そのほか
おなまえ
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夜。夜。夜にしかなれない俺たちの際限を決める夜。行き先とその果てを区切る夜。深い夜。夜。
あなたとふたりで歩いている。きょうも飽きることなく、犬のようにほがらかに。歩いていく。
時折、迷子の人間が通りがかるたびに、あいさつをしたり道案内をしたり親切なことばをかけたりと、慣れないことをしてやる。
そうじゃないと、一番不幸な表情に陥れることはできないから。
たっぷりと優しさを与えられたあとで、怯えて、震えて、怖がって、恐ろしがって、壊されているのを自覚しながら、指先のひとつぶにも痛みを知覚しながら、まぶたを大きくひろげて、もっとも大きな恐怖に殺される。
俺はその表情を見ると、幸せだな、このためになら死んでもいいかもと思うけど、ああやっぱり、まだまだいろんな絶望が見たいから死にたくないなとか、いちいち思い直した。
存分に引き攣った顔で死んでもらってから、その血肉をあなたに分ける。
「おいしい?」
「…………」
あなたは首を振る。
確かに、味はそこまでおいしくない。
だけど俺は肉の断末魔や最後の表情も含めて食事だと思っているので、まあ悪くはないと思う。
殺すのは簡単だけど、最高の表情を見るためには少し時間がかかる。俺のやり方を遠回りだと笑うやつもいるだろう、そんなことはどうでもいい。
あなたは、発語のために息を何呼吸かした。
その吐息がやけに震えているので、泣いているみたいに震えているので、なにを言い出すのかと俺は黙っていた。
「人間……に、もどりたい……」
でも、驚くべき言葉に心がしらけた。
三秒ほど黙って、その文章を咀嚼するたび、俺の慈悲を掌る部分が、頭の中がぜんぶしらけていく。
「……人間に?」
「もどりたい もどりたい……もどりたい……!もどして……、もどしてもどして……ください………」
あなたはもしかして気が変になってしまったのだろうか。
ついに、と言ったらそれを期待していた風になるのでおかしいかもしれないが、ついに、どうやら彼女は気が触れて、俺と違うやり方で息をしはじめてしまったようだった。
あなたは心まで弱い。
人を殺して食べているくせに被害者ぶる。人を殺して食べていかなければ生きていけないくせに、人に戻りたいだなんて戯れている。せっかくあの方が鬼にしてくださったのに。
妙にいらいらが喉からこみあげて、ため息をついた。
本当に、心から、馬鹿馬鹿しい。
「あなた………いまだってじゅうぶん、人間みたいに愛しあってるよ、俺たちは」
一緒に食事をして、一緒に殺しをして、一緒に歩いて、見て、話して、触れあって、分けあって、理解しあったふうになっている。
夜にしか咲かない愛情の押し花の香りを、俺たちはもうかぎ分けることができるのだから。
これ以上人間の営みのまねっこはしていられない。
それに、死にたいと乞われれば殺してあげられるけど、人間に戻してといわれても俺にできることはない。
俺は人間に戻りたいと思ったことがないから、鬼が人間に戻る方法なんてわからないし、そもそも人間に戻れるかどうかすら、その可否にさえ興味がない。
「ちがうちがいます、違う……違う……もどりたい………」
「………」
何が違うのかよくわからないが、いまあなたが妄言を吐いているということはわかる。
ますますいらだって、俺は、それを黙らせようと口付けた。
たっぷりと血の味が染みこんだ俺たちの唇は、同化を願うようにして甘かった。罪に味があるとすれば、あなたの口内にはその秘密があることだろう。
さっきの肉の通り道をなぞるようにして、いやらしいその味を舐めたくる。誰もに平等な命のあたたかさをぐちゃぐちゃに濡らす。
人間。肉塊。その差が分からない俺には、できないおねがいごと。
すでにあなたの喉を落ちていったその肉がもしかしたらまだ自我を持って彼女の体内を観察して触れてまわっていたら。たぶんあなたにはできない醜い想像。
ああ俺は、もう、嫉妬で頭が狂いそうだ。
いまの俺は食い物にすら無機物にすら嫉妬できてしまうんだ。胸のあたりがくしゃくしゃになって割れそうだ。
自我を持っているだけの肉になりたいなんて。食われる側に戻りたいだなんて。理解できない、許容できない。
ぬるついた血とよだれがまぐわって、食らうための咬合を段々に塗りかえる。ふたりを手伝う夜の静けさは、口内だけをぼんやりと熱くさせていく。
いっそ頭もとろけてしまえばいいのに、絶えず無駄な思考はやまなかった。
いらいらする気持ちで口を少し離す。
「んぁ……」
だらしなく垂れる唾液の線を、なんの笑顔もなく見ていた。
俺がここで喰ってしまえば、おまえは人間として死ねるのかな?冷たい頭でそういうことをおそらく考えていた。
「、あなた………」
そうやって俺があなたを人間たらしめるのなら、与えてしまえるのなら。それほど滑稽なことはない。
こうやって名前を呼ぶたびに、ちょっとずつ体内の造作が変わっていくような気がする。構造が人くさくなって、ああ、ああ………うざったい、さっきの人間に罹患したせいでたぶん変になっている。
人を喰うたびにあふれる人間性をまるめて、このてのひらに閉じ込めて、隠しておきたかった。
人じゃない生命体として、心を胸のほうへ近づけるその行為は、ただ愚直すぎるから。
顔を離すと、彼女はまつげを伏せていた。
すごく、つまらなそうに。
「………」
俺のほうがつまらないに決まってるのに。
「う、ぁああっ……!!」
頬をぶったら、あなたは泣きだした。
別に首が飛ぶくらいの力ではないし、あの憎い日の光に貫かれたわけでもないのに。こんなに簡単に泣き出してしまうなんて。憎たらしい子どもみたい。
無垢なわけはないのに、痛みに弱いというだけで、愛されて、守られて当然かのようなそぶりを夜じゅうに見せびらかしている。食っているくせに。
ああ、真夜中の仲間どもに見られたらどうするの?俺以外の優しくない生き物たちに捕まったらどうする?怖いよって泣いたら許してもらえるって?
「おまえのせいで俺はもう、嫉妬ばっかりで……たまらないよ、胸焼けしそうだ」
「ううぅうぅぅーーーーーっっ………」
常にどこかがひび割れていて、脆くて、だから、俺よりも弱いから、俺はあなたを愛しているのだと思う。
「あはぁ。こんなので泣いて。こんなので……」
愛しているという言葉を味わったことがないので、いちど唇に触れさせてみる。
「愛してる……」
味はない。
俺が入れたひびの形に、まっすぐに傷ついて、割れるのをただ我慢して、なんの力も持たずに泣いて、甘えて、神経を逆撫でして、いらつかせて、壊れきるのは難しくて、誰の手のひらの中にもいなくて、殺したいほど愛してる、って人間ぶって言う俺、と、針を何度も刺してその都度ふくれる欲と心の劇薬、あなたが信じてる性善説のはじっこにいる真夜中の数々、その夜空に確約された俺とあなたの星座。とか。
「馬っ鹿みたいだねえ………♡」
「人間になんてなれないよ!もうおまえは俺と同じ!人殺しのばけものなんだからあ!うふふふ。ははは!あははぁっ……」
弱いから、俺に勝てないのがわかっているから、反抗も反論もしてこない。
あなたは、いま苦痛を味わわされていますと誰かに告げ口するような底意地の悪いかわいさとともに、光る涙をぽろぽろと目玉からただ落としている。
俺はなんだかあなたから排出される液体に安堵するようになったみたいだ。あなたほどではないけれど、俺も相当な馬鹿に成り下がっているみたい。
「おまえ、案外、ぶさいくに泣くよねえ?」
誰に助けを求めているの。俺以外の誰がこの世から助けてくれると思ってるの?
甘い人間ごっこは終わりにしよう。
あなたのまわりには誰もいない。どうせ夜と俺しか残されていない。
「いいよ……いいよ。どんなにぶさいくでも、俺は許してあげるから。うふふ!」
運命の手綱をにぎるのはいつだって強いほうの生きもので、たとえ人間の心であろうと、それを千切りとることは許されない。
おまえの首につながった硝子の糸を、いつだって俺は小指に巻き付けて、運命の恋に取りまかれているのだから。
そうしていたいって選択したのだから。
天より地よりも絶対であることを。俺はきっとあなたの神にでもなろうとしているのかな?わからないけれど。もしもすでにそうであるなら、少し気分がいい。いや、悪い。
「ふうぅっうぐぅう………!!!!……」
だから勘違いも甚だしい、そのぶさいくな泣きっ面を、俺以外の誰にも見せないように。
俺以外の誰にも壊されないように。
俺はこの子をきっと死ぬまで大切に壊し尽くすだろう。
気がちがったように泣きじゃくるその顔はなによりもかわいい。壊したくなる最高の顔。最低な気持ちのまた階下へくだる、螺旋の階段のゆきさき。
あなたはつまらないことに泣くだけで何の返答もしてこないけれど、俺は困らない。
「人間の友だちなんてできないよ。おまえは人間じゃないんだもの。飢えれば結局人間を殺して食う鬼。ひとでなしのひとごろし。怖がられて、ばけもの扱いされて、……ああ、もしかしたら殺されるかもねえ!」
だけど、そうやってへたくそに人間の演技をしていればいいよ。人間を殺さないのが正解だというなら、あなたは不正解を俺に押し付けてとっくにあがりのマスに駒をすすめているのだろう。
ばればれの嘘をついて正解ぶっていればいい。それで満たされるならそのままで。
美しい奇跡のように儚いきれいごと。儚いなら儚いなりに死ね。とは、とても言えないかな。
「くだらない人間がみぃんないなくなっても、俺だけは遊んであげるからね?」
「俺だけだよお。おまえみたいな弱っちいばけものを愛してあげられるのは。あはっ……」
俺たちはまた口をくっつけた。笑い声が永遠のふちに呑みこまれる。
意味がないのに気持ちいいことはこの世にたくさんあるけれど、この行為はその頂点みたいなところにいるんじゃないかな。本当に意味がない。愛しているという意味がどこにあるのかわからない。
ほほを掴んで、ほかを見られないようにして。ほかの誰も、なにも、入ってこられないような距離で。
口の中からほんのりとあたたかさをもらって、血よりも命のやどった唾液を飲み、泣きながらも死なないように必死に息をつぐあなたの顔を間近に見たら、それだけですごく生きている感じがした。
あたたかいのは生きているから。あなたが生きたいと望んでしまったから。さっき殺した糧で生を永らえさせたから。
「ほら……うふふ、はは、俺たち、愛しあってるよねえ。」
ほら。だから、これからもっと食べて、強くなって、夢を見て、見せて、殺して、人にやさしくして、殺して、殺し尽くしたら笑おう、ぜんぶやろう、ぜんぶ俺といっしょに。ね。
狂うほどずっといっしょに。人間ぶっていたっていいから。
この世で全部用事が済んだら、あの地獄にかえろうね。