そのほか
おなまえ
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「手。つないでもいい?」
彼女がそんなことを言い始めたのは、ある何でもない日の放課後だった。
「手!!手を!?」
俺は戸惑いを隠すこともできないでうろたえた。
こういう話は、俺から切り出すべきなのでは。彼女に恥をかかせてしまったような気分で申し訳ない(顔色にひとつの変化もないように見える。)、というか、それ以前にあなたくんは俺と手をつなぎたいと思ってくれていたという、希望的事実に肩がわなわな震える。
「いやかな?」
「嫌なわけがッ!!!ない……ぞ、それは。もちろん、うれしい、ことだ、うん。ありがとう」
大声を出しかけたのを、喉を締めて転換する。この教室であまり大きな声を出すと、緊急事態かと思われて誰か駆け付けてきかねない。これはある種、俺にとっては十分に緊急事態たりえる出来事ではあるが。
「そっか。よかった」
「ああ。……あなたくんがいいなら、是非、つながせていただこう」
彼女の安堵した表情につられて、俺もひどく安心する。とはいっても、彼女が話を切り出したときから鼓動がどうにも逸ってたまらない。
「うん、ありがとう」
あなたくんが右手を差しだしてくれる。
彼女のことが、きらきらまぶしい。まばたきをしてもくっついてくるあやうい残像のひとつぶだけで、俺はひどく、くらんでしまう。
「飯田くん」
「あ、ああ。」
心配したように声をかけられ、見惚れるのをやめてどこかあわてて浮ついた心で、その手をにぎった。
途端にやわらかくて、あたたかくて、未知で秘密の息吹が流れ込んでくる。
その感触に驚いてぎゅう!と反射的に強くにぎりこんでしまったのを、またあわてて緩める。
「すまッ!すまない。」
「うん、いいよ……」
微笑んでくれる彼女に安堵し、気をつけながらできる限り優しく包み、そして包まれる。
情けないことだがどうしても緊張して、指に変な力が入ってしまう。そのたびに、すべらかな皮膚の隊列が、もはや震えている俺の弱い力たったひとつにしたがってゆがんでいくのだ。
この手と体温をいちばんに守りたいと、本当は優劣だとか順位だとかをつけるべきではないのに、そう本能的にいちばんを設定してしまった自分がとても恥ずかしい。
本当に俺と同じ人間なのか疑わしいほどのやわさに、よくいままで壊れなかったなと思わず感心してしまった。
ふれるのが怖いくらいに、愛おしいてのひらだ。
「……あの、」
感動しきりの俺にふと、あなたくんが口を開いた。
「飯田くん、これ握手……」
一瞬、その言葉の意味がわからなかった。
だが彼女が、彼女の右手とつながれた俺の右手を指し示す。
右手と右手。右と右?
「あッ!!」
思わず大声をあげてしまった。
これでは、つないでいるというより握っているだけだ。身体が焼けるように熱くなってきた。
すぐに手を離す。
「間違えたッ申し訳ない!」
単純ながら右のてのひらにさびしさを感じながら、俺は平謝りした。
なんらかの条約が締結したかのような光景になってしまっていた。俺があんまり緊張し感動していたせいで、彼女も言い出しにくかったことだろう。
大切な初めての「手をつなぐ」がこれとは、なんと情けないことだ。さっきまでぐるぐると渦巻いていた猛烈な感動と高鳴りが、より猛烈に燃え盛る恥ずかしさに上塗りされていく。
「大丈夫だよ、ぜんぜん」
あなたくんは頭を下げる俺に笑いかけ、放してしまった右手のみならず両手で、俺のふたつのてのひらを包み込んでくれた。
ぎゅっ、と力を籠められてつい顔を上げると、先ほどよりもっときらきらにまぶしくて大好きな笑顔で見つめられる。
「、………」
たったそれだけで俺は何も言えなくなる。正しくは、何か言おうとした残滓の吐息だけを残して、俺はとらわれた。全力で走り抜けたときよりもきつく甘い苦しさが、どくどくと心臓を追いかけてくる。逃げられないと思った。
「好きだよ」
かっと目の前が白む。その言葉だけで魔法がかさなる。
光景のすべてが夢のようにぼんやりしているのに、知ってしまった両手の感触がそうじゃないと伝えてくる。
そして、彼女は駄目押しのように、ふだんは届かない俺の頭を軽くなでた。
家族以外の人にこんなことをされるのは初めてだった。もう手はふれていないはずなのに、頭の上に天使のわっかが芽生えたみたいな感覚が、ふわふわと残留し続けている。ふしぎだ。
もう心臓が拍動するのを通り越して、毎秒爆発しているようだ。胸に息づく恋ごころがぐちゃぐちゃに、もう喉から飛び出してしまいそうに、鼓動のたび増していく。浅瀬で甘く繰り返す呼吸が、意味をなさないほどの大きな心音に、自分自身でも混乱していた。
好きの熱がてのひらや頭のてっぺんから侵略してきて、身体じゅうが熱くてたまらなかった。落ち着くためにめがねに手をやりたくなったけれども、手を離すのが惜しくてぐっとこらえる。
そしてなんとか息を吐き、握り返す。
「………ありがとう。僕も、すごく、好きだ」
そしてかろうじてつむいだ掠れ声で、こたえた。
頬や耳が燃えるように熱をたたえて、背中など汗ばんでしまった。たぶん、夕陽だという言い訳も通用しないほど真っ赤になっているだろう。とても情けないと思う。
でも、そんな俺のことを彼女が愛おしんでくれるならばそれでもいいとさえ、ばかなことを考えてしまいそうだ。
「うん、ありがとう。」
あなたくんがふっと笑って、手をつなぎなおしてくれた。
今度は右と左で、きちんとつながって歩くのだ。
そう思った矢先、彼女の五つの指先がばらけて、なんと俺の指間におさまった。
「ん……!?」
交差するようにして、きゅう、と、にぎりこまれる。その握力の甘さといったら。
俺のごつごつした指と彼女の細いそれらが、なんともアンバランスで愛おしく思えた。このつなぎ方だと本当に、力を入れたら壊してしまいそうだ。それが怖くて、俺はただ声をおさえるみたいにかくかく動いた。
「ん?」
さっきまでの体験でもうすでに怖いほどどきどきしていたのに関わらず、彼女はさらに新しく初体験を重ねて繰りだしてきた。
俺がキャパオーバーしてしまいそうなことに気づいているくせ、なんでもないように微笑んだままもっと壊してくる。
やさしいはずなのに、俺をからめとって動けなくする糸。きみのそばにおいてくれるなら、このまま、がんじがらめでいたい。そんな、初恋のぐるぐる深い単純思考の坩堝に突き落としてくる。
「ん、んん……!」
俺のてのひらは汗で少し湿っていた。
不快だろうからハンカチで拭きたい気持ちと、そうだとしてももう離れたくないという非常に利己的な気持ちが、ぎりぎりにせめぎあった。咳払いをしても吹っ飛んでいかないこの場のなにもかもが、じわじわとまた熱を吐く。
「じゃあ、帰ろうか?」
それなのに、俺の内側の脆弱な戦争を知らぬまま、彼女は手を引いた。もしかしたらもう、全部知っているのかもしれない。
「ぁ、ああ。帰ろう」
でもただのかすれた声すら、あなたくんのものだ。ひどく格好悪く、情けなく照れて恥じらって、ヒーローらしからぬ色の汀でぐらぐらゆれている。
どれほど恥ずかしくても、それに耐えかねて俯いても、彼女は手をさしのべて頭をなでてくれる。言葉をくれる。どうしたらいいのだろう。俺が彼女にしてあげられること……思いつかない、馬鹿らしくも、それでも愛されてしまうような予感がしている。
「飯田くん、なんか、すごくかわいいね」
「な?!かわっ?俺が?」
なぜ?と言いたくなったが原因は明白だった。俺が俺じゃなくなるこの感じ、この瞬間にも体温をわかちあう
「うん。すごくかわいくて好きだな」
「……!!……、んぐ……」
「あはは」
もうどうしようもないほど俺はきみに夢中だ。俺をこんなにぐずぐずにしてどうしたいんだ。愛でまるまると肥らせて食べてしまうつもりだろうか。なにかの罠なのだろうか。視界いっぱいが、落ちかけた星のきらめきで彩られる。かわいいかがやき。
恋をしているから。
罠だとしても、いつか食べられるとしても、なにもかもその言葉で完結させられてしまう。
この短い帰路を、いつまででも覚えているだろう。廊下に出ると放課後のにおいがする。
俺は、これからの日々を静かに思う。俺をどこにもやってくれない強い運命の手を想う。好きだと言ってもらえるならば、誰かに笑われたとしても、俺はかわいいままでいたいと思う。あしたも、彼女がのぞむかわいいのまま在れるよう。そして、あしたも平和な下校がともにかなうようにと、願った。