そのほか
おなまえ
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昼下がり。とてもよく晴れている。
少々頭の中がスカスカ透けるほどの青空が夏のはじまりを思わせる。
思わせてくれてありがとうございますと神様に、僕たちはこうべを垂れている。
髪型をぐちゃぐちゃにしてまで頭を下げている。
コール音が鳴っている。
鳴らしている。ずっと。
屋上にはだれもいない。
すでにたくさんの熱を食んだコンクリートが、むわっとした熱気を放っている。僕は重い扉を用心深くぴったりと、しかし静かに閉めきった。
そしてフェンスにもたれて、黙っている。
もうきっと、ここには誰もこない。黙っているせいで、世界がいかに騒がしく楽しげに踊っているかが、知りたくもないのに鼓膜に直接侵入してくる。
四季すべてにあてはまる季語は「呪い」だ。
その句の上五は「呪いあれ」だ。
実に嫌いだ。特に夏の前、喧騒に身体を慣らしていくようなこの期間には反吐が出る。
透きとおる青空を飛行機雲なんかが視界を分断しては、我が物顔で遊覧をよろしく楽しんでいらっしゃる。
雲の足跡はどんな気分で消えていくものなのか僕にはわからない。消したことはあっても、消えたことはないから。
膿の海があえかな無限光をゆったりと反射してゆれている。
僕の目をやすらかに痛めつけては、いままで捨ててきたはずの希死念慮を拾いあげて、わざわざ手のひらに渡してくる。
風景のひとつひとつがひたすらに前を向いて、僕にもそうしろと言っているみたいだ。
とても強い暴力の味付けを知ればそんな悪感情に苦しみあえぐことはもうないだろうと、誰も信じていない僕は、すこし本気で、信じていた。
信じているという言葉のダサさに寒気がする。
反故にされるために存在しているあわれな言葉。
気温が高まるごとにじりじりと、その寒気が増す。
あああそこから連想される言葉といえば、絆とか仲間、友情、繋がり、宝物、ぬくもり、愛、愛している、るううううううう……………(反故にされるために存在しているあわれな…………)…・・・・・・
「ううあああああああああ!!!!!」
…………
必要:再起動。
眼鏡を拭いているあいだ、裸眼で見渡すこの街は、漠然として美しいと思う。
なにもみえない、だからなにもかもが融け合ってまるで調和しているかのようにみえる。
実際にはそうでないことを知っていながらも、夢を見るみたいにぼやけさせていれば、ユートピアは僕の中の簡単になる。
頭の中に、手の中に、たやすく存在する幻の粒を押し固めては握りつぶす作業。
ああ、このまま、このてのひらに空をまるめて、ぎゅっ。と、……………
手をひらく。
拭き終わった眼鏡を掛けると、通行人や信号機や立て看板や電灯や横断歩道やポスターや青空のパレットや落ちた吸殻や落ちた天使や過去やなにか美しくないものすべてが、走馬灯のようになだれこんでくる。
雑然として堂々と立って、平凡にただ生きている。
きっとばらばらにされても生きていくだろう。
世界はおそろしくて退廃的すぎるけれども、いつだって僕の言葉より平然と回遊していく。
永遠な日常風景に誘発される悪感情は、まったくのかまってちゃんだ。うんざりだ。
大声を出したとき一緒に伝った鼻血をやっとのことで拭う。真っ白いハンカチが汚れる。
血は、真っ白い制服にまで少し飛んでいた。
コール音が鳴っている。
僕は沈黙している。
コール音は沈黙と同じだ。
コール音にあわせて鼻歌をうたうあなたの姿を思い浮かべていた。
僕が何度も何度もかける電話を無視してどこか楽しいところに遊びにいく彼女をがんばって引き留める僕の情けない姿を思い浮かべていた。
きみのいるだろう楽しいところを上から見下ろしてどうでもいい気分になっていく僕と、もしかしたら次のコールで出てくれるのではと期待する僕と、授業をさぼって無為な思考に落ちていくことを後悔し始めている僕と、この街のどこにもい(ら)ない僕と、この街のどこかにあるあなたの居場所をどうにか探し出して一発入れてやりたい僕と、たぶんそうしたらおしまいになるだろう僕の、何重にもなった薄い虹色の姿を思い浮かべていた。
耳障りな電子音が一小節終わるたび、僕の頭の細胞は終わっていく。
わざわざ日のあたる位置に移動した。
そして画面の明るさを上げた。音量も。
僕がどうしようもないほどうつむいているのはきつい直射日光のせいだと言い訳ができるから。
とても暴力をしたい気分になる。
なんでもいいから暴力に触れたくてしかたがなくなる。
しかも恒久的に。
一度この病にかかるともうしょうがない。なにもかもがどうでもいいのだから。
どこからか感染した生理的嫌悪感の、どことなくねばついた感覚が、手の中にずっとある。
どれほど洗っても解けてくれない、僕の頭の余剰部分にずっとずっと執着してくる、自縄自縛の罠。
あわれな猫背で電話をかけつづけている人間の影が、フェンスをくぐりぬけて空中へ落ちていった。
描き切れないほど膨大な愛情の宇宙を想像する。
肌の肉にはじける拳の感覚を思い出す。
きらきらぴかぴか光る海のまぶしい季節を夢に見る。
誰もが楽しそうで嬉しそうで、僕だけがそうじゃないあの残酷な空気をなぞる。
それらすべてが集結する地点を、その名前を口に出してしまえば、僕は簡単にさびしくなった。
「……あなた…………」
……………
絶えず。
どれほど言葉をこねくり回そうとも、諧謔を弄しようとも、皮肉をのたまおうとも、悪逆非道な言葉をこねくり回そうとも、僕の心を苦しめるのはいつもあなただ。
僕はひとりで、絶対にそうで、ひとりじゃないと思いたい瞬間にはいつも大声を張り上げている。
自分はすごく強くて人気者なのだから、ごく一部から嫌われるのも上等だ。と思いたい瞬間には、そのための燃料が多く必要だから。
グループのリーダーになって、服装や髪型を統一して、規律を定めて、適当に顔がきれいな女を侍らせて、その瞬間をたくさん乗り切ったつもりのままでいるのは、気持ちがよかった。
瞬間、瞬間、瞬間、を刹那主義に生きて、おそらくドーパミンとよばれる合法な魔法に酔うと、本当に自分がすごく強くて人気者であるような気さえした。
なにをしても偉業を成し遂げたかのように持ち上げられて、大声を出せば周りがもっと大きな声を出して、ヴォリュームが上がるたびに強く、僕の中に巣食う弱さはかき消された。
そしてそのまやかしはたった一回のコール音にぶった切られるのだ。
出ないから。いつまでかけても出てくれないから。
僕がこんなに、五月の風がひとつ吹いただけで頭を悩ましてはムカつかせているのに、そんなときに限って出てくれないから。
肥大化するさびしさの止め方を、彼女からしか教わることのできない僕は、僕は、この孤独な屋上でどうしたらいい。
飛べない僕はどこに行けばいい。青空の似合わないこの心持ちを抱えて、どこに行ったらさびしくなくなる?
どうすれば弱さはいなくなるのだろう?
それとも、人って、どれほど強くなってもさびしいのだろうか。
ああ。そうだったら嫌だ。
授業時間はもう、あと10分を切った。
コール音が狂ったみたいに鳴っている。
僕はもはや画面を見ていない。
ぼんやりと、フェンスに寄りかかって、街を見下ろしている。
あなたは僕のことを嫌いになったのだろうか。
これほど長いコール音を無視するくらいだから、きっとそうなのだろう。
もしかしたら着拒にされているのかもしれない。
だって僕は嫌われているのだから。
そうに違いない。
違いない。
そこまで考えたところで、重く閉ざした扉を開く音がした。
僕はそっちの方に背を向けたままでいた。
自分の顔が歪んだのがわかったから。もう顔も見たくない気分だったから。
「心土くん。遅くなったね、ごめん」
見たくないと思っていたのに、あなたの声に僕はすぐ振り向いてしまった。
心から反省なんてしているはずもないのに、あなたがやさしい言葉を僕にかけてくるから。
「あなた…………きみ………電話に出てよ………」
「あ、ごめん。わー履歴すご」
「………遅いんだよ……いつも遅い……遅い遅い遅い…………」
あなたはいつも僕をひとりにして余計なことばかり考えさせる。意識の内側に棲みついて離れなくさせる。
そうやって、僕がきみのほかに居場所を見つけるのを阻止しているの?依存させようと画策しているの?
そんなことをしなくても僕は哀れなほど、きみに反故にされるために、きみだけを、とても信じているのに。
しゃがみこんだ。
少し長く陽にあたっていたので、頭がくらくらする。
「ごめんごめん。泣かないでよ」
「………泣いてない……」
もうクズのやり方で、たぶん誰にでも見せる呑気な笑顔で、面倒くさいという内心を若干透けさせながら、あなたは僕を抱きしめた。
彼女がつくる影の涼しさと、彼女がふれる身体の熱さにはさまれてぐちゃぐちゃで、僕はちょうど、僕の大好きな温度に落ちてしまった。
「よしよし」となだめてくるあなたの手が、さっきまでの逡巡をあっという間に上塗りしてぼやけさせてくれる。
一瞬のドーパミンより気持ちのいい体温は、僕だけのものになってほしいたった一つの永遠だった。
いつでも手をすり抜けるさびしさのしっぽを、あなたはつかんで離さない。
なのに僕にはつかまえさせてくれないきみの切れ端を、ちょっとでいいからわけてほしかった。いつまでも欲望は欲望のまま潰えて、あなたのところには届かない。
「………ねえ、………ずっといて……僕じゃない人のところに行っちゃいやだ………」
「…………」
僕のお願いにはなんの返事もしない都合のいい残忍さを許すことはできないし、それをごまかすようにくれるキスの味は最低だけれど、一度発病したら戻らない猛毒にかかった僕の胸は単純にも愚かにもどうにも高鳴ってしまう。
沸騰するほどの温度を与えられて、馬鹿げた不安の種が揮発していく。
繋がっているときはあなたのことしか見なくていいから、許される気持ちになる。打算も計算もない、ただ吐息と熱だけが存在していればいい時間は、僕をきちんとだめにしてくれる。
そして唇が離れる。
そこへ五月の風が一陣吹いて、僕たちの温度をかっさらった。
たった一瞬が惜しくて、また新しくさびしさが増す。
だから追いすがるように眉を寄せると、もう一度してくれた。
最悪だ。本当に好きだ。僕のものにならないあなたが心から大好きだって思う。
離してほしくなくて彼女の後頭部を曖昧な力でつかまえる。
そうすることで本当にずっと離さないでいてもらえるなんて思ってはいなかったが。
僕が彼女にふれるのは一種の救いだった。
でもそうしたら、彼女の指が乾き始めていた僕の鼻血をぬぐうものだから、驚いて思わず「ん」と声を出してしまった。
その指は、とても意地悪な手つきだった。
「………ふふは」
あなたが笑った。この街にすむたった一人の悪魔がまた笑みを深めた。
「はああ………」
さっきの鼻血が制服に飛んでいたことに、やっとため息をついた。恥ずかしい。自分があんまり情けないので、うつむいた。
煩い季節の中心はいつもきみで、楽しげに世界をまわしている黒幕はいつもきみで、僕をいためつけて泣かせるのはいつもあなただ。
理想郷なんて言葉で飾るには仰々しいほど殺風景な屋上の青空が、延々とつづいている。背景をあざやかに縁どられてあなたは、また僕の心模様を不健康にやつす。
いつかこの空が灰色になったなら、この日を思い出して笑えるような僕たちでいられるのだろうか。
呪いあれ。きみのてのひらで踊りたい。握りつぶされるまでは永遠。
「ずっとじゃなくていい………から、………今だけでいいから………」
「うん。いいよ」
もうコール音は鳴っていない。僕の心臓が鳴らす喧騒だけ。
また気温が上がっていく。
さびしさを埋めては掘りかえしていく無為に、僕はたまらなく安堵していた。
あなたが満たされては欠ける日常をくりかえしていく無辜な僕を、僕はかぎりなく信じていた。