようなそぶりは見せないながら、不慣れなくちづけが喉の内側の掻痒感のようにもどかしかったのだ。
ひらいた口は、ちいさなくちびるをそのまま食べてしまった。
今となっては数えきれないほど味わった体温に、あなたはまだ驚いてしまう。死ぬまで変わらないのではないかと思えてしまうほどに、彼女はいつになっても白かった。そしてその純白にけがれの色を重ねていいのは自分だけだという自負が、オーゼンにはあった。
塗りたくるようにして、ひらかれた口から厚い舌があなたを誘う。一度はくちびるの表面をぺろり、と控えめに舐めるにとどめられたが、やがて侵攻のように静謐な唾液がまぶされる。そしてくちびるが離れると、いっそわざとらしいほどいやらしい音が鳴った。
「こう するんだよ」
そう言って、あごをつかむ手に少しばかり力を入れると、あなたが痛みから声をあげる。
そうしてひらいた口に押し入るようにして、オーゼンは深い口付けをはじめた。彼女にとっては、ようやく、と言ってもいいほど待ちわびたふれあい。
くぷ、と挿しこまれた熱い触覚器官が、あなたの肩を震わせる。ぬるぬるとうごめく焦れたそれが、いつもより容赦なく彼女の口内を荒らしまわる。内壁を、歯列を、凹凸を、その実在をひとつひとつ確認していくかのように、大きく荒々しくも丁寧なオーゼンの舌が、またひとつあなたをけがしてしまおうと、さらに濡れそぼる。
ちゅぷ、ぐちゅり、と、つながりしか知らない音が鳴る。灼熱ともいえる互いの口内の温度にひどい中毒症状を覚えながら、オーゼンはなおもあなたを犯した。
舌どうしが、ほとんどふたりの隙間からうかがえないほどに密着して離れない。もうこれから何を食べても味がわからなくなってしまうのではないかと思えるほどに、いま、あなたの口はまるっきりオーゼンの所有物だった。
「んっ。う゛う、んぁう」
もともと自身のひざに座っていたあなたの弱々しい身体を、オーゼンは角度を変えて口付けながら持ち上げる。そして、自分のほうへ向くようぐるりと半回転させた。
すると、オーゼンの大きな身体にはとても回りきらないあなたの両脚が、ぶらんと心許なく宙へ放り出される。どろどろになった互いのくちびるが淫靡な音をたてるたび、酸素不足で目の前がきらきらと霞みだすたび、その足先はまるで大きな身体に抱きつくかのようにぴくりと反応した。
オーゼンはそのわずかな身動ぎにも気づき、彼女にばれない程度だけ目を細めた。
この世の誰よりもあなたを犯し、感じさせるのは自分であるという、ふだんならば信じることのない運命じみた確信があった。
しばらくそうしているうちに快感による震えというよりはほとんどけいれんのような動きになっているあなたを薄目で見つめたあと、ようやく味蕾の密着をほどいた。
そして口を離すと、かたまりのようにぐちゃぐちゃに絡みあった唾液が糸をひき、ふたりの間には吐息をいっぱいにあつめたような熱気がたちこめた。よだれの糸は、あごへ伝ってから、あなたの服の胸元へ点々と吸いこまれて跡を残した。
「ッかっ!かはっ、はくっ、ふはあ、けほっ」
オーゼンは、せき込むあなたの真っ赤になった顔をながめながら、口元をゆっくりと拭う。そのくちびるは笑んでいた。
それから、誰がどう見ても余裕そうなオーゼンの顔を、あなたは息をととのえながら、涙をいっぱいに張った目玉で見上げた。
「ガキがするようなキスのひとつやふたつで、私をどうしようって?」
「簡単な脳みそだねー。ちゃんと詰まってるのかなァ」
辛辣であり間延びした声のまま、長い腕を伸ばすと、あなたの頭をぽんぽんと撫でる。それは本当に脳みそが詰まっているのか確認するようでもあり、どこか愛でるようでもある動きだ。髪のひと房ずつを、もてあそんでいく。
あなたはただ、ひっ、ひっ、と、接触が終わるのを待っていた。このまま頭を握りつぶされるのではないかと、ありもしない懸念に駆られた。オーゼンは話の途中で殺したりしないから、それがありもしないことだと頭ではわかっていた。ただ、ととのったばかりの息がだんだんとまた、その継ぎ目を不規則にしていく。
「それに、この足も」
「ひっ、あ!」
ぎゅっ!と、足首をつかまれる。
「私に折られたことを覚えちゃいないのかなあ」
ほとんど完治しているはずの足首が、いつかの悪夢を思い出して勝手に痛みはじめた。
覚えていないはずがなかったが、あなたの喉はただ強く締め付けられたように、発声を許さない。苦し紛れの息だけが加速する。
「はっ、はっ、はぁっ、」
ぱっと、足首を放される。
「なんだ、よく覚えてるじゃないか」
オーゼンは、恐ろしいほど軽い声で笑うようにそう言った。
そして、まだ震えるあなたの身体をぎゅっと自身にしがみつかせると、そのまま近くにあったベッドへ移動する。
あなたの身長などゆうに超える大きなベッドは、言わずもがなオーゼンのものだ。ぎい、と軋むそこへあなたを横たわらせてから、顔を近づける。キスを思い出さずにはいられないほどの至近距離で、捕食者のように押し倒す、絶対的主導権の黒いまなざしがあなたの視線をつかまえて離さない。
「……キミ……キミさあ。私のいない場所で死ねると思わないほうがいいよ」
そして、くちびるがまた重なった。あなたの返事を聞く必要などなかった。
あまりにも早い反芻の感覚に、あなたの身体は思わずこわばってしまう。それでも、ほとんど暴力ともいえる力でそれをこじ開けて、ぬかるみをあばいていく。オーゼンにとっては、難しいことでもなんでもない。良心の呵責にこたえるには、今までつくってきた生傷が多すぎるのだ。
あなたは、ふたたび感じる直接的な生命の感触と、さきほどよりずいぶん強まったオーゼンの香りでむせかえりそうになりながら、逃げることも、もがくこともできずに、ただ舌をじゅるじゅると吸われた。口内に唾液がなくなってしまうのではないかと本気で思ってしまうほどに、オーゼンは強くあなたの証明を求めていた。
まだ清い彼女の体液を口にすれば自分も、などと、馬鹿げたことを考えるいとまもない。ただ、からまるようにして繋いだ手指の先からだんだん融けて、溶けて、ふたりが永遠にいっしょのオブジェに成り下がってしまえたならばと、オーゼンはぼんやりと思った。
痛いほど熱を帯びた口付けは、ちゅっ、ちゅっ、状況とあなたの心音にそぐわぬかわいらしい水音へ変化した。さも恋人の安寧を祈るように落とされるくすぐったいほどやわいキスたちが、閉じられたまぶたを震わせる。
愛しあっているかのようだ。その資格を与えられたかのようだ。その資格を与える者を殺して、無理矢理奪ったかのようでもある。
「ん……このまま……殺してやりたいなァ……、」
合間合間に自由になるくちびるで、オーゼンは吐いた。
ひとりごとを呟くときのように自然で、誰にお願い事をするでもない、芯からの欲望を感じさせる声だった。
そのまま手を片方だけ解放して、彼女はあなたの首にその白魚をすべらせる。襟もとにふれたオーゼンの指先に、そのやわらかな鋭さに、あなたは心から命の危険を感じた。
「っん、んんっ……」
そして悲鳴に似た声をあげかけるも、しかしオーゼンの手は首の産毛にもふれることなく、彼女のシャツのボタンを開けた。予想とは少し違う行動だったが、拍子抜けというわけでもない。
「はは……」
ぷちり、と、口付けをしていて手元が見えないなか外され、上手に露出した不健康なほど白い鎖骨と首筋の漁火を、指紋で確かめる。いつでも欲を導くぬくもりの浸漬は、オーゼンの口付けを止ませて、またも誘う。
さんざん口を吸ったくちびるをわずかに舐めながら、オーゼンが顔の位置を下げた。そして、花の香りに誘われる蝶のように、いつまでもそれにとらわれる蝶のように、首筋の最も目立つだろう部分に、食むようにくちびるを寄せる。
それから、ぢゅるる、と、ひときわ強く吸い付いた。ちくりとした痛みに、あなたは少しだけ顔をしかめる。
そして離したオーゼンは、「ああ……」と、感嘆の吐息のような声を漏らす。笑んでいる。
これは、誰よりも私のもの。これは、私がいなければ生きてもいられないもの。きみは、ああ、馬鹿みたいな言葉だが、ずっと永遠に私のものだ。
「お、オーゼンさん」
「………」
「わたし、は」
「うるさいなあ」
じわりと赤くついた痕の上に、オーゼンは噛みついた。
ただ黙らせるためにしてはあまりに容赦のない力だったので、あなたは開きかけた口から大げさなほどの悲鳴をあげた。ぎざぎざのまだらについた歯型から、あえなく血が滲んでくる。
痕よりも紅いそれをぺろりと舐めとって「不っ味いね」と呟くと、オーゼンはすぐに自室から出ていった。
ずきずきと熱く痛む傷痕と、痛みに飛び跳ねた心臓の早鐘だけが残されたベッドの上で、あなたはいつのまにか涙をひと筋流していた。理由は、痛みなのか恐怖なのか、別のなにかなのか、知らぬ間に心を蝕む悪い病に侵されたように、わからなかった。
まずは呼吸をととのえようと思ったが、長いあいだ緊張にさらされていたせいかだんだんとまぶたが落ちると、死ぬよりも静かに眠ってしまった。その寝息は悲痛にまみれ、どこか、一瞬のぬくもりを求めていた。
「……度し難いなあ………」
重いドアを閉めてすぐに、つぶやく。誰にも聞かれることなく膿んでいく感情に陥って盲ってゆくことへの自嘲。
はあと息を吐き、喉の奥で押しとどめられた愛のようなぐちゃぐちゃの肉塊に見ないふりをする。
あなたの唾液、血、すべてのあまい猛毒たちを飲み干したとき、自分は笑っているのだろうか。そんな未知のある日に気分が悪くなりながら、マルルクに簡単な傷の手当てを頼むため不動卿はゆっくりと歩みをすすめた。