短編
おなまえ
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「ネコ。」
「こうかい。」
「硫黄。」
「うそつき。」
消えないで。
泥中に咲いた花のようだったあなたさんが死に、そしてその死に顔をとうとう見ることはできなかった。ただ花が散るような綺麗な最期なんて無理だよこんな旅なんだから、というのは白石の言った虚言でそんなことを言っても誰も同調なんてしやしなかったしアシリパさんはそれからずっと目を伏せ、俺だってふと振り向いて彼女の影だけがすっぽり抜けていた時はああもうここには誰もいないのだと思って苦しくなってしまった。
楽しそうに雪上を歩き将来を話し料理を食べ人に寄り添い人に寄り添ってしまったから殺されたあなたさんのやさしさがいたたまれない、と感じたのは彼女が死んだと聞いて一時間の間ほどで、人間のことを信じすぎて死ぬなんて聖職者のした殉教のようで神秘的じゃないか、ああ、あなたは素敵な人だったよ、俺は俺たちはあなたのことを忘れないで精いっぱい生きていくからそこから見守っていてね、
などときれいごとで終わらせられるほど俺はできた人間ではない。
今の俺は吐き気をずっとこらえながら生きながらえているに過ぎないのだ。大丈夫ですかと何度も俺のけがを手当てしてくれたあなたさんのことが脳裏にちらつくたびに口に出すのもはばかられるような汚い罵詈雑言を吐き散らかしてしまいたくなって、そしてたったいま俺はあなたさんを殺した奴を殺し、どうせなら拷問でもしてから殺せばよかったなと少し後悔すらしつつあった。多分俺は性根がわるいので、爪や指や四肢くらいじゃすまさなかっただろう。唸りをあげそうになる喉を押さえていると無意識にあなたさんのことを考えてしまうこの頭はどうにかなっているし、治したいとも思わない。意味もない、この逡巡は恋だったのだろうか。かなわなくなったのでわからない。いじらしくなるような胸の浅い呼吸が、俺の視界をだんだんと狭めていくのも。
もういなくなってしまう
「毎日頭痛がひどくってさあ、いやになるよ。」
寄り目ぎみになって泡をふく、首をかしげたときの骨の軋み、みだされた前髪に隠された眉の傾き、切り裂くかのような激しい呼吸。嘘嘘、そんなことを夢で見るはずもなく。
苦しいのか俺はあの現状を打破したいと願ったくせにその次に現れたこの現状にうちひしがれてもうだめになりそうになっている。瑠璃色な夜明け寸前にあなたさんが笑って、この世はぜんぶうそだよって言った、だからそれを今まで俺はずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずtttttttっと信じてきたのにな愚直なまでに。人間のほうがずっと嘘つきだろどう考えたって。諦観的観点からみると必ず、確実、絶対というものは絶対に存在しなくてあなたさんはそんなものに当てはまらない非絶対のものが好きだった。
ただの人間だってそこら辺を歩いている名前も知らねえ男だって女だって犯罪者だってそのうちの一人なのにあなたさんは総じて人間のことが好きだったのだじゃあそんな愛の無駄遣いはよして俺のことだけを好きになってくれてもよかったじゃないか。必ず絶対そっちのほうが安上がりでなおかつ利害の一致に等しいまでの安心を得られたかもしれないのに心さえ射えないで。
手首、あなたさんの手首の骨組み、それをひとつひとつ分解して食べてしまったらほんとうにあなたが俺のものになるといえたのだろうか。必ずが必ずしもあるとは限らないならば俺はどうすればいいのだろう。
後ろにまだあなたさんがついてきているような気さえしていた、ただの確執妄執幻覚症的活動写真の完結編、まだ終われないのでもうそれが何本も何本も上映されているのだ。大不評でもっぱら、頭ん中の巷で大騒ぎされている問題作、繰り返し、死にそうに狂いそうにあなたさんのまつ毛が瞬いた空間を切り取るばかりの、文字通り何の展開もないああ見たら気が狂うと噂の。脳に侵入している人間好きのあなたが人間嫌いのあなたであったならのたらればの問答の奥のなんにもない空虚を俺は守ってばかりいた。
確かにあったはずのあなたさんの痕跡が日に日になくなってゆくのがわかる。類似品だけでごまかしがきくのはいつまでだろうか。
「回生をまだ待ってるの?」
脳幹をあなたに握られている感覚がまだする、そうあなたさんに執着していたことを俺は今やっと気づいたんだよそしてあなたさんにも執着してほしかったってことも、いま、いまさら、もう遅いのにどうして気づくんだよ。夜のうちに逃げなくちゃと手を引いた俺と立ち止まったままのあなたさんの眼で追えない残像がまだ焼き付いていて俺はもうきっと病気なんだあなたの名前を冠した病気、まだ未知な、特効薬無し、治療法無し、まだ癒えないで、人間のことなんか嫌いになってもいいから俺のことだけは好きでいて。って、俺は、また言えないで、また夜が明けて、また朝が来て、また現在が塗り替わって、また人を殺して、また懺悔もできないで、まだあなたのことが好きなのに、そう、ほら、俺は絶対の絶対に、噓つき後悔人間。