そのほか
おなまえ
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あなたくんが風邪をひいてしまったという。とても、とてもつらいらしい。そう聞いて、僕は彼女のところへ飛んできた。
かわいそうに、彼女は話通り床に臥せっていた。
まだ恋人でもない僕を家にあげてしまうような彼女だ、ほかに看病してくれる友だちや家族でもいそうなものだが。いや、それはみんな僕が……、したのだったか。そうなると、看病してやれるのは僕だけだな。彼女がとてもつらい目にあっているというのに、そう考えてしまうともう、口角がどうしようもないほど制御できなくなる。
……とりあえず薬を飲ませ、氷枕を換え、熱を測り、水を飲ませ、思いつくことはすべてやったけれど、どうしても食欲がわかないらしい。高熱なのでしょうがないのだが、とにかく何か食べないと治るものも治らない。
粥を差しだして、いまだ布団にくるまったままの彼女の目を見るが、瞳孔の色がどこかぼんやりとしていてこちらへ視線をやりもしない。
「食べたくないか」
「ん……ごめんなさ」
「いや。謝らなくていいよ。しょうがない」
「僕が全部くちうつししてあげるからね。」
「ほら、口をあけて。つらいだろうけど。少しでいいから」
やさしい口調で遠慮がちな催促をしても、彼女は怪訝な顔のままだ。口をつぐんで、僕を受け入れる準備をしてくれない。
「んー」
「いやなのか?」
「んん……」
「なぜだい?きみは弱ってる。ちゃんと食べないと」
「自分で」
「だめだ。僕がやる。全部僕が。きみは何もしなくていいから。ね」
「きみは何もしなくていい。ここにいてくれるなら……」
口に卵粥を少し含んで、唇を重ねる。有無は言わさない。
「んぐっ。むぁ」
あ け て 。
唇をくっつけながら、口の形だけでそう催促すると、観念したのか彼女はようやく口をひらいてくれた。
半液体がどろどろに、僕の中を塗れて降りていく。それはあなたくんの口腔内に無事落ちて、何度かの咀嚼ののちに飲みこまれていったようだ。僕の唾液の混ぜ込まれた食物が、風邪菌をまとった歯で潰されてぬるぬるの臓器の中で躍って、やがて命を形成する。
僕はきみにこうするために生きてきたのだと心底実感する。これからきみが口にするすべての食物をこうして口移しで与えてあげたい。
僕が含まれた栄養が、きみを生の方向へ縛りつける。きみはいま、僕なしでは生きられない命だ。かぎりなく弱い。同じくらい弱い僕すらも飲みこんで絶やしていくほどの命。そして燃えて死んでいく。僕も、そうやっていきたい。ひどく愛してると言いたい気分だ。
だから生かしておきたい。あなたくんは、生きていなければならない。どれほど傲慢といわれようと、僕と愛しあうためだけに、きみは。
「ああ……もっと食べて、いっぱい……ほら、」
唇からぜんぶ伝えるから。
愛してるって伝える。きみに生きてほしいと伝える。なによりも大事なことだから、体熱で直接伝えるよ。頭が痛くなりそうなほどの灼熱が唾液を媒介して僕を災難で苛んでいる。彼女がつらいというときなのに、僕はこれほどまでに高揚してしまっている。
かぷかぷした、空気の音。あむあむ、彼女が口をあけてとじて。舌を何度も挿しこんで抜いて。
矛盾にも似た反芻を、粘膜がいっしょになって戻らないくらい。とてもヘンになるくらい、つながってからまって、ぐちゃぐちゃにまざって、悪いものは僕が食べてしまうから。
たとえ僕がいちばん悪い存在だとしても。
どうか、僕のほうにも来て。僕の中身をかぎりなく荒らして。
僕のこともそのまま食べてほしい……呑みこんで、つるつるしたのどの内側で、ごくんってかわいい動きを確かめたい。愛しい。大好き。だからきみの命にきっとなりたい。
ああこれでは口移しというより、ただのみだらな口づけだな。
いつのまにか、ぬるくなった卵粥のことなど忘れて、夢中で口をくっつけあっていたようだ。
はっとして離すと、唾液に半分咀嚼されかけた米粒がまじって、彼女の口周りをひどく汚していた。僕はとっさに謝る。
「あ、あ……すまない、っ」
するとあなたくんは額を汗で濡らし、僕の胸へ倒れかかってきた。そこには遠慮するような軽さがない。きっと酸欠を起こして、真っ暗な視界をぐるぐるさせているのだろう。
彼女の口許を拭う。僕と重なった唇を見る。
申し訳ないと思いながら、甘えるようにしてぐったりと倒れてきた彼女のことが愛おしくて仕方なくなる。相手が僕だから受け入れてくれたのだし、相手が僕だからこうしてもたれかかってくれて、僕はそれを抱きとめることができた。
だから、ああきっと、僕たちは、きょうから恋人なんだな。
さて、まずはまた汗を拭ってやらなくては。僕は支度のために彼女を布団へ寝かして、卵粥の皿を片付ける。そして、一度そこを立ち去るまえに、また誓いのような口付けを落とす。すると、まるで死んでいるような彼女の寝顔へ、甘い息吹がたちこめた気がした。本当ならもっとしたかったけれど、体調が心配なのでやめておくよ。
きみの風邪が、きっとよくなりますように。もちろん、ずっと病気だったとしても、ずっとずっと、甲斐甲斐しく世話を焼くから心配いらない。僕たちは、そうして少しずつ、いっしょになろう。