ケンガンアシュラ
おなまえ
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ふたりの間に横たわる赤い糸の絡まったのをほどくスピードで、どことなく息を乱しながら俺たちは逃げていた。なんとなく背後に感じる視線や足音や気配を振り返ることもせずに、俺らしくもない早歩きで逃げていた。
やがて大きい道路に出ると、たくさんのエンジン音に叫びだしたくなってしまったのを、深く息をついて誤魔化した。信号の赤いのや青いのが、けたたましいほど忙しくちらちらと光るのも煩わしい。何回も促してやっと俺の手をひかえめに握りかえしたあなたは、それでも点字ブロックを踏まないようにと足元に目を向け続けていた。それに、わずかに残る水たまりに反射するローポリの街あかりをずっと見つめるので、これではつまらない。
あなたは俺のいない世界を妄信していて、差別をせず、偏見を持たず、俺という存在が平和を乱すジャマモノだと信じて疑わない。おいおい。これは差別でも偏見でもないのかよ?
ただでさえくだらないところから逃げてきたのに、……俺はあなたの目に映るものすべてを、世界を壊して、俺の手で一から作り上げてやりたかった。俺は壊すのはうまいが、つくるのは……どうだろうな。そのせいで、いまあなたのまわりがぐちゃぐちゃなのかもしれない。
「なぜそんなに怯えるかわからねえ」
俺の視界の下のほうで、あなたの目が、どう答えようかと揺れているのが分かる。
どうしたら俺という捕食者の脅威からできるだけ逃れられるか、どうしたら俺の機嫌が良くなるか、俺がこれ以上あなたの家族や、友だちを殺したり、傷つけたりしないか。脳みそを駆けずり回るのは俺についてのお悩みばかりだった。
「あっ、あ……えっと」
あなたは俺を無視するわけにもいかないので、雨上がりの空気にふさわしくもやもやした時間稼ぎの言い淀みをする。そうすると信号が青になったので、社会の規則に雁字搦めにされたあなたはまた、逃げたいよーとでも言うようにちいさな手のひらに力を籠めた。だれも傷つけられないよわっちい手。俺がすこしでも強く握れば、すぐにこわれる。
信号機の光がかたどった俺たち二人の影は、なんだか馬鹿らしくなるほど不自然な漆黒で、俺が笑うと、あなたはその小さな身体をさらにちぢこめて震えていた。
信号を渡ってふたたび、暗い通りへ入った。歩くスピードを緩め半歩うしろのあなたを振り返ると、わずかに乱れたあなたの息が白く、空中に舞って散っている。
俺がその息をつかまえるようにキスをすると、急いで逃げようとして捕らわれた小動物のようにばたばたするのが面白い。俺の腕の中でもがくのがあなたの人生と、そう決まっているから。
「ははッ。はは!おまえ、これが怖いのかよ」
「う、ぐむうっ、ふうう」
あなたは誘拐されかけているガキみたいにくぐもった声で泣きそうになっていた。意地でも口は開けたくないらしかったが、俺にはそんなこと関係ない。あなたの思考や行動が俺の意志に影響することは決してない。あなたがいくら消えたいと願っても、ひとにやさしくしたいと思っても、消えることも、やさしくもできないし、俺だってしない。この関係はけして恋とか、ラブとか、ケッコンとかではなく、ただ単に俺の一部があなたに、あなたの一部が俺に還るというだけなんだから、今から俺が愛を囁いたところでしょうがねえだろ。
「愛してるから口開けろや。ってか?」
と言いながら、実際には指を突っこんで口を開かせた。あなたの中のモラルに反するキスは温度を高めていくばかりで、時折車のヘッドライトが通り過ぎて、重なっているふたりを大げさにうつしだした。あなたの口の中は笑っちまうほどちいさくて、ぬくい。唾液がぬるついて混じりあって、くちびるの先から溶けてひとつになる。吐き気のするあまさの吐息、皮膚どうしのわずかな膨らみと沈み、つま先立ちをするあなたの足が震えて、俺にしがみつきそうになるのを泣きながら必死にこらえている。
「っ、ふっ、ううっ」
「おとなしく俺に欲情しとけよ」
「ううう。うう」
あなたの泣き顔はトクベツ不細工で、見ているうちに唾液が口の中にたまった。涙をぽろぽろ落とすまん丸い目ン玉を食ってしまえば、ああ誰のことも見ることなく、俺の心の平穏は保たれるだろうよ。あなたの好きな「つまらないこと」よりも、そのちゃちい欲望のほうがくだらない。俺は手を引いて、どこかへ向かって歩き出す。誰にも邪魔されない場所。誰も知らない場所。あなたが平和のつぎに愛すべき、俺だけがいる世界。俺たちはそこにある空気を全部喰らいつくすまで、ゆっくり終わっていくのをやめないんだろうな。街の喧騒が遠ざかっていくのを背中で感じながら、また悴みかけているあなたの手に力を籠める。「つぎ逃げ出そうとしたら俺は脚を折るだろうな。」俺の早歩きにあなたが追い付くことは絶対にない。まだ名前もつかないこの感情に、決してふれることができないみたいに。