そのほか
おなまえ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
・・・
・・・・・・
がたた~ん。がたた~ん。
殺人犯が百五十人詰め込まれた車両内。
電車にゆられている。だれかの鼓動とおなじに、ゆっくりと。電車がゆられている。
それは空を、街を、墓を、人を、惰性を通りぬけて、追いこして、生活の音に浸漬する。だから、だれのそばにも存在する。
車輪はひたむきに前へ進む。
愚かなほど前にしか進まない、ただ壊れないようにと、人間なりに自制心のブレーキを利かしているだけで、誰も本当の意味ではその車体を守ってはくれない。
まだ見ぬ終着への一日千秋のように、格段のスピードに執着している。喉を嗄らしながら体表のくろがねを風に見せびらかしている。
車掌による制御の手を脱け出しているが、あえて何も言わない彼と車両の透明な関係は、もはやモラトリアムといえた。
鼓動の反対の喧騒が、第三者多数の吐息によって構成される大気が車内にあふれかえる。表面温度を無視して真に吐き出される各々の恥部が、車内を車内たらしめている。
それを甘受しつつ平凡な箱人間におしこまれる粒人間たちのそれぞれの性格や思考順路は具現化し、猥雑な車内広告へ昇華する。
だから、ここでの一番は下品であることなのだ。
下品な広告はひときわ目を引く。だけれども、しばしば批判の対象になる。民衆の多くはそれをしかたないものとして受け入れ、悪夢の翌朝のような雑踏に忘れていく。
誰も興味がないことなのに誰もそう言い出せないから、しばしば批判の対象になる。しかし本当には興味がないことなので、世界を生きるうえでの一番は下品であることなのだった。
きょうはネオンに輝く吊り下げ紙に「夏風へ」と蛍光ピンクで書かれた広告を作り出した眼鏡の男子高生が、車両に常設されている金メダルを受け取った。彼は空中で照れ笑いをみせつつも、他の人は誰も浮いてなどいないので、「みんなはなぜ浮かないんだろう?」と思った。
その流れはとても生活的で、風景じみていた。
空は車窓のすぐそばで、とても晴れている。
一秒ごとに切り替わる広告の文言や、ネットニュースの大見出しや、誰でも目の中に書いてある漢数字のひと粒など、乗り物の中で文字を読むとすぐに酔ってしまうから、あなたはスマホをかばんにしまって、目的地への到着までしばらく窓から景色を眺めることとした。
とくにおもしろいことも起こらない平穏な土地の地平線や水平線は、心にとってなんてことない安寧の線を引いてくれた。なんてことなくても、それがないと、精神の均衡があやうくなってしまうほど大切な代物だ。
その風景のおかげであなたは、ほとんど満員の車内に息苦しくはあるものの、自身の中に具合の悪さを見出すことなくいられた。
自身との対話を怠りながら、ぼうっと景色を眺めつづけていると、駅に着く。
つまらない都市伝説にも取り上げられないほど辺鄙な夢の中の、ひときわ変な名前を冠された知らない駅だった。
がさがさした音声で二度つづけて駅名を告げられても、ひとつもピンとこず、思い出せなかった。頭の奥のほうが、薄いてのひらに握られたようにぼんやりとしていた。
目的血ではないので、あなたは減速する電車の慣性にあらがって、少し身体を傾ける。
するとその拍子にすぐ隣にいた子どもの骸骨の頭がぼろんと落ちてしまったので、ぶつかったのかと思いあなたは反射的に謝った。どうやらこの駅で降りるらしい子どもとその母親は快く許してくれ、ものすごい音量で笑いながらドアが開くのを待っていた。
停車するとすぐに、さざなみのように静かな足音で、全員がドアへ吸い込まれていく。
この駅にはどんな魅力があるのだろうか、それとも駅周辺が意外とにぎわっていてショッピングモールのひとつやふたつあるのかもしれないと、あなたは若干気になったが、しかしスマホや車内の併設電光検索板板で調べようというほどでもなかった。
そして満員の息苦しさを払拭するようにひとつ息をついたあと、一気にたくさん空いた座席の中で、一際邪魔にならない、目立たないところへ腰かけた。
そうした思考を巡らしている間にも、ホームの奥の血だまりへと人がひいていく。
あれほどの人数が降りたというのに、一転黄色い線の内側で電車を待っていた人は誰もおらず、マイナスの余剰だけがさびしく乗り込んだ。
そしてドアが閉まる。
たったふたりをのこして。
ふたたびの発車の浮動感とともに、カメラを首からさげた男が、端に小さく座っていたあなたの目の前に来た。
知り合いではなかった。
あなたの意識の外にいたその男がどこから来たのか、さっきまで座っていたのをわざわざ立ちあがってきたのか、それとも今の駅から乗車してきたのか、もちろん目的すら、わからなかった。
男は、ともすれば膝がぶつかってしまうのではないかというほど近くに、つり革をつかんで立つ。
触るでも話しかけるでもなく、どうやら彼女のことをひたすらじっと、見下ろしているだけのようだった。ペットショップに並んだ愛玩動物のどれがいいかと、視線で吟味して品定めしているときのようだ。
あなたは景色を眺めるのをやめて、居心地悪くうつむいた。
どことなく海辺の光にやられた車内が、言いしれぬ緊張感でいっぱいになる。
思考の通せんぼをするように、男はつり革をつかむのをやめ、さらに接近してくる。
どこにもつかまっていないにもかかわらず、男の身体は、電車の揺れを無視するかのようにじっとして動かない。
ずっとあなたの目の前に立っている。
昼なのか夜なのかはっきりしない温度とたくさんの窓が享受する反射光のさざめきたちが、ひそひそとないしょ話を交わしているかのようだ。ただの壁だとわかりきっているその背後が、なんとなくむず痒く感じはじめていた。
ふたりきりだった。
待てど暮らせども、誰にも助けてもらえない横長な密室で、あなたは何度か伏し目を瞬かせた。
もしかしたらもう他の車両にも人はいないかもしれないと考えてしまうほど、静寂だった。
逃走の計画も算段も何も思いつかないまま、ただ外的要因による救済が訪れないものかと、沈黙の中で機会を待ち望んでいた。
けして合わせてはいないが、絶えず監視するその視線は、もてあそぶような湿度を孕んでいる気さえした。なにが目的なのかまったくわからない。
痴漢だとしても、かたくなに触れてこないのは妙だった。しかも、この沈黙の攻防が始まってから、電車がどこの駅にも停まってくれなくなったのも変だった。
たっぷりと十五分ほどは経ったかと、あなたは身動ぎを最小限におさえつつ、腕時計を盗み見た。
すると男は、視線のゆらいだ隙を感じたのかついにしゃがんで、目線の高さをぴったりと合わせてきた。
あなたは急接近に驚いて、つい顔をあげてしまう。
「、………!」
一瞬、ばっちりと目が合うのがわかった。
それでもずっと見つめ合っているわけにいかないので、すぐに逸らして再び下を向く。
しかし、男はそのまま次の行動をしかけた。
「まだ乗るかい?」
言葉のあと一拍、あなたは理解のための時間をとった。
その声は、慈愛の型に蠱惑を無理やり流し込んだようにいびつな微笑を含んでいる。
しかしいびつであって、不安定であっても、疑問符まで美しい。この人はきっと殺人を犯した直後でもこの抑揚でしゃべることができるんだろうなと、あなたは短い響きの中から直感的に選び取るみたく、ぼんやりと思った。
その間何も返答できないままだったが、彼が不機嫌そうなようすを見せることはない。
男の名前は、顔を見た瞬間すぐに頭に浮かんだ。
人格破綻者のゲテモノ食いであることも、とても理解できた。
困惑で乾燥しきっていた脳でも、それらを迅速に把握することができた。
なぜなら人間は頭のどこかに、彼専用のスキマを開けているものだから。だから例に漏れず、あなたもすぐにそこへたどりつくことができたのだ。
もはや彼女は顔を上げて窓を見やることもできないが、昼でも夜でもなくトンネルに入ったかと見まがうほど暗く黒い空には、無量大数匹の虫が行き交い、群れを割くように光る飛行船が十三隻同時に遊覧していた。
景色があんまり暗いので、たまらず車内には明かりが点灯する。
安息と不安の海光とは程遠い、ぎらぎらで人工的で未完成な白い光が、煌々と、スポットライトのごとく降り注ぐ。
明かりがつけられたことで、ふたりのいる場所には過剰なほど濃い影が落ちる。その漆黒さはまったくの同一だった。
いまだうつむくあなたは、地面に平伏するふたりの影が伸びてはうやうやしく交わっているのを見て、ひどく恐怖した。
がたた~ん。がたた~ん。
電車にゆられている。
「きみ以外の人はみぃんな、降りてしまったよ?」
魘夢はなぜか困ったように眉を寄せ、どこか扇情的な表情を作った。
再び顔を伏せたあなたがそれを直接目撃することはなかったが、台詞じみた声には喜びがにじんできているように感じられた。
思考をひとつにまとめて絞られるような簡単さすらも、そして洗いなおした脳をざるに入れてしっかり水を切るかのような全能感すら孕みはじめているかのようだ。
つまり、あなたは追い詰められている。
先ほどよりも状況が悪化している。これ以上ないほど四次元な袋小路に迷い込んでいる。
それを、さらに男が言葉をつぐ。
「うん……俺とだけ、いっしょにいたいんだよねえ?俺とだけ………へんなの……あっはは、うん。ふふ。わかってるよ……いっしょにいてあげる………」
妄想の果てには妄信があって、その果てすらも魘夢は容赦なく曝ける。
寸分の狂いもないゆがんだ笑みで、柔和な睫毛の残り香で、かわいげをもっていえば愛情と形容できる可能性のあるなにかを、眼前に突き付けてくる。
さらに声がいったん終わっても、ふたりの距離を壊すかのようなくすくす笑いが絶え間なく継ぎ足された。
それがあなたの鼓膜にはぼんやりとハウリングして、反響して、ぼやけたように聞こえている。
……
まるで幻に注がれた炭酸水のきらめきの、泡の胎内で耳をすましているみたいだ。しゅわしゅわになった経験がなくとも、確信めいた想像が突如として、あなたの頭にはじけた。
いくら耳をそばだてようともけして鮮明になり得ない、あなたとそれ以外の要素すべての中間地点に、運命線のごとき長く絶対的でやわらかな隔たりがある。それはけして幻想的なものではなく、きわめて日常的に、生活の裏側にいつも存在している世界だ。
表裏一体であって、いつ裏と表が入れ替わるか、交わるか、わからないほど静かな、脳の内側。
……それにつられて考えれば、さっき降りた人々には顔がなかった。
何もかも変だった。あんなものは伝統でも常識でも生活でもない、この電車の中にしかこの世界がないみたいに、外はざらついている。制限があるのだ。いま見えている範囲しか、つくられていない。
ああこれは夢だ。悪夢だ。
あなたは気づいた。
そしてうつむいたまま、相手に気取られないように一息つく。
これは現実でない。ここは世界でない。この人は誰でもないのだ。
そういった希望の確信が、うじ虫のように次々湧いてくる。しょせんまやかしなのだから怯える必要はないのだと。
そのたび少しずつ馬鹿らしくなって、あなたはだんだん深い呼吸ができるようになった。落ち着いた心拍の甲斐あって恐怖は徐々に薄れ、むしろ束の間の幻想をはかなむ寛大な心すら持てそうなほどだった。
「どうしたの?」
あなたのさきほどまでの緊張した口角がいくらか緩んだのに気づいてか、男は目を合わせて心配するようなそぶりを見せた。
そして一度にっこりと笑みを深めてから、
「ああ……あぁぁ、もしかして、これは夢だから、目覚めたらいつもの世界に帰るんだ、ああよかったぁ!……って……」
「………思ったのかな?」
と言った。
「………ふうん。」
それから魘夢は永遠かと思われた笑みを頬から取り消し、冷たい一文字の瞳孔であなたを見つめた。
それはさきほどまでの品定めするような目つきではなく、愛している人に裏切られたとでも言いたげな被害者意識の籠もった視線だった。
あなたは意外な反応をよこす彼に驚くと同時に、鳴りをひそめたはずの恐怖が心へとふたたび波及していくのを感じていた。
「そんなに俺とばいばいしたい? ひどいよねえ。ああ、ひどい。この前もずっと目を合わせてくれなかったし……今だって。悲しいよ……」
男は床に膝をつき、ちょっと間俯いた。
さらに声をわざとらしいほどわななかせ、おそらく人を百人殺したあとよりも悲痛な顔を浮かべる。
眉間をぎゅっとしぼり、ひとつも潤んでいない目から涙がこぼれ落ちそうな雰囲気すら醸し出してみせた。
夢の中だとしても大変なことをして、ひどく傷つけてしまったのではないかと、罪悪感を抱かざるを得ないような表情だった。悪魔の演劇だった。あなたがまごついているうちに、魘夢がまた息継ぎをした。
「さあ、なぐさめてよ。抱きしめて。いつもみたいに……」
そして言葉とともに、ついに涙をぽろりとひとつぶ落とした。
その涙は、床にこぼれるのではなくてぶつかってそのまま慣性に従い転がっていくのではないかというほど、輝いて真珠のような光を放つ。
涙をこぼしたばかりの左目はしかし、相変わらず乾ききっていた。うねる悲嘆の声が喉から繰り出されると、あなたは何か使命感のようなものに頭を殴られた。
目の奥が白く点滅し、あなたの意識があなた以外のところへ逃げだしていく。
それとともにとうとう身体が座席から床へずり落ちて、男とまったく同じ目線になった。
魘夢がじょうずに嘘泣きをする。
そしてふたつめの真珠を落とすなり、呼応するかのように弾かれ、ついにあなたの身体が動いた。
もうすでに目と鼻の先にいるお互いの肉体の距離をさらに縮め、魘夢を抱きしめる。男の言葉通り、力強いその手つきは慣れている。
魘夢は心からほほえんで、うれしそうに、恋に落ちている真っ最中の表情で抱きかえす。
そして大きな息をして、ほんとうにうれしそうにあなたの肩へ顔をうずめ、頬ずりした。
あなたの身体はもう魘夢のものだった。
「あぁ………」
あなたは、車窓をながめていた時間を思い出す。
知っている景色だった。
そして、車窓をながめていたときよりもくらんだ頭が、繰り返しをじんわりと思い出していた。
知っている夢だ。
夢を知っている。
知っている夢だ。夢が知っている。知っている夢を知っている。夢は知っている。何度も知っている私を。彼の夢。知っている夢を。私に知っている夢。知っている夢。何度も知っている夢。知っている夢。夢を知っている。知っている夢だ。夢が知っている。知っている夢を知っている。夢は知っている。夢。知っている私を。夢知っている夢を。私に知っている夢。知っている夢。何度も知っている夢。知っている夢。夢を知っている。知っている夢だ。夢何度も。悪夢夢が知っている。知っている夢を知っている。知っている。夢は知っている。知っている私を。夢。知っている夢を。私に知っている夢。知っている夢。何度も知っている夢。鬼は夢。知っている夢。
なぜならあなたは頭のどこかに、彼専用の穴を開けられているから。
鼻血がたらりと垂れて、男の黒い衣服へ馴染む。
今までどうして忘れていたのかわからないほどに鮮明な、失敗の記憶がかけめぐる。あまりに数多なトロッコ問題への挑戦と失敗。
あなたは幾度も幾星霜度も、泣いてすまされないほどの辛い苦い目覚めの悪さを味わってきた。朝のシーツには心拍数だけが残っていて、その記憶はしかしいつの間にか忘れさせられていた。
車窓を見て広告が切り替わり子どもにぶつかり謝り駅で全員が降り底なし澱檻檻の中から男の顔を見る。
魘夢の問いかけに反発して殺された、魘夢の抱擁を拒んで殺された、魘夢の笑顔を見て泣いたから殺された、魘夢のお願いに黙っていると殺された、殺されたあとはゆっくりと食べられた、魘夢の愛に気付かないで殺された、右目が食べられているところを左目で見た、魘夢の執着に殺された、殺された。
ただ何度も。
かつて穿られた眼窩の裏に過るたくさんたくさんの新鮮で残虐な経験の数々が、あなたの背中を汗でにじませる。
百回以上はこの男に殺されただろう。
そんな男と密着しているのに、そのことよりもまた失敗の線路を選んでしまうのがおそろしく、離れることはできなかった。
「……ん………」
魘夢は抱きかえす腕の力を少し強めた。
ぎゅっと、唯一無二の体温を奪うように、薄い猛毒の速度で死なせるように、誰からも守って生きながらえさせるように、経験則を忘却のかなたに追いやるように、恋路に邪魔な生きものをみんな轢き殺すように、お門違いなお願いごとを神仏にささげるように、俺と彼女の間の生きものをみんな黄色い線の外の外へ突き落とすように、その背中を押す強いやさしさで、あなたのことを捕らえた。
「……あぁ…………」
「ねえ………このままねむろうか…………ねえぇ………いいでしょう…………このまま………ずうっ……と…………」
魘夢の、冷たいような温かいような曖昧な体温が、確実に精神を狂わしていた。耳元で聞こえる冷酷な催眠の囁きがそうさせていた。有限の幻影が無限の現実とまじりあう。境界をいじくる手のひらが、絶えずあなたの背をゆっくりとさすっていた。
あなたは入眠一秒前のひどくあきらめた気持ちで、善世界から目をつむる。
夢の中で夢を見た夢の中の男の腕の中で夢を見たかった。
流転する。
輪廻する回送迷路を、ふたりはねむる。おちる。そしてまわる。
おねむりを告ぐ口づけを落とすと、うっそりと笑った。
「ねええ…………俺たち……どこまで……いこうか?」
………………………
「ねえ、終点まで?」
………………
「………やっと………あきらめてくれたね?」
………
「さいごまで………」
………………
………